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俺は全てを【パリイ】する 〜逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい〜  作者: 鍋敷
第一章 魔導皇国編

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45 才能無しの少年

一話の対となるエピソードです。

(【六聖】の六話分を詰め込んだのでちょっと長くなりました)

一章最後のお話となります。

 シグが管理する王都の訓練所に見知らぬ子供が現れたのは突然のことだった。


「【剣士】の訓練を、受けさせてくれ」


 それは年端もいかない少年だった。

 こんな子供が訓練所を訪れたことなど、今までにないことだった。


「訓練? 君がか? 冒険者ギルドの許可証は持っているか?」

「ある。さっきもらってきた」

「……確かに、ギルド職員の判が押してあるな──だが、君のような子供が……? いや、ここに判がある以上、受け入れるしかない、か」


 王都の冒険者を養成する訓練所には「来る者は拒まず」という暗黙のルールがある。ギルドの職員が資格を判断し、訓練所の教官がその判断に従って教える。

 手続きとしては単純だ。


 だが──それにしても。

 こんな子供をいきなり寄越して来るとはギルドの職員は何を考えているのだ。

 何か事情があるのかもしれないが、大の大人ですら音をあげるような訓練にこんな子供が耐えられるはずはないだろう。

 【剣士】の訓練所の指導教官長を務める【剣聖】シグはそんなことを思いながらも、目の前の子供に問いかけた。


「子供だからといって特別扱いはしない──ここはそういう場所だ。訓練は厳しい。それに耐える覚悟はあるか?」


「ああ、わかってる」


 その少年はまっすぐにシグの目を見つめて言った。


 だが、シグは思った。

 おそらく、この子はすぐに訓練から脱落することになる。

 三日もてば、いい方だろう。


 そう思いながらシグは部下たちに訓練内容(メニュー)を指示し、少年の訓練を開始したのだが──


 その子供は三日経っても、一週間経っても訓練に音をあげることはなかった。

 【剣士】の訓練では朝から晩まで剣を振るうが、この少年は手の皮が剥け、血だらけになってもやめる気配がない。それどころか腕の筋肉が引き裂けそうな勢いで、必死に剣を振り続けている。


 覚悟のない者は初日で辞めていくが、気づけば10日が経とうとしていた。

 その時点でシグは少年に対する考えを改めた。

 この少年、どうやら覚悟だけは本物らしい。


 この少年は、どこまでついてくることができるのか。

 少しだけ、興味を持った。


 そうしてシグが見守る中、少年はその先の訓練まで挫けることなくついてきた。

 余程のことがない限り、ここまで残る訓練生はいない。

 この訓練所の目的は【スキル】を身につけるために体と精神を極限状態に置くことであり、それを継続することには多大な苦痛を伴うからだ。


 昼夜変わらず剣を振るい、飛び来る鉄球を、武器を弾き続け、剣を握る手の骨が砕けようとも歯を食いしばりながらそれを続ける、ある種狂気じみた剣と己を一体とする為の訓練。

