79 二人のアスティラ
俺が不思議な場所で出会った女性は、アスティラと名乗った。
「アスティラ……? どこかで、聞いたことがあるような……?」
……記憶違いだろうか?
でも確かに聞いた覚えがある。
どこだったかはすぐには思い出せないが、最近その名前を聞いた気がする。
「えっ……? 私のことを知っているのですか?
……あれ、もしかして私……外で有名になっちゃってました……?
ふふ、もしや……仲間の危機を身を呈して救った美人冒険者として語り継がれて伝説になってて、とか……?」
「いや、全然そういうのじゃなかったと思うぞ」
「……そ、そうですか。ちょっと期待してしまったんですが」
アスティラはなんだか残念そうな顔をしているが、違ったと思う。確か、俺はリーンからその名前を聞いた気がする。
いったい、誰のことだったか。
俺が懸命に思い出そうとしていると、突然、辺りの風景が奇妙に歪み、辺りに人の声が響き渡った。
「────ああ、ここにいましたか。
まさか鼠がこんなところにまで入り込むとは。いったい、どうやってあの多重結界層を抜けたのですか────?」
何処からか女性の声が響いたかと思うと、空中の何もないところが裂けるように歪み、人一人が通れるぐらいの光の渦が生まれた。俺たちがじっとその渦を見つめていると、一人の女性がその中から現れた。
その女性は俺たちの側にいる巨大な骸骨と同じような、キラキラとした宝石が付いた白いローブを身に纏っていた。サイズは違うが、どうやらお揃いの衣装のようだった。
「あの方は、いったい────?」
アスティラは彼女を見て驚いているようだった。
俺も彼女の顔を見て少し驚いた。
そこから入ってきたのは、アスティラと本当によく似た女性だったからだ。
いや……彼女達は似ているというよりも、もし服が違わなかったら完全に瓜二つというか、ほぼ同じ人物のように見える。
本当に見分けがつかないぐらいだが……でも、よく見るとどこか違和感を感じる。
向こうの女性はどことなく纏っている雰囲気が冷たいように感じた。
似ているようで、少し違う。
「あれは誰だ? アスティラとそっくりだが……親戚か?」
「……いえ、違います。あれは…………本当に誰なのでしょうか」
俺の隣のアスティラも戸惑っているようだった。
似ているから親戚か姉妹なんじゃないかと思ったが違うらしい。
「私はアスティラ。ミスラ教国の教皇です」
俺たちが困惑しながら彼女の顔を見つめていると、アスティラにそっくりな女性は『アスティラ』と名乗った。
「……アスティラ?」
そこで俺はさらに混乱した。
あっちもこっちもアスティラで、向こうは教皇……?
どういうことだ……?
教皇────?
ああ、そうだ。教皇だ。
俺はやっと思い出した。
リーンから聞いていた『アスティラ』は確かこの国、ミスラ教国の教皇の名前だ。でも、俺は教皇だと名乗った方のアスティラを見て再び疑問に思った。
「……あれが本当にリーンの言っていた教皇なのか?」
教皇は200歳を超える長寿の老婆という話だった。でも目の前に現れた彼女は想像していたよりもずっと若い。リーンの話で俺が想像していた人物とは、だいぶ違う気がする。
それに教皇は国民の皆に尊敬される人物だと聞いていたが……やっぱり違和感がある。
彼女の雰囲気は俺の隣にいるアスティラと比べて、とても冷ややかだ。
もしかしたら、そういうのが好きという人もいるのかもしれないが……俺にはあまり、この人物が国民皆に慕われているというのは想像ができなかった。
「あなたは、何者ですか……? なぜ私の名前を。それにその顔は……?」
俺の隣のアスティラが、冷たい感じのアスティラに問いかけた。
すると冷たくて若干性格が悪そうな感じのアスティラは、笑った。
「おやおや、私の偽物の分際で、そのような口をきくとは。何かの役に立つこともあるかととっておいてやったのに、その言い草はなんでしょう」
「……私が偽物……? あなたは本当に何を言っているんですか……? ……まさか」
急に俺の隣のアスティラは振り返って背後に座る巨大な骸骨を見上げた。
そして真剣な顔つきになり、再び性格の悪そうな方のアスティラを見つめた。
「まさか、あなたはここの────?」
「黙りなさい」
