63 六聖の娘
「────義父さん。少し、いいだろうか」
巨体に見合う特注サイズの事務机に座り、銀縁のメガネを掛けて仕事をするダンダルグの部屋に、静かに入ってくる人物がいた。
その人物の声に、ダンダルグは目を通していた書類から目を上げ、振り向いた。
「ん、おお、イネスか。どうした、こんな時間に?」
「……ロロの訓練は順調だろうか。
あれから、任せっきりにしてしまってすまないと思っている。今更だが、状況だけでも聞いておこうと思ってな」
「ロロのことか?
そうだな……あいつ、驚くぐらいに頑張ってるぞ。
お前が最初にオドオドしたひ弱な子供にしか見えないあの子を連れてきた時はどうしようかと思ったが……今じゃ、【六聖】全員がやる気だよ。俺もちょっと楽しみながら教えてるぐらいだ。何も心配はねえよ」
「……そうか。それを聞いて安心した。
直接本人に聞けば良い話なのだが……あの子はいつも必死に夜遅くまで何かをやっていて、その邪魔をするのも悪いと思ってしまってな」
「そりゃあ、ちょっと気を使いすぎじゃねえのか?
それにしても……驚いたぞ? イネス。
お前があいつを預かるなんて言い出した時もそうだったけど……まさか、お前があんなに熱心にあいつの面倒を見ようとするなんてな」
「……そうだろうか?
結局、私は【六聖】の皆のところにあの子を連れていっただけだ。……あれから何も出来ていないような気がするのだが。せいぜいが、疲れ切ったあの子を担いでベッドに運んで行くぐらいだ」
「いや、今までからすりゃあ、それだけでも大進歩だと思うぜ。お前、他人に興味を示すことなんて殆どなかっただろ? まあ、その必要もなかったかもしれないがな」
「……そう、かもしれないな」
でも別に、他人に興味を持たなかった訳ではない。他人との適切な距離の測り方がわからず、結局毎回口にしないままに終わるのだ、とイネスは思った。
仕事を始めて、だいぶ人と話すのにも慣れたつもりではいるが、個人的なこととなると未だに何を話して良いのか分からない。
それをイネス自身、自分の欠点として考えていた。
「……そういえば、そっちはどうなんだ?
今、リンネブルグ様と二人で訓練してるって聞いたぞ。なんだか、どえらいことになってるってオーケンの爺さんが気を失いかけてたが」
「ああ、確かに私が訓練相手を務めている。
……リンネブルグ様は凄いな。
先日の【灰色の亡霊】討伐の時に何かを掴まれたらしく、ここ数日間での成長が著しい。
最大同時詠唱数が『七つ』になり、【融合魔法】も体得されたそうだ……この分だと私など、置いていかれるのも時間の問題だな」
イネスはまるで自分のことのように嬉しそうに王女の成長を語り、表情を緩めたが、ダンダルグは微妙に曇った顔をした。
「────なあ、イネス。お前、あれから大丈夫か?」
「……あれから、とは?」
「お前がこの間、帝国との境目の砦をあっという間に一掃しちまった件だよ」
「……やはり、まずかっただろうか」
イネスは緩めた口を結び、俯いた。
「あ、いや、何も責めてるわけじゃねえよ。
あれはな、お互いの国にとっちゃあ、いいことだった。もちろん、王国の騎士としても褒められて当然のことだぞ。個人的にもせいせいしたしな」
「……そうか」
「だがな。
もしかしたらお前にとっては、良くないことだったんじゃねえかと思ってる。
いや、別に俺が保護者役だからって説教するつもりもねえんだけどよ。
────なんていうか、ちょっと心配でな」
ダンダルグは大きな身体を縮めるようにして、頭を掻いた。
「……心配?」
「ああ。本来なら、俺なんかが心配することなんて何もないんだがな……その気になりゃあ、俺たち【六聖】が束になっても敵わねえしな。【六聖】最弱の俺なんて尚更、お話にもなりゃしねえ」
「いや、そんなことはない。
義父さんは私の目標だし、私などはまだまだ────」
「────はは、そう言ってくれるのは有り難いけどよ。いい加減認めとけ。お前はもう、とっくに俺たちより強い。その気になれば、一薙ぎで一国を滅ぼせる。
……お前もそれぐらい、わかってんだろ?」
イネスは表情にわずかに戸惑いの色を浮かべながら、無言でダンダルグの顔を見た。
「……で、俺が弱いってのも間違いねえよ。
だいたいな。俺に【不死】なんて二つ名がついてるの、大半がセインの奴のせいだからな? あの野郎……俺が瀕死の重傷でヒイヒイ言ってるのに、即座に回復して容赦無く前線に送り返しやがって……腕が取れようが腹に穴が開こうが、関係なし。あっという間に元どおりにして「さあ、早く仕事に戻ってください」だもんな。悪魔より怖えよ、あいつは。シグとミアンヌに至っては完全に『壁』扱いだし……。
俺はそういう異常な奴らが側にいたおかげで生き残って、気づいたら偉くなってただけだ。挙げ句の果てには王に【盾聖】なんて名前を与えられるしよ。
……実は俺、一度も盾なんか持ったことねえんだぜ?
