93 訓練の成果
何の心の準備も出来ないまま竜に乗せられ空へと打ち上げられた俺は、とてつもない上昇の圧力で危うく気を失いかけたが────途端に目の前にあの化け物が迫り、気を失っているどころではなくなった。
『『『黒雷』』』
「パリイ」
唐突に俺と竜を襲う巨大な『黒い雷』。
剣で受け止めた瞬間にものすごい圧力で押され、危うく吹き飛ばされそうになったが、かろうじて押し返して俺はなんとか雷を弾く。
弾いた直後、遠くの平原に落ちた雷が巨大な穴を開けた。
あんなもの、少しでも食らえば俺の身体など一瞬で弾け飛ぶ。
それどころか、俺を空へと運んだこの竜が一撃喰らっても、俺はこの遥か空の上から、なすすべもなく落ちる。
『『『黒雷』』』
だから────絶対に、この竜は傷つけられない。
だというのに、竜は恐ろしい勢いで空を旋回し、ひたすら怪物へと突き進んでいく。
そんな竜めがけて、怪物は容赦なく強烈な雷を叩き込んでくる。
「パリイ」
俺は死ぬ思いで広い竜の背中を這いずり回り、思い切り『黒い剣』を振り回す。
全力の【身体強化】を駆使しながら加速すると、なんとか間に合う。
だが俺が一つ雷を落として安堵した瞬間、化物が次の攻撃を重ねる。
怪物はあの強力な雷を、さらに連続で繰り出そうとしている。
一瞬で空を覆うように拡がる雷。
────まずい。
そう思った瞬間に、それは一斉に放たれた。
『『『『『『黒雷』』』』』』
放たれた瞬間に悟った。
あれは、俺の力では絶対に防ぎきれない。
もうどうしようもなく、ただ焼かれるのを待つしかない。
頭の中が真っ白になり即座に死を予感した。
だが────
どういうわけか絶望するより先に、身体が動いた。
「パリイ」
すると、するりと俺たちを避けるようにして、雷が脇に落ちた。
「……なんだ……?」
俺は不思議に思った。
気づけば、俺は剣を振っていたようだった。
だが意識して動いたわけではない。
でも、どこか覚えのある動きだった。
その感覚には覚えがあった。
……というより、忘れようもない。
これはミスラに旅立つ前にひたすら繰り返していた、ギルバートとの訓練の感覚。
ギルバートの繰り出す槍は鋭かった。
見えてからまともに叩いていたのではとても、間に合わない。
だから最小限の動きで、力任せに叩くのではなく触れるだけ。
思い切り叩く必要はない。
僅かに剣で触り、襲い来る槍の角度をほんの少しずらすだけでいい。
逆に言えばそれぐらいしかできなかったのだが……でも、それだけで十分に彼の槍は防ぐことはできた。
『『『『『『黒雷』』』』』』
あの怪物が轟音と共に放つ巨大な雷。
あれは本当に恐ろしい。
真正面から見ると、この世の終わりかと思えるほどの光景が眼前に拡がる。
不安定な空の上で受けるとなれば尚更。
瞬きひとつできないほどの一瞬で俺たちを黒い雷が覆い、焼き尽くそうとするのは脅威としか言いようがない。
おまけに、さっきよりさらに大きなのがくるのが見える。
だが────
────よく考えてみるとギルバートの槍の方が、ずっと疾い。
「パリイ」
俺はギルバートの槍を弾く感覚を思い出し、怪物が放った雷を弾いた。
すると、さっきまでの苦労が嘘のように無数の雷は簡単に逸れ、遠くまで真っ直ぐに飛んで山肌を削った。
『『『黒雷』』』
「パリイ」
怪物は息つく間もなく豪快に雷を放ち続ける。
だが、俺は拍子抜けするような思いで全ての雷を弾いて落とした。
さっきまであれだけ苦労していたというのに、全く力がいらない。
次から次へと襲いくる強烈な雷を、まるで羽毛を相手にしているかのように簡単に弾いて逸らすことができる。
真正面から受け止める必要はなく、ただ逸らすだけでいい。
そんな何百回何千回と数え切れないほどに繰り返した動きを、俺の身体は考えるまでもなく勝手に繰り返していた。
