77 迷宮の奥へ
私とロロは暗闇の奥へ奥へと急いでいた。
私たちが駆けているのはミスラ教国地下に位置する、『嘆きの迷宮』。
────その奥に、何かがあるはずだ、と。
レイン王子から指示された通り、私たちは迷宮内部の目標に向かって、まっすぐに進んでいる。
「大丈夫か、ロロ」
「うん、大丈夫。これぐらいなら」
私は魔力付与された聖銀の具足を身につけている為に、よく訓練された兵士と比べても数倍以上の速さで動くことができる。
それにも関わらず、この子は全力に近い私の機動にもついてきている。
二人きりの行動とあって不安な部分もあったが、彼は私が思っていたより、ずっと強く成長しているようだった。
というより────恐ろしいほどに成長が早い。
私の幼少の訓練の日々は一体なんだったのかと思わされる程に。
私は幼少のリンネブルグ様に仕え、この世には本物の『天才』がいるということを理解しているつもりだ。
そうそう、それに匹敵する人物など出てくるわけがないと思っていたのだが……彼もまた一種の『天才』なのだろうと思う。
戦闘能力という点ではそれほど目立った点はないが、それ以外の全てが信じられない程に優れている。
かなりの速度で黙々と私の後に付いて走る彼は、もう以前からは想像もできない程に身のこなしが洗練されていた。
────あの弱々しい姿でクレイス王国に保護されてから、たった数ヶ月しか経っていないというのに。天性の才能であるとしか言いようがなかった。
「こちらで方向は合っているか?」
「うん、こっちで間違いないよ。このまま進んで」
ロロは今、魔聖オーケンが自ら製作した魔道具『羅針盤』を手にしている。
使用者が自らと同質の魔力波長を感じとることができるようになるという特殊な魔道具。
私たちはそれを使うことで、暗闇の中で進路を決めている。
ロロは走りながらその魔道具を見つめ、目の前に迫る壁の向こうを指差した。
「この奥」
「【神剣】」
私はロロの指示に従い、即座に壁を『光の剣』で破壊する。
障壁となる全ての壁や床を破壊することで私たちはまっすぐに迷宮の奥へと潜っていく。アダマンタイトに次ぐ古竜の牙に近い強度を持つとされる迷宮の壁は、容易には切り崩せないとされるが、私とあの『黒い剣』であれば別だ。
だから、この作戦の立案者であるレイン王子から私たちに下されたのは、とても単純な命令だった。
────障壁となる全てを破壊し、押し通れと。
「ここまで、レイン様の予想通りとは」
私は走りながら、内心これまでの一連の出来事に感心していた。
疑っていたわけでは無いが、やはり驚きを隠せない。
出発を前にした私たちに、王子は語った。
────私たちはおそらく、四人だけでミスラ教国と対峙することになる、と。
『どういうわけか、教皇アスティラはリーンとロロの両方を大変に欲しがっている。おそらく、皇子のリーンへの『求婚』は口実に過ぎないのだろう。本当の目的は別にある筈だ』
王子は続けた。
『あの国には、かなり大きな後ろ暗い秘密がある。
公には決して知らされないことだが、今回はそれが鍵になる。
────『悪魔の心臓』の製造法。
その証拠を見つけ出し、白日の下に晒すことが我々の勝利条件の一つだ。あらかじめ、【隠聖】カルーの指揮下の部隊の調査でめぼしい場所は探し尽くしている。
残るは教皇と皇子の居室、そして地下の『迷宮』だ。
おそらく全ての主要な秘密は地下にある。
────何としてもそれを探し出せ。
それが今後、我が国が『魔族』と共に生き残る絶対条件となる』
ロロとリンネブルグ様、私の三人に向かって、王子はまずそのように説明した。
単純な戦闘能力、軍事力ではおそらくこちらが上。
だが我が国は資源的な面でも、経済的な面でも脆弱だ。
仮に政治的にあらゆる手を尽くしても、多数の国に深いコネクションを持っているミスラ教国と小国のクレイス王国では長期的には確実に押し負ける。
────既に、ミスラ教国とクレイス王国の戦争は始まっている。
口火は切られ、水面下では大陸中で今後の優位を獲得する為の熾烈な争いが起こっている。
この状況では相手に時間を与えれば与えるほどに不利になる。
にも関わらず、我々は既に相手には十分過ぎる程の時間を与えてしまっている。
『だから相手は既に、我が国に『勝てる』と思っている。
いずれ必ず、本性を現し、牙を剝く────』
それが、目的のものを手中にしたと思った時、すなわち、ティレンス皇子の成人式の最中になるだろうとレイン王子は推測した。
『────おそらく、教皇との謁見が最後の交渉の場となるはずだ。
相手はそこで当然のように無茶な要求をふっかけてくるだろう。
それを呑む必要はない。
だが、そこで決裂すればこの戦局は次の局面に移る』
────周辺国を巻き込んでの、全面戦争。
我々はそうなる前に勝負に出る必要がある、と。
王子はそう強調した。
「────ロロが鍵、か」
