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主人公になろう

「きみは、本物の百地ユーリ――なのか」


 俺の言葉に、ユーリはもう一度こくんと頷いた。


「本物、というのがどういう意味かわかりませんけど、わたしは百地ユーリです。やっぱり、あなたはわたしのことを色々ご存知なんですね」


 ユーリはどこかホッとしたように、小さく笑う。

 見知らぬ異世界で、自分のことを知る人間に会えたことに安心したのだろう。

 初めて見せてくれたその控えめな笑顔は、やっぱりマンガの絵とは全然違うけど、アルカイックハーツのヒロイン・百地ユーリそのものだった。

 か、かわいい……!


「もしかして、あなたもソフィア機関の方でしょうか? すみません、わたし、あなたのお名前も知らなくて……」


 ユーリはバツが悪そうに上目遣いで尋ねてくる。

 相手は自分を知っているのに、自分が相手のことを知らないのは申し訳ない――そんな気遣いをしている顔だ。

 さっきまでの俺もそうだけど、ユーリも俺のことを「自分と同じ世界から来た人」だと思い込んでいるらしい。


 さて、どう説明したものか……。

 目の前にいるユーリに向かって「お前はマンガのキャラクターだ」なんて、とてもじゃないけど言えない。

 だって、どう見ても立派な一人の人間なんだから。


「俺はきみとは違う世界からここに召喚されたらしい。元の世界では、えっと……異世界の観測や記録を仕事にしていたんだ」


 もちろん異世界の観測はマンガ・ラノベ・アニメ鑑賞のことで、異世界の記録は自作小説執筆のことだけど。

 まあギリギリ嘘は言ってないから大目に見てもらいたいところだ。


「まあ……! それでこの世界のこともご存知だったんですね」


 俺の説明にあっさり納得してくれたらしく、ユーリは感心したように何度も頷く。

 とんでもない力を持つ人間兵器が、こんなにあっさり人を信じる性格で大丈夫なのだろうか。


「それで、あなたのことはなんてお呼びすればいいんでしょう……」

「ああ、ごめんごめん。そういえばまだ名乗ってなかったっけ。俺は――俺は、あれ……?」


 ユーリに自分の名前を告げようと何気なく口を開いて、そこで俺の思考は停止してしまった。

 自分の名前が出てこない。


 自分がついさっきまで元の世界の自分の部屋にいたこと、小説を書いていたこと、その辺はしっかり覚えている。

 なのに自分の名前を思い出そうとすると、まるで記憶の梯子が外されてしまったかのように、急に思い出せなくなる。


 いや、そういえば名前だけじゃない。

 俺の家って、どこにあったんだっけ?

 東京? 大阪? 北海道? あるいはもっと別の場所か?


 それから俺って今、何歳だっけ?

 学生……いや社会人? それともニート?


 駄目だ、自分のプロフィールに関することがさっぱり思い出せない。

 日本のどこかで鬱屈した日々を過ごしながら、マンガやアニメに興じ、そして自分でも小説を書いていた。

 自分に関することで思い出せるのなんて、それくらいのものだ。


 俺は――俺は一体、どこの誰だ?


「ど、どうしたんですか?」


 動揺を思いっきり表に出してしまっていたらしく、ユーリが心配そうに目を細めている。

 ユーリ……そうだ、百地ユーリ。

 マンガ『アルカイックハーツ』に登場するヒロインで、魔導科学によって生み出された生体ナノマシンを体内に飼う人間兵器……。

 そうやってユーリの設定はちゃんと思い出せる。

 なのに、自分のことがまるで思い出せない。


 壁にかけられた鏡に駆け寄り、自分の顔を映し出す。

 そうして俺はまた、立て続けにショックを受けることになった。


 鏡の中には、短い鳶色(とびいろ)の髪をした、まだ幼さの残る少年の顔がある。

 本来の自分の顔なんて思い出せないけれど、これが元の俺の顔じゃないことだけははっきりわかる。


 予感めいた何かを感じ、心臓が高鳴り始める。


 だってこれは、これじゃあ、まるで――。

 でも、そういうことなのか?

 転移する直前に押したあの『主人公になろう』ってリンクの意味は、そういうことだったのか?


