58 冒険者の娘
イネス・ハーネスは家族を知らない。
まだ物心がつく前に冒険者だった両親が死に、自分だけが残された。
幼いイネスは両親の冒険者仲間達の家を転々とした後、結局、王都の『ハーネス孤児院』に引き取られた。
────そこには自分と同じような目をした子供達がたくさん居た。
孤児院の院長と、職員達は優しかった。
それは家族ではなかった。
でも、それに近い、何か温かいものではあった。
彼らは快く彼女を受け入れ、温かい食事を与え、新しい衣服も与えた。
そしてその優しく温かい人々は手を差し伸べ、皆と一緒にここで暮らそうと言った。
でも、イネスはとても自分がその一員になれるとは思えなかった。
何故なら────。
『お前は、疫病神だ』
そう言われながら、それまでいろんな場所を転々としてきたからだ。
実際、自分がいた場所では時々何か悪いことが起きたように思う。
その度に、言われた。
お前の両親は、運がなかった。
だから死んだのだ、と。
お前も両親に似て、運がない。一緒にいると、悪いことが起きる。
だから、お前もやっぱり『疫病神』なのだと。
お前の両親には世話になった。だが、もう義理は果たしただろう。
だから、もう────悪いが、他の場所へ行ってくれ、と。
そうしてどこへ行っても、大抵同じようなことを言われ、結局最後には追い出された。
でも、孤児院の人たちはいつまでたっても、そんなことは言わなかった。
そして、その孤児院で生活を続けて数ヶ月が経ち、数年が経ち、イネスはだんだんとその場所に慣れて安心を覚えてきた。
不思議と、悪いことも起こらなかった。
もしかしたら。
ここなら、自分がいてもいいのかもしれない。
そんな風にも思い始めた。
一緒に遊ぶ友達と言える仲間もでき、職員たちにも次第に親しみを覚えてきた。
そうして、イネスはその後も何不自由なく、健康に成長する────そのはずだった。
だが、あるとても晴れた日。
何気なく孤児院の庭に出たイネスが空に手を向けると、そこに不思議な光るものが漂っているのに気がついた。
それはとても綺麗な、薄く輝く『膜』のようなもの。
────なんだろう、これは……?
イネスは不思議に思い、それをじっと見つめ続けた。
そうして、イネスの手の先にある、その光るものに気がついた小さな男の子が駆け寄り、戯れにそれを掴もうと手を伸ばし────途端に、その子の身体の一部が切断された。
それが、イネスが類稀なる【恩寵】持ちだったことが判明した瞬間だった。
イネスの得た【恩寵】は、想像を絶するほどの力を彼女に与えていた。
全てを切り裂く『光の剣』。
一国の軍隊ですら、その気になれば、何の訓練もなしであっという間に殺し尽くしてしまえるほどの、絶大な力。
────たった一人いれば国を滅ぼすに十分。
国を運営する地位ある人々に、イネスはそう判断された。
使い方によっては莫大な益を産み、また使い方を誤れば巨きな災いとなる、隔絶した力────少女はなんの準備もなく、それを手にしてしまった。
ただ存在するだけで一国を脅かす者。
そんなものを国としても放っておくわけにはいかなかった。
イネスは結局、孤児院に籍を置きながら、同時に【六聖】全てを師として教育を受けつつ育てられることになった。
────そうして、また数年の月日が経ち。
イネスは弱冠14歳にして【神盾】の名を与えられ、王国の上級騎士という要職に就いた。
そのような年齢の少女がその立場に就くことなど、王国の歴史が始まって以来初めて、異例の待遇だった。
だが、それに異を唱える者は誰一人としていなかった。
何故なら、その頃には既に彼女の類稀なる武勇────言い換えれば、恐ろしさは広く民衆にも知れ渡っていたからだ。
────曰く、ただの訓練で小高い山を二つに割り。
────曰く、同行した討伐任務で飛び来る牙飛竜の群れを一刀で全滅させ。
────曰く、ながらく隊商を襲ってきた盗賊団の拠点を一晩で崩壊させ、壊滅させたと。
その逸話は最初、大袈裟な噂話であると一笑に付されたが、その後、実際の物証を目にする者が増え始めると、信じがたい噂は紛れもない事実であるという事が知れ渡り、彼女の名声が高まるのに拍車をかけた。
加えて彼女は聡明で何事も良く吸収し、並の管理階級程度の知識は既に有しており、また、上級騎士となる為の国家試験を首席で合格するほどに頭も切れた。
彼女が元々身寄りのない孤児であり、騎士叙任の時に自らの意思で育った孤児院の名を姓としたことも評判を呼び、『【神盾】イネス』はあっという間に国民の広い支持を得た。
その年齢の若ささえ魅力と映った。
何も否定する材料は見当たらない。
王国の民は諸手を挙げて彼女を歓迎した。
【六聖】に次ぐ、次世代の『伝説』が生まれた瞬間だった。
そうして【神盾】の名を戴く騎士叙任と同時に、イネスは一つの任務を言い渡された。
それは、王の一人娘────まだ幼いリンネブルグ王女の護衛兼、世話係。
イネスは少し意外に思った。
自分は王国の『剣』、そして『盾』として、この身と命を捧げるつもりだった。
なのに、護衛────は良いとして、世話係?
