64 最高の料理
「……あれは……別に、そういうんじゃないんだからね? …………私、一応獣人種だから、戦闘に集中すると色々と意図しないものも出ちゃうっていうか……単に、それだけだから」
「うん、わかってるよ」
「大体、アンタなんかチビだし、魔族だし、年下だし……全然、私の好みじゃないんだから……くれぐれも勘違いとかしないでよね? ……迷惑なんだから」
「……うん、わかってる」
小声でボクに耳打ちするのはシレーヌさんだ。
訓練の後、ボクとシレーヌさんは二人でミアンヌさんの家に招かれ、案内されるまま、テーブルに着いていた。
普段はボクはイネスと二人で静かに食事をするのだけれど、今日はミアンヌさんが家に招いてくれるということを彼女に伝えると、イネスは別の場所に行って食事をすると言って何処かに出かけて行った。
マリーベールさんも一緒に来たがっていたのだけれど……これからまた夜勤だとかで、泣きながら走り去っていった。
「……マリーベールさん、辛そうだったね……代わってあげられればよかったんだけど」
「あの子は食い意地張ってるだけだから。仕事だし、仕方ないわよ。
というか、今日は主にアンタが招かれてるのよ?
誰かと入れ代わったら意味ないじゃない」
「……そうなの……?」
「────そうよ、ロロ。
うちの旦那にはあなたを連れてこいって言われたの。
あとシレーヌ。変なデマ流すのはやめなさい。
獣人だからって、戦闘態勢に入ったからって何も出ないわよ。
それは貴方の鍛錬不足でしょう」
「……ピャい」
いつの間にか背後に立っていたミアンヌさんに耳を摘ままれ、シレーヌさんは変な声を出した。
「反省しなさい。あと、料理が出来たわ」
ミアンヌさんの手からゴトリと、大きな皿がテーブルに置かれた。
そこには色とりどりの、見たこともないような料理が盛り付けられていた。
思わず、声が漏れる。
……見るからに美味しそうだ。
「……こ、これ……本当に食べてもいいの……?」
「……何言ってるの。
食べないとか言ったら家から追い出すわよ?
冷めないうちに食べなさい。
うちの旦那の料理は絶品なんだから……残したりしたら承知しないわよ」
シレーヌさんは耳を掴まれたまま、涙目になりながら頷いている。
……彼女はあのまま食べるのだろうか。
「まずは手を離してあげなさい、ミアンヌ。
お客様に失礼じゃないか」
僕が疑問に思っていると、奥の調理場から低い声がした。
「わかったわ、ダーリン」
「…………ダー……リン…………??」
ミアンヌさんの手から耳を解放されたシレーヌさんと、ボクが一緒に声のした方を見ると、白い厨房服を着た体の大きな男の人が見えた。
その男の人は両手に料理の盛られた皿を運びながら、にこやかにボクらに挨拶をした。
「いらっしゃい。ロロ君とシレーヌさんだね。
一応、僕がこの家の主人でミアンヌの夫、ライアスだ。
今日は急な招きに応じてくれてありがとう。
僕が迷惑をかけたお詫びも兼ねて料理をご馳走したいと思ってね。君たちを家に誘ってくれるように、ミアンヌに頼んでおいたんだ」
「……迷惑をかけた?」
言葉の意味がよく分からず、ミアンヌさんとシレーヌさんの顔を交互に見つめるだけだったボクに、その人は食器をテーブルの上に綺麗に並べながら話を続けた。
「彼女からは聞いてないかもしれないけど、そうなんだよ。
ミアンヌが一時的に君たちの訓練を抜けただろう?