『我々はこの時点では、魔族を受け入れた国として、民衆の誰にでも分かる、正当性を持って訴えることが出来る材料を得る必要がある。
人心に判りやすく訴える揺るぎない正当性を手に入れ、すぐにでも味方を増やす必要がある。
その為に我々が出来ることはまず、魔族が、自身の存在の正当性を示すこと。
それが賭けでしかないとしても、他にこれ以上に有効な手立ては今の所ない。
我が国は他でもない『魔族』を焦点として、非難の輪を形成されようとしているのだから』
と、王子は締めくくった。
「あの男は、まさか────ここまで計算してのことだったのだろうか」
正直、普段のあの男を考えると、私にはとてもそうは思えない。
あまり計算高い性格には見えないからだ。
だが、そもそもこの事態はあの男が発端なのだ。
あの男は魔導皇国の侵攻を退けた後、王から救国の英雄として与えられる筈の莫大な褒賞を全て断り、魔族をクレイス王国に受け容れることだけを望んだという。
それを王は承諾し、反対意見はあったが結局、王子や王女、私を含めた臣下全員が受け入れた。
皆が合意の上でのことだったが、あれは国の命運を左右する選択だったのだ。
────結局、あの男の要求から全てが始まっている。
まさか、今回もあの男が最初に行動を起こすとは思いもしなかったが……。
あの男は、私たち三人がレイン王子から説明を受けている間、脇で【魔聖】オーケンと雑談していて全く興味を示していなかったように見えたが、話を聴きながらそれなりに腹案を考えていたということだろうか。
……思えば、ミスラに来てからのあの男の行動は少し不自然な点ばかりだった。
馬車の中でリンネブルグ様が話を聞かれていると忠告した直後、教皇を『老婆』と罵り、その後も招かれた部屋の前の廊下に飾られた『聖ミスラ像』の前に立ち、わざわざ「不気味な骸骨」と評した。
それで、我々についている筈の監視役が動かない訳が無い。
結果、『十二使聖』に引き連れられ、荒事処理の場とされている『嘆きの迷宮』の入り口周辺に連行された。
今思えば、あれは完全に挑発だったようにも思える。
結果から見てみると、おかげで敵の戦力は分断され、この混乱が引き起こされたことに違いはない。
────やはり、一見何も考えていないように見えて、案外あの男は策士なのかもしれない。
「本当に何を考えているのだろう、あの男は」
口をついてそんな言葉が出るが、責める気持ちはない。
おそらく、あの男は私たちと同じく、迷宮を破壊しながら奥へ奥へと突き進んでいるのだろう。道中、あの男が通った跡らしき大穴を見かけ、それは地下深くへとまっすぐに繋がっていた。
ミスラ教国の追っ手はすでに放たれていると思っていい。
でも、彼らはきっと、あそこでどちらを追えばいいか更に混乱することだろう。
────味方の裏すらかいた、単身での大規模な陽動。
即興でここまで大胆な行動に出るなど、誰が予想できるだろう。
これが全て計算のうちであるかどうかはともかく、今、あの男が作ったこの好機を逃すわけにはいかない。
『決して、敵を増やすな。
これは戦争だが、それ以前に政治的な駆け引きでもある。
戦わず迅速に目標のものを手に入れ、白日の下に晒せ。
我々が挑む真の敵は限られた時間だ────絶対に相手を見誤るなよ』
王子はそう、私たちに厳命した。
命令に従い、追っ手と接触することを極力避ける為、私たちは暗闇の中を風を切って全力で突き進む。
「────この奥」
私はロロの導く方向に現れる分厚い魔鉄製の扉を、開くことなく『光の剣』で叩き斬っていく。
────問答無用の強硬手段。
結局、私に出来るのはこれぐらいだ。
多少強引に過ぎるかもしれない。
だが今は扉を押す時間も惜しい。
そうして立ち止まらずに突き進んでいくと、私たちの前に一層巨大な金属製の扉が現れたのが見えた。
それは扉というより、洞窟のように見える迷宮に金属の塊で蓋をしている、といった風情だった。
どこか何かを厳重に封じてあるような、物々しい雰囲気が感じられた。
その扉の前で、ロロの雰囲気に少し緊張が混じったのを感じた。
「……ここだよ。ここの奥に、何かある」
「【神剣】」
ロロの言葉に私は迷いなくその巨大な金属製の扉を壊し、二人で入れる程度の穴を開けた。
そして私たちは扉の中に入ると辺りを慎重に見回した。
確かに、この部屋らしき場所には何かが置かれている。
でも、暗くて何があるかはよく見えない。
「……灯りをつけるか。
心の準備はできているか────?」
「……うん」
私が鎧の裏側に仕込んである携帯物入れから『小型魔法照明』を取り出し辺りを照らすと、そこには血のように紅い眩いばかりの宝石が現れた。
それは────確かに、私たちが期待していた通りのものだった。
でも────これは。
「……本当に、ここで間違いないのか」
「うん……そうだよ」
言葉を失う私に念を押すように、また、自身にも言い聞かせるように、ロロは辺りと手元の魔道具を見比べながら、ゆっくりと口を開いた。
