99 帰路
「もう、そろそろ、街の外か」
俺たちはあの惨事の中で奇跡的に無事だった馬車に揺られながら、ミスラの街を出ようとしていた。
「はい。ミスラの首都にはほんの少しの滞在でしたが────けっこう、長く感じましたね」
リーンは前より元気を取り戻したようだった。
あの後、無残にもボロボロになった白いドレスからイネスが持ちかえってきたいつもの服に着替え、休憩して幾らか疲れは取れたらしい。
俺はリーン、イネスと三人でクレイス王国に向かっているが、ロロだけ別行動で魔竜に乗って帰ることになった。
魔竜はロロが持っているあの紅い石が嵌まった指輪から出したように見えたから、また戻せばいいと思ったのだが、指輪に魔竜を戻すには、ここに居る人間の力だけでは不可能なのだそうだ。
ロロとの別れ際、俺も一緒に乗っていくかと聞かれたが────それは全力で断った。あの時は骨と戦って気を張っていたおかげでなんとか下に意識を集中させずに済んだが……今乗ったら、確実に気を失う自信がある。ロロに「ララが残念がっている」と言われて少し悪い気はしたが、やはり苦手なものは苦手だ。
「でも、良かったのか? このまま出発してしまって。瓦礫の撤去ぐらいなら手伝っても良さそうだが」
ミスラの街の中は荒れ果てていた。
道は崩れ、建物は壊れ放題といった酷い有様だ。
俺が馬車の窓から外の様子を覗くと、大きな広場に人が集まり、野営の準備を始めている。
彼らはあそこで夜を明かさねばならないのだろう。
……何か手伝えることはある気がするのだが。
「おっしゃる通り、手を貸したいところではあるのですが……でも、私達は私達で自分たちの街の復興があります。それに彼らは自分たちでちゃんと、なんとか出来る人たちだと思います。ティレンスは優秀ですし、私たちが心配することもないと思います」
「それも、そうか」
「それに、私としても友人の大事な時間は邪魔したくありませんので」
そう語るリーンはどこか上機嫌に見えた。
「大事な時間、か」
あの後、すぐにアスティラはティレンス皇子を連れて街中を走り廻り、怪我人を治療していた。その中で、暗い顔をしたミスラの人々を見つけると『大丈夫! 生きてさえいればなんとかなりますから!』と手を握り、かたっぱしから励まして回っていたそうだ。
その甲斐もあったのだろうか。
街は荒れているが人々の表情は不思議と穏やかだった。
皇子は割と好き勝手に動き回るアスティラにかなり振り回されている様子だったが、そんな中でも部下達には細かく指示を出し続け、彼女と一緒に居る時はまんざらでもなさそうな表情だった。
彼らは案外、いいコンビなのかもしれない。
「アスティラとあの皇子は、やはり、本当の親子ではないんだよな?」
「……はい、そのようです」
「ではずっとこれから、ふりを続けるということか」
「ええ、そうなると思います。この事実は、しばらく公にはされないでしょう」
彼女はこれから、しばらくあのまま偽の『教皇』を続けるらしい。
本物の教皇は、あの骨の化け物に喰われてしまった。
どういうわけか、あの魔物に嬉々として自分を捧げて死んでしまったのだ。
彼女は話に聞いて俺が想像していた、人から慕われる『教皇』とはまるで違っていた。聞くと見るとでは大違いというのは、こういうことなのかもしれない。
息子のティレンス皇子は、その母親とはあまり仲が良いようには思えなかったが、目の前で母親が死ぬのを目撃したら流石に辛くはあっただろう。
アスティラは本当にその代わりになれるのだろうか。
俺にはそうも思えない。
アスティラは、本人は演技が得意でうまく化けていると思っている様子だが……正直、全然、似ていない。顔貌は一緒でも、あの性格が悪そうな方とは雰囲気も言動もまったく違う。
やはり周りの人間にバレるのは時間の問題だと思うのだが……と、いうか。
もう、とっくに結構な人が気づいていると思うのだが。
「まあ、俺が気にすることでもないか……本人がやると言っているのだから」
どういうわけか、皇子も周りもそれで良いと思っているらしかった。
……正直、今回は何がどうなっているのかさっぱり理解しきれていないが。
ともかく、本人たちがいいのなら、きっとそれでいいのだろう。
「そうですね。私たちは彼らがうまくやってくれることを祈るしかありません」
「そうだな」
俺もそう思う。
そうとしか言いようがない。
この世はまだまだ、俺のわからないことだらけだと、改めて思い知った。
身近にも、知らないことはたくさんあるものだと。
────今、俺たちの前で馬車を操るイネスも、本当にすごい人物だった。
彼女には改めて驚かされた。
あの肉のついた骨と戦っている時、俺が必死で息する間も無く雷を叩き落としてたのだが、彼女はなぜか楽しそうに笑いながら戦っていた。おまけにどんどん動きが速くなり────途中、何度も置いていかれそうになった。
彼女がいきなり雷を斬り出したときには、驚いて剣を落としそうになったが、そこからの彼女は更に言葉にするのも困難なぐらい、すごかった。
見たことがないぐらいの笑顔で、あの巨大な肉をまとった化け物を、まるでスープに入れる野菜か何かのように細切れにしていった。俺はそんなイネスの横顔を見つつ戦慄しっぱなしだった。
一応、彼女と竜を護るために雷を弾きつつ……いや、もう、ここは彼女一人に任せてしまっても良いのでは……?