突然、隣のアスティラの足もとに激しい稲妻が走った。直撃はしなかったものの、アスティラは雷が地面を抉った衝撃でよろめいて地面に座り込んだ。
「それは貴方が知る必要がないことですよ。静かにしていてください。私が用事があるのはその男だけですから」
そう言って、性格の悪そうな方のアスティラは俺を真っ直ぐに見つめた。
「そこの方。どうかその手に持っているものを、渡していただけませんか。
それが何かはわかりませんが、どうやら危険な代物のようですから」
「この剣をか? なぜだ?」
「お判りでないようですね。これはお願いではないのですよ────分からなければ、教えて差し上げましょう」
────再び、雷撃。
「パリイ」
俺は咄嗟に剣を振り雷を弾いた。
黒い剣に叩かれ、雷は軌道を変えてそのまま地面へと落ちた。
「……おかしいですね。今のは殺すつもりでやったのですが」
「……なんでこんなことをするんだ。危ないじゃないか」
「今ので駄目となると……身体に多少の負荷がありますが、仕方ありませんね……」
性格の悪そうなアスティラは俺の質問には答えなかった。
その代わりに彼女は片手をゆっくりと俺の方に翳し、その手の中に何か一瞬、光り輝くものが見えた。
それがなんなのか奇妙に思い、俺が目を凝らすと────
「【黒雷】」
瞬間、彼女の手から黒い雷が放たれた。
視界全てを覆うような巨大な雷が、瞬きする間もなく襲いかかってくる。
その雷を目にした俺は、直感した。
────まずい。これを喰らえば間違いなく、俺たちは死ぬ。
「パリイ」
身の危険を感じ、今度は雷が届くよりも疾く腕が動いた。
黒い剣は巨大な黒い稲妻を捉え、俺はそのまま強引にそれを押しのけようとした。
────だが、重い。
剣を握る両手に強烈な手応えを感じる。
両腕が悲鳴を上げるのを感じつつ剣を振り抜くと、雷は軌道を変えて、俺たちの背後に落ちた。
地面と空気が同時に震え、轟音が遅れてやってくる。
「────今のは、危なかった」
俺は背後に出来た巨大な穴を見つめ、背筋が寒くなるのを感じた。
……凄まじい威力だ。
こんなものをまともに喰らえば、きっと骨も残らない。
アスティラも俺の後ろで地面に座り込み、呆然としていた。
「……今の……もしかして、雷ですか……?」
「ああ、どうやらそうらしい」
「……雷って、剣で弾けるものなんですね……? 私、初めて知りましたよ」
「ああ、俺も今までそんなことやろうとも思わなかったし、出来るとも思わなかったが……案外、やってみれば出来るものだな?」
「……そ……そうですね……?」
だが、普通の剣では弾くどころか感電して痺れてしまうに違いない。
無事だったのは、この剣だったからだろう。
改めて、この黒い剣のありがたみを感じずにはいられない。
「でも、雷を剣で弾くなんて……普通、目で捉えることも難しいと聞きますよ?」
「俺もそう思っていたが……まあ実際、知り合いの槍の方が速かったからな。実は雷というものはそんなに速くないのかもしれない」
「し、知り合いの槍の方が速い……? そんな人が居るのですか……?」
「ああ、ギルバートは凄い奴だぞ。俺などはまだまだ全然かなわない」
「……わ、私の知らない間にとんでもないことになってるのですね、クレイス王国は……?」
俺たちが危機を乗り切り、少し安堵して会話している間、向こうのアスティラは自分の手のひらを眺めて、何かをつぶやいているようだった。
「……今のは、あまり威力が出ませんでしたね……やはり、この体はもう限界ということでしょうか」
先ほどよりも危険な気配を感じた俺は、性格の悪い方のアスティラに向かって剣を構えた。
「まだ、やるのか……?」
「そうですね。ここではあまり乱暴なことはしたくなかったのですが……ちょうどいい機会です。たまには自分の体を動かした方が良さそうですからね。新しい身体もようやく成人したことですし、お祝いということにしましょう。
馴染んだこの身体を捨てるのは少々早いと思っていましたが、これだけ劣化しているとあれば、仕方ありませんね」
「……捨てる?」
「ええ────この身体はこれまで二百年以上もの間、本当に役に立ってくれました。
私の体には遠く及びませんが、ハーフエルフというのも中々いいものでした。それに、まさかこの複製体で子供を作ることができるとは思いませんでしたよ……もっと早くに気がつけばよかったですね。
そうすれば、あなたを代替品として、こんなにも長くここに閉じ込めておく必要もなかったのですから」
「なんの話だ?」
先ほどから、目の前のアスティラがいったい何を言っているのかがわからない。
隣のアスティラも、彼女が何を言いたいのか、わからないようだった。
「……でも、安心してください。もう、必要ありませんから。あなたの役目はここで終わりです」
「いったい、何を言って────?」
「新しい身体はもうちゃんとあるということです。その次の補充も。だから、あなたもこれも、もういりませんので」
そう言いながら、白いローブを着ているアスティラの雰囲気が変わった。
身体中から、何か黒い靄のようなものが吹き出しているように見える。
「────ここからは私が直々に相手をして差し上げます」
突然、不気味な笑みを浮かべていた性格が悪い方のアスティラが力を失ったように地面に倒れた。
「なんだ? ……どうした?」
同時に俺は周囲の空気の動きに違和感を覚えた。
何が変わったのかはわからない。
でも、どこかで何かが動いている気配がする。
何かはわからないが、とても大きな何かが動いている。
だがここには俺たち三人と、あの不気味な骸骨ぐらいしか────
「────まさか」
思わず振り向くと、俺たちの背後の巨大な骸骨が動き、俺たちに手のひらを向けているのが見えた。
「……あの骸骨、動くのか……!?」
俺とアスティラが急に動き出した巨大な骸骨を驚きながら見上げていると、骸骨の手のひらの周りが星空の様に輝くのが見えた。
そして、その沢山の小さな輝きは、骨しかない手のひらの中心へと吸い込まれるように集まり、次第に一粒の砂のような大きさになり────
骸骨の手の中の綺麗な砂粒が、一瞬、激しく踊り、輝いた。
────そう思った、瞬間。
骸骨の手から、漆黒の雷が放たれた。
先ほどとは比べ物にならない程の、極大の雷。
まるで天災としか言いようのない、俺が今まで想像もしたこともないような脅威が俺たちを襲う。
「パリイ」
俺は夢中で黒い剣を振るった。
剣が雷に触れると、激しく黒い火花が散り、途端に両手に強烈な違和感を感じた。
────途轍もなく重い。重すぎる。
今までとは比べ物にならない。
ずしり、と異様な手応えを感じ、ただでさえ重い黒い剣が何倍にも膨れ上がったようにさえ感じた。
今まで俺が感じたことのない種類の、異常な圧力と衝撃が剣の持ち手に伝わる。
瞬時に、腕と指が引きちぎれそうなほどの悲鳴をあげた。
まるで剣一本で巨大な山でも叩いているかのようだ。
腕だけではない。
全身が悲鳴をあげている────だが、今はそんなことに構っていられない。
この巨大な雷を自分たちの近くに落とせば、絶対に俺たちの命はない。
俺は身体にとんでもない負荷を感じながら、強引に剣を振り抜き、巨大な雷を出来るだけ遠く吹き飛ばし────その巨大な黒い雷がどこか遠くへと落ちると、視界全てが漆黒の閃光に覆われた。
────遅れて、耳を引き裂くような雷鳴。
同時に凄まじい爆風が起こり、地面の激しい振動で身体全体が揺さぶられた。
かなり遠くに大穴が空いたようだが、とても眺めて確認する気にはなれない。
あたりには身体ごと吹き飛ばされそうな程の暴風が吹き荒れ、目を開けているのもやっとだった。
────たった一撃で、これか。
鳥肌がたった。
どうやら即死は免れたようだが、助かったという気が全然しない。
俺は必死に風に吹き飛ばされないように剣を地面に突き刺し、しがみついていたが、ふと気がつくと俺の周りの風が弱まって楽になったのを感じた。
「……大丈夫ですか? 今の、すごかったですね」
急に、身体に当たっていた叩きつけるような暴風がなくなった。
どうやら、アスティラが俺たちの周りだけ何かの力で守ってくれているらしかった。
「ああ、助かった。今のは本当に凄かったな……もう一発ぐらいならなんとかなりそうだが、流石にあれが連続で来られたらたまらない」
「……貴方も結構、大概ですね……?」
一瞬気が緩んだが、俺たちはすぐに会話を辞めた。
目の前であの巨大な骸骨がゆっくりと椅子から立ち上がったからだ。
ただ立ち上がるだけで、全く迫力が違う。
見上げるような大きさだ。
アスティラと俺は思わず息を呑んだ。
「あれは一体……なんなんだ」
俺はその骸骨が動くのを目にして、思わず口にしていた。
そしてその瞬間、ふと頭をよぎったことがあった。
────全身が骨で出来ている怪物。
その魔物についての話を俺は知っている。
いや、まだ出会ったことはないが、俺はそれに会いたいと思っていた。
でも、会いに行こうと探しに出ても会えなかった、
俺の冒険者としての宿敵となる筈だった魔物。
よく考えてみると、目の前にいるこいつは────その魔物によく似ている気がする。
思ったよりも大きいが、きっと魔物とは普通、そういうものなのだろう。
今まで出会った『ゴブリン』も、信じられないほど大きかった。
『ゴブリンエンペラー』などという魔物は、その数倍もあるというし。
────そうだ、多分、間違いないだろう。
ギルドのおじさんもそいつは今の俺にちょうどいいぐらいの対戦相手と言っていたし、大きさ以外のイメージは近い。
そう、こいつは────『スケルトン』だ。
まさか、こんなところで出会うとは。
「そうか……あの魔物、おそらく『スケルトン』だな? ……そうだろう? アスティラ」
俺は一応、小声で確認した。
彼女は冒険者としてパーティを組んでいたというし、経験豊富に違いないのでそれぐらいは知っている筈だ。
「……え……? ……あれが……スケルトン!? ……ぷっ。 あはは!」
だが、彼女は急に笑い出した。
それどころか、腹を抱えて笑っている。
俺は結構、真面目に聞いたつもりだったのだが……。
「いえ、ふふ……すみません、つい。こんな場面で、あまりに不意打ちだったので……」
そうして、彼女は少し息を整えた。
「……もしかして、違うのか?」
「いえ……そうです、その通りですよ、ノール。
あんなの、スケルトンです。
……まあ、魔法を使いますからさしずめ、『スケルトン・ウィザード』ってところでしょうか?
なんにしたって、恐るるに足りません……雑魚ですよ、雑魚! あんなのは!」
なんだか自分で言いだしておいて、ちょっと疑問が湧いてきた。
彼女はあれを雑魚と呼んだが、そういえばさっき、「倒そうとしたけれど、手も足も出なかった」と言っていたような気もする……それに若干、やけ気味に見えるのは気のせいだろうか?
「なので……私たち二人でちょちょいと、やっちゃいましょうか。私一人ではちょっと無理ですが、貴方がいるならきっと……大丈夫だと思います」
アスティラはそう言うと再び真面目な顔になり、静かに杖を構えた。
「そうだな」
俺も黒い剣を握り締めて目の前の骸骨に向けた。
彼女の反応がちょっと気になるところだが、そればかり構ってもいられない。
────再び、黒い雷が俺たちを襲う。
先ほどよりも更に大きい、凄まじい雷撃。
相手は先程の攻撃でさえ、まだ力を出し切っていないようだった。その事実に、少し怖れを感じる。
だが────
「パリイ」
俺は全ての力を振り絞り、剣の腹で雷を思い切り叩いた。
先ほどより、もっと遠くへ飛ぶように。
再び雷の落ちた場所から爆風が起き、危うく吹き飛ばされそうになったが、今度はアスティラが護ってくれている。
「……大丈夫ですか?」
「ああ、少し慣れてきた。あの程度ならもう何とかなりそうだな」
「……貴方……本当に凄いですね……?」
そうして俺たちが見つめる中、骸骨は『青い光』を全身に纏い始めた。
俺がさっきここまで来るのに叩き壊してきたのと同じ光だった。相手はまだまだ、攻撃を仕掛けてくるのだろう。
これまでと同じような攻撃であれば、なんとか耐えられるだろうとは思う。
だが、守ってばかりもいられないだろう。
……俺の持つ『黒い剣』は斬るのには向かない。
でも、あの骨は叩けばヒビが入るらしい。
それなら、強引ではあるが叩き砕いてしまえば倒せそうな気がする。
正直、できるかどうかはわからないが、やってみるしかない。
俺一人では、あれを倒す自信はない。
でも、彼女の言ったように、俺たち二人であれば。
────きっと、あれぐらいの骨の化物だったら倒せる。
そう思って俺は再び剣を構えた。
「行くぞ、アスティラ……スケルトン退治だ。危なくなったら助けてくれ」
「ええ、頼りにしてますよ、ノール」






