18 派川
もう限界だと、最初にそう思ったのは亡命して一年経った頃だった。亡命してから二度目の冬を迎えようとしていた。私は冬が来ることが恐ろしくて仕方なかった。寝ている間に死んでしまうのではないかと、本気で思ったほどだ。
私の部屋、というか、私のベッドは屋敷の地下にある。地下の物置に仕舞われているベッドの上が私の縄張りで、ねずみの足音にはすぐに慣れたけど、寒さにはどうしても慣れなかった。
一応物置には、小さな暖炉があった。でも薪を十分にもらえず、だから十分に体を温められた試しがなかった。
雇い主と交渉しようにも、言葉を話せない。そう、私は一年経っても新しい言葉を習得できていなかった。
あかぎれの痛みと冬の寒さに耐えながら、物置で発掘した古いカーテンにくるまって、もう逃げよう、明日逃げようと毎日考えていた。本気だったかどうかは自分でもよく分からない。
ある日、手紙が届いた。パパからだった。一瞬、家族のもとに帰ってこいという内容だと期待した。
手紙の内容はこうだ。パパは毎日長時間働きづめで、半年ほど前に腰を痛めてしまった。何とか頑張ったけど、どうしても仕事を続けることができなくなった。だからもう、私の収入だけが、私たち家族の頼みの綱だと。
もしパパのことを情けないと思う気持ちを抱いたのなら、それは誤りだと申し上げておく。
パパはとても気位の高い人で、娘の私に謝罪をするなど、とてもできる性格ではない。
だけど、手紙には呪文のように繰り返しこう書かれていた。
すまない、申し訳ない。苦労をかけてすまない。きっと辛い思いをしているだろう。ジュリア、お前を心から愛している。それだけはどうか、忘れないで欲しい。
私だってパパを愛している。だからこう返すしかなかった。
パパったらすっかりお年寄りね! 私はぴんぴんしてるわ。仕事はすごく楽しい。もしかしたら才能があるのかも。次に会うときには、最高の料理を振る舞ってあげる。あまりの美味しさに、パパたちが驚く顔を想像したら、とっても可笑しい!
◇◇◇
ある日屋敷のお嬢様の命令で、私は彼女の遊び相手をすることになった。
お嬢様は多分、私と同い年くらいなのだと思う。私の祖国の遊びを知りたいと、恐らくそんなようなことを言っていた。
久しぶりに花の香りがするお茶を飲んだ。あまりにも久しぶりで、お茶を飲むだけなのにとても緊張した。
ところで、特権階級に属する人間の共通点は何か、ご存知だろうか。
それは、いつも退屈していること。常に退屈していて、美味しいものを食べるか、パワーゲームのための、おしゃべりの皮を被った情報収集に興じるか、しきりにため息をつくか、そんなことに時間を費やしている。
ちなみに私が仕えていた地主一家は、厳密に言えば特権階級ではなく一般市民なのだけど、この際明確な定義なんてあってもなくても同じこと。
かつての私がそうであったように、お嬢様はとても退屈していて、それでいて、毎日楽しく遊んで暮らしたい、というような空気をかもし出していた。もしかしたら私の被害妄想かもしれないけど、私の記憶では、そうだった。
私はお嬢様の、枝毛が一本もない美しいブロンドの髪をぼんやり眺めた。後れ毛ひとつなく、綺麗に結われたその髪を、お嬢様はきっと窮屈に感じているだろうと私は漠然と感じていた。
薪がパチリと鳴った。たっぷりの薪が燃えていた。
◇◇◇
少し時間を巻き戻そう。
私がまだ、お嬢様をやっていた頃まで。私とダニエルが打ち解けた頃の話をしよう。
私はある日、何の話の流れだったか、ダニエルに尋ねた。私が川に落ちて体調を崩し、そのおかげで彼と和解した日のことを。あの日どうして私に、自分のせいでジョエルが死んだなどという嘘をついたのかと。
「時々さ、ジョエルが近くにいるって感じることない?」
ダニエルはおどけるでもなく、真面目な顔でそう尋ね返してきた。私は首を横に振った。ダニエルははにかむように笑った。
「時々分かるんだ。あー、今すごく近くにいるなぁって。あの日もそうだった。で、何となくあの川に行ったんだ。そしたら、ものすごい数の花が供えてあってさ、小さな花畑みたいだった。あの頃町の連中は、ジョエルが寂しくて、だからジルを連れていこうとしたんだって思ってて。でもほら、分かるだろ? あいつにはそんなことできないよ。特にジルなんか、目に入れても痛くないってくらい可愛がってたのに。ちょっと悔しかったんだ。正直言うと」
私はダニエルの話を聞きながら、遠い昔の記憶を思い返していた。ダニエルはかけっこをしたいと言って、私はおままごとをしたいと言った。ジョエルは「ジルはかけっこしても絶対に負けちゃうから」と言って、おままごとを採用してくれた。最初はダニエルは不機嫌だったけど、でもおままごとは意外に白熱した。ダニエルは最後には、ジルを僕たちの親友にしてやってもいいよ、と言っていたくらい。私はそれがとても嬉しかった。
「せめて、ジョエルが悲しまないようにしたかったんだ。あいつはもう自由に話したり動いたりできないだろ? だから僕が代わりにって。あの日、そう決めたんだ」




