65 千の剣
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また予約投稿でやらかしました……正式版です。
「────じゃあ、いくぜ」
「ああ、頼む」
あっという間に3ヶ月が過ぎようとしていた。
あれから毎日、ギルバートは俺の訓練に付き合ってくれていた。
「竜滅極閃衝」
話し声が届くか届かないかぐらいの距離から、ギルバートの槍撃が瞬時に目前に届く。
俺はその鋭い切っ先を見極め、手にした黒い剣を当てた。
「パリイ」
瞬間、剣と槍に凄まじい摩擦が生じ、黄金色の火花が辺りに飛び散った。
俺が剣を切っ先に当てたことでギルバートの持つ金色の槍の軌道が僅かにずれ、俺の喉元には届かずに首の脇を掠めた。
「もう一度頼む」
「────ったく、仕方ねえな……次は、今みたいには行かねぇからな?」
「ああ、頼む」
俺がやっているのは毎日変わらず、恐ろしいほどの速さで槍を突き出してくるギルバートの攻撃を見極め、弾く。それだけの訓練だ。
彼はそんな単調な訓練に一日も欠かさず、文句も言わずにただひたすらに付き合ってくれる。
ギルバートの攻撃は鋭い。
しかも、その全ての攻撃が、繰り返すたび、確実にその前よりも疾く鋭くなっていく。
俺の成長具合に合わせて調整してくれているらしいのだが、それでも一回一回が俺にとっては命がけだ。
────全く、気が抜けない。
死を意識せざるを得ない、殆ど、極限状況での訓練。
彼はそんな日々を俺に与えてくれていた。
「竜滅極閃衝」
ギルバートの槍は日に日に鋭くなっていく。
俺もそれに合わせ、日々自分の動きを整えていかざるを得ない。
だから、だんだんと、俺が槍を弾くときの剣の使い方も変わっていった。
最初、俺は『黒い剣』を力任せに叩きつけていた。
というより、他のことを考える余裕もなく、ただ精一杯の力で弾く他はなかった。
────でも、今は少し違う。
剣を槍に思い切り叩きつけるのではなく、切先に当てるだけ。
向かってくる力の流れに逆らわず、撫でるように受け流す。
それを身につけてから、格段に、まっすぐに攻めてくる攻撃への対応力が上がったと思う。
それもこれも、いつも訓練に付き合ってくれるギルバートのおかげだ。
ギルバートの攻撃は、疾い。
瞬きをする瞬間よりも遥かに短い時間で距離を詰め、喉元を狙ってくる。
今までの俺であれば彼の槍の姿を捉えることすら出来ずに確実に命を落としていただろう。
だが────
「パリイ」
それも、もう過去の話だ。
今は恐ろしいほどの速さを誇る彼の槍を、どうにか弾くことができる。
もちろん彼が、ここまで辛抱強く俺に付き合ってくれたからなのだが。
時には、俺があまりにも力任せに剣を叩きつけるものだから、彼の持つ金色の槍が折れてしまったこともあった。
まずいことをしたと思ったが、彼は笑って許してくれた。
なんでも、彼の持つ槍には「付与」という不思議な力が働いているらしく、折れても一日経てば元どおりになるのだそうだ。
やはりこの男は────恐ろしく強い上に心が寛く、優しい。
俺が改めて目の前の男に尊敬の念を覚えていると、ギルバートは槍を下ろした。
「悪いが、今日はこれで終わりだ。これから少し用事があるんでな」
「そうか。今日も助かった。礼を言う」
「なあ…………それ、本気でそう思ってんのか?
……まあいいや。
そういえばこの間、ここのことをうっかり知り合いに話しちまってな……師匠が来たいって言ってたぜ」
「師匠? 誰だそれは」
「会えばわかる。お前も知ってる人だ」
「そうか。今日も悪かったな。付き合ってもらって」
「それはまぁお互い様、ってとこだろ。お前がそれを本気で言ってるならだけどな」
「……そうか、そう言ってもらえると嬉しいが」
「やっぱり、お前とは会話が成り立ってる気がしねえな……じゃあ、もう行くぜ。
……ああ、今日も身体中が痛えや……仕事行く前に治してもらわねぇとな」
ギルバートはそう言って肩に槍を担ぎながら去っていった。
それからそれほど間をおかず、誰かがここへと歩いてくる音が聞こえた。
その音が近づいてくるのをじっと待っていると、見覚えのある顔の人物がこちらに歩いてくるのが見えた。
俺が子供の頃世話になった、【剣士】の教官だ。
「教官、どうしてここへ?」
「……ギルバートからここのことを聞いた」
教官はそう言いながら、抱えていた包みから白く輝く鞘に収まった剣を取り出し、俺に差し出した。
「聖銀の剣だ。二振りある。
お前がミスラへ発つ前に、一度、手合わせをしてみたいと思ってな」
「……教官が俺とか?