────なんだ、こんなことでよかったのか。
怪物はさらに威力の増した雷を気が狂ったように撃ちまくってくるが────
『『『『『『黒雷』』』』』』
「パリイ」
俺は注意深く一つ一つの軌道を見極めながら、飛んでくる全ての雷を弾いた。
時折ララが強烈なブレスを吐き、怪物が放つ炎を翼を羽ばたかせて強引に押し返して怪物を焼く。
……本当に凄まじい光景だ。
空全体を灼熱の炎が覆い、轟音を立てながら雷が地上に落ち、どんどん遠くの山の形が削られていく。
あの雷を一撃でも食らえば終わりだし、緊張はする。
だが化け物がいくら強烈な攻撃を放ってこようと、逸らして遠くの山や平原に落としてしまえばどうということないのだ。
これなら、もうどれだけ雷が飛んで来ようと怖くはない気がした。
……むしろ冷静になって下を見おろす方が、ずっと怖い。
さっきからなるべく下を見ないようにしているが、限界はある。
それに竜は賢く、どうやら俺を振り落とさないように気をつけて飛んでくれているらしいが、そもそも飛んでいる速さが尋常ではない。
竜が大きく空を旋回するたびに、俺は気を失いそうになっている。
……それさえなければ、ひとまずやられる心配はないだろう。
「だが…………キリがないな」
あの化け物はとんでもなくタフだ。
あれだけ強烈な魔法を打ち続けているというのに全く疲れを見せる気配がない。
ララのブレスで豪快に焼かれ、化け物の肉が焼け焦げる匂いが空に充満しているほどなのに、それでもあまり効いている気配がない。
「こんなもの、どうすれば倒せるんだ?」
『骸骨』とは、こんなに強いものなのか?
というか……さっきからどう見ても骨の化け物には見えないし、もしかして、実はこれは『骸骨』ではないのではないか……?
俺がそんな疑念を覚えているとき、見憶えのある光が視界の隅に映り、
「【神盾】」
空全体を垂直に裂くような巨大な『光の膜』が現れ、怪物の肉を縦に割った。
すると骨を覆うぶ厚い肉が大きく切り取られ、塊となって宙に舞い────
「────グァ」
それを見たララが即座に高熱の『ブレス』を放ち、空中に放り出された肉を巨大な炭の塊にした。
「あれは────?」
光の膜が飛んできた下の方向を恐る恐る、チラリと見やると、見覚えのある銀色の鎧を纏った金髪の女性がものすごい速さで空に駆け上がってくるのが見えた。
彼女は小さな『光の盾』を無数に生み出し、それを足場にして駆け上がっているようだった。
光の板が規則正しく並ぶ様子はまるで『光の階段』のようだった。
彼女は光の階段を駆け上がる勢いでこちらに跳躍し、そのまま竜の背の上に飛び乗ってきた。
「────ノール殿。遅くなってすまない」
「イネス。きてくれたのか」
見覚えのあるその人は、やはりイネスだった。
「助かった。あれは俺一人じゃどうしようもない」
「────そうかもしれないな。リンネブルグ様の命で加勢するが、少し保険をかけたい。もう少し、上に飛んでくれないだろうか」
「いや、俺はこの竜と会話は出来ないぞ? ……ロロがいないとどうしようもないな」
「……そうか。なら、仕方ない」
イネスはそう言うと、不意に竜から飛び降りた。
────その瞬間、俺は気を失いそうになった。
まずい。
とても怖い。
自分が落ちることだけじゃなく、人が高いところから落ちるのを見るのも、恐ろしい。
────いや、違う。
今はそんなことを考えている場合ではない。
俺が思わずめまいを覚えている間に、彼女はものすごい勢いで落ちていく。
彼女をすぐに助けなければ。
でもどうやって。
俺が突然の事態に混乱していると、
「【神盾】」
イネスは下方にとてつもなく大きな『光の盾』を生み出して、そこに何事もないかのように着地した。
