89 再会
「────死んだかと思った」
何とか地上に降り立った俺が辺りを見回すと、誰かが俺の背後から声をかけてきた。
「……おい、【杭打ち】。貴様、今何をした……今のは一体、何だ?」
振り返ると、背後に数人の鎧の集団がいた。
あの鎧姿には見覚えがある。
さっき、俺をもてなしてくれた兵士達だろう。
俺が彼らの姿を眺めていると、俺を【杭打ち】と呼んだ奇抜な鎧を身に纏った男が歩いて近づいてきた。
この男の名前は覚えている。
確か────
「お前は────【節約】のシギル」
「────【刹那】。【刹那】だ。もう、シギルでいい。二つ名など無理に覚えようとする必要はない……それより貴様、何故上から落ちてくる? さっき、下で待っているように言ったはずだが……いや、とにかくさっきの化け物は何だ。何故、あんなものがこの聖都にいる?」
「……正直、俺もよくわからないんだが……」
確か、あの魔物は『スケルトン』だと思ったが。
……だが、本当にそれで間違いないのだろうか。
だんだん、自信がなくなってきた。
アスティラはスケルトンだと言っていたが、正直、あれをスケルトンと言っていいものか、俺には確信が持てない。
さっき目にしたあれはもう、とても骨の化け物とは言いづらいし。
何だか不気味な「骨つき肉」の化け物としか思えない。
でも知識もないし、なんて説明したらいいのだろう……。
俺が答えに困っていると、化物が落ちていった大きな穴の奥から小さな呻き声が聞こえてきた。
「……うぅ……し、死ぬかと思いました……!」
見れば、床に開いた大きな穴から見覚えのある女性が這い出てくるのが見えた。
それは、アスティラだった。
彼女も俺を見つけると、若干疲れた様子で俺の顔を見た。
「……ノール……? い、今のは何ですか……? 何であれがいきなり、あんな風に落っこちて来るんです……? 危うく巻き込まれるところでした……」
アスティラは服についたホコリを払いながら立ち上がり、俺たちの方に歩いてきた。
もしかして、彼女はあの化け物を追って迷宮の奥からあの穴を上がってきていたのだろうか。
そこに俺があの化け物を叩き落としたものだから……。そうか。
自分の身を守るのに必死すぎて、そこまで全然気が回らなかった。
まあ、気づいていたとしてもどうしようもできなかったと思うが……。
「すまない、そこまで気が回らなかった。多分、俺のせいだ」
「やっぱりあなたですか、ノール……まあ、ギリギリでかわせたからいいですけど。でも、あれが真上から迫ってきたときにはもう、本当に死んだかと思いましたよ」
アスティラはそう言って少し笑うと、辺りを見回して俺のそばにいたシギルと目を合わせた。
「あ、人が……こんにちは。ええと……どちら様ですか?」
「猊下────?」
「ちょうどいい。シギル、あの化け物のことは彼女に聞いてくれ。彼女の方がずっと詳しいはずだ」
俺は彼女の登場に少しホッとしたが、俺の前にいたシギルと他の兵士達は皆、彼女に向いて跪いた。
「猊下、ご無事で」
「……え、ええと……? 猊下って……私のことですか? 貴方たちは、いったい……?」
「……お戯れを。我等が仕える主が貴女を除いて他に誰がいましょう」
アスティラは彼らの行動に戸惑っている様子だった。
彼女のそんな様子にも構わず、シギルは続けた。
「────猊下。先ずはご報告を。捕縛を命じられたその男ですが、我ら『左舷』だけでは全く歯が立ちませんでした。御命令を果たせずに帰還しましたことをまずお詫びせねばなりません」
シギル達は地につけるようにして頭を下げ、アスティラの答えを待った。
「……えっと……これは。ど、どういう話なんでしたっけ……? ねぇ、ノール……?」
「……いや、俺に聞かれても……?」
俺とアスティラが二人で困惑していたところで、また聞き覚えのある声がした。
「────それは僕から説明させてくれ」
声の主はミスラの皇子だった。
そのすぐ後ろにはリーンもいた。
「ノール先生、ご無事で」
「リーンも」