そうやって王に疑問伝えたら「お前自体が盾だから」とか言われてさ。
酷え話だと思わねえか? あんまりだろ、それ」
ダンダルグはそう言って笑い、巨体を震わせた。
「だが────お前は違う。
お前のは正真正銘……本当の『力』だ。
誰もが羨むぐらいの、とんでもない力を最初から持っている。
どんな敵がやってこようが、普通に戦えば負けようがねえ。
はっきり言って、無敵なんだよ。
でもな、俺が心配してるのは別のことだ」
「……別のこと?」
「お前は、確かに強い。
でも、力がいくら強くっても、心までそうとは限らねえだろ?
なんていうか────ちょっと優しすぎるんだよ。
例の件で何人か怪我させただろ。
お前、それですら気に病んでたみたいだからな」
「それは────」
イネスは言葉を詰まらせた。
要塞を破壊した時、自分は怒りに任せるまま『光の剣』を振るった。
帰路を確保する上で、必要なことではあったと思う。
だがそのせいで、数名の皇国の兵士が崩落に巻き込まれて生死の境を彷徨った。
戦争中の敵国の兵士とはいえ、それについては、思うところがないわけではない。
「いや、いいんだよ、それで。基本的には。
そこに何も感じなくなっちゃあ、俺たちみたいな仕事をしてる人間はおしまいだ。矛盾してるようだが、お前がそういう奴だから俺たちは安心して仕事を任せておけるんだ。
だいたい、あれだけ派手に暴れて怪我人だけで済ませてる時点で、ちょっとおかしいからな? あのとんでもないスピードで飛ぶ【魔竜】に乗って突進しながら、人がいそうな場所を避けて一瞬で要塞を切り刻むなんて芸当────まあ、シグならやりかねんが、普通の奴には出来ないんだぞ? お前はやれるだけやったし、気に病む必要なんてどこにもねえんだよ」
「……そうだろうか」
イネスは目を伏せて考え込んだ。
もしかしたら、自分はもう少し上手く出来たかもしれない。そう考えると、やれるだけやったとは思えない。
「とはいえ────だ。
やっぱり、お前はそういう性格だし、あんまり『剣』の方は使わない方がいいんじゃねえかとも思ってな。お前の【恩寵】の力を見て、俺たち全員でお前を敢えて『盾』として育てるって決めた理由も、過ぎた破壊の力はお前を不幸にしちまうと思ったからだ。ありゃあ、一人の人間が背負うにはデカすぎる」
ダンダルグはイネスに向き直り、その大きな顔を近づけた。
「……だからな、お前自身の力を、間違っても全部一人で背負い込もうなんて思うなよ?
迷惑かけて済まない、とかつまんないこと考えるんじゃねえ。他に頼るところがねえなら、迷いなく俺たちを頼れ。
俺たちは全員、お前のことを実の娘ぐらいに思ってるんだからな」
「……娘……?」
「……まあ実際、ミアンヌ以外は子供もいねえしな。
あと言っておくが、お前が力を使おうとする度に上に許可を求めるの、あれ、別になくてもいいんだからな?
