78 聖都
「どうだい、ここまでの話は。急いでたから随分と省略してしまったけれど」
「……大体の話はわかりましたが、すみませんがすぐには信じられません」
「まあ、そうだろうね……それが自然な反応だと思う」
ティレンス皇子は迷宮内の暗い通路を早足で歩きながら、隣で歩く私に様々なことを説明していった。
それは私にとって初めて耳にすることばかりだったが、どれも信じがたいことばかりだった。
────ミスラの大聖堂の地下、『嘆きの迷宮』は生きている。
つまり、未だに踏破されていない迷宮なのだという。
二百年以上前に、教皇アスティラによって迷宮が踏破され安全が確認された後に『神託』を受け、彼女はその地にそのまま国を建てたとされている。
彼の話だと、この『神聖ミスラ教国』はその嘘の上に建てられた国ということになる。
始まりからして嘘だったのだと。
……すぐには信じられない話だ。
「……それにはいつ気がついたのですか?」
「僕も実際は色々調べていくうちにだんだんと理解していったんだけど……何かがおかしいと思ったのは、五歳の頃かな」
「……五歳?」
「そう、僕がちょうど物心ついたような頃さ。
あることがきっかけで、何かがおかしいと感じはじめたんだ」
迷宮の暗闇の中を歩き続けながら、彼は話を続けた。
「ミスラ教のことは知っているよね。
お母様が救い主『聖ミスラ』から神託を得て作り上げた宗教、ということになっているんだけど、曰く『いつの日か救い主聖ミスラが復活する日が必ずやって来る。
我らはその地に集い都を築かねばならない。
その地に住まう民は聖ミスラ復活の時が来れば永遠の命を授かる。
彼らはその為に集められる』、と。
────そういう話がまず、僕らが信じる最初の教義になっている」
それはミスラ教の第一教義とされる教えだ。
聖ミスラの『復活の日』に行われる『救いと祝福』に備え、『聖都』に民を集めよ、と。
ミスラ教徒達はその教えに忠実に従い、建国以来ずっと、大陸の各地で『救いの手』と呼ばれる事業を行い『聖都』に人を集めつづけている。
貧しい国に派遣されたミスラの「宣教師」が孤児を拾い、建設した教会で教育を受けさせ、聖都のあるミスラ本国へと移住させたり、酷い扱いをされている奴隷を買い上げて、ミスラの市民権を与え教育し、仕事に就かせてたり────或いは戦争によって家を無くした人々を受け入れ、住居と仕事を与えるなど、主に居場所を無くした人々を積極的に受け入れる事業だ。
そんな事業を国として行なっている為、『ミスラ教国』と言えば普通は素晴らしい国だと考えられている。
言ってみれば、国家の精神の核となり、発展の中核ともなっているのが、その『教義』だと言われているのだが。
「その教義に嘘が含まれていると?」
「────いや、違う。全くの逆だよ」
「逆?」
「あれは全て、本当のことだと僕は考えている。
……『聖ミスラ』はこの国に確かに存在する。
そしておそらく、今も復活の時を待っている。
『その復活の時の為に全ての民は集められた』と言うのも、本当のことだと思う。
色々と調べていくほどに、あれは真実だと確信せざるを得なかったんだ」
「あれ、とは……どういうことですか?」
「……見たんだよ。僕は五歳の時に。
母様が、巨大な骸骨の怪物と対話しているのを。
あれは『聖像』に描かれている『聖ミスラ』そのものだった。
……ある日の夜、母様が僕を抱いてどこかに連れ出したんだ。
気がついたら僕らは知らない場所にいて……そこで、母様と巨大な骸骨が面と向かって、全く知らない言葉で話していたんだ。
翌朝、僕はいつものように自分のベッドで目が覚めたんだけど、そのことが忘れられなくてね。
そして、僕が見たことを母様に話をしたら、「夢だから全て忘れなさい」と。
────でも、あれは絶対に夢なんかじゃなかった。
忘れられないよ。夢なんかではあり得ない」
「……本当に夢ではなかったのですか……?」
「ああ。僕はその時少し『血』を取られて、その痛みもよく覚えているからね。
そこで何を話していたかはわからないけれど────僕を見ながら、何かを相談しているようだった。その場にいる間、僕は恐くて震えが止まらなかったのも覚えている。
その頃にはもう、『聖ミスラ』のことは絵本で知っていて、敬うべきものだと教育は受けていたのだけれど……実物を見た僕にはとても、あれが『聖なる存在』だとは思えなかったんだ」
「────何故ですか?」
「……あれは、どうやら人の『血』を好む。
母様がそれに僕の腕から採った血を差し出すと────大きな指につけ、口元へ持っていって美味そうに飲んだんだ。
……愉しむように、僕の顔を眺めながらね。
あれの顔には眼球はなかったけれど、獲物を見るような目で見られている気がした」
「それは、今まで誰かには……」
「……いや、言っていないよ。
母様に否定されて以来は、誰にもね。
幼心にも、それが危険なことだっていうのは、なんとなくわかっていたんじゃないかな。その後、母様に聞かれても忘れたと言い続けた。
それからはこの国の『教え』のことも母様のことも無邪気に信じ続けるふりをし続けたよ。そうじゃなきゃ多分、今まで生かしてもらえなかったと思うしね」
彼が静かに語ることは、私にとって想像もできないことばかりだった。
彼は物心ついた時から、身近な存在に敵がいることを感じ、生きてきたという。時に平然と周囲に嘘をつき続けながら、何も知らないように振舞っていたと。
────たった五歳の時から。十年間も。
「本当にそんなことができるものなのですか……?」
「できた、というより、やらざるを得なかった、かな。
本当に物心がついて、改めて周り全てが敵なんだと気が付いた時には絶望したよ……まあ、だんだん慣れはしたけどね」
「……何故、私にこんな話を……?
と言うより、何故私を巻き込もうなどと思ったんですか?」
「まさに、そんな時だったんだよ。君に出会ったのは。
……自慢じゃないけど僕はその頃、本当に疑り深い性格になっててね。
簡単に人を信じたりするような奴じゃなかったんだ。
……まあ今でもそうだけどね、当時はとびっきりさ。
何も信じられるものはないし、それが当然だと思っていた。
でも、どういうわけか、君を一目見た時から信用できると思ったんだ。
理屈ではちょっと説明しづらいんだけどね。
そして、少し接してみて、やっぱり君は僕が出会った他の人間とは違うと思った。
────おまけに、とんでもなく優秀と来たもんだ。
本当にびっくりしたよ。
国内じゃあ、学問でも剣技でも、誰にも負けたことがなかった僕がほぼ全部負けたからね?
それで、きっと君ならなんとかしてくれると思ったんだ」
「それは……あまりに抽象的すぎて、なんとも言えません。
それに買いかぶりすぎです。私一人ができることなど、限られています」
「でも、それが本当のところさ。他にいいようがない。
……とはいえ、今話したのは全部、一方的な僕の願望さ。
僕は君の助けを必要としているけれど、君にとっては関わる義理も、益もない話だと思う。
第一、いきなりこっちの事情に巻き込んでおいて協力しろだなんて、はっきりいって無茶苦茶だしね。
もちろん、ここまで聞いて、無理そうなら情報だけ持ち帰ってもらっても構わない。……この先は危険なだけだからね」
「いえ、危ない橋は元からですし……もともと、私たちがここを訪れたのは、ロロと王国への干渉を止めてもらうためです。
そのために有利な状況に導ける情報を得るためにミスラへ来たので、貴方の話はメリットがないわけでもないのですが……逆に今、情報が多すぎて少し困惑しているところです」
「……まあ、そうだろうね。
唐突にこんなことを言い出して、困惑させて申し訳ないと思っている。
でも、本当にこんな風に話すしかなかったんだ。
僕がこうして君に会えるのも、この件で動けるのも、おそらく今日が最後だったから────」
「……どういうことですか?」
彼は私の質問に答える代わりにこんなことを言った。
「────ねえ、君はこの国をどう思った?」
私には彼が唐突に話題を変えたようにしか思えなかったが、彼はそのまま続けた。
「このミスラ教国は本当に美しい国だ。
生まれた時からずっと住んでいる僕でさえ、そう思う。
街の建物も広場も教会も全てが素晴らしく調和していて、道には塵一つ落ちていない。どこを取っても、驚くぐらいに綺麗なんだよ」
それは私も思っていることだった。
私は無言でうなずいた。
「もちろん、このミスラ教国は、いろんな嘘の上に成り立っていて、間違った前提で動いている。
調べれば調べるほど……あの『教え』は、邪悪な意図で作られているとしか思えない。ここは実際、母様が救い主と崇めるあの『聖ミスラ』が目的を持って作った偽りの都なんだ。
……でも、ここに住んでいる人たちは基本的に善良なんだよ。
彼らは疑うことも知らず、教えを信じ込まされているだけさ。
君も知っての通り、ミスラという国は今まで公にできないこともたくさんしてきている。
魔族に対してなんかの扱いも、そうだ。
でもこの地を、この国を愛しているだけの人々には何の罪もない筈なんだ。
……もちろん、それが都合のいい解釈だってことはわかってる。
でも、そうじゃなきゃ、この国の人間は────誰も、救われないんだよ」
「────すみません。
あなたの言う『教え』の意図というのが私にはまだわからないのですが……というより、正直、それ以外の部分でもあまり話について行けていません」
「……すまない、一度に話し過ぎたね。
あれは、とても長期間の意図を持って設計されている。
その時が来るのは────今すぐにじゃあ、ないかもしれない。
でも……このまま行けばおそらくこの国は将来、大変なことになる。
僕はそれを、どんな手を使ってでも止めなければいけないと思っている」
「……それが、さっき貴方が言っていたことにつながるのですか?」
彼の部屋に私が押し入った時、彼は言った。
彼はこれから、彼の母親を────教皇アスティラを殺すつもりなのだと。
それが一体どういうことなのか、私はやはり飲み込めないでいた。
「ああ。今の所、彼女が僕の最大の『敵』さ。……残念ながら、ね」
「正直、まだわかりません……自分の母親を敵として……と言うのは」
「そうだね。出来れば、君には全て分かってもらいたいと思う。
……でも、今はあまりに時間がない。
ここで満足に君に全てを説明できないと思っている。
それなのに、こんなことを信じてくれだなんて無理な話だとはわかっているつもりだ。
でも────この国を救ってくれそうなのは、本当に君だけだったんだよ。
僕には頼れる人が、他に誰もいなかったんだ」
突然、彼は歩みを止めて地面に両膝をついた。
そうして、両手を床につき────額が地面につきそうなほどに頭を下げて言った。
「────頼む。力を貸してくれ、リーン。
僕の言葉を全て信じてくれとは、とても言えない。
でも、僕は、僕の国を……僕の周りの人を救いたいんだ。
それだけは、信じてくれないか」
私はやはり、まだ彼の口から全てを聞いてはいないと感じている。
それに、彼のことを信じるに足る人物だと確信ができたわけでもない。
それでも────
出会ってから初めて、彼の口から真実味の感じられる声を聞いた気がした。
「…………最初から、そう言えばいいんですよ。
わかりました。私も可能な限り協力はします」
私がそう返事を返すと彼は顔を上げ、意外そうな顔をした。
「え……? ……まさか、信じてくれるのかい?」
「いえ、私自身はまだ貴方のことを信用できると思っているわけではありません……でも、ロロが先ほど、貴方のことを「敵ではないかもしれない」、と」
「そうか……あの子は確か、人の心を読めるんだったね。念入りに心に壁は作ってたつもりだったんだけど……どうやらボロが出たらしい」
「はい。ですから、ロロに感謝してください。私は彼の言葉を信じますので」
「そうだね。僕は彼に感謝しなきゃならない。もちろん君にもね」
「……いいえ、そんな風に感謝される謂れはありませんよ、皇子。
一応、私としても今あなたが口にした目的は正当と考えますし、あくまで隣国を束ねる一族の末席として、手助けをすることは国益に適いそうだ、というだけの話です。これは友人に情をかけるのとは違いますし、単に利害が一致したというだけの話ですので……礼を言われるには全く及びません」
私はあくまで彼に心を許していないことを強調したつもりだったが、ティレンス皇子は吹き出すようにして笑った。
「ぷっ……あはは、さすがはリーンだ!
本当に、そういうところだよ。僕が信頼してるのは。
……ますます惚れてしまうね」
「……その冗談、いつまで続けるつもりです? 流石に呆れてしまいますよ」
「はは、いやいや、今のは本心だよ。
────どうだい? やっぱり僕と結婚しない?
次こそは本気で求婚するからさ」
「……私が信じていないのはそういうところですよ、本当に」
私たちが向かう闇の中から、複数の巨大な影が近づいてくるのを感じた。
それは明かりを照らして確認するまでもなく、魔物の影だった。
「…………どうやら、本当に時間がないらしい。
君にはもう少し状況の説明をしたかったけど、彼らが許してくれなさそうだ」
「迷宮がまだ生きているというのは、本当だったのですね」
「……少しは信じる気にはなってくれたかい?」
「ええ、多少は」
私たちの進行方向には、広大な迷宮の通路を覆わんばかりの魔物の群れが湧いていた。
目的の場所はこのずっと奥だという。
ということは────
「────突っ切るしか、ないですね。
ここから少し進行のペースを早めたいと思いますが、ついてこれますか?」
「ふふ、これでも君が留学してくるまでは神童で通ってたんだよ?
君と比べたら、頼りないかもしれないけどさ」
「……では、このまま押し通ります。
私が先に切り込みますができる限りの補助をお願いします」
私が魔物の群れに向かって剣を構えると、私の背中に向かって低く声が掛けられた。
「────リンネブルグ王女。
君達をこちらの事情に巻き込んでしまって本当にすまないと思っている」
「……謝罪の言葉は終わった後で聞きます、ティレンス皇子。
急ぎましょう。話の続きは走りながらで」
そう言って暗闇の中で魔物の群れと対峙した瞬間、足元から無数の魔物が湧き上がった。
私は不意の魔物の出現に、即座に構えた剣で対応しようとしたが、それよりも前に暗闇の中で細い何かが閃いたかと思うと魔物たちの首が次々と地に落ちた。
「今のは……?」
見れば、私の背後に立つ皇子の指先から、無数の銀色に輝く糸がふわりと宙に漂っていた。
「聖銀の鋼糸さ。
……僕らしい武器だろう?
まあ、これは人前では使わないようにしてたんだけどね」
「……そんなもの、私に見せても良かったのですか?」
「もちろん。君には僕とこの国の運命を預ける気でいるからね」
「……そんなものを勝手に預けられても困ります」
そうしていつものような軽口を叩きながら微笑む彼に、背後から飛びかかろうとする無数の魔物の姿が見えた。
私は即座に宙に舞う銀色の糸を掻い潜りながら、彼に飛びかかる魔物の群れを目につく端から叩き斬る。
「お見事。さすがだね、リーン」
「────喋ってる余裕があるのなら手伝ってください、ティレンス」
そうして私たち二人は闇の中に立ちはだかる魔物の群れを切り裂きながら、さらに魔物の湧き続ける迷宮の奥へと全力で駆け抜けて行った。