リーン達が俺たちの元へとやってくるとシギルは顔を上げ、皇子に問いかけた。
「ティレンス殿下。猊下は一体……どうなされたのですか。ご様子が少し普段と違いますが」
「ああ、その通りだ。今、お母様は訳あって、少し混乱されている」
「……え〜と……? お母様……? 私が……ですか……?」
また困惑して首を傾げるアスティラに顔を近づけると、皇子は小さな声で耳打ちした。
「────すみませんが、今は話を合わせてください。事情はいずれ、ご説明できるといいのですが……」
「……わ、わかりました。よくわからないですけど、私は今、貴方のお母さんなんですね……!?」
「……はい。貴方は私の『母』でありこの神聖ミスラ教国を統べる『教皇』です。この状況では、そういうことにしておいた方が良いはずです」
「……きょ……きょうこ……? ……わ、わかりました……とにかく、任せてください……! 私、これでも演技には結構自信ありますから……!」
アスティラはそう言って、周りの全員が見守る中、皇子にグッと親指を立てて笑顔を見せた。
「……では、お母様。今しばらく、兵の指揮権を僕に与えてくださいますか」
「え……ええ。そうですね、ええと……私は今、ちょっと記憶が曖昧ですので……後のことは、彼……ティレンス君に任せます!」
「「「……君?」」」
彼女に跪いていた六人は揃って首を傾げ、顔を見合わせた。
「……どうやら猊下は相当に混乱されているようだ……ティレンス殿下、一体下で何が?」
「正真正銘の緊急事態だ。詳細は省くが、今、『嘆きの迷宮』が活性化している。街に起こった異変はその為だ」
「『嘆きの迷宮』が!? まさか……!? 踏破済みの筈では……?」
「原因は分からないが『迷宮の主』が復活し、お母様はその戦いの中で負傷したのだ。その上、今も魔物達がとてつもない速さで湧いている……対処を急がねばならない。使える兵は今どれぐらいいる?」
皇子は周囲を見回した。
見れば、ドーム状の広い部屋の中には鎧を着た兵士たちが沢山倒れていた。
少なくとも数百人はいそうだった。
立っている者もいるが、どこか元気が無く、彼らは皆、遠巻きに俺たちを眺めていた。
「殿下」
倒れている兵士たちの中から一際体格の良い男が立ち上がり、皇子によろよろと近づいて声をかけた。
「……ライバか。兵達のこの様子は、一体……? ……いや。これは君か、リーン」
「……はい。少し、やりすぎたかもしれません」
リーンが気まずそうに周囲を見回すと、辺りを取り巻く兵士たちが一斉に引いた。
「殿下の御察しの通り、猊下の命でそこの御来賓を捕縛しようとしましたが……全く敵いませんでした。逆にこの有様です」
「少し気が立っていたとはいえ……少々、乱暴だったと思います。その点はお詫びします」
「────いえ。先に客人に無礼を重ねたのはこちらの方です。幸い、軽傷の者が殆どで……現在、回復した戦力は八割といったところですが……もう貴女に刃を向けようという者は居ないでしょう」
「……ああ、それでいい。もうその命令は無効だ。これより、戦える者は大聖堂を包囲するように配置し、湧き出る魔物の対処をしろ。一匹も外へ出すな。そして、戦闘が出来ない者はミスラの全市民を誘導しながら街の外へ退避を。……可能な限り、遠くへだ」
「……全市民を、街の外へ退避……ですか?」
「見ただろう、今の化け物を。あれが『迷宮の主』だ。あれがまた、すぐにでもここへやってくる。今度は大量の魔物を引き連れてな。急いで市民を避難させないと手遅れになる。ライバ、君がその指揮をとれ」
「……畏まりました。しかし、猊下と殿下はどうなされるのです」
「僕とお母様はここに残り、魔物どもを喰い止める。市民の避難が出来次第、僕らも逃げる────急げ。一瞬も無駄にしないでくれ」
「────承知しました」
そうして、ライバと呼ばれた大男が兵を引き連れて出て行ったところで、突然、大聖堂の建物が小刻みに震え、天井からパラパラと瓦礫が落ちた。
「……なんだ……?」
しばらく、その振動は続いた。