疑問に思いつつも、その仕事を受け入れた。
始めてみると、その仕事は不思議と性に合っていた。
もっと簡単に言えば────とても、楽しかった。
王女は明るく聡明でよく話し、自分の知らない物語や遠くの世界のことを、まるで辞書や図鑑を紐解くかのように語り聞かせてくれた。
また、しょっちゅう王女の思いついた不可思議な遊びにも付き合わされ、その相手をするのに苦労はしたものの、それもイネスにとってはとても新鮮なことだった。
何故なら────。
孤児院の子供達はあの出来事があってからイネスと距離を置くようになり、誰かと遊ぶなどということはそれ以来、一切無かったことだから。
孤児院の子供達とは、あの自分が腕を斬り落としてしまった少年に謝罪の言葉を告げて以降、一切、口をきかなくなった。
幸い、その少年の腕はその場にいた院長が治療を施し、元どおりになった。
でもそれから、イネスは他の子供達に近づくことすらしなくなった。
近づけばきっと、怖がらせてしまうから。
下手をすれば、また同じことが起きないとも限らない。
事実、自分が近づくと皆が避け距離を置く。
建物の廊下ですれ違う時も無言で道を開けられ、遠目に視線を投げられる。
皆の目線からイネスがいつも感じるのは、恐怖に近い感情だった。
未知のもの、自らに害をもたらす者に対する怖れ。
そんな感情を抱かれるのはもう、仕方のないことだと受け入れていた。
職員たちが接触を促しても、それは頑として拒否した。
自分は、あれだけのことをしたのだから。
彼らの仲間にいれてもらうことなど、出来はしない。
ことあるごとに木の棒を持って自分に勝負を挑んでくる、あの手の付けられない乱暴者────ギルバートだけは違ったが。
そんな例外を除いては周囲にはイネスに触れようとする者さえ、いなくなっていた。
だから、イネスにとって多少年の差はあっても同年代の誰かと話し、まともに一緒に何かをするということは、本当に久々の感覚だった。
それだけに、嬉しかった。
それが自分に課せられた任務だということを、たまに忘れそうになるぐらいに。
時折、護衛としてそれらしい働きもしながらも、それを含めて楽しかった。
王女に頼られ、自身もそれに応える。
彼女を護ること。
それではじめて、自分が生きている実感が湧いた。
やはり、ここでなら生きていてもいいんだ、と思えるようになった。
イネスはそうして、この国のために生きること────そして、自身が仕える王女を護ることに全てを捧げることを誓った。
────だがその六年後。
その関係は一旦、終わることになった。
王女の『試練』が始まったからだ。
あまりにも優秀な王女は全ての試験と手順を歴代最速で乗り越え、たった14歳にして王位継承権を得る為の試練に挑む資格を得た。
王国法が定めるところにより、王位を継ぐものがその正式な継承権を得るには、一つの課題をクリアしなければならない。
それは『還らずの迷宮』に潜り、そこから何かの成果を持ち帰ること。それが何かは明確には決められてはいない。だが、自分の手でその何らかの成果を手に入れ、王を、民衆を納得させることが条件だ。
その間、試練を受けるものは、誰の手も借りてはいけない。
だから、護衛である自分はそこについては行けない。
それは仕方ない。
そう納得して送り出したはずだった。
王女なら、必ずや困難な試練をやり遂げられると信じて。
自分はそれまで待っていれば良い、と。
それなのに────。
直後、突然の深淵の魔物、『ミノタウロス』の襲来。
王女暗殺を目的とした事件だった。
