69 舞踏会の朝
目覚めると、窓の外に青い早朝の光を受けて淡く白むミスラの街が見えた。
日の出前、夜が明け街が目覚めようとする瞬間────俺はどこでも変わらず、この時間が好きだ。
これから一日が始まる、という感じがする。
遠目に人がちらほら建物の中から出てきているのが見える。
昨晩俺は日課の黒い剣の素振りなどの訓練も最小限にとどめ、早めに休んだ。
俺の泊まった部屋には贅沢なことに、湯を自由に出して使える部屋がついていて、体を動かした後によく洗ってスッキリすることが出来た。部屋の中には大きな器に盛られた果物が置いてあり、自由に食べても良いと言われていたので、幾つか貰って食べて喉を潤した後、窓の外を眺めながら気持ちよくベッドに入った。
────おかげで、今の体調は万全だ。
「よし、着替えるか」
俺は早速リーン達に用意してもらった服に着替えると、廊下に出た。
少し早い気がするが、もう明るくなったことだし、夜に出歩けなかった分、あたりを見て回りたかったのだ。
リーン達はまだ寝ているだろうから、起こさないように静かに廊下に出ると、彼女達が泊まった部屋の扉の前を、イネスが護るように立っていた。
「ノール殿か。早いな」
「ああ、イネスも早いな。もう起きていたのか。
……リーン達はまだ中で寝ているのか?」
「リンネブルグ様は今、中でお召替えの最中だ。
ロロと一緒に衣装の最終チェックを行なっている」
「そうか。皆、意外と早く起きたんだな」
「昨晩は早めにお休みになられたからな──その格好、ノール殿はもう準備を済ませているのか?」
「ああ、なるべく早めに着替えておいたほうがいいと思ってな。
イネスは昨日のままの格好だが、これから着替えるのか?」
扉の前に立つイネスは、いつもの銀色の鎧とスカートの姿のままだった。
「いや、私はこのままだ。これが私の護衛としての正装も兼ねるからな。
ノール殿は流石に、普段の格好だと場にそぐわないのでこちらで用意させてもらったが」
「ああ、用意してもらってとても助かった。
自分ではどんなものを着て良いのかわからないからな」
用意してもらった黒い服は、最初、窮屈そうに見えたが着てみるととても肌触りがよく、すぐに慣れた。
俺の身体にぴったりのサイズだが、腕をぐるぐると回してもよく動き、全く邪魔にならない。
生地もサラサラとして、とても薄いのに不思議と丈夫そうな感じがする。
「この服は、サイズを測ってわざわざ特別に作ってもらったものなのだったな?
……すごいな、これは。
こういう服は初めて着たが、とても着心地がいい」
「一応、王都の最高の職人が作った非常に良い品だ。
聖銀の銀糸が織り込んであって、かなり丈夫な筈だが、あまり乱暴な扱いをするとすぐ切れる。扱いには気をつけてくれ」
「ああ、そうだな。気をつけよう」
「ところで、まだ普通起きるには早い時間だが、ノール殿はこれから何を?」
「折角だから、この建物や廊下に飾ってある絵や彫刻を見ておきたいと思ってな。
王国に戻ってからだと、見られないだろう?」
「そうか。しかし、あまり遠くには行かない方がいい。
迷ってしまったらよくないからな」
「ああ、そんなに遠くに行かないようにしておこうと思っているから、大丈夫だ。
美術品の類など、あまり詳しく見たところでわからないし、少し見られれば満足だからな」
「……そうだな。
案内の人間が来る少し前までには、戻ってきた方がいい。
肝心の舞踏会に同行出来ないとなったら元も子もないからな」
「そういえば舞踏会というと……よくわからないが、皆が踊ったりする場なのだよな?
