83 賢者の盃 1
一旦、過去のお話となります。
(一本の予定でしたが非常に長くなったので三本に分割します)
「今回の『嘆きの迷宮』の探索、上手くいくといいですね」
冒険者たちが集い賑わう酒場の中で、一際目を惹く形の整った顔に優しげな笑みを浮かべているハーフエルフの女性が、同じテーブルについて麦酒をあおっている魔術師風の小柄な男と、特徴的な薄青の髪を持った細身の男の前で、呟くように言った。
────それは何気ない、ただの自分たちの冒険の無事を祈る言葉だったのだが。
彼女の目の前にいた小柄な男はそうは思わなかったらしく、麦酒の入ったコップを置き、鼻で笑うように言った。
「────はっ、何を言ってるんだアスティラ。上手くいくに決まってるだろう。俺たちはもう幾つも迷宮踏破の実績のあるパーティなんだし、何よりこの俺、【天才魔術師】のオーケンがここにいるのだからな」
この小柄な男がいつものように自信満々の笑みを浮かべ、どこまでも尊大なセリフを吐くのを目にして、先ほどの呟きを漏らした女性は小さくため息をついた。
「……本当に、よくそういう恥ずかしいことが堂々と言えますね、オーケン。ある意味、ちょっと尊敬しますよ……?」
「ふん────お前はそういうこと言ってるから、未だに二流扱いなんだぞ、アスティラ? 実力に評判が伴ってこその一流だ。少しは俺を見習うがいい」
「はいはい……でも、私は誇大広告で有名になっても、全然嬉しくありませんからね。確かに貴方の名前は有名ですが『酒場で自慢話ばかりする胡散臭い男』としてですからね? 私はそういうのは絶対に嫌ですので、遠慮しておきます」
「……な、なんだとぉ……!?」
酒場を見回してマスターと目が合い、すっと目を逸らされたことにショックを受けている魔術師風の小柄な男を尻目に、僧侶風の白いローブを纏った女性は隣でなにやら道具類を広げて一つ一つ調べている細身の男に声をかけた。
「────それはそうと、ロイ。支度はできましたか」
「……ああ。必要な道具類の数量チェック、装備品の整備も済んだ。
あとは鞄に詰め込むだけだが……オーケン。
この殆どがお前の魔道具だろう。これぐらい自分でやれないのか?
何故、いつも俺にやらせる」
「……はっ、そんなのしょうがないだろ?
俺たち三人の中ではお前が一番魔道具の扱いが上手い。適材適所だ」
「……お前は道具の扱いについても、天才的な腕前なんじゃなかったのか?」
「ふん……この俺、【双魔】のオーケンがその一点においては、お前に譲ると言ってやってるんだ。ありがたく思え。
お前も一種の天才だろうな。血筋か体質みたいなものかもしれんが、俺の道具を扱う資格は十分にある……将来、俺が偉くなったら召抱えてやってもいいぐらいだぞ」
「……ちょっと、オーケン? いつもロイに道具の整備してもらってるのに、なんでそんなに偉そうなんですか?
それに【双魔】って、まだ誰もなし得たことがないっていう、あの【二重詠唱】のことでしょう?
……貴方、まだ全然できてないじゃないですか。詐欺ですよ、それ」
「ふん、そんなものいずれ出来るようになる。俺は天才だからな。今名乗ろうと同じ話だ」
「……はあ。貴方と話していると本当に疲れますね、オーケン。ロイ。こんなの、真面目に相手にしなくてもいいんですよ……?」
「大丈夫だ。元から九割聞いてない。俺は荒く扱われる道具が可哀想だと思ってやっているだけだ。こいつは大抵、口だけだからな」
「な、なんだとぉ……!?