王女は、危うく命を落とす所だったという。
イネスは、苛立った。
もし、その場に自分が居れば、絶対にそんなことなどさせなかったのに。
王女の側を少しでも離れたことを心の底から後悔した。
そしてあろうことか────突然現れ、王女を助けたというその男、ノールという人物に嫉妬したのだ。
王女は、リンネブルグ様は自分こそが護るはずだったのに、と。
感謝すべき恩人であることは明白なのに、それを妬んだ。
イネスの中には、自分の役目────『自身の存在意義』を奪われた、という嫉妬心が芽生えていたのだ。
────イネスは自分の感情に少し、戸惑った。
そんなことは初めてのことだった。
嫉妬されることはあっても、自分がそれを他人に対して感じるなど。
それまで、想像すらしなかったことだ。
その後、行動を共にすることになった、その男────ノールは全てが異常といっても良かった。
『黒死竜』の致死の瘴気を正面から受け止め平然とし、王都を消滅させようとしていた【厄災の魔竜】に単身挑み────あろうことか、それを調伏した。
そうして、皇国の新兵器の強力な火力攻撃を物ともせずに真正面から斬り込み────あの一万の大軍を、たった一人で壊滅させ、皇国の攻撃によって瀕死となった魔竜を【癒聖】セインの手で復活させ、皇国に直接乗り込むという誰も思いつかないような提案をし────魔族の少年ロロの力を借りて実際にそれが出来ることを証明し、王国に起死回生の勝利をもたらした。
その間、たった1日。
そのたった1日の男の功績ですら、挙げていけばきりがない。
────あの男には、絶対に敵わない。
そう思った。
自分では到底、届かない高みを見た気がした。
それがいつかはわからない。
でも、どこかの時点でイネスは完全に自身の敗北を認めていた。
────自分は、絶対に誰にも敗北することは許されない。
ここまで生かしてくれた王国を、全ての脅威から護る。
それが自分の役割であり【恩寵】という力を手にした者の責務。
そう信じて疑わなかった。
相応の努力だって、してきたつもりだった。
自分はこれまで強くあろうとする為に必死になり、全てを捧げてきたのだ。
それが全て、たった1日で否定された。
一人の男の存在によって完全に覆された。
気づけば、護るはずの自分が何度も護られていたのだ。
護られる以外、何も出来なかった。
いったい、ここまでの自分の人生はなんだったんだろうと思う。
自分の思い描いていた、自分の役割は幻想に過ぎなかった。
その幻想は、突然現れたその男────ノールに、あっという間に砕かれた。
────でも、なぜだろう。
そんなに悪い気がしなかったのは。
むしろ、色んなものから解放されたような気分だった。
「例の魔族の少年の身柄を、我が国で保護することになった」
そんな時だった。
王子から、王の決定が皆に通知されたのは。
魔族の少年、ロロを誰かが預かる必要が出来た、と。
彼には身の危険がある。命を狙われる危険すらある。
だから、誰か力のある者が常にそばに居て守ってやる必要がある、と。
そう伝えられた。
あの少年。
仲間から切り捨てられ、どこにも行き場がなくなり────
『魔族』として、世間からは必然的に疎まれ、爪弾きにされる筈のあの小さな少年。
その子を、誰かが護る必要がある、と。
「────────私が、やります」
気づけばイネスは咄嗟に、自分でもよく理由がわからないまま、役目に名乗り出ていた。
「あの子は────私が世話をしたいのです。
どうかお任せいただけないでしょうか」
と。