……もしかして、俺たちも踊ったりするのか?」
「いや……踊るのは貴賓だけだ。
私たちは護衛として、リンネブルグ様とロロに危険がないように見張っているのが仕事だ。
特別に望まれでもしない限り、我々が踊ることはないだろう」
「そうか、それを聞いて安心した。俺は誰かと踊った経験なんてないからな……急に踊れなんて言われても困る。 ……イネスはそういうのは出来るのか?」
「いや……私もだ。仕事とあれば覚えるしかないが、その手の芸事は基本的に苦手だ」
「そうなのか? 意外だな」
馬車も操れるし、何だか多芸で何でも出来るすごい人のような気がしていたが。
「意外か……基本的に私は一人で何事も処理するからな。人と合わせる事自体があまり得意でない」
「確かにイネスにはあの光る盾みたいな便利なスキルもあるしな。一人で何でも出来そうだな」
「……なんでもではないさ。苦手な事の方が多い」
「……ノール先生、そこにいらっしゃるのですか?」
俺とイネスが朝の何気ない会話をしていると、部屋の中から声がした。
「ああ、いるぞ」
「イネス、よいでしょうか、開けてもらっても」
「はい」
イネスが扉を開けると、中からリーンが姿を現した。
彼女はいつもとは違う、真っ白なドレスに身を包んでいた。
いや、白という言葉では少し足りないかもしれない。
まるで輝くような純白で、彼女が部屋から出てきただけでまだ薄暗かった廊下が一気に明るくなった気がする。
「先生はもう、準備がお済みなようですね。よくお似合いです」
「ああ。リーンはそれで行くのか?
なんだか、とても真っ白な服だな。ちょっと眩しいぐらいだ」
「────はい。
これは殆どが聖銀の糸で織られていますから、角度によって銀か白に見えるはずです。
この素材だとどうしても見た目が少し派手になるので、なるべく避けたかったのですが……兄が、どうしてもこれで行けと。
────変ではないでしょうか?」
「ああ。似合っていると思うぞ。
なんと言えば良いのかわからないが……まるでどこかの国のお姫様みたいに見える」
「……そう、でしょうか?
あまり自信はなかったのですが、先生にそう言っていただけると新調した甲斐がありますね」
リーンはそう言って、急にはしゃいだような明るい笑顔を見せた。
……良かった。どうやら、昨日よりは元気が出たようだ。
「そうそう────ロロも、見違えましたよ!」
リーンは勢いよく部屋の奥に入り、またすぐに出てきた。
その手は奥にいた人物の手を握っていて、その人物は無理矢理引っ張り出されるように廊下に出てきた。
そのリーンと同じぐらいの背格好の人物は、俺と同じような男性用の衣装を着ていて、年齢はリーンより少し下ぐらいに見えた。
それは────
それは────俺の知らない少年だった。
見知らぬ、少年がそこにいた。
「────誰だ?」
「いや、ボクだよ。ノール」
その少年は戸惑った様子で俺の顔を見た。
「そうです、ロロですよ、先生…………分かりませんか?」
確かに、髪は白っぽいし、眼も紅い。
それは確かにロロの特徴だ。
でも、彼は俺の知っているロロと明らかに違う。
「本当にロロか? 随分と印象が違うが……?」
「ふふ、そうでしょう? 結構、髪型など私が好き放題いじってしまいましたが────うん、いいですね。
これなら貴族の社交界でも、モテそうです」
リーンは自慢気に、そのロロらしきもの────いや、かつてはロロだったらしい少年を眺めていた。
俺もまじまじとその少年を眺めてみたが……やはり、どうしてもロロだとは思えない。
「いや、本当に誰かわからなかったぞ?
────服装と髪型で随分、変わるものだな」
まだ、半信半疑だが……一応、ロロということにして話しかけた。
……そうだな、確かにロロと思えばそう思えなくもないだろう。
面影はある。
でも本当に、最初は誰かわからなかった。
俺の知っているロロはもっと、こう────陰気な感じで自信がなく、少しおどおどしていて、なんだかとても弱々しい感じの非常に暗い少年だったのだが────今は、なんだか意志の強そうな、立派な少年に見える。
「何だか、だいぶ、強そうな感じになったな? 見違えたぞ」
「そうかな?」
「ああ、昨日会った緑色の髪の少年より、ずっといい感じだ」
ここ数ヶ月、鍛えていたと言っていたから、そのせいだろうか?
体格も前よりしっかりして、見栄えがいい気がする。
それに、昨日までは前髪が顔の前にかかっていて表情がよくわからなかったのに、今は髪がきっちりと整えられていて、おでこと眉毛がきっちり見える。
強いて言えば、その違いなのだろうが……それだけで随分と人が違ったように見える。
それだけでこんなに違って見えるだろうか?
────いや、違う。
俺はようやく、決定的に違う部分があることに気が付いた。
────眼だ。
そうか、眼つきが違うのか。
前はとてもおどおどした感じの定まらない目線だったのに、今はどこか達観したような自信に溢れた目をしている。前よりも、格段に『眼』が力強い感じになっている気がする。
きっと、印象の違いの原因はそこにあるのだろう。
昨日までは髪で隠れていて、それがよく分からなかった。
「────本当に見違えたな、ロロ」
それにしても、数ヶ月前とは随分な変わりようだ。
まあ、この少年は元々、凄い才能の持ち主だったのに、自分に対する評価が低すぎて暗い感じだっただけなのだし、何があったのかは知らないが……今はどういうわけか彼に自信がついて、中身に適った見た目になったにすぎないのだろう。
────そう、つまり、この目の前にいる少年はやっぱり、ロロなのだ。
まだ違和感はあるが、認めるしかない。
この子はロロだ。
そう思って彼の顔をみていると、だんだんと……ロロらしく見えてくる気がした。
……よし、この調子だ。
あともう少し頑張れば、俺はきっと彼のことをロロとして受け入れられそうだと感じた。
「ところで、先生はこんな朝早くから何かされているんですか?」
俺が一生懸命新しいロロの印象を受け入れようとしていたところ、リーンが話しかけてきた。
「……ん? ああ、俺のことか。
昨日も少し話したが、ここにあるものをちゃんと見ておきたいと思ってな。
夜見て回るのはダメだと聞いたが、朝になったらいいのだろう?
王国にない珍しいものがあるかもしれないし、話のタネぐらいにはなるだろう」
「それなら、お邪魔でなければ私もお供しましょうか?
私も美術や工芸にはあまり詳しいわけではありませんが、簡単な解説ならできるかもしれませんし」
「ああ、それはありがたいな。是非頼む」
「はい! 折角ですから、イネスとロロも一緒にいかがでしょうか」
「うん、わかった」
「畏まりました」
そうして、俺たちは一緒に聖堂の中を少し見て歩くことになった。
リーンは廊下に飾られていた様々な美術品の一つ一つを、事細かに由来や歴史などを交えて解説してくれた。やはり、ものすごい知識量だった。ただ、楽しそうに解説してくれている彼女には本当に悪かったが、あまりに説明が細かすぎて、ほとんど俺の頭には入ってこなかった。
とにかく────どれも、ものすごいものらしい、ということだけはわかった。
そうして、リーンから様々な解説を受ける中で、俺は昨日ここへ来る途中の廊下に大きな絵画が飾ってあったのを思い出し、皆でその絵を見に行くことになった。
「────あった。これだな。やはり大きいな」
かなり豪華な装飾のなされた巨大な額縁の中に、重厚な金色の椅子に腰掛け、煌びやかな宝石がたくさん埋め込まれたローブを纏った人骨にしか見えないものが描かれていた。
正直、不気味な絵だったし、何故ここにこんなものが飾られているのか、それが知りたかったのだ。
「リーン、この大きな絵なんだが……なんでこんな場所に、気味の悪いガイコツの絵が飾られてるんだ……? 俺にはこの絵が、どう見ても魔物にしか見えないんだが」
俺はここに来るまで色々なものを見た時と同じように、思ったことをそのまま口にした。
だが────俺の問いかけにリーンとイネスの顔が一瞬、曇った気がした。
……今、何かまずいことを言っただろうか。
「ノール先生……これは『聖ミスラ』様の聖像です。
すみませんが、この絵の感想のことは、あまり大きな声でお話になられない方が良いかと思います。
誰かに聞かれでもしたら、大変なことになりますから」
「……どうしてだ?」
「これは……この絵に描かれている『聖ミスラ』はミスラ教徒の方々の信仰対象の最たるものなのです。
教皇アスティラ様が崇める、唯一の聖なる存在────それが『聖ミスラ』です。
これを悪く言われると、この国には気を悪くする方が沢山いらっしゃいます」
「これを大事に思っている者も、いるということだな……?
……すまない、そんなつもりはなかったのだが」
「いえ…………正直、私も先生と同じ感想を持っていますが……でも決して、口には出さないようにはしているつもりです。純粋な方々の想いを損ねることにもなりますので、ご配慮いただいた方がよろしいかと」
「……そうだな、あまり話題にするのはやめておくのが良さそうだ」
俺は改めてその大きな絵を眺めたが────やっぱり、骸骨の魔物としか思えない。
だが、それは言ってはいけないことだという。
やはり、この国は少し窮屈だな。
色々物珍しいものも美しいものも沢山あるが────住むなら、俺は王国の方がずっと向いているのだろう。
「そろそろ────部屋に戻るか。もう十分堪能させてもらった。リーンの説明も助かった」
「はい、もういい時間になったと思いますので、その方がいいでしょう」
俺たちは一緒にリーンの部屋へと戻り、用意された遅めの朝食を取り終わったところで、外から扉をノックする音が聞こえた。
「────リンネブルグ様。お迎えに上がりました」
イネスが扉を開けると、そこには白いローブを着た迎えの女性が待っていた。
その時には俺たちはもう準備を整え、あとは出るだけの状態になっていた。
「はい、皆の準備は整っております。ご案内をお願いします」
「かしこまりました────では、参りましょう」
案内役の女性が俺たちを先導しようと歩き出したところで、廊下の奥の方から、昨日会った奇抜な形をした鎧を着込んだ兵士たちが並んで歩いてくるのが見えた。
「……なんだ?」
兵士たちはまっすぐに俺たちの方に向かってくる。
今日はあのよく喋る皇子とは一緒ではないようだ。
昨日は特に数は数えなかったが、今は六人いる。
俺たちが立ち止まり、近寄ってくる兵士たちを眺めていると────勢いよく歩いてきた彼らは突然、俺の目の前で立ち止まり、一斉に取り囲むようにして言った。
「リンネブルグ様の従者────ノール殿、だな。
教皇猊下より、貴公を別室で『もてなせ』とのご命令が下っている。
今すぐ、我らにご同行願いたい」
突然、彼らは俺だけ、わざわざもてなしてくれるという。
なんのことだかわからず、リーンの方を見ると、彼女もイネスと一緒に困惑した顔をしていた。
……まあ、それはそうだろうな。
今から舞踏会の会場に行こうとしていたところで、いきなりそんなことを言われても困る。
「……もてなし、か。
とてもありがたい話だが……今からか?
少し急だな。 ……それに、行くのは俺だけなのか?」
「ああ、貴公一人を、我ら全員でもてなせ、とのご下命だ」
「……そうか……皆で俺だけを、か? …………なんだか悪いな?」
俺はまた振り返り、リーンの顔を見た。
こういう時は場慣れしていそうな彼女に意見を求めるに限る。
「……リーン、俺はどうすればいい? 呼ばれているらしいのだが」
「はい────ここは先生のご判断にお任せします」
「……そうか……? 俺が決めていいのか……?」
助けを求めたリーンからは一番困る答えが返ってきたが……俺はほんの少し考えてすぐに結論を出した。
「そうだな────では、行って来ようと思う。
その……例の偉い教皇の、命令なのだろう?
それを無視すると、彼らにも迷惑がかかるかもしれないしな」
「やはり、お一人で行かれるのですか……?」
「…………? ああ。どうやら呼ばれているのは俺だけらしいからな」
「────わかりました……お気をつけて」
「では、リンネブルグ様、ロロ様、イネス様はこちらへ。会場へご案内します」
俺たちの話が終わると、ローブの女性は他の三人を連れて歩き出した。
「────では先生。ご武運を」
「…………? ……ああ、また後でな」
リーンの別れ際の言葉が少し気になったが、俺は皆に別れを告げると、奇抜な鎧の六人の後ろについて広い聖堂の中を進んでいった。