実は、それは僕のせいでね。
急にいい食材が手に入りそうだと知り合いから連絡があって、どうしても自分で取りに行きたくてね。
その為にワガママ言って、子供達の世話を彼女に任せることになってしまったんだ……本来、その時間は僕の役目だし、キミ達に時間がないことも聞いてたから、悪いなとは思ったんだけどね」
「迷惑だなんて、全然そんな事は思ってませんよ。
私はミアンヌ団長がいない時の方がずっとやりやす……はっ……!?」
ミアンヌさんがシレーヌさんの背後に無言で立つと、彼女の耳と尻尾がビクン、と逆立った。
「はは、君は正直だね、シレーヌさん。
妻が気に入るのも分かる。
まあ僕も正直にいうと、ミアンヌを抜けさせたお詫びなんてのは口実で、自慢の料理を君たちに食べてもらいたかったというのが本音だよ。特にロロ君、君にね」
「……ボクに?」
「そう。
だから遠慮することなんかない。
存分に食べてくれ。
お代わりもたくさんあるから」
勧められるまま、ボクはテーブルの上に並べられた料理に手を伸ばした。
◇◇◇
見た目からしておいしそうな料理ではあったけれど、実際その味は────それはもう、想像を絶するものだった。
食べ始めた途端に、口に料理を運ぶ手が止まらず一気に最後まで食べきってしまった。
「…………おいし……かった…………!」
……あれを単においしいと言ってしまって良いのかどうか。
でも、それ以上はどう表現したらいいか、わからないからしょうがない。
途中、誰かから何か声をかけられたような気がしたけれど、夢中になりすぎて全く耳に入ってこなかった。
「どうやら、満足してもらえたようで嬉しいよ。
一応、僕は料理店を営んでいて、ここはお店も兼ねているんだ。
朝昼は子供達の面倒を見て、夜はレストランを営業する。
それが僕の毎日の仕事なんだ。
まあ、レストランはほとんど趣味のようなものだけどね。
席数は見ての通りとても少なくて、お客さんもちょっとしか入れられない小さな店だし。言われないと店だってわからないぐらいだろう?」
確かに、ここがお店だとは言われないとわからない。
部屋の中を見渡してみても、テーブルが一つと、椅子は4つだけだ。
「……確かに、ちょっと小さいかも……?」
「……アンタ、本当に何も知らないのね……?
ミアンヌ団長の旦那様は王都指折りのシェフよ。
お店は超がつくほどの有名店で、他国からわざわざ旅をして訪ねてくる人もいるぐらいなんだから。
予約なんか半年待ちで、一食分の代金が一般人の一年分の稼ぎに匹敵するのよ?
団長が【狩人】の生ける伝説なら、旦那様は食通界の伝説なのよ」
ボクと同じく、料理をたくさん食べて苦しそうなお腹をさすりつつ、シレーヌさんが教えてくれた。
「はは、そんなふうに言ってくれるのは光栄だけど……本当は違うんだよ?
僕の料理は趣味の延長みたいなもんだから、基本的に料金はお気持ちでって伝えてるんだけど……たまに、びっくりするぐらいたくさん代金をくれる人がいてね。
その噂が広まっちゃったんじゃないかな。
料理を食べにきてくれるだけで嬉しいし、お金がなければタダでもいいと思ってるぐらいなんだけどね」
タダ、という言葉にシレーヌさんの耳がピクリ、と動いた。
ミアンヌさんはそんなシレーヌさんを見て、音もなく彼女の背後に立ち、耳をつまんだ。
「……お、思ってませんよ、お金払わずに食べようなんて」
「そう。ならいいけど。貴方、結構稼いでるんだから、食べに来るなら我が家の稼ぎに貢献しなさい」
「そ、そんな、稼ぎだったら団長の方が数倍……!?」
「それとこれとは話が別よ」
「そ、そんなぁ……!!?」
「こら、ミアンヌ。やめなさい」
「…………わかったわ」
ミアンヌさんはライアスさんに止められ、名残惜しそうに一旦手を引っ込めてから……また彼女の耳を触りだした。
「……あ、あの、団長……? 耳は離してもらえないんですか……?」
「これはさっきのとは別件よ。案外、触り心地がいいわ。もうちょっとこのままでいさせなさい」
「そ、そんなぁ……!!??」
ライアスさんはそんな二人を見ながら苦笑している。
「……すまないね、ロロ君。
妻は少し、飲みすぎてしまったようだ。
今日は君たちと二人で食事するからって、子供達を両親に預けて来たから、少し羽目を外してはしゃいでいるんだと思う。どうか、大目に見てやってくれ」
「……うん」
もちろん、ボクは何も気にしないけれど……シレーヌさんが犠牲になっているみたいだけど、あれはいいのだろうか……?
