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23 本川

 私は週に一度教会に通い、ホームレスに食事を提供する慈善活動を手伝っている。


 毎週安息日に行われるこの活動に参加するようになったのは、フェッテル家の家庭教師になってから三か月後のこと。


 それから四か月の時を経て、この頃には私は、教会を訪れるホームレスの人たちの顔と名前を大体覚えていた。向こうも私のことを覚えてくれていた。


 関わりにくい人もいるけど、とても話しやすい人もいて、何だかんだ毎週楽しい時間を過ごしている。


 話しやすい人たちの中でも、私が断然魅力を感じている男性を一人、紹介させて。


 退役軍人であるチャーリーは、人をいい気分にさせることにとても長けた人だ。彼はある日、たまたま私の鼻歌を耳にして、それを言葉巧みに褒めまくり、その結果私は教会の前で路上独唱会を開くまでになってしまった。まんまと彼の口車に乗せられたってわけ。


 その日も私は教会で食事の提供を終えたあと、チャーリーに大げさな言葉でおだてられていた。


「〈なぁ、いいだろう? 君の歌声は死んだ妻の声にそっくりなんだ。また聞かせてくれよ〉」

「〈先週は死んだ妹の声にそっくりだって言ってなかった?〉」

「〈ああそうだ。死んだ姉の声にも死んだお袋の声にもそっくりだ。頼むよジル。なぁ、俺の歌姫。君の歌を聞けばまた一週間生き抜けるんだ〉」


 やがて、彼の仲間たちも私の説得に参戦する。そこでようやく、私は渋々頷く、というのが毎回の流れ。


 私は彼らに歌を聞いてもらうとき、内心で、綺麗なドレスを着て、着飾った観客たちの前で歌うことを空想する。それを彼らに伝えたらきっと、君ならできるとか、きっと実現するとか、そんな優しい言葉をかけてくれることは知っている。でも私はしばらくの間は、その空想を独り占めしていたかった。だからその日も私はこっそり胸の中で、宝石を身につけ髪を結い上げている自分を空想して、気分よく歌を歌っていた。


 教会の外の、階段の右端が私専用の舞台だった。観客は五人。もちろん、チャーリーは特等席の真ん中。拍手や口笛でおだてられた私は、さんさんと降り注ぐ太陽の光に照らされて、故郷を思い懐かしい歌を歌うのだ。




   夢について話そうか

   悔しいこともあっただろうが

   それがわたしの全てだった

   痛みも力に変わるほど

   わたしは夢と生きていた


   家族について話そうか

   重荷に感じたことだろうが

   それがわたしの全てだった

   煩苛(はんか)も情に変わるほど

   わたしは家族と生きていた


   友について話そうか

   孤独が増してしまったろうが

   それがわたしの全てだった

   恐怖も勇気に変わるほど

   わたしは友と生きていた


   恋について話そうか

   惨めな思いをしただろうが

   それがわたしの全てだった

   徒然(とぜん)も歌に変わるほど

   わたしは恋と生きていた


   愛について話そうか

   失うことは恐ろしいが

   それがわたしの全てだった

   ぼせ()も花に変わるほど

   わたしは愛と生きていた


   それがわたしの全てだった


   それがわたしの全てだった


   それがわたしの全てだった




 しまった。発音を間違えた。


 私は心の中で舌を出しながら、失敗したことを悟られないよう仰々しいお辞儀をした。幸いにも、些細な発音の違いに気づく人はいなかった。


「〈いつか世界中を旅する歌手になったときには、俺たちも一緒に連れてってくれよな〉」

「〈俺はボディーガードとして役に立つぜ〉」

「〈衣裳の管理はあたしに任せてちょうだい〉」

「〈いいわ、でも私をエスコートするのはチャーリーよ。これはもう決まってるの〉」

「〈なんだよ。いっつもチャーリーだけ特別扱いだな〉」

「〈俺たちの歌姫は見る目がある。なぁ、そう思わないか?〉」


 皆で階段のすみに座り込んで談笑していたとき、静かな、だけどはっきりとした声が飛んできた。




「《墓石》ですよ」




 私たちは一斉に、声を発した人物に視線を向けた。私たちがたむろしていた場所から十歩ほど離れた場所に、その人は立っていた。そして、まっすぐ私を見つめていた。


「また発音を間違えてる。《ぼせい》ではなく、《ぼせき》です。《墓石も花に変わるほど》。ちゃんと教えたでしょう?」


 彼が話している言葉が分からないチャーリーたちは、困惑した顔でその人を見ていた。


 やっぱり、彼の瞳は光に当たるとガラスみたいに透き通るのだ。私は十年以上も前からそれを知っていた。でも、あんなによく晴れた日には、透き通るだけでなく星のように輝くことは、この瞬間まで知らなかった。


 今にも泣き出しそうな顔で笑っているその人は、階段に座り込んでいる私のそばに迷いなく歩み寄ってきた。私は金縛りにあったみたいに身動きひとつとれなかった。


「ランドルフ?」


 信じられなくて、一応確認した。もしかしたら全くの別人かもしれないし。そんなことあり得ないって分かってたけど。でももしかしたら夢かもしれないし。


「はい」


 ランドルフはひざまずいて、私の目の前で返事をした。言葉をなくした私の頬に、彼の指が触れた。茶色の瞳から今にも涙がこぼれ落ちそうで、どうしてか私はとてもハラハラした。


「ありがとう」

「え?」

「ありがとう、ジル」


 絞り出すような声でランドルフが呟いた。

 何が、と尋ねる前に、抱き締められていた。


「よくぞご無事で」


 万感の思いをこめて発せられたその声は、どこか非現実的で、私を抱く彼の腕は、額縁の向こうにある世界のものなのではないかと、そんなふうに感じられた。

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