68 ティレンス皇子
「お待ちしておりました、リンネブルグ様。
お付きの方も、どうぞこちらへ」
大聖堂の中に馬車のまま入っていくと、乗車場のようなところがあり、そこに馬車を駐めて降りると、白いローブを纏った女性が出迎えてくれた。
「お部屋まで、案内させていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
俺たちは彼女の後について、広い建物の中へと進んだ。
とても幅の広い廊下を抜けると、更に広いドーム状の空間があった。
そこからは俺たちが今通ってきた廊下のように広い廊下が幾つも伸びていて、全てにどこかの部屋に続く無数のドアが見えた。
「……すごいな。聖堂の中に街があるようだ」
「はい。ここはとても広く複雑な作りで、迷ったら出てこれないとも言われています。
なるべく、はぐれないように気をつけてくださいね」
「そうだな、わかった」
俺たちは白いローブの女性の後に付き従い、階段を登ったりしながら聖堂の中を進んでいく。
「……本当に、広いな」
もうずいぶんと建物の中を歩いた気がするが、まだ目的の部屋につかないらしい。
やはり外から見た通りの、とても広い建物のようだ。
確かに迷ったら出られなさそうだ。
「こちらです。どうぞ」
しばらく進むと、窓のある小さな部屋に案内された。
部屋の大きさの割には窓がとても大きく、外に見える庭の緑が部屋の中に飛び込んでくるようで、気持ちがいい。
しかし、不思議な部屋だった。
ここから、どこかへ続く扉などは見当たらない。
ということは、もしかして俺たち四人はこの小さな部屋で一晩過ごすのかな、などと考えていると、突然、女性が部屋の中央の青白く光る模様の描かれた床に乗り、姿を消した。
「何が起こった……? あの人はどこへ行ったんだ……? ……それになんだ、この光る床は」
「先生は初めてでしたか? これは昇降用の転送結界です。ミスラではよくあるものですよ」
「昇降用? ……結界?」
「はい。大聖堂はとても高い建造物なので、上下階の移動の為にこのような仕組みがあるんです。
乗るだけですぐに移動できて、使ってみると便利ですよ。
あの方を待たせてもいけませんので、このまま私たちも行きましょう」
「……普通に乗ればいいのか?」
「はい。大丈夫ですよ」
リーンの案内に従い、俺が恐る恐る床に乗ると、一瞬、体が浮くような感じがした。
そして、気が付いた時には窓の外の風景が、かなり高いところから見るものに変わっていた。
────鳥肌が、立った。
俺が狼狽えていると、後から遅れてリーンとロロ、イネスがやってきた。
「……ずいぶん、高い場所なんだな」
「はい。来客用の宿泊室は高層にあるそうですので」
「こちらです。どうぞ」
女性の後についていき、また広い廊下を案内される。
先ほどよりも、ずっと豪華な感じの装飾がなされていて、何だかわからないが高級そうな石像や絵画が沢山置いてある。あまり価値はわからないが、いいものだ、ということはわかる。
見ているだけで吸い込まれそうな、見事な装飾の壺みたいなものもある。
俺が廊下に置かれたものに一々見惚れながら歩いていると、いつの間にか目的の場所に着いたようだった。
「こちらが、リンネブルグ様他二名様のお部屋となります。
お付きの男性はその隣です」
「はい、ありがとうございます」
「それでは、明日正午迄、ごゆるりとお過ごしくださいませ。
お時間になりましたら係りの者がお迎えに上がります」
「ご案内、お待ちしております」
簡単なやりとりをリーンと交わすと、案内してくれた女性は去っていった。
俺たちはそれぞれ泊まる部屋の中を確認し、またすぐに廊下へと戻ってきた。
「それで、これからどうするんだ?」
「はい、そうですね。
今日は到着が随分と遅くなってしまったので、ひとまず、私とイネスとロロは明日の衣装の確認だけしたら、もうお休みしたいと思っています。
先生はどうされますか?」
「そうだな……少し、この建物の中を見て歩いてみたいのだが、ダメだろうか。
見たことのないものが沢山あるから、よく見ておきたいと思ってな」
「そうですね、先生がその方が良いと思われるのならそれも良いかと思いますが……でも、そろそろ夜になりますし、単にお歩きになりたいのであれば、明日になってからの方が良いと思います。
この聖堂内では、基本的に夜間の出歩きは禁じられていますので」
「……そうなのか? それなら中で大人しくしていよう。
窓からでも、結構眺めはよかったからな」
先ほど部屋を確認した時、部屋の大きな窓から顔を出すと地面が遥か彼方に見えた。
最初は恐ろしくて身が縮んだが……落ち着いて遠くの方向さえ見ていれば、特に問題はない。
大きな窓を通して見えるミスラの街並みはやはり綺麗で見飽きない。
丁度、今は夕焼けの時間帯で所々に建つ教会の尖塔も一層美しく見える。
あれなら、一晩中でだって見ていられるだろう。
「それでは、また明日ですね」
「ああ、じゃあな」
俺たちがそこで別れて部屋の中に入ろうとしていると、廊下の奥から緑色の髪をした少年がこちらに歩いてくるのが見えた。
その少年の後ろには奇妙な鎧を着た人物が数人、彼の周囲を護るようにして歩いていた。
「────ああ、いたいた。
遅かったねえ、リーン。
……何か、トラブルでもあったのかい?