「あの、無理に名乗っていただかなくても大丈夫です! ……すみません、あなたの世界の作法とか全然知らなくて。失礼なことを言ってしまってたら、本当にごめんなさい……!」


 ユーリは何を勘違いしたのか、慌てて駆け寄ってきてペコペコと頭を下げ始めてしまった。

 きっと自分が何かマズいことを言ったと思ったのだろう。

 俺なんかよりよっぽどユーリの方が混乱してしまっているように見える。


 いや、見えるだけじゃなく、実際にそうなのかもしれない。

 本来の自分の名前すらわからないこの状況に、不安を感じないといえば嘘になる。

 でも不安以上の困ることが何かあるかといえば、実のところ何も無い。


 だって俺は、()()()()()()()()()、もうわかっているから。


 本当の自分のことなんて、きっと元の世界に戻れば嫌でも思い出す。

 それよりも今、俺は胸の内に一つの衝動が生まれつつあることを強く感じていた。


「ごめん、きみのせいじゃないんだ。召喚の影響かもしれないけど、ちょっと記憶が混乱してるみたいで」

「そっ、そうなんですか。よかった……あ、いえ! あなたの記憶が混乱してるのが良かったという意味ではなくて……!」

「ははは、大丈夫だから落ち着いて」


 恐縮しっぱなしのユーリの頭に手を置いて、ぽんぽんと弾ませるように撫でる。

 ユーリは一瞬驚きに目を丸くして、


「すみません、取り乱しました。えへへ……」


 それからすぐ、無防備な照れ笑いを見せてくれた。

 か、かわいい……!


――じゃなくて、思った通りだ。


 ユーリは事故で両親を亡くし、ソフィア機関に引き取られた過去を持つ。

 幼い頃の幸せな記憶の中で強く残っているのが、父親にこんな風に撫でられたことだ。

 こうして撫でられている時のユーリは、いつもの引っ込み思案で控えめな性格が薄れ、思っていることを素直に表に出してくれるようになる。

 アルカイックハーツの主人公・北見トウヤがユーリと仲良くなるきっかけも、この『頭ぽんぽん』だった。


 そんな俺の予備知識は、やっぱり通用する。


 俺には女の子との接し方なんて全然わからない。

 でも、相手がユーリなら話は別だ。

 だって、ユーリはただの女の子じゃない。

 アルカイックハーツのヒロインなのだから。


 北見トウヤがどんなふうにユーリと仲良くなっていくのか、俺は知っている。

 それにアルカイックハーツの他にも、『ヒロインに接する主人公』なら何百と見てきてるんだ。

 だからきっと、上手くやれる。


 胸の内に湧き上がった衝動は、もう抑えきれなくなってしまいそうだ。


「ユーリ、きみはこれからどうしたい?」

「……そうですね、わたしは戦いのお手伝いをしようと思います」


 ユーリの答えは半ば予想通りだった。

 ソフィア機関の刻印を見せてきた時から――もしかするとそれより前から――ユーリの中ではその答えが決まっていたんだと思う。


「元の世界に戻るために誰かを傷つけるのは、嫌だなって思ってました。でも、何もせずに戦いが終わるまで待つのもやっぱり嫌です。傷つけるためじゃなく、少しでも傷つく人を減らすために――わたしはこの国の戦いをお手伝いします」


 まあ、そうなるよな。

 それが百地ユーリという子だ。


 さて、そうなると俺はどうしたものか。


 元の世界に戻る条件は「戦争が終結すること」だ。

 だから別に俺が戦いに協力する必要なんて全く無い。

 最強の盾(イージス)が一緒に来てくれないのは痛いけど、それでもまだきっと戦うよりも逃げたほうが安全性は高いはずだ。


――なのに。


 なのに俺の中に生まれた衝動が、それを否定したがっている。

 俺がここにいるのはそんなことのためじゃないと、全身が叫んでいる。


 鏡に映る顔を見た瞬間からきっと、俺も心の奥底では答えを決めていたのだ。

 だから、


「俺も戦うよ」


 自然とそんな言葉が口をついて出た時には、もう迷いなんて無かった。

 驚いているユーリの頭をぽんぽんと撫で、それからテーブルの上のオイルランプに向かって手をかざす。


「イグニス・スキンティラ!」


 俺の声に呼応して、オイルランプの周りでチカチカと小さな火花がきらめいた。

 次の瞬間、火皿から油をたっぷり吸い上げた軸芯にぼうっと火が灯り、部屋じゅうをオレンジ色に照らす。


 何も起こらなかったらとんだ恥をかくところだった。

 でも、そんなことはあり得ないという確信があった。


 だって初等火魔法は、()()()()()()()()が子供の頃に一番最初に覚えた魔法だったから。

 だから今、俺がそれを使えないはずが無いんだ。


 呆気にとられてランプの炎を眺めているユーリに向かって、


「俺の名前はアルト。戦争を終わらせるために、俺も一緒に戦うよ」


 俺はもう一度高らかに宣言した。


 元の世界に戻るため?

 この世界のどこかにいるかもしれない究極のヒロインを見つけるため?

 それとも、俺自身が理想の英雄(アルトゥール)になるため?


 俺を駆り立てるこの気持ちの正体が何なのか、今はまだわからない。

 それでも俺はもう決めた。

 そうだ、俺はこの物語の――


 主人公になろう!

今回は予告版ということで、更新はここまでで終了します。

ご覧いただいた方、ありがとうございました。

続きもしくは連載版は今冬くらいに書ければいいなーと考えてます。

その際はどうぞよろしくお願いします。

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