10 鳳凰暦2020年4月10日 金曜日午後 国立ヨモツ大学附属高等学校・中学校占有・平坂第7ダンジョン――通称、小鬼ダンジョン
1年が全員そろうと、学年主任の佐原先生が開始を宣言した。全体に緊張感が出てくる。私――浦上姫乃も少し緊張していると思う。どうにかリラックスしようとして、さっきのことを考えた。ほとんどの生徒が集合して、最後に来たのはあの鈴木だった。鈴木は本当に大物なのかもしれない。
各クラス2列ということで、学級代表として前にいる平坂の隣に並んだ。私の後ろには、設楽が続いた。
ダンジョンカードを押し当ててゲートをくぐり抜ける。「駅の改札みたいだねー」と設楽が言っていたが、私の地元はとても田舎で、最寄り駅は無人駅、そして、カードで改札なんて上等な物は存在してなかった。そもそも改札はなくて、列車に乗る時は切符を買ってそのまま乗り、降りる時は一番前から下りて、運転手が確認している切符箱に切符を入れる。ワンマンというらしい。子どもの頃は犬の車掌さんのことかと思っていたのは内緒だ。
……全国から人が集まっているというが、私が一番の田舎者かもしれない。
そんなことを考えていると、全身を撫でまわされるような不快感がやってきた。
「うわっ、これ……」
すぐ後ろを歩く設楽も何か感じたらしい。
「不快感があるわね……」
設楽の言葉に答えるように私はつぶやいた。これがガイダンスブックにあったダンジョンの境目なのだろう。
「静かに進むぞ。後ろはついてこい」
私たちのつぶやきが聞こえたのか、冴羽先生がそう言ってから前へと進み出した。
そうだった。ここはダンジョンなのだ。もっと緊張感を持たなければ、と。そう思うけど、どうしてもきょろきょろと周囲を確認してしまう。初めてなのだ。ダンジョンが。好奇心が抑えられない。
「明るい、ね?」
「もっと薄暗いかと思ってたわ」
さっきよりもさらに小さな声で設楽がそう言った。私に向けてだと思うが、そうではないかもしれない。しかし、同じことを感じていた私は、設楽と同じような音量で答える。
ガイダンスブックに、小鬼ダンジョンはダンジョン自体が発光していて明かり要らずのダンジョンとなっている、と書かれていたが、実際にそれを感じると不思議な気がする。太陽の光が届かない洞窟だが、明るいのだ。
「最初の分かれ道は右だ」
冴羽先生はそう言って、右方向へと進む。それに従って、私たちも右方向へ足を向ける。
ところが、しばらく進むと――。
「危ないっ!」
後ろから聞こえた緊急性の高い叫びに、私はびくっと身体を震わせながら振り返る。やはりここは、危険な場所なのだ。
「平坂、月城、ここで停止、おまえたち二人は前方を警戒。オレが後ろを確認してくる」
「はい」
「了解です」
私の横にいた平坂は私を手で止めると2歩前に出て、平坂の後ろにいた男子生徒が私の前へと進み出た。附中ダン科出身の月城だ。学級の副代表でもある。
ここらへんは処理しといたはずなんだが、とつぶやきながら、先生が後ろへと走って行く。
「平坂さんは、先生に信頼されてるねー」
「私だけじゃないよ、月城くんもだよー」
後ろから設楽が平坂に話しかけるが、平坂は設楽の方は振り返らずに、前方を注視したままだ。私なら振り返っていたかもしれない。
「何があったんだ?」
「さあ? 私たちは前方警戒してればいいんだよ」
横に並んだ月城と平坂の会話も、前をにらんだままで口を開いている。
……よく見ていればゴブリンを1匹倒すだけじゃない収穫がある気がする。
私は二人の姿を見てそう感じた。
そのまま、前からゴブリンが現れることもなく、5分足らずで、冴羽先生が戻ってきた。
「よし、進むぞ」
「……何があったんです?」
何も言わない冴羽先生に不満そうな顔を向けて、月城が質問する。冴羽先生は足を止めないのでそのまま歩きながらの会話になる。先頭は冴羽先生、続いて平坂と月城、その後ろに私と設楽が並んでいる。声はとても小さいため、私たちのところぐらいまでしか聞こえないだろう。
「……はぁ。最初の分かれ道で、左からゴブリンの不意打ちがあって、雪村が狙われた」
私は雪村という生徒についてはまだ覚えられてなかった。寮で少し話したような気もしたが、思い出そうとして、すぐにあきらめた。
「叫んだのは、不意打ちに気づいた外村。その声で光島が雪村をかばうように間に割り込んだ」
外村は寮の親睦会でいろいろと話した覚えがある。光島は誰だろう。
「先生、光島の怪我は……」
「いや、無傷だ。外村が叫ぶのとほぼ同時に後ろから飛び出した鈴木が、振り下ろされた棍棒を受け流しつつ、ゴブリンの右膝をピンポイントで砕いて転倒させた。どう考えても外村より先に気づいてなきゃありえん。今年の首席は……いや、なんでもない」
「……鈴木って、今日が初ダンですよね? そんな馬鹿な? 初討伐なのに、その話だと単独討伐ですよ?」
「外村がその目で見たことをオレに説明した。あの外村がびっくりするくらいべた褒めだったぞ……」
「鈴木が……」
鈴木! 初めてのダンジョンでの初討伐が、不意打ちに対する単独討伐⁉ ……いや、訓練場で放課後にあれだけ素振りをするような男だ。それくらいはやれてもおかしくない。鈴木には負けたくないという気持ちからか、思わず鈴木の名を口にしてしまった。
「あいつ、本ばっか、読んでるってのに……」
月城の言う通り、鈴木は教室での短い休み時間はいつも読書だ。しかし、それ以外は自分を高める訓練をする男。知られてないだけで、あれで大した人物なのだ。
私の斜め前を歩く平坂が冴羽先生をにらむかのように見つめている。
「……そんな目をすんな。一番はおまえだ、平坂。まったく、どいつもこいつも。その代わり、学級代表として、パーティー分け、しっかり頼むぞ」
……平坂も見た目以上に気が強いのかもしれない。
そんなことを感じてからおよそ3分。最初の……いや、2匹目のゴブリンが現れた。
私はごくりと唾を飲み込む。緑の小人が棍棒を持っている。あれを鈴木は倒したのか。
「……先生。私にも単独討伐に挑戦させて下さい。鈴木にできたのなら、やってみたいです」
私はそう冴羽先生に訴えた。恐怖心はあるが、それを越えてこその成長だ。
「いや、ダメだ……と言っても納得しそうにないな。今から平坂に単独戦闘をやらせるから、それを見て同じことができると思うならやってみろ。平坂、頼んだ」
その冴羽先生の言葉に答えることもなく、右手にメイス、左手にスモールバックラーシールドを構えた平坂が前に出る。
そこからは圧巻だった。
平坂はゴブリンとの距離を詰める。ゴブリンは棍棒を振り上げるが平坂は怖れない。その棍棒の振り下ろしを平坂は低い姿勢のままスモールバックラーシールドで受け止め、さらには跳ね上げて、空いたゴブリンの腹部に体全体で伸び上がるように下から上へとメイスを叩き込んだ。平坂は腹を殴った勢いのまま、手首を柔らかく使ってゴブリンの脇にメイスを抜いていくが、腹を強打されたゴブリンはくの字に体を曲げ、頭が下がる。平坂は振り上げたメイスを今度は重力とともに、腰を回転させながら右肘から引っ張るようにして振り下ろすと、くの字になって低い位置に下がったゴブリンの後頭部を強打した。そのまま、ゴブリンは細かな粒子のような何かになって消えた。
「今のが、附中で教えるワルツと呼ばれる戦闘法だ。1で相手の攻撃を受け止め、2で相手の動きを止め、3でトドメを刺す。平坂はここ数年の附中生では一番ワルツがうまいと言われてるぞ。おまえにあれができると思うか、浦上?」
「……いいえ、できません」
おそらく、何千、何万と素振りを繰り返した動きだ。あれを見せられて、まだ、私にもやらせろと言うほどの厚かましさは持ち合わせてない。
「まあ、そう落ち込むな。平坂は附中の首席だ」
……附中の首席。首席は、鈴木、一人だけではない?
鈴木以外にももう一人。私は自分が超えるべき相手を見つけた。
その次のゴブリンに私は挑戦した。
平坂がタンクを務め、ゴブリンの棍棒を受け止めたタイミングで「行け!」と合図をくれる。それに従って私はゴブリンにショートソードを振るうが、命中させても倒せない。攻撃した私にゴブリンが棍棒を向けるが、そこに平坂が割り込み、また棍棒を受け止め、「行け!」と私を呼ぶ。結局、これを4回、ゴブリンの周囲を1周回るように動いて、ようやく4度目の攻撃でゴブリンを倒した。
実際にやってみると、平坂がやっていたことが本当に修練を積み重ねた成果なのだと理解できた。
「だから、落ち込むな。4回なら早い方だ」
冴羽先生は優しいが、私は平坂のようになりたい。もっと厳しく自分を追い込みたい。
「先生、私と浦上さんは、後ろの鈴木くんと一緒に戻ります」
平坂がそう言った。そういえば、学年主任の佐原先生が、帰りは附中生一人とあと二人で戻れと言われていた。安全のための警戒は附中生の役割だ。
「いや。鈴木が最初に倒したところは、入口からすぐだったからな。危険がないとはっきりしてたから、その場であいつは一人で戻った」
「え……」
「平坂は次の設楽のタンクを務めたら、浦上と設楽を連れて戻れ」
「……はい」
私はそのやりとりを聞いて、附中生のサポートを必要としない鈴木との差が開いたような気がした。
私が下がって、設楽が前に出る。その目がワクワクしているとわかる。そういう顔だ。恐怖心など、ないのかもしれない。そこにゴブリンが現れた。
「あれだ。設楽、おまえの番だ」
「はい!」
「声がでけぇよ……」
「すいません……」
設楽の大きな返事で、ゴブリンが寄ってきた。それに平坂が向き合い、慌てて設楽がそれに並ぶ。
私の時と同じように平坂が棍棒を受け止め、叫……ぼうとした瞬間には、一瞬でゴブリンとの間合いを詰めた設楽が見えない速さでショートソードを振り下ろしていた。ゴブリンの頭がざっくりと真っ二つになって、何かが飛び散ったと思ったら、すぐに粒子のようになって消える。そこにはショートソードを振り下ろした姿勢のままの設楽がいた。濃紺の2本のお下げだけがそこで揺れている。ただひたすらに、美しい、残心。それはひとつの武道の極み。
「なっ……」
私と並んで見ていた月城が驚きの声を漏らす。私は見惚れて声すら漏らせなかった。あの平坂でさえ、隣に飛び出した設楽を見て目を見開いていた。
一瞬の、しかも、一撃の、勝負。
「ほぅ……こいつぁ、すげぇ……さすが、今年の推薦首席……」
冴羽先生の囁くような感嘆の声が私の耳には大きく響いた。
どうやら、私が超えるべきもう一人が設楽のようだ。まさか、推薦首席だったとは。
一般首席の鈴木、附中首席の平坂、そして、推薦首席の設楽。ここには、私の上に立つ者が何人もいる。そう実感して、私はこの学校に進学できたことを改めて感謝した。