ひとまず、俺はホッとした。
……なるほど。
あれなら心配することもなかったかもしれない。
できれば、心臓に悪いので先に言って欲しかったが。
「あれは────『床』か」
だが、そんな気持ちもすぐに忘れた。
改めて見ると、驚くような光景が眼下に拡がっていた。
イネスの生み出した『盾』によって地上と空が分断され、まるでミスラの街全てを覆うような、巨大な床が一瞬にして現れた。
それはなんだか神々しい、まるで光り輝く舞台のような床だった。
怪物がイネスの一撃で腕を大量に切り落とされて動きを止めていたので、俺はすぐにララと一緒にイネスの元へと近づき、彼女の元へと降り立った。
「すごいな……あっというまに床ができた。こんなこともできるのか」
「すまないが、しばらくの間こうさせてもらう。今、地上にあの怪物の魔法を落とすわけにはいかない」
「ああ、俺としてはこの方がずっといいな」
イネスはすまないが、などと言っているが……。
正直なところ、かなり助かる。
この空から地上まで落ちる心配がなくなるのはとても大きい。
強いて言えば下がちょっと透けて見えるのを何とかして欲しいというのはあるが……流石に、そこまで贅沢は言えないだろう。
「……そうか。それと、言い忘れていたが私以外の援軍はない。このまま、二人だけであれと戦うことになるが」
「十分だろう? それに二人だけじゃない。ララもいるしな」
「……そうか」
イネスはそう言って少し笑った。
「────来るぞ」
体の一部を失いバランスを崩していた怪物が、再び魔法を放とうとしている。
イネスの攻撃によって大きく肉は削がれたが、あれでもまるでダメージを負った気配がない。
失った無数の腕は生え揃っているし、まだまだ肉は残っているし、元気なようだ。
「ノール殿……守りは任せてもいいか? この床を張りながらあれの肉を削ぐとなると、自分の守りにまで手が回らないと思う」
「ああ、それなら任せてくれ。あの化け物の雷ぐらいだったらなんとかなるからな」
「……そうか。では、頼む」
そうしてイネスが微笑むのと同時に、すぐさま俺たち目掛けて怪物からまたあの雷が飛んでくる。
『『『『『『黒雷』』』』』』
だが、もう恐ろしいという気持ちは起きない。
「パリイ」
さっきまでは一人でなんとかしなければならないという焦りのようなものがあったが、今はイネスがいる。
彼女に頼りきりというのもちょっと情けない話だが……それでも、彼女が来てくれただけで俺の不安はほぼ消えた。
……というか、いつも厳しい表情のイネスがあんな風に笑っているということは、きっとだいぶ余裕があるのだな。
俺などはさっきまであんなに焦りまくっていたというのに。
ギルバートの槍が見えるようになってきて、少しは強くなったような気がしていたが……確か、リーンの家のお手伝いさんか何かだったはずの彼女の強さを見ていると、やっぱり、俺はまだまだ強くならなければならないのかもしれないと感じる。
「【神盾】」
「────グァ」
そうしてイネスが肉を削ぎ、ララが肉を焼き、俺がひたすら雷を弾く。
すぐに俺たちの分担が出来上がった。
イネスが参加してくれてから、骨が纏っていた肉が面白いように削れていく。
俺はその光景に圧倒されながら襲い来る無数の黒い雷をひとつひとつ、確実に弾いていく。
なんだか、辺りがこの世のものとは思えないぐらいに凄まじい光景になっているが、俺がやることは一つだけでいい。
来たものを弾くだけ。
何をすれば良いかわからない時は不安だったが、やることがわかってしまえばもう、ただの作業だ。
そして────
『『『『『『黒雷』』』』』』
「パリイ」
────その作業にも、もう慣れた。
ララとイネスの攻撃で見る間に肉が削れていき、怪物は元の『骨』に戻りつつあるようだった。