その揺れは地下深くから起こっているようだった。
化け物が落ちていった穴の奥から、何度も何かを叩きつけるような衝撃音が響いてくる。
その音がする間、ずっと建物は揺れ続け、だんだんと床にも亀裂が入ってきた。
天井の装飾は落ち、壁ももう随分と崩れている。
建物の中にいた人たちは皆、シギル達と俺たちを除いて、皇子の命令で避難させているようだったが、俺たちもこのままここにいたら危ないのではないか……? そんな風に思って俺が不気味な音が響いてくる穴を眺めていると、そこからまた見覚えのある人物が飛び出てきた。
銀の鎧を身に纏った金色の髪の女性と、見覚えのある少年。
ロロとイネスだ。
俺たちの姿を見つけて駆け寄ってきた彼らにリーンが声をかけた。
「イネス、ロロ。無事でしたか」
「リンネブルグ様、備えてください。魔物が来ます。ここまで斬れるだけ斬ってきましたが、それでもキリがありません。これは────史上稀に見る規模の迷宮の『暴走』です」
「……ええ、私も状況は目にしています。恐らく、間違いないでしょう」
「それと……あいつ、もっと元気になって出てくると思う。ごめんね……ボクが色々と食べさせちゃったから」
ロロがそう言うと────地の底で鳴っていた地響きが急に止んだ。
途端に、穴の奥から無数の不気味な呻き声が響き────
今度は地の底で爆発のような衝撃が連続で起きた。
それは次第に地上へと近づき、だんだんと大きくなってくる。
揺れに合わせて建物が大きく崩れ、傾いていく。
今、何か巨大なモノがここへ登ってきているのがわかる。
────間違いなく、あれだろう。
「おそらく、これは我が国の存亡を賭けた戦いになる。
……正直、勝ち目は薄いと思う」
皇子は緊張した声で言った。
「だから……リーン。君たちはもう、逃げてくれ」
「……ティレンス皇子……? でも、それでは────」
声をかき消すほどの地鳴りが、近づいてくる。
衝撃で建物の屋根が崩壊し────赤黒い色に染まった空が見えた。
「────ここまで本当に助かったよ、リーン。
君たちがいなければ、もっと酷いことになっていたと思う。
でも、これはあくまで僕らの国の問題なんだ。
これ以上君達が巻き込まれる必要はない。
……もちろんお母様も。だから、君達はここで────」
「ティレンス」
リーンが皇子の言葉を遮った。
「私は貴方のことを少し、誤解していたようです。
先程、私は自国の国益に適う限り、あくまで隣人の立場で貴方に協力すると言いました。それなら確かに私達がこれ以上ここに留まる理由はありません。
でも────ここからは、私は貴方のひとりの友人として加勢しようと思います」
「……リーン……?」
「ですから、気兼ねすることなどありません。
私たちも一緒に戦わせてください。
私達は友人を見捨てて逃げるなんてことはしたくありませんから。
……そうですよね、ノール先生」
「まあ、最初からそのつもりだったが」
「……すみません、また我が儘に巻き込んでしまって」
「いや、いい。それより────」
俺たちの立っている、大きな亀裂の入った石造の床が────崩壊する。
「────来るぞ」
轟音。
床の穴から、勢いよく何か巨大なものが飛び出てきた。
その衝撃で大聖堂の建物は丸ごと吹き飛ばされ、爆散した。
俺たちが崩れゆく大聖堂の床を足場にしながら、
地下から上がってきたモノが飛んで行った先を見上げると────
そこには、前よりひと回りもふた回りも大きくなった『骸骨』……というか、完全に骨が肉に埋まってどこにも見当たらないぐらいにぶくぶくと膨れ上がった、よくわからない人型の怪物が、その背中から巨大な翼を広げ────
『『『────ア゛ア゛。ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛────』』』
身体中に開いた無数の口から、この世のものとも思えない不気味な叫び声をあげ、俺たちの頭上の空全てを覆い尽くすようにして浮いていた。






