13 鳳凰暦2020年8月14日 金曜日 薬屋ダンジョン(1)
「そういえば、朝からヒロちゃんと一緒っていうのはなんか久しぶりだね」
「確かに」
「ヒロコちゃんはだいたい鈴木くんちから来るから、かな。確かに久しぶりって感じはするかも?」
今朝のわたし――岡山広子は、最近では珍しく、みなさんと女子寮から出かけました。
だいたい、わたしだけは鈴木さんと一緒に家から出かけますから、この状況は本当に久しぶりなのです。
昨日の神殿ダンジョンへのアタックには、鈴木さんは参加していないのです。
攻略情報の新しい取引があるということでクランマスターの釘崎さんと行動していましたから。あの方についてはあまり心配はしていませんが……鈴木さんとの会話に色気がゼロなので……。
わたしもいつかは、そういった場面でも同行を許される立場になりたいです。
具体的には鈴木さんがクランマスターになる時にサブマスター枠に入るくらいでしょうか? それともトップパーティーのパーティーメンバーでしょうか?
この前、ホテルバイキングの時にお話しした北見アタッカーは、タツにぃと一緒にいろいろな交渉の場へ出向いているとおっしゃいました。わたしにも可能性はあるはずです。
ただし、北見アタッカーはタツにぃとお付き合いはしてらっしゃらないようなのでわたしの参考にはならない可能性もありますが……。
……今日は、ダンジョン前で鈴木さんと待ち合わせ、というパターンも楽しみではあります。
小鬼ダンジョン以来の、久しぶりのパターンではないでしょうか? 小鬼ダンジョンの場合、鈴木さんが中から出てくるので違和感はあるのですが。
例えば、『お待たせいたしましたか?』とわたしが問いかけると、鈴木さんが『いや、今、来たところ』とお答えになるなど、とても憧れがあります。
もちろん、わたしが先に待っているパターンも……いいと思います。それはそれで、いい感じです。
夏休みの今のように、ほとんど一緒に暮らしている状態だと、待ち合わせ的なそういうパターンにはならないので……少し、憧れるのです。
「それで、作戦の方はどう、ヒロちゃん? うまくいってるよね?」
「それなりには……視線を集めることもできるのですが……でも、あくまでもそれなりに、ですね……」
わたしはちらりと自分のブレストレザーへと視線を落とします。
もちろん、ブレストレザーに抑え込まれていますし、わたしのふくらみが目立つことはありません。当然ですが、もちろん今はブラもつけています。そのせいもあってぴくりとも動きません。
……紅葉さんや端島さんはそれでもブレストレザーを押し返している感じがするのです。とてもうらやましいと思います。あそこまで成長させなければ……。
「岡山、成長中」
「……そうですね。身長は伸びませんが、不思議とこちらは少しずつ……夜の牛乳のお陰です」
「エミちゃんはどう?」
「むむ……」
「あー、ごめんね」
「いい。問題なし」
ここにいる紅葉さん以外のメンバーは夜の牛乳組に属しています。矢崎さんも、おそらく成長させたいのでしょう。そこは意外でした。
矢崎さんはわたしよりも身長が高いので、もしも大きくなるとしたら、わたしよりもずっと大きくなるのではないかと思います。
「大きくても邪魔だよ? 肩もこるし? あと、あみちゃんがイタズラするし。ねっ、端島さん?」
「ひゃいっ⁉ え、ええええ、ええと~、その~……」
紅葉さんに突然、話を振られた端島さんは目をきょろきょろとさせて那智さんに助けを求めています。
那智さんは……この話題の場合、端島さんへ助け船を出すつもりはないようです。ちらりと横目で端島さんのブレストレザーを見てから、そのまま前を向きました。
「敵」
「敵だね。今夜のお風呂も激しい戦いになるみたい」
ふくらみが小さい方に属するあぶみさんと矢崎さんが見つめ合って、うなずき合って……そこから紅葉さんが慌て始めます。
「ち、ちがう、ちがうから。そういうつもりじゃない、かな。あくまでも、いいことばっかりじゃないって話かな? わかるでしょ?」
まるでライトノベルの浮気した彼女のように、紅葉さんが言い訳しています。
「理解不能」
「未経験の重みだからわかんないよね? 単なるモミちゃんの自慢にしか聞こえないよ?」
「そ、そんなことより……鈴木くんが、その……ヒロコちゃんの胸に視線を向けるっていうのが、いまいち想像できない、かな?」
紅葉さんはわたしを使って話題をそらそうとしました。必死です。
「それ、モミちゃんより小さいのにって意味、入ってるよね?」
「入ってないかな……何を言ってもあみちゃんは好きに解釈するけど……」
「……それは、わかる」
「あ、矢崎さんは分かってくれるんだ」
「あたしも、わかります、しょれ……鈴木くんは、そういうとこ、全然、見にゃいですし……」
「そうなんだよ、端島さんならわかってくれると思ってたかな」
「鈴木の視線、いやらしくない」
……矢崎さんのおっしゃる通りです。鈴木さんは基本的に、そういう部分に視線を向けたりしませんから。
「……確かに、鈴木先生はあたしたちのこと、そういう感じでは見てないね。それなのにヒロちゃんが視線を感じるってことはつまり、ノーブラパジャマカーディガン作戦は効果アリだよね……。ヒロちゃんのそこに視線がくるってことは鈴木先生が意識してるって話なんだし」
あぶみさんがおっしゃる通りで、鈴木さんがわたしの胸をちらちらとご覧になるのはとても恥ずかしく、それでいて嬉しいという……鈴木さんがわたしを女の子として意識して……。
「……酒田さん。あなた、そんな作戦を岡山さんにやらせてたの……?」
ずっと黙っていた高千穂さんが、思わず、という感じで口を開きました。表情からはかなり呆れている感じがうかがえます。
「その……作戦の提案はあぶみさんですが、それを受け入れて実行したのは、わたしですから、あぶみさんは悪くありませんので……」
ここは、あぶみさんのフォローをしておくべきだと思います。わたしはその作戦で鈴木さんの強固な護りを少し崩していますから。
それと同時に、高千穂さんへの牽制もほどよく必要です。高千穂さんの鈴木さんへと向ける気持ちはおそらく……わたしと同じなので。
「鈴木さんのお部屋で、鈴木さんをドキドキさせたいと思っていますので……なかなか、鈴木さんの理性を奪うことはできませんが……あのような表情で少しでもドキドキしてもらえるのならわたしは……」
そう言うと、高千穂さんは何か、言葉を飲み込むようにして口を閉じました。
ごめんなさいと心の中では高千穂さんにお詫びをしておきます。本当のところは、それほど鈴木さんの表情が変化する訳ではないので。かなり大げさに表現しているという自覚はあります。
ほどよく牽制するのは……恋愛絡みでのパーティー崩壊やクラン崩壊が多いということが客観的な事実として記録されているからです。
はっきりと牽制するのは、そういった問題に直接つながる可能性が高いでしょう。それは許されません。
鈴木さんのことが好きになってしまったことはどうしようもありません。わたしも、高千穂さんも、それは同じです。感情はどうすることもできませんから。
だからといって、鈴木さんの作ったこのクラン、『走る除け者たちの熱狂』を恋愛で混乱させることは望ましくありません。
これはとても……難しいラインなのです……。だからといって、高千穂さんを少しも牽制せずに堂々としてはいられませんが……。わたしも自信がある訳ではないのです……。
「……あなたたち。仲間なのだから会話を楽しむことを否定はしません。でも、今日は初めて挑むダンジョンでしょう? もう少し緊張感を持っておいた方がいいと思うのだけれど?」
そう注意してくださったのは下北会長です。
この注意のお陰で、クランとしてはいろいろとバランスが取れるのです。こういうことが言える下北会長の存在がありがたいと思います。さすがは3年生で生徒会長です。
「正論」
「そうですよね。すみませんでした」
矢崎さんとあぶみさんがぺこりと頭を下げました。それに合わせて、わたしたちも頭を下げます。
「……まあ、何事も、ほどほどにしましょう」
下北会長はそう言うと、前を向きました。その言葉には、いろいろな意味が込められていたのかもしれません。
「……下北先輩は薬屋ダンジョンの位置を知ってるんですよね?」
「そうね。知っているわ」
気を遣って話題を変えようとしたのでしょう。伊勢さんの問いかけに、下北会長がうなずきます。
伊勢さんは意外と……と言ってしまうのは失礼ですが、空気を読んで流れをコントロールしてくださるところがあります。
「前にも少し話題になったのだけれど……私の家と平坂家は親戚だから。何度も平坂家にはお邪魔したことがあるの。だから、その近くにある薬屋ダンも分かるわ」
「モモんちにはあたしも行ったことあるけど、あそこに……ダンジョンとか、あったっけ? どうだった、美舞?」
「どうなのかしら? でも、モモのおうちは、本家じゃないって話だったような?」
「そうね。その通りよ。分家の桃花ちゃんの方ではなくて、平坂本家の近くに薬屋ダンはあるの」
「……本家、すごそう」
「確かにそうだね。本家って言われたら強そうな気がする」
「きっとものすごいお金持ち、かな……」
そこで会話は途切れて、わたしたちは今日の目的地である薬屋ダンジョンを目指して歩きました。
犬ダンや豚ダンがある駅前とは少しだけ道が違うというのはわかります。わたしもこちらへ行くのは初めてです。
外壁に囲まれた森のようなところが……ああ、入口になっているところに、すでに鈴木さんがもう立っていて……。
「ここよ。ああ、もう鈴木くんが来ているみたいね」
下北会長も鈴木さんに気づいたようです。ただ、わたしの方が一瞬だけ早く鈴木さんを見つけましたが。
わたしは一日ぶりの鈴木さんを見つめます。見つめるだけで心臓がどくりと跳ねるように動き、心が温かくなっていくのです。そして、鈴木さんと目が合って……。
え……?
今、一瞬だけ……目をそらされたような気がしましたが……?
「おはようございます」
「おはよう」
「お待たせしてしまいましたか?」
「いや、今、来たところだから」
足早に鈴木さんへと近づき、誰よりも早く声をかけました。そこは絶対に譲れません。
交わした会話は期待していたものだったのですが……。
その会話の喜びよりも、先ほど、鈴木さんに目をそらされたような気がしたことの方がとても気になります。
……今は、いつも通り、のような気もしますが。さっきのあれは、やはりわたしの気のせいだったのでしょうか?