と、内心、何度も思ったが、俺の持つ黒い剣があの骨を倒しやすいというロロの言葉を信じ、なんとか最後まで戦った。
……彼女には今後、俺などがどう足掻いても敵いそうもないなと思う。
俺はイネスの後ろ頭をじっと見た。
「────何だ、ノール殿」
後頭部に視線を感じ取ったらしく、イネスは振り向いて俺を見た。
「………………いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「……?」
まあ、別に彼女を怒らせたりしない限り、敵うか敵わないかなんて心配はいらないのだが。
そう……怒らせたりしない限り。
俺は彼女の後ろ頭を眺めながら、今後、絶対に彼女だけは怒らせないようにしようと心に決めた。
さもなくば、あの怪物のように嬉々として切り刻まれる未来しか見えない。
「……世の中には……すごい人がいるものだな」
思わず、ため息交じりにつぶやきが出た。
本当に彼女は凄かった。
戦いの時ににこにこしていたのは意外な一面を見た気分だったが、リーンが頼りにするのも頷ける。
だが、凄まじいと思ったのは、もちろん彼女のことだけではない。
────この俺の隣に座るこの少女、リーン。
彼女はやはり只者ではないと思った。
この小柄で華奢な見た目に騙されてはいけないと、つくづく思った。
もしやとは思っていたが、最後に俺の目の前を掠めた、あの凄まじい光。
骸骨の肉が一瞬にして蒸発したアレは彼女が地上から放ったものだったらしい。
あの光の柱には────死ぬほど、驚いた。
突然、何かが光ったかと思うと、気づいたらあの肉のついた骨の怪物が元の骨だけになっていた。
おまけに、その骨は俺に向かってものすごい速さで突っ込んできた。
足元にあったはずのイネスの『光の床』が消え去り、思わず恐怖に身が固まった俺だったが、死に物狂いで振った剣が運よく骨の怪物にあたり、一瞬でその身体を砕いた。
骨は想像以上に、脆かった。
ほとんど手応えもなく、まるで硝子のようにグシャグシャになってしまった。
なんだ、こんなに弱かったのか……と拍子抜けするほどに、あっという間に消滅した。
聞けば、そこまでのことは彼女が全て仕組んでお膳立てをしてくれていたらしく、俺も骨も彼女の掌の上で転がされていたらしい。正直、俺には前もって教えておいてもらいたかったのだが。
それに、聞くところによるとこの騒動の中、彼女のおかげで怪我人を最小限に済ませることができたらしい。
この歳でこれだけの采配ができるということは、将来は途轍もない大物になるに違いない。彼女は本当に、末恐ろしい。
いや……末恐ろしいのは、リーンだけではない。
────ロロ。
彼もしばらく見ないうちに、とんでもないことになっていた。
初めて会った時にはあんなに頼りなく見えた少年が、今や巨大な竜をペットか何かのように自由に操っている。
……いや。操っているというより、まるで人間同士の友達のような関係に見えた。完全に意思の疎通ができている。確か、あの魔竜は街一つ簡単にほろぼせる恐ろしい存在だと聞いていたのだが……?