 この少年はそんな領域にまで足を踏み入れた。


 少し前まで、剣を握ったことすら無かったというのに。

 幼少期から、ここまで無心に剣を振ることができる者は稀だ。


 ──この少年は、もしかしたら本当に有望かもしれない。


 シグがそんなことを思い始めた時、ふと、おかしなことに気が付いた。

 この少年は、ここまで来ても最も習得が容易な【パリイ】以外まだ何も【スキル】を身につけていないのだ。

 こんなこともあるのか。

 経験上、ここまで来れば、それもここまで年若ければ【スキル】の発現率は低くない筈だ。

 もう何かを身につけていてもおかしくはない。


 この少年はもう少し、時間がかかるのかもしれない。

 だがいずれ、身につける筈だ。

 そうすれば、この少年は飛躍的に強くなる。


 ──なにせ、この少年は目がとてつもなく良いのだ。


 一度、見せてほしいとせがまれ、渋々ながら【千剣】のスキルを披露したことがあった。

 どうせ、常人には見えない。

 【千剣】は放った自分ですら捉えることが難しい、制御することすら困難な技。

 そもそも、何も視えずに終わるのだから、見せることに意味はない。

 そう思いながらも、少年の求めに応じて戯れに披露したのだが。


 少年から技の感想を聞き、シグは驚愕した。

 この少年の眼には全てが視えていた。

 【スキル】の恩寵で全てが高速化し、自身ですら捉えきれない動きを目で追っていたのだ。

 それどころか、一挙手一投足をはっきりと捉えていた。

 その上で、シグですら自覚していなかった動きの癖を指摘した。


 ──鳥肌が立った。


 シグはこの少年の優れた資質を目の当たりにし、自分が人生の時間を割いて育てるに値する『芽』を見出した気がした。

 いずれ、自分と対等な剣士に育つことも夢ではない──柄にもなく、そんなことを思っている自分がいた。


 シグはこの少年に密かに大きな期待を寄せるようになった。

 これはとんでもない逸材を発見したかもしれないと、胸が高鳴った。


 だが──訓練を続けていると、予想外のことが起こった。

 この少年には、どんなに努力しても剣士職として有用な【スキル】が芽生えなかったのだ。


 いや、そんなはずはない。

 何かの勘違いか見落としかとも思った。


 だが、違う。

 何度確認してみても、やはり何も身につけていない。


 シグはここにきて焦りを感じていた。

 もし、何か、一つでも身につけられたなら。

 使える【スキル】が一つでもあれば、この少年はそれをものにするだろう。

 それだけの努力を、研鑽を、この子は積める筈だ。

 それは何よりも得難い資質だった。


 この少年には必ず何かの才能があるはずだ。

 絶対にものになる。

 そう思って訓練を続けた。

 もう、訓練は最難関の領域に到達していた。

 この少年はそこまでついてきたのだ。

 ここまでやって何もないことなど、あるはずはない。

 シグは途中から祈るような気持ちで訓練を見守っていた。


 だが──いくらやってもダメだった。


 どんなに頑張ったところで、ただの一つも有用と言えるスキルが身につかなかった。

 これでは、【剣士】としてはやっていけない。

 弱い魔物を相手にするぐらいなら、まだ、だましだましでも戦えるだろう。

 だが、本当の脅威に立ち向かうとなると──このままではダメだ。

 すぐに命を落とすことになる。


 この子は体格にも恵まれ、意志も強い。目も良い。なのに──


 ──残念なことに『剣』の才能だけがない。

 剣の神に愛されていないのだ。

 そう判断せざるを得なかった。


「君は、別の道に進んだ方がいい」


 それが、苦悩した末に下したシグの決断だった。


「もうこれ以上、ここで教えられることはない。別の場所へ行け」

「でも──!」


 少年は食い下がった。

 当然だろう。

 三ヶ月もの間必死で訓練についてきて、結果、「才能がない」などと。

 これは指導にあたった自分の責任でもある。

 だが、これ以上、無意味なことを続けさせるわけにもいかないのだ。

 そんな資格は、自分にはない。


「スキルもなく、ただ剣を振るだけでは【剣士】としては全く仲間の役に立たない。これ以上は、君の時間を無駄にするだけだ。諦めて次に行け」


 シグは敢えて少年を冷たく突き放し、剣士の訓練所を追い出した。


 ──この少年には本物の素質がある。


 だが、だからこそ、この少年にはきっと違う道がある。

 剣を極めること以外の道が。




 ◇◇◇




 その子供が【戦士】の訓練所に現れた時、ダンダルグは腕組みをして顔をしかめた。


「おいおい……お前、本気でうちの訓練に参加する気かよ……?」


 聞いたところによると、その少年は【剣士】の訓練所を追い出されてきたらしい。

 シグから最近「子供の面倒をみている」という話は聞いていた。

 【剣士】の訓練はダメだったから、いずれそちらに向かうかもしれない、とも。

 そういう話は確かに聞いていた。

 だが、実際に目の当たりにしてみると、本当に子供でしか無かった。


 本当に大丈夫か、こいつは。

 うちの訓練を受けさせてもいいのか。


 その疑問が第一印象だった。

 その少年はどうみても、屈強な者共の集う【戦士】の訓練所にふさわしい体格では無かった。


 戦士は仲間の『盾』となる役割。

 この少年は普段訪ねてくる彼らと比べると、吹けば飛ぶような小ささだ。

 だがどんな人間であれ、ギルド職員が認めたとあれば受け入れの拒否は出来ない取り決めになっている。

 仕方ない、ちょっと体験すれば勝手に諦めて出ていくだろう。

 そう思い、訓練に参加させることにしたのだが。


(──こいつは、驚いた)


 予想に反し、その子供は過酷な訓練について来た。

 大の大人も逃げ出すような訓練に。

 いや──体は追いついていない。

 だが必死で喰らい付き、殆ど命を削るようにして、訓練に食らいついて来ている。


(──こんな奴がいるのか)