「間違いない。これの全部が僕と同じ魔力の波長を持っている」
ロロの言葉に、背筋が寒くなる思いがした。
私たちがたどり着いたこの空間には超高純度の魔石として知られる『悪魔の心臓』が敷き詰められ、所々山になっていた。
私たちが目指す場所に、これがあることは予め知らされていた。
それは確かに、私たちが期待していた通りのものだった。
でも、これは……いくらなんでも、多すぎる。
私たちの目の前にあるのは、見上げるように高く積まれた赤い宝石の山。
それが示すことは、つまり、この全てが────。
「では、これが」
「うん」
ロロは静かに、紅く輝く宝石の山を見上げるようにして言った。
「これが僕の、ご先祖さまなんだと思う」
私はしばらく、言葉を失った。
────これは、わかっていたことだ。
魔族は体に魔力を通すと、血が固まり特殊な鉱物に変化する。
それは過去は一部の者の間では知られたことだったが、ミスラ教国によって長い間隠蔽され続け、協力者には莫大な褒賞を与え続けた結果、誰も知る者がいなくなった。
クレイス王国には、【魔聖】オーケンが昔の知人から聞いたという情報が伝えられ、王を始めとした数人の要人はその事実を知っている。
それをここにくる前に、あらかじめレイン王子から知らされていた。
だから心の準備はしてきたつもりだ。
だというのに────私はその場から一歩も動けなくなった。
「これが、魔族の成れの果て」
ロロは紅い色の宝石の中に膝をつき、涙をこぼしていた。
その周囲には山のように積まれた衣服と、人の骨が残されている。
魔族は捕らえられミスラに送られた後、その消息は行方不明になり、誰にも後は追えなかった。
それはつまり────。
「……ロロ」
私は気休めにもならないと知りつつ、慰めの言葉を探そうとしたが、その時、ふと違和感を感じて辺りを見回した。
そして闇の奥を眺め────更に絶望に近い感情を覚えた。
なぜなら────
「……そんな」
その奥に広がっていたのは、壁のようにそびえ立つ、入り口で目にしたものよりさらに大きな、紅い宝石の山。
確実に数百では効かない。
数千の命の成れの果て────
悲惨な運命を示す宝石の山が、途切れることなく暗闇の奥へと続いていた。
────幾ら何でも、多過ぎる。
あの数。あの量。
二百年以上前、十数年に及んだ過去の戦争の分、全てを合わせても足りるかどうか。
なぜ。
なぜ、これがここに、こんなに大量に保管されているのだ。
「う」
私は思わず吐き気を覚え、ぐらついた。
この国の暗部の歴史を、持ち帰り、交渉の道具に使う。
それが王子から私たちに課された使命。
その闇を明らかにすることはロロにとっても大きな苦痛を伴う。
それは知っていたはずだった。
でも、辛いが、これも彼が生きていくためには必要なことであると。
私もロロも覚悟をして臨んだつもりだった。
────でも。
私にはあまりにも想像力がなさすぎた。
「これは、あまりにも────」
これはあまりにも────この子にとって、重すぎる。
魔族は多数の国から、迫害されていた。
だが、それだけではない。
彼らは目的を持って捕らえられていたのだ。
莫大な富をもたらす交易品の原料として。
「……なんだ……?」
私は暗澹とした気分になりながらも、ふと闇の中で何かが動く気配を感じ、目を凝らした。
そしてその影の正体に気が付いた時、私は再び愕然とした。
「なんだ、これは────いったい、何が起こっている」
私は再び自身の目を疑いたくなった。
それは魔物の群だった。
それも相当に強力な部類の魔物の群れが暗闇の奥から湧き出るように私たちの元へと歩いてくるのが見えた。
だが、ここに魔物が湧く────?
いや、そんな筈はない。
「なんなのだ、これは────そんな筈は、ないだろう」
突然暗闇の奥から現れた無数の魔物を前にしながら、私は自身の内から沸き起こる戸惑いを隠せなかった。
『迷宮』は通常、核が破壊されることで魔物はいなくなる。
それがギルドの専門職員により確認されることで『踏破』となる。
この『嘆きの迷宮』は過去、教皇アスティラがたった一人で踏破し、その資源を元にミスラ神聖教国は興されたとされている。
それがおおよそ二百五十年前のことだったはず。
ならば、この迷宮はとっくに死んでいて、もう魔物が湧くことはないということ。
だが────目の前には『還らずの迷宮』深層で見られるような、異形の怪物の数種が蠢いている。
つまり、ということは、すなわち────
「この迷宮はまだ踏破されていない」
────この迷宮はまだ生きている。
動揺を憶える私は、赤い宝石の上にうずくまるロロを護りながら、既に数十の魔物の群れに囲まれていた。
「いったい、どうなっているのだ、この国は」
暗い感情に呑まれそうになる私の目の前に広がる闇の奥からは、ひたすらに魔物が湧き続けていた。






