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鬼火の行方  作者: 安井優


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童話版・鬼火の行方

 むかしむかし、せかいは『この世』と『あの世』、そして『かくりよ』と呼ばれる場所のみっつにわかれておりました。

『かくりよ』は、『この世』と『あの世』をつなぐせかい。『この世』で生をまっとうしたものはみな全て、『かくりよ』を通って次の場所へ行くのでした。


 そんな場所に、迷い込んだ魂がひとつ。

 魂は、自分がなにものなのか思い出すことが出来ません。ここはどこなのか。どうしてこの場所にたどりついてしまったのか。それすらも分かりませんでした。

 ただ、『なにか』を探していたような――そんな気がするのです。

 あてもなく、ふわり、ふわりとさまよっては、薄明るい無数の光る泡が上へ下へと漂う様をぼんやりと眺めておりました。


「どうしたんだい」

 それは初めて聞く声でした。けれども、なんだかやさしくてあたたかい。初めて自分以外の『なにか』に出会えたからでしょうか、ほっとするような穏やかなもののように思えました。

 声の方へ目を向けると、そこには鬼がひとり立っておりました。


 鬼は『かくりよ』の案内人です。『かくりよ』へとやってきた魂を、次の場所まで導くことが鬼の仕事でした。

 だから、鬼はさまよっている魂を見つけて声をかけたのです。


 けれども、魂からの返答は鬼の想像していたものとは違うものでした。

「ここはどこ?」

「困ったな、迷子じゃないか」

 鬼は頭をかきました。


 たいていの場合、魂の行く先を探すことは難しくありません。

『この世』で生きてきた記憶をさかのぼっていけば、自然と『あの世』へたどり着くのです。

 鬼は魂と共にその記憶を探すお手伝いをするにすぎません。

 だから、迷子の魂なんて初めてでしたし、どうしてやればよいのかも知りませんでした。


 鬼がどうしたものかと悩んでいると、目の前の魂も困ったようにうろうろ、うろうろとあたりをさまよいます。

 このままではかわいそうだ。

 どうすればよいのか、鬼にもとんと検討がつきませんでしたが、やさしい鬼は迷子の魂を見過ごすことが出来ませんでした。


 鬼は、ここが『かくりよ』であること、次に生まれ変わるための場所を探すところであることを魂に教えてやることにしました。

 魂は「よく分からない」と首をかしげましたが、「そのうちわかるさ」と鬼は魂の手を取りました。

「君が次に行くべき場所を一緒に探そうか」

「どうやって見つけるの?」

「簡単さ。この光る泡は君の記憶だ。これをたどっていけばいい」

 鬼は、ふわりふわりと目の前に漂う泡の中からひとつ、魂と同じ色をした光を指しました。

「……これが、記憶?」

「そう。君の記憶だ。今はまだ思い出せないかもしれないけれど、過去にさかのぼって、生まれるところまでたどり着いたら『あの世』だよ」

「あの世?」

「魂の行く先さ」

 鬼と魂は手をつなぎ、光る泡を追いかけてどこまでもどこまでも歩いていきました。


 魂は自分と同じ色の光る泡を見つけては、ぼうっとその光を眺めました。思い出しているのか、それともやっぱり思い出せないのか、鬼には分かりませんでしたが、魂はじいっとその光に浮かび上がった『この世』での姿を見つめておりました。

 ひとつ、またひとつと足を進めていきます。鬼と魂の旅路は短く、長く、けれどやっぱり短いようでした。

 泡に浮かぶ魂の姿がだんだんと幼くなっていきます。

 やがて、魂はひとつの泡の前でぱたりと足を止めました。


 鬼は興味半分にその光をのぞき込んで――魂の頭をなでてやりました。

 魂と、とある女性が死別した日のことが、鮮明に浮かんでぱちんとはじけました。鬼にはそれが魂の母であると分かりましたが、魂は「よく分からない」と首を横に振りました。

 雨のようにきらきらと降る光を見上げて呟きます。

「でも、胸が痛いな」

 どうしてだろう。魂は目を伏せました。

 はらはらと光の雫が落ちて魂に降り注ぐ様子は、まるで魂が泣いているかのようでした。

「この先に往けばわかるさ」

「うん」

 鬼は優しく手をひきました。鬼にしてやれることは、それだけだったのです。


 光る泡はその先もずうっと続いておりました。魂は、今まで以上にその光を注意深く観察し、今までのこととつなぎ合わせていきました。長い長い光の糸を編むようにその記憶は連綿に続いていきます。

 次第に、魂の足取りは軽く、はやくなっていき、しまいには鬼の手を離してひとつの泡へと駆け寄っていきました。光の泡が消えてなくなってしまうよりもはやく、その泡に手を伸ばして中をのぞき込みます。


 女性と魂が仲睦まじくしている様子が光の中に映し出されます。

 先ほどの女性と同じ――魂の母親でした。

「お母さん」

 魂の口から、自然と言葉がこぼれおちました。

 記憶をたどって、どうやら思い出したようです。母との別れ、在りし日の思い出。魂が次へと行くべき道を。

「お母さん」

 高く昇っていく泡を離すまいと魂は必死に手を伸ばし、泡を大切に胸に抱き止めました。

 魂は、再び自らの胸がつんと痛むのを感じましたが、それは決していやなものではありませんでした。


「そうか」

 鬼も魂と共に光をたどり、気づきました。魂がどうして迷子になってしまったのか。

「君は、お母さんとはぐれてここへ来たんだね」

 何もかもを忘れて、忘れなければ壊れてしまいそうで、その小さな体にいっぱいの荷物を背負って、こんなところまで来てしまったんだと知りました。

 鬼はそっと、魂の背中を押してやりました。

 鬼に出来ることが、後ひとつだけ残されています。


「道を変えよう」

 鬼は、魂によく似た、けれど少しだけ色の違う光の泡がちかり、ちかりと明滅している方へ指をさしました。

 魂がその泡へと近づくと、先ほどの女性の――魂の母親の記憶が浮かびあがりました。

「ここを進めば、君はお母さんに会えるよ」

 鬼は『かくりよ』の案内人。魂が行くべき場所へと導くのが仕事です。

 魂は目をぱちぱちとしばたたかせて、けれど、嬉しそうにはにかみました。

「本当に? ありがとう!」

 もう迷子ではありません。魂はひとりでも大丈夫。

 軽やかに光をたどり、泡と共に『かくりよ』を上へ下へと行き来しながら進んでいきます。


 鬼はそんな魂の後ろ姿を見送って、もう誰も見ていないというのに大きく手を振りました。魂がまばゆい光の泡に混ざって、溶けて、消えてしまって、見えなくなるまで、ずうっとずうっと手を振っておりました。


「生まれ変わったら、今度ははぐれないようにね」

 やさしい鬼の声は、まるで魂を追いかけるかのように、光の泡とともに高く昇っていきました。

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