 ダンダルグは信じられない思いだった。

 だが、認めざるを得ない。

 この少年は強い。

 身体が、ではない。


 精神(こころ)がとにかく強いのだ。

 自らの苦痛を顧みず、一切の保身を考慮に入れず、ただひたすらに前に出続けることが出来る。

 狂気と紙一重の並外れた勇敢さ、と言ってもいい。

 それは、【戦士】職には何よりも求められるもののはずだった。


 どんなに酷く傷ついても前に出続けるその少年の姿勢にダンダルグは身震いがした。

 自分は、そんな人材をこそ求めていたのではなかったか。

 文字通りの『不屈』の精神を持つ、自らの片腕となる人材を。


 その少年は信じられないことに、最難関の訓練までこなすようになった。

 それは訓練所始まって以来『初めて』のことだ。

 ──それも当然。

 元々、クリアできるようになんて設計していない。

 王から最大限のものを望まれたら、自然とそうなる。

 もちろん、誰一人として突破できないものを作るわけにもいかないから、自分がクリアできること、という基準は作っている。

 でも、そんな基準を作ってクリアする人間が現れるとも思わなかった。


 なのに──この少年は、乗り越えてしまった。

 あの殆ど地獄としか言いようのない過酷な試練を。

 でも、それなのに。

 もっと、意外なことが起こった。


「こんなことが、あるのか」


 この少年にはそんな地獄のような過程で体に負荷を掛けても、どんなに努力してもまともな【スキル】が芽生えなかったのだ。

 並外れて楽観的な男、ダンダルグもこの時ばかりは愕然とした。

 ここまで頑張れる奴になら、何か一つぐらい、授けてやってもいいじゃないか。

 そんな風に、神とも、運命ともつかぬものに不満を持った。


 訓練期間の最大限、三ヶ月はあっという間に過ぎていった。

 期限が来て、少年は尚も訓練の継続を希望した。

 こんなことも初めてのことだった。


 ダンダルグは迷った。


 今日で訓練期間は終わるが、この少年を自身が団長を務める【戦士兵団】に誘うことは出来る。


 だが、もしこの子がこのまま何のスキルも身につけずに【戦士】となれば──

 この子は──きっと真っ先に死ぬことになる。

 この向こう見ずで勇敢な少年は、絶対に無茶をし、仲間をかばい命を落とす。

 そんな未来がありありと見え、ダンダルグは首を振った。


「──ダメだ。

 このまま無理に続けても、お前はすぐに命を落とすことになる。

 残念だが、お前は【戦士】には向かない。次に行け」


 そうして、ダンダルグは少年を自分の元から追い出した。

 ここまで頑張れる奴だったら、何か他の道もあるだろう。

 そう信じて。



 ◇◇◇



 ──田舎者。


 田舎者だ。

 こいつからは田舎者の匂いがする。


 【狩人】の訓練所を任されている【弓聖】ミアンヌは、訓練を受けたいと言って訪ねてきた子供を見たときに、そう思った。


「訓練を受けさせてくれ」

「本当にやるの? 別にいいけど。じゃあ、これ持ってあそこに投げて」


 そう言って、ミアンヌはすぐさま足元に落ちていた小石を拾い上げ、少年に手渡したが、小石を手渡された少年は戸惑っているようだった。


「……あそこって、どこだ?」

「あれ。あれに向けて投げて」

「あの木の棒か? 結構遠くに見えるけど、当てればいいのか?」

「そうよ。それ以外に何があるの? ほら、さっさとして。嫌なら帰るといいわ」


 ミアンヌはとても短気だった。

 少年は素直に受け取った石を放り投げた。

 空に向かって飛んで行った石を眺めながら、ミアンヌはぼんやりと思っていた。


 ──よし、あれが外れたらこの子供、追い返そう。


 これは、ミアンヌが気に喰わない者、見込みがない者、教える気分が乗らない者……を追い返す時に使う常套手段だった。

 何となく嫌だと感じたら、訓練と称して無茶な条件の試練を課し、それが失敗したら「お前はウチには向かない」と追い返すのだ。

 別に、それがダメだとは言われていない。

 訓練所の所長に、訓練の内容は任されているからだ。

 それがダメだというのなら、こんな仕事を自分に押し付ける方が悪い。

 ミアンヌは常々そう思っていた。


 この子供を一目見た瞬間に、ミアンヌは思った。


 ──こいつ、きっと面倒臭い。

 なんとなく、そういう奴の匂いがする。

 さっさと追い返そう。


 だから、いつもの奴を口実にして追い返そう。

 そう思っていた。


 だが──ミアンヌの期待とは裏腹に、小石は細い木の枝に、カツン、と音を立ててぶつかった。


「もう一回」


 ミアンヌは即座に二度目を言い渡した。

 まぐれ当たりは二度はない。

 一度、当たってしまったものは仕方ない。

 でも、もう一回やらせれば必ず失敗すると思うから、そうしたらこの子供を追い返そう。

 ミアンヌはそう思った。


「──当てれば、訓練を受けさせてくれるのか?