さっきからお前ら、俺のありがたいアドバイスをあからさまに無視しやがって……!!」
「アドバイス? 妄言としか思えませんが」
「お前の実行が伴わない言葉より、小鳥のさえずりを聞いていた方が有益だろうな」
「くっ……泣くぞ……? そういう冷たい扱いされると、俺は……泣くからな?」
尊大な態度とは裏腹に、繊細で傷つきやすい性質の男、オーケンは本当に目に涙をいっぱいに浮かべていた。
……面倒臭い奴。傲慢な奴。自分語りばかりする奇人。
出会った人々のほぼ全員からそんな風に言われ続け、疎まれ続けたこの変人魔術師オーケンが『冒険者』としてまともにパーティを組めたのは、この二人が初めてのことだった。
彼ら三人がパーティを組んでから、既に五年の歳月が流れようとしていた。
「……い、いいのか、お前ら? この俺が心を痛め、涙するんだ。きっとお前らまで悲しくなるぞ? ……ほ、本当に……いいんだな?」
「いいぞ」
「どうぞご自由に。あ、でも、泣くならあっちでお願いします。仲間だと思われたくないので」
「……………………ぐすん」
彼ら『賢者の盃』と言えば、今や大陸北部の冒険者たちの間では知らぬものの居ない程、有名なパーティになっていた。
彼らは魔術師・僧侶と斥候のみという、あまり他に例を見ない偏った構成のパーティだった。
それも、メンバー三人がそれぞれ別種族という奇妙な特徴を持っていた。
────希少種『ハーフエルフ』の僧侶アスティラ。
────大陸北部の少数部族『レピ族』のロイ。
────そして『自称天才』の人間族、魔術師オーケン。
元は、深い森の中から都会に出てきて騙されて奴隷として売られかけていたアスティラと、同じく深い山の中から都会に出てきてあらゆる人間に騙され続け極度の人間不信に陥っていたロイを、癖のある性格の為に誰からも疎まれ続け、仲間に餓えていたオーケンが半ば無理矢理、自分一人だけの『パーティ』に引き込んだのが始まりだった。
田舎者と田舎者と、変人。
彼らが出会った直後にオーケンが怪しげな露天商で仕入れてきた安物の銀色の盃がそのまま彼らの冒険者パーティの名前となった。
────『賢者の盃』。
そう名乗って活動を始めた彼らは、それぞれ癖のある人間だったが奇跡的に互いに噛み合い、共に実力をつけ、やがて複数の小規模迷宮を踏破するまでになった。
彼らは口では罵り合うことはあっても、心の中では互いが互いのことを好ましく思い、根底の部分では信頼していた。
彼ら『賢者の盃』は、見る人が見れば羨むほどに良い仲間だった。
「────では、準備もできたみたいですし、行くとしましょうか」
「はっ、今回こそ踏破してやるからな。ミスさえ犯さなければ、こんな迷宮楽勝なんだからな。お前らは全て俺に任せておけばいい」
「……言っていろ。今回は暗闇で足を踏み外すなよ……今度落ちたら助けんぞ」
「そ、その時は……頼んだからな、ロイ……?」
彼らは準備を整えると、いつものように迷宮へと潜った。
彼らが今回挑むのは『クレイス王国』の西に位置する『嘆きの迷宮』という大迷宮だった。
それは現在発見されている迷宮の中では『還らずの迷宮』を除けば最大級と言われ、踏破が非常に困難とされる、世界有数の難関迷宮の一つ。
だが────
彼らは本当に優れた冒険者パーティだった。
魔術師のオーケンは巷では口が過ぎて胡散臭がられているにも関わらず、魔術の実力だけで言えば超一流と言ってもよかった。
迷宮内の迫り来る魔物はほぼ彼一人で殲滅しており、そこにアスティラの補助魔術が加われば、向かう所敵は無かった。
斥候役のロイは戦闘技能こそ持たないものの、索敵、危機察知、危険生物の察知と誘導と、一流の斥候職に求められるものはすべて兼ね備え、戦闘においても持ち前の素早さを生かして撹乱役も担った。
もしミスをして誰かが怪我を負ったとしても、ハーフエルフのアスティラがその有り余る魔力を使いたちどころに癒し、彼らは既にいくつもの小規模迷宮をほぼ無傷で踏破することすら珍しく無かった。
迷宮の核を守護する門番と呼ばれる一際強力な魔物でさえ、彼ら三人が一緒に戦えば危なげなく戦えた。
常識はずれの冗談のような破壊力を持つ魔法をひたすらに連発する魔術師のオーケン。
風魔法を得意とし、ありとあらゆる攻撃を無効化する強力な補助魔法を駆使するアスティラ。
生来の鋭敏な危機察知能力と素早さを生かし、冷静な状況判断で撹乱と注意の誘導を的確にこなすロイ。
互いに役割のはっきりとした彼らは、一緒に戦うと本当に強かった。
大きなミスを犯さず、まともに真正面から戦えば、難関迷宮の深層といえど敵はいなかった。
そうして彼らはあらゆる障害をものともせず、短期間のうちに『嘆きの迷宮』の最深部にまで到達した。
「なんだ……これは。もしかして、これがこの迷宮の核なのか?」
先陣を切って不思議な光の溢れる部屋へと入ったオーケンが小さく声をあげた。
そこで彼らが目にしたのは、今まで見たこともない程に巨大な核だった。
「ああ、そうだろうな。前に見たものと材質は一緒だ」
「……でも、大きいですね。今まで見てきたものとは比べ物になりません」
「それにこの部屋……妙な力場を感じるな。どういうわけか、他の迷宮と違って魔物もいない」
「はっ、そう怖がるなよ、ロイ。これを壊せば俺たちは『嘆きの迷宮』踏破者だぞ。さっさと、核を壊して、持ち帰ろう」
「……ああ、早く終わらせて帰るとするか。食糧も既に残り少ない。急いだ方が良さそうだ」
そうしてロイとオーケンは巨大な青色の水晶に近づこうとしたのだが。
「待ってください、オーケン、ロイ。この核、どこかおかしいです」
「……なに?」
「────危ない! 離れて────!」
何かの異変を察知したアスティラが、核に近づいたオーケンの身体を突き飛ばした。
「なんだ、どうしたんだ、アスティラ────? ……だ、大丈夫か!?」
気づけば、アスティラの身体が半分、青い水晶に呑み込まれていた。
「……これは一体……無事なのか、アスティラ」
「ええ……一応。でもこれ、多分、迷宮の罠です。かなり力を吸われてる感覚があります」
「くそ! 門番がいないと思ったら、こんなところに罠かよ……!!」
「……オーケン、ロイ。近づかないでください。貴方達まで飲み込まれます」
「……アスティラ。自力で出れないか? 魔法系のトラップには俺では手が出せん」
「どうやら、無理なようです。なんとか、ここで踏みとどまってますが……もう、かなり魔力が吸われちゃってます。ちょっと、何もできそうもありません」
「────オーケン、近づかずに魔法でアスティラの補助を」
「……今、やってる……!!」
緊迫した状況の中で、ロイは周囲に近づいてくる魔物の姿を察知した。
「まずいな……魔物が来る。数が、多い」
「ちっ……!! こんな時にッ……!!」
「排除するぞ、オーケン。アスティラの補助と並行して出来るか」
「────当たり前だ、俺を誰だと思っている。一匹も通さんぞ。ちゃんと援護しろ、ロイ」
「ああ、わかった」
◇
そうして、アスティラが半身を飲み込まれ、丸一日が経過した。
その間、オーケンとロイは襲ってくる魔物の群れを何度か全滅させたものの、その戦いには終わりがなかった。
「また、次の群れが来る。準備をしろ、オーケン」
「ちっ……! まだ、来るのか」
彼らは二人だけで戦い、数十体の魔物の群れといえど、押し寄せるたびに叩き潰した。
だが、魔物は暗闇の奥から無尽蔵に湧き出るように次から次へ、断続的に襲ってくる。
彼らは丸一日、ほぼ不眠不休、飲まず食わずで既に数百体の魔物と戦闘を行い、極限まで疲弊していた。
オーケンとロイは、そんな状況でもアスティラを核から引き剥がす為、ありとあらゆる手段を試した。
だがそのどれもが、なんの良い結果ももたらさなかった。
三人とも、なすすべもなく消耗していく。
「……逃げてください、オーケン、ロイ。これはもう『対処不可状況』です。
このままでは貴方達まで危険に晒します────」
「何を言ってるんだ、アスティラ!! 諦めるな!! これぐらい、俺が────!」
「オーケン、次の魔物の波がくる。戦闘準備をしろ」
「……くそッ!!」
先ほどの大きな波を凌ぎきったばかりのところで、更に次の波が来る。
頻度が明らかに増している。
その上、一回ごとに押し寄せる魔物の数も多くなっている。
絶望的な状況だった。
彼らの体力は限界に達していた。
そんな中でも、オーケンは青い水晶に飲み込まれようとしているアスティラにずっと声をかけ続けた。
「……大丈夫だぞ、アスティラ。俺がなんとかしてやる。絶対に諦めるな……必ず、助け出してやる」
だが既に、その顔は死人のように蒼白で、彼の魔力は限界まで使い果たされ枯渇しているのが明らかだった。
回復用の魔力ポーションも底をついた。
もう、何も打つ手がないのは明らかだった。
「……もう、いいんです、オーケン。十分です」
「何をいっているんだ、アスティラ! 今助けてやる。見ていろ、俺がこれから────」
「……ダメだ、退却するぞ、オーケン。彼女の言う通り、俺たちも危ない」
「ふざけるな、ロイ! 仲間を置いて、ここで逃げられるかッ!!」
激昂するオーケンに、アスティラは穏やかな笑みを浮かべながら声をかけた。
「……いいですから。逃げてください、オーケン。
こういう時はそうするって、三人で決めていたでしょう?