僕は君に会えるのを心待ちにしていたんだよ」
「……ティレンス皇子」
少年はリーンの前まで来ると、嬉しそうに笑顔を見せた。
背丈は、リーンより少し高いぐらいか。
年頃は同じぐらいに見える。
緑色の髪の少年は、周りにいる俺たちには視線も向けず、リーンに話しかけた。
「本当に嬉しいよ。わざわざ僕の誕生日を祝いに来てくれたんだね」
「お招きに預かりまして光栄です、皇子」
リーンは親しげに語る少年の様子とは対照的に、畏まって礼をした。
そうか、あれがさっきリーンの言っていたこの国で一番偉い教皇の息子────
────なんとか、とかいう皇子か。
「────いやだねぇ、リーン。
そういう余所余所しいの、やめにしないか?
僕らはもう両家公認の『婚約者』なんだから」
「……お言葉ですが、ティレンス皇子。
貴方はまだ、その冗談をお続けになられているのですか?
私は婚約などした覚えもありませんし断じて両家公認ではありません。
────父は、その話を認知すらしておりませんので」
「────ふふ、そうだったかな?
でも、僕の母上が「そうしたい」って言ってるんだから同じことだよ。
……その意味、君ならわかるだろう?」
「……いいえ。
私としては一体なんでそうなるのか、さっぱり理解しかねます」
緑色の髪の少年は相変わらず屈託のない笑顔をリーンに向けている。
対してリーンは、ずっと不機嫌そうだ。
彼らが話し始めてから、少し空気がピリピリしている感じがする。
……知り合いのようだが、仲が悪いのだろうか。
「ふふ、本当に強気だね、君は。
僕がどんなに圧力をかけても、それに屈する気配がまるでない。
……君ぐらいだよ? 僕に面と向かって、そんな殺気を向けるのは」
「私としては、そこまで邪険にしているつもりはありませんが……仮にそうだったとして、そんな人間に求婚をする貴方の気が知れません」
「────ふふ、わからないかい?
だからこそ、君がいいのさ。
君こそが、僕の花嫁にふさわしいんだよ。
簡単に金や力に靡く人間には興味はないからね」
「お褒めに預かるのは光栄ですが────私では、ご期待には添えないと思います」
「────ふふ、相変わらずつれないね。
……別に、悪くない条件だと思うんだけどな?
今や皇国が自滅して力の均衡が崩れ、この大陸で力があるのは実質、『神聖ミスラ教国』だ。君の国も優秀な人材を抱えて、魔導皇国を退けた辺り中々なものだけど……今、とても疲弊しているところだろう?
僕の妃ってことはつまり、この大陸一の権力者の後継者の第一皇妃だよ?
そんな簡単なことが分からない君じゃあないと思ってね。不思議なんだよ」
「それが────何か?」
「いいことだらけさ。君の母国の国力も高まることだろうし。
こんな旨い誘いをどうして、蹴るんだい?