「まあ、彼女たちにとってはスキンシップの範疇だろうから、大丈夫だよ……たぶん。
ああ、そうそう、今日君にここに来てもらったのは……もちろん、まずは君に僕の料理を食べてもらいたかったんだけど、実はもう一つ。君と話がしてみたかったんだ」
「ボクと?」
「そう────『魔族』である君とね。
……早速だけど、君は彼女たちを見てどう思う?」
「どう……?」
ライアスさんは、だんだんと至近距離に近づき、もみくちゃになりつつあるミアンヌさんとシレーヌさんに目を向けた。
「……彼女たちは見ての通り『獣人族』だ。それほど、血は純粋ではないけれどね。獣人の血を引いた者はここクレイス王国では殆ど人族と同じ扱いだけど、多くの国では違う。
そういう地域では表を出歩くだけでもあんまりいい顔はされないし、もっと酷いことをされているのもたくさん見てきた。獣人の血を引いて生まれてきたというだけで、理不尽に殺されてしまうのも、たくさん見た。ミアンヌが普段、耳を隠すような帽子を被っているのも、そういう経験があるからだ。
僕らはここに行き着くまでに、結構色んな地域を旅してきたからね。
そういうのは嫌という程見てきたし、体験してきたんだ」
「体験、ってことは……?」
「僕もだいぶ薄まっているけれど、獣人の血が入ってる。
おかげで味覚と嗅覚が他の人より鋭くて、料理人にはもってこいなんだけど……まあ、人によってそれを誇りに思ったり、疎ましく思ったり、いろいろだよ。
君は多分、そんな獣人のことを受け入れてくれていると思うけど、君自身、自分の血を────『魔族の血』をどう思ってるのかな。
もし、良かったら聞かせてもらいたいと思ってね」
────魔族の血。
自分が『魔族』であること。
今まで、それを考えない日はなかったかもしれない。
「……正直……よく、わからないんだ」
「……わからない?」
「……うん。ずっと嫌なものだと思ってたけど、今は……よくわからない」
ずっと、自分が魔族として生まれたことは悪いことなんだと思ってきた。
自分は他人から憎まれる為に生まれてきたような存在だと。
殴られても蹴られても、それが当然だと思っていた。
生まれてきた時から、それが決まっていたんだと。
自分は生きているよりも、きっと死んだ方が人の為になるような存在なんだと。
周りの人たちと一緒に、自分のことをずっと呪ってきた。
それがボクに流れる血だから。
それが『魔族』という存在だから。
ずっとそう思ってきた。
でも────
今はいいとも、悪いとも思えない。
魔族でも、誰かの役に立てると言ってくれた人がいるから。
そしてオーケンさんから、魔族が魔族でなかった頃の話も聞かせてもらったから。
「────はは、そうか、わからないか。それはいい」
「…………?」
「いや、そういうのは、変に結論を出すこともないものだと思ってね。
実は僕も似たような考え方なんだ。
よくわからないことは、わからない、でいいと思う。
変にわかったふりをするよりもずっといい」
ライアスさんはそう言って楽しそうに笑った。
「ロロ君……キミはこれからミスラへ行くそうだね。
知っているとは思うがあそこは、魔族への風当たりがとてもきつい。
獣人にも厳しいが……魔族はその比じゃあない。
そんな国からの招きに応じるなんて、ミアンヌから話を聞いた限りじゃ、なんだか自暴自棄にも思えたんだけど……今の君の答えを聞いて、安心したよ」
「…………安心?」
「さっきの食べっぷりといい、人生を投げてる感じには見えないってことさ。
まあ、全然普通じゃないし、ちょっと無謀な気はするけどね。
でも、君はその無謀に怖気付かず、ミスラがどんな場所か知っていて、それでも行って帰ってこようと思ってるんだろう?