あの子に限っては一体、どんな風になるのか想像もできない。
改めて俺はとんでもない人物達に囲まれているのだと思い知った。
……俺も、確かに成長はしていると思う。
雷を弾けたのは自分なりにかなりの進歩だと思っているが、でも、それぐらいで自惚れるのは早い、と誰かに言われているような気がする。
思い返してみれば、あの骨はけっこう、楽勝だった。
でも、もちろん、いろんな人に助けられて勝てたのだし、何よりこの頑丈な剣のおかげだろうと思う。
きっと今回勝てたのは俺の実力だけではない。
「そうだな────まだまだ、だな」
帰ってからは一層厳しい鍛錬を己に課す必要を感じた。
またギルバートに訓練に付き合ってもらわなければ、と思う。
……彼も暇ではないだろうし付き合ってくれたらの話だが。
まあ、それはそれとして。まだ旅の途中だ。
もうしばらくは旅の気分を満喫しても良いだろう。
そう考えて馬車の風景を眺め────俺はふと、大事なことを忘れていたことに気がついた。
「……あ。……し……しまった……!!」
「せ、先生? どうか、されましたか……?」
急に動揺した俺を、心配したリーンが覗き込む。
……いや、大きな声を上げてしまったが、別に大したことではない。大したことではないが……でも、俺にとっては結構、重要な話だったりする。とはいえ、あまり彼女には関係のないことだと思うし……今更、こんなことは言いにくい。
でも、俺は思い切って彼女に相談することにした。
「すまない、リーン。一つ、頼みがある」
「……はい、なんでしょう」
「途中、どこかの街に寄れるか? ……できれば、何か買って帰りたいんだが。……土産を、買い忘れてしまった」
────そう、俺は工事現場で働く同僚達に、街の外に出たら何か買って帰ってきてくれと言われていたのだ。
俺もそのつもりだと答え、ちゃんとその為の金もしっかり準備してきた。
なのに、うっかりしていた。
本当はミスラで何かが買えればよかったのだが。
街はあの有様だし、もう出てきてしまったので今更戻るわけにもいかない。
残るは……帰りの街ぐらいしか。
「……なるほど、そういうことですか。でしたら、お安い御用です。行きは急ぎすぎましたし、帰りは少しゆっくりめに参りましょうか?」
「ああ、そうしてくれると、助かる」
「イネス、お願いできますか」
「かしこまりました」
イネスが手綱を緩めると風を切って勢いよく走っていた馬車が、歩くより少し速いぐらいのゆったりとしたペースで進み始めた。それだけで、今まで流れるように移り変わっていた窓の外の風景が、急に親しみのあるものとして迫り、じっと地面を眺めると見たことのない花が咲いているのを見つけた。
「いい天気ですし、せっかくですから窓も開けましょうか」
リーンが馬車の窓を開けると柔らかい風が吹き、一緒に一枚の落ち葉が馬車の中に舞い込んだ。
俺は膝の上に落ちたその小さな葉を手に取って眺めた。
「……あまり見たことがない形の葉だな」
「ええ、クレイス王国では目にすることは少ないと思います。それはこの地方に僅かに生息する『天星樹』という樹種の葉です。とても珍しい品種ですよ」
「そうなのか」
「はい。私も実際に見たことがあるわけではなく、本で読んだ話でしかありませんが……『天星樹』はとても長命で、その葉を手にした者は幸運をも手にするとも言われます。一説によると、その葉には口にすると多少の多幸感を得ることができる成分が含まれているらしく、煎じてお茶にすると口当たりもまろやかで、愛好家の間では特に人気も高く、市場に出れば驚くような高値で取引され『幻の茶葉』と言われるぐらいに珍重され、とある歴史書によれば古代の王侯貴族の間でも────」
舞い込んできた葉っぱの話題を皮切りに、いつものようなリーンのうんちく話が始まった。
本当にすごい知識の量だが、ちょっと早口すぎて半分ぐらいしか俺の頭には入ってこない。
でも────
「じゃあ、これも、もって帰るか」
流石に土産にはならなそうだが、自分用に持って帰ることに決めた。
ただの葉っぱにすぎないが、やはり俺はこういう細かいところで発見があるのが好きだ。
見たことのない街や大きな建物もいいが、こうして知らない動物や植物を見かけると、自分の知らない土地にきているんだ、という感じがする。
そういう意味では、この小さな葉っぱは、とてもいい。
持ち帰るにも、かさばらないしな。
帰ってからうまく保存しておけばしばらくはもつだろう。
旅先のことを思い出すのには、こういうのが一番いいのかもしれない。
────ああ、やっと旅らしくなってきた。
そう思いながら俺はいよいよ饒舌になって白熱するリーンの説明に半分ぐらい耳を傾け、窓の外で流れる風景を眺めた。