……私はここまで貴方たちと冒険ができて、よかったですよ。さあ、早く」
「オーケン……アスティラの言う通りにしろ。ここに来る前に皆で立てた誓いを忘れたか……それも、お前が言い出したことだろう」
「クソっ!! ふざけるな────クソっ!!」
確かに、言った。
命の危険を感じたら、さっさと逃げろ、と。
誰だって自分の命が一番大事だから、自分の命は自分で守れ、と。
危なくなったら俺は真っ先に逃げるから、お前らもそうしろ、と。
そこは互いに恨みっこなしだぞ────と。
そんなことを言い出したのは、他ならぬオーケン自身だった。
「誓いだと!? そんなの、知ったことか! アスティラ、俺は絶対にお前を────!」
「────すまん、オーケン」
背後から頭部に強烈な手刀をくらい、オーケンは気を失いロイの腕の中へと崩れ落ちた。
「────ロイ、ありがとうございます。彼を外へ、お願いします」
「……すまない、アスティラ。許してくれ」
「ふふ、いいんですよ、ロイ。私からお願いしたんです────貴方もどうか、お元気で」
「ああ、お前のことは忘れない」
「それと────」
気を失い、ロイの方に担がれたオーケンを見ながら、アスティラは優しく笑った。
「オーケンが目を覚ましたら、伝えておいてください。
私は貴方と一緒に冒険ができて、本当に楽しかった、と」
「……ああ。わかった」
そうして斥候職のロイは、青い水晶に飲み込まれていくアスティラに背を向け、オーケンを肩に担いで迷宮を脱出した。
◇◇◇
目を覚ました時、オーケンは宿屋のベッドに寝かされていた。
包帯が巻かれ、治療が施された自分の身体に気がつくと、オーケンは驚いて飛び起きた。
「……ロイ。ここは、どこだ。なぜ、俺はこんなところにいる」
「目を覚ましたか、オーケン」
「おい。俺の質問に答えろ、ロイ……アスティラは、どうした」
しばらくの間、言葉を探していたロイだったが、低い声で絞り出すように言った。
「────死んだ。俺たちをかばってな」
その言葉に、部屋の中が静まった。
そして、辺りに自分たち二人以外の気配がないことを確認するとオーケンはロイを睨みつけた。
「何故だ……ロイ。何故、見捨てた」
「……彼女の意志だ。あのままでは全滅していた。俺たちは彼女に救われたんだ」
「……ふざけるなッ!!」
オーケンは怒号とともにベッドの脇の壁を叩いた。
自らの拳が木壁にめり込み血が滲んだのを気にも留めず、オーケンはロイを睨みつけ、叫んだ。
「何故、俺を止めた、ロイ!! 何故、あんなにすぐに諦めたんだ!! 俺なら、助けられた!! 俺なら……俺なら絶対に────!」
「現実を見ろ、オーケン。お前は消耗しきっていた。あのまま俺たちがあそこに留まっていれば、確実に『全滅』していた。彼女のあの場での判断は的確だった」
「────ふざけるな。受け入れられるかよ。俺はまだ────!」
「認めろ。明らかに……俺たちの、力不足だった。彼女の気持ちも察してやれ。彼女はお前に言葉を遺している。せめてそれを聞いてから────」
「────もういい。よくわかった」
「何がだ……何が、わかったというのだ」
オーケンは血の滲んだ手のひらをロイに向けながら、喉の奥から声を絞り出すように言った。
「お前とは……もう、仲間でもなんでもない。仲間を簡単に見捨てて真っ先に逃げるような奴とは、金輪際……付き合いたくない」
「……そうか……」
少しの間、二人の間に重い沈黙が流れた。
ロイも静かに口を開いた。
「……俺も……仲間と交わした約束を何とも思わない奴とは一緒にいたくはないが、な」
それを聞いたオーケンはロイに背を向け、自分が寝かされていたベッドをゆっくりと降りた。
そして、傍にまとめられていた自分の荷物を手に取り、身につけはじめた。
「────じゃあ、決まりだな。今日で『賢者の盃』は解散だ」
「……ああ。好きにすればいい……元々、お前が言い出したことだ……最後も、好きにするがいい」
「ああ、俺たちはもう二度と集まることもない。お前の顔なんて二度と……見たくもない」
傷が癒えぬままの身体でオーケンはその部屋を出て行った。
そうして────その日、有力パーティ『賢者の盃』は解散した。
仲間の死をきっかけに他のメンバーが仲違いし、パーティが突然解散する。
それは冒険者達の間ではよくある話だった。
酒の肴にもされない程の、どこにでもある物語。
一人は放浪の旅に出て、一人は故郷に帰る。
そういう、ありふれた冒険者たちの夢の終わり。
そうして冒険者パーティ『賢者の盃』の物語は終わった。
────だが、その話はそれでは終わらなかった。
彼らの物語は終わるどころかそこから動き始めたのだ。