お前は国に仕えちゃいるが、兵器じゃない。
俺たちは、お前をそんな風に育てたいと思って指南役を引き受けたわけじゃねえし、王もそう思ってる筈だ。
ただ単に、いきなり手に入れた『力』の使い方を学んで欲しいと思ってただけだ。実際、ちゃんと使いこなせるようになったしな」
「……そうだろうか。私自身はあまり、そんな気はしないのだが」
イネスの相変わらず不安そうな態度に、ダンダルグは困ったように笑った。
「そういうとこだぞ? お前がロロを引き取るって言った時、最初は意外だったが……しばらくロロを見てると納得はいったな。お前ら、びっくりするぐらいよく似てる」
「……似ている?」
「ああ。
すげえ力を持ってるのに、それを全然自分で認めてやらねえ。見てるこっちが歯がゆいぐらいにな」
確かに、あの子は自分によく似ているのかもしれない。
姿形ではない。
何処にも居場所がなく、受け入れられず、ただ人と人の間を流されて来てしまった存在。
だからこそ、自分はあの子を自分が受け入れられたと感じた場所に連れてきたのかもしれない。
────思い返してみれば、よく似ている。
預けられていた家でろくに食事を取らないまま連れてこられ、はじめて孤児院で食事を振舞われた時は確か、自分もあんな感じの反応だったように思う。
あの時それを思い出し、あの子と過去の自分が重なって見え、思わず苦笑してしまったのだ。
なぜ、自分はこんなことをしているのだろう、と。
引き取ったところで、自分があの子に与えられるものなど何もないというのに。
「でも、どうやら、あの子は自分の可能性だけは信じてるらしい。
自信があるってのとはちょっと違うが……どういうわけか、自分が何かをやれると信じ切ってやがる。そういう奴は、強いぞ。……そこはちょうど、今のお前と逆かもな」
「……そうか。それは、そうかもしれないな」
「ああ、本当にそうなんだぜ?
いいか、イネス。
いい加減、お前は自分で自分を認めてやれよ。
そうすりゃ、別にもう強くなる必要なんてねえんだよ。あらゆる強い奴とぶち当たって悉くボコボコにされてきた【六聖】最弱の俺だから、断言できる。
────ウチの自慢の娘は地上最強だ。
お前がそれを認めてやりさえすれば、な」
ダンダルグはそう言って、イネスの頭にポン、と大きな手を乗せた。
「ま、俺が言いたかったのは、それだけだ。
今回のミスラの件も、胸張って行ってこい。
お前は俺たち【六聖】の代表だ。
必要があれば、『剣』でも『盾』でも、気兼ねなく力を振るってこい。何があっても、俺たち全員で責任を取ってやるから。
……ぶっちゃけ、あの女の顔でも引っ叩いて来てくれると清々するんだがな? まあ、確実に外交問題に発展すると思うが、俺はそれで首が飛ばされても本望なんだぜ? お前がそんなバカやるとも思えねえがな」
ダンダルグはそういって、いつものように豪快に笑った。
「……なあ、義父さん。
もう少し、いいだろうか。
実はもう一つ、話を聞きたいと思って来たんだ。
……もし、そんな時間があればなのだが」
「ん? おいおい、なんだよ、改まって。そういうのはいいって言ったろ」
「……ノールという人物が、どんな子供時代だったか……良かったら、教えてもらえないだろうか」
イネスの口から出た人物の名前にダンダルグは少し意外そうな顔をした。
「おお、本当に珍しいな。
お前が他人のことに興味を持つなんて。しかも、よりによってあいつか」
「……おかしいだろうか?」
「いや、そうは言ってない。いいことだと思うぜ? ……でも、なんでまた?」
「……負けたんだ。負けたと思った。
あの男、ノールに。私では勝てないと思った」
「はは、そうか、あいつにか。
そりゃあ、残念だったな。
あれは、まあ、なんていうか……相手が悪い。
ちょっと色々とおかしいもんな、あいつ。
ああいう奴を普通の物差しで測ろうとすると混乱するだけだし、それで負けたなんて思う必要はないと思うぞ?」
「……いや、私自身の物差しでちゃんと測って、負けた気がしたんだ。
でも、それで良かったと思っている。
余計な肩の荷が降りて、自分のことを少し冷静に見られた気がする」
本当に珍しいことだ、とダンダルグは感心した。
ここまでイネスが他人のことを気にして語ることなど、知る限りは今までなかったことだった。
「……ほう、そうか。そいつは良かったじゃないか。
……ギルバートが聞いたらどんな顔するかねえ」
「何故、ここであいつの名前が出てくるんだ……?」
「いや、こっちの話だ。気にしなくていい……ていうか、お前、本当に気付いてないんだな」
「……?」
「で、何を聞きたい? とは言っても俺の知ってることはあんまりねえぞ。俺が知ってるのは3ヶ月だけだ。それでも、とんでもない奴だってのはわかったけどな。その時の話だったらしてやれるが、そうだな──」
イネスに訪れた変化を好ましく思いながら、ダンダルグは特注の大きな椅子に腰掛け直し、机に頬杖をついて記憶を辿った。