僕はいつまでも、君を待っているというのに。
ねえ、ほら────すぐにでも僕の部屋に来てもいいんだよ。
そんな従者たちは放っておいて、さ」
「本当に────ご冗談を」
おどけた仕草で手招きしていた緑色の髪の少年にリーンが言葉を発した瞬間、辺りの空気が張り詰めた気がした。
────身に浴びるだけで全身を裂かれてしまいそうな、鋭い気配。
前に【剣士】の教官から受けたような肌を刺すような気配が、今、リーンから漂っていた。
「────流石に。お戯れが過ぎると思いますよ、ティレンス皇子。
それ以上は冗談でなく、当家に対する侮辱と受け取り……相応の対応をさせていただきますが────よろしいでしょうか?」
彼女は今、腰に当てた金色の剣の柄に手をかけていた。
それに気がついた緑色の少年の脇にいた鎧の兵士たちが即座に前に出る。
同時に、イネスもリーンを護るように飛び出した。
少年とリーンの間で、両者が睨み合う格好になった。
「────ふふ、大丈夫だよ、君たち。
何も心配いらないから、下がってていいよ。
彼女は別に何もしないから、さ」
「……ええ、皇子のいう通りですよ、イネス。
これは、ほんの挨拶みたいなものなのです。
この方とはこれが、いつものことですから。
……そうでしょう? 皇子。
────このままお続けになるなら、別ですが」
「────おお、怖い怖い。
流石の凄みだね。
本当に斬られてしまうかと思ったよ。
でも相変わらずで、安心したよ。
それでこそ僕のリーンだ」
少年が軽く手を振ると、鎧の兵士たちは静かに少年の後ろへ下がっていった。
イネスも同じく、リーンの後ろへ下がった。
リーンも剣から手を離し、少し落ち着いたようだった。
「……その軽口も、辞めていただけると嬉しいのですが」
「まあ、何はともあれ、さ?
君はまたここに来てくれた。僕は今はそれで十分だよ。
明日の成人の儀、とても楽しみにしているからね」
「……はい。私も明日は楽しみにしております。
皇子のご期待には添えかねると思いますが」
「ふふ────つれないね。
でもね、リーン。これは一応、忠告だけど」
先ほどまでおどけていた少年が、急に真剣な表情になった。
「────ここが君の家の領地でないということは、もちろん、わかっているだろう? 君たちが何を準備してきたのかわからないけれど、あまりおかしな動きはしないほうがいいと思うんだ。
どうやら僕へのプレゼント、というわけじゃないみたいだしね。
僕はお互い、無駄な血は見ないほうがいいと思ってるんだけど────君がその気なら僕らもその気になるだけだよ。
それと、馬車の中でそこの従者にお母様を老婆などと呼ばせるのも、やめたほうがいい。
……お母様を怒らせると、あとが怖いからね」
「────それは、お互い様だと前に申し上げたと思いますが」
少年はしばらくリーンを見つめた後、可笑しそうに笑い出した。
「あはは、本当に気が強いね、君は。
それでこそ僕の見初めた人だ。
いったい、明日君は何を見せてくれるんだろうね?
……もしかして、本当に僕へのプレゼントだったのかな?
ともあれ、挨拶はこれぐらいにしとこう。
本当に明日が来るのが、待ち遠しいよ。
じゃあね、おやすみ────良い夜を」
緑色の髪の少年はそう言ってリーンに手を振りながら、周りの兵士たちと一緒に廊下の奥へと去っていった。
彼らの姿が見えなくなると、リーンは一つ、息を大きく吐き出した。
「なんだったんだ、あれは? あれがその……例のなんとか皇子か?」
「はい……彼は私の留学時代の……友人、のようなものです」
「そうか」
とても友人という風には見えなかったが……。
まあ、リーンはこんなところに招待されるぐらいのすごい家柄らしいから、俺のような普通の人間がわからないことも色々あるのだろう。
「……すみません、急な再会だったので少し、取り乱してしまって。
思ったよりも疲れが溜まっていたようです。
申し訳ありませんが、先に休ませてもらってもよろしいでしょうか?」
「ああ、それがいいだろう。ゆっくり休むといい」
俺たちはそのまま別れ、それぞれ準備された部屋の中に入った。
彼女は昨日の夜もあまり眠れなかったと言っていたし、あまり調子は良くなさそうだった。
早めに休むに越したことはないだろう。
その夜俺は、窓に小さな明かりの灯る綺麗な街並みを眺め、旅の余韻に浸りながら眠りについた。