願っても無い話だが、剣ならもう持っているぞ?」
「悪いが、その剣は特別すぎる。同じ剣で対等な条件でやりたい」
「そうか」
俺は教官に言われるままに黒い剣を置き、差し出された剣を受け取った。
その瞬間────教官から斬撃が飛んでくる。
俺はすぐさま受け取った剣を鞘から抜き、それで弾いた。
銀色の剣同士がぶつかり、小さな火花が散る。
「────随分と軽いな、この剣は」
「お前が普段持っているものに比べればな。試しにもう少し振ってみるといい」
「ああ」
俺は受け取った剣の鞘をその辺りの木の根元に立て掛けると、試しに足元にあった小枝を蹴り上げ、それを渡された銀色の剣で斬ってみた。
思いがけないほどに切れ味が良く、何の抵抗も感じないままに枝が細切れになっていく。
────剣の重さを全く感じない。
まるで鳥の羽根でも振っているかのようだ。
違和感しか感じない。
……俺はあの重い剣に慣れ過ぎてしまったのかもしれない。
「慣れたか?」
「いや、まだ違和感がある」
剣が軽すぎて、落ち着かない。
「じきに慣れる」
また、教官から斬撃が飛んでくる。
今度は頭上と左右、同時に三方向からだ。
俺がそれを一振りで弾くと、大きな火花が散った。
────やっぱり軽すぎて違和感がある。
なんだか、手元がふわふわしている感じすらある。
でも、こうして打ち合うと手応えを感じて、慣れてくるような気がする。
「そうだな、こうしていると少し感覚がわかってくるような気がする」
「──そうか。では、しばらく続けるか」
「頼む」
剣を構える間もなく数十の斬撃が、右から左から、ほぼ同時に飛んできた。
俺はそれを意識を集中して捉え、最小の動きで一つずつ弾く。
「パリイ」
また、火花が散る。
そうして、しばらく剣を撃ち合う。
繰り返すうちに、俺はだんだんとこの軽い剣に慣れていく。
「少し、慣れてきたかもしれない」
「そうか。では手数を増やすか」
教官が言い終わった瞬間に今度は上下から、そして背後の死角から、ほぼ同時に斬撃が飛んでくる。
もうどうやって受けようか、などと考えている余裕はない。
ただひたすら、目についた端から弾く。
────本当に、驚くばかりだ。
息をつく間もないほどに、とんでもない速さの斬撃が、ありとあらゆる方向から襲ってくる。
だが、恐らくこれですら教官はまだまだ本気ではないのだろう。
きっと、準備運動ぐらいのつもりなのだ。
……教官はまだ【スキル】を使ってさえいないのだから。
「────では、そろそろ始めるか」
教官は今日初めて、剣を構えた。
────明らかに、先程までとは雰囲気が変わった。
その気配だけで身体を斬り刻まれてしまいそうな程に、辺りの空気が重く張り詰めた。
「ノール。俺はこれから本気で剣を振るう。そのつもりでいてくれ」
教官は静かに俺に語りかけるが、言葉があまり耳に入ってこない。
対峙しているだけで、緊張で思わず身が固くなり、胸の鼓動が早くなる。
俺は今、命の危険を感じているのだろうか。
ただ、教官と向き合っているだけなのに。
「……とはいえ、別に命の取り合いではない。一応、ここから一歩でも動いた方が負け、ということにしておくか」
「ああ、それでいい」
「では────ここからこちらは【スキル】を使う。準備はいいか?」
────【スキル】。
訓練を受けていた時代に見せてもらった、あの一瞬で千の斬撃を繰り出すというあの技。
教官はそれを使うと言っている。
普通に考えたら、そんなものを俺が相手にするのは無謀なのだろう。
でも────見てみたい。
昔は見ているだけだった剣を実際に、自分でも受けてみたい。
俺はただ、そんな純粋な好奇心から肯定の返事をした。
「ああ、頼む」
────して、しまった。
「では──────いくぞ」
瞬間────────剣が、消えた。
「【千剣】」
────気づけば、すでに幾千もの剣の影が俺を取り囲むように舞っていた。
「パリイ」
そして気づいた時には、俺はそれを弾いていた。
思考を挟む余地すらない刹那、斬撃に身体が勝手に反応した。
幸い、手に持つ剣が軽い。
そのおかげで辛うじて間に合ったようなものだ。
────瞬時に巻き起こる、数千の火花。
剣と剣がぶつかるたびに互いの刀身が削れ、閃光となる。
一合するたび、僅かに刃が欠ける感触。
瞬きを一つする間に数百、数千という衝突が起こり、一瞬で剣が磨り減っていくのが分かる。
────疾い。
あまりにも、疾すぎる。
俺が呆気にとられている間に、更に教官の剣撃は加速する。
────迎撃が、とても間に合わない。
「────本当に凄いな」
次いで────万の火花が俺の眼前に散った。
これが────俺が子供の頃からずっと憧れ続けた【スキル】。
自分よりも遥か高みにある存在の。
剣を撃ち合う度、刀身が削れて熱を帯び、溶けていくのを感じる。
目で見て確認するまでもなく、互いの剣が細くなっていくのが分かる。
────もう、剣が折れそうだ。
それを意に介するでもなく、教官は剣を打ち続ける。
ただひたすらに、斬撃を繰り出し続ける。
────想像を絶する圧倒的な気迫と、凄まじい技量。
辺りに嵐が起きるような剣撃の群れが、あらゆる方向から同時に俺を襲う。
もう、とても目で追いきれる量と速度ではない。
だが────
「パリイ」
ギルバートの槍で鍛えられた俺は、その豪雨のような斬撃をどうにか目の端で捉え、一つ一つ注意深く捌いていく。
火花はいっそう激しく散り、辺り一面が無数の閃光に包まれ、まるで自分自身が火の玉になったように感じる。
俺が手に持つ銀の剣の刀身はあっという間に削れ、なくなっていく。
これはもう、いつ折れてもおかしくない。
だが、一つでも打ち漏らしたら身体全てを斬り刻まれる。
それ程の斬撃。
相手は、ほんの僅かな休憩をする間も許さない。
とてもではないが瞬きすらできない。
呼吸すら忘れ、ただひたすらに撃ち合う。
そんな時間がいつまでも続いた。
俺はギルバートとの訓練で、少しは強くなったつもりでいた。
もし『ゴブリンエンペラー』に出会ったとしても、なんとか乗り切れるぐらいの自信はついたと、そう思っていた。
でも────こんなにも、違うのか。
教官の強さは俺の想像していた強さとは数段、違った。
想像していたよりも、もっとずっと、本物は強かった。
ギルバートといい、この教官といい、この国の人間は────俺などの目からは本当に計り知れない。
────それを、思い知らされずにはいられない。
「【千剣】」
「パリイ」
────パキン、と。
限界を迎えた剣が折れ、宙に舞った。
二本の剣はお互いに、綺麗に真ん中から二つに折れ────回転しながら空に高く舞った後、深々と地面に突き刺さった。
「────ここまで、か」
互いの折れた剣が地面に突き刺さったのを見届けると、教官は構えを解き、手合わせの終了を宣言した。
「俺の我儘に付き合わせて悪かった。
だが、お前の成長が見られて────本当に良かったと思う」
「ああ、俺もまた教官の技が間近で見られて本当に楽しかった。
…………危うく死ぬかと思ったが」
「そうか」
折れた剣を持ったまま、俺たちはその場で笑いあった。
気がつけばもう陽は沈みかけ、辺りは夕日に赤く染まっていた。
────懐かしい。
十五年前も教官とこうして、日が落ちるまで剣を振っていたように思う。
「────ノール。
リンネブルグ様を、イネスを……そして、ロロを護ってやってくれ。
いざとなったらお前が頼りだ」
「ああ、もちろん……俺にできる範囲でなら、全力でな」
まあ、彼女たちは恐ろしいほどに強いし、基本は俺の出る幕などないとは思うが。もし万が一、そんな事態になったら……自分なりには全力でなんとかするつもりではある。その為に、ここまでギルバートに付き合ってもらって訓練をしていたのだから。
「────それを聞ければ十分だ」
教官はどこか嬉しそうに笑いながら、折れた二本の剣を鞘に収め、静かにその場を去っていった。