しかも、その為の努力をきちんと積み重ねようとしている。
君は何かを諦めているわけでも、誰かに復讐しに行くわけでもないらしい。
思ったより、ずっと理性的だ。それがわかって、安心したんだ」
「……そうかな……?」
「そうだよ。 ……ところで君は今、好きな人はいるかい?」
「……えっ……? ……好きな人……??」
唐突に変わった話題についていけず、ボクは戸惑いながらライアスさんの顔を見た。
ミアンヌさんにもみくちゃにされているシレーヌさんが一瞬、こちらに反応した。
「ううん……いない…………いや、いるかな。向こうがどう思っているかわからないけど……ボクは好きだと思う」
────好きな人。
そんな風に言われて、顔を思い浮かべる人は今まで、ボクの周りにはいなかったと思う。
でも……どういうわけか、今はそういう人がたくさんいる。
不思議なことに、ここにはボクに優しくしてくれる人がいる。
ボクはその人たちが好きなんだと思う。
ノールや、リーンもそうだし、イネスのことも好きだ。
もちろん、ミアンヌさんも、【六聖】の人たちも。
訓練に付き合ってくれたシレーヌさんやマリーベールさんのことも好きになった。
彼女たちもボクが魔族だということを知りながら、分け隔てなく接してくれる。
だから、とても好きになったんだけど……彼女はミアンヌさんに耳と尻尾を撫でられながら、今、凄い目でこっちを見ている。
……あとで誤解は解いておこう。
「それは、君の身近にいる人かい?」
「…………うん」
「そうか、それはとてもいいことだ」
ライアスさんは笑顔で大きく頷いた。
「ちなみに、僕はミアンヌのことが大好きだ。
世界一愛していると言ってもいい。
まあ、子供たちとどっちがっていえば、わからないけど……それは別の話でね。
僕は僕の妻を一人の女性として世界で一番愛している。
飽き性で移り気の多い僕だけど、これだけは今後一生変わることはないだろう」
「……な、何言ってるのよ、急に」
ミアンヌさんは顔を赤くしてシレーヌさんの耳から手を離し、目をそらした。
「好きな人がいるっていうのは、それだけで素晴らしいことだよ。
自覚してなくても、自然と強くなれるんだ。もちろん、喧嘩に強くなれるって意味じゃあない…………生きるということに関して、しぶとくなれるんだ。僕なんて、大事な人の為には絶対に死ねないと思ってるし、自分の好きな人の為だったら、いくらでも頑張りたいと思う。それは君も同じだってことだね?」
────好きな人の為に死なない。
────好きな人の為に頑張る。
そんなふうに考えたことはなかったけれど……確かに言われてみれば、それだけなのかもしれない。
「…………うん。多分、そうだと思う」
そう、多分────ボクはその人たちに生かされているんだ。
ボクはもう、独りじゃないから。
いろんな人に支えられているから。
────ボクはもう、生きなければならない。
「はは、なら、ますます余計な心配はいらないな。
君は僕が思っていたよりもずっと、いろんなものを持っているらしい。
てっきり、とても辛い境遇なのかと思っていたんだが……それは僕の大きな勘違いだったようだね。
君はもう、既に色んなものに恵まれている」
「…………うん。ボクも、そう思う」
「だったら、尚更────必ず、生きて帰ってくるんだよ。
僕は僕の作った料理をおいしいと言ってくれた君のことが好きだし、話をしてみて、ますます君のことが好きになったよ。
僕は今、君に……今日のよりも、もっとずっとおいしい料理を食べてもらいたいと思っている。
君は忘れずにその予約をしてから、ミスラに向かうといい。
腕によりをかけて、最高の料理を振舞ってあげたいからさ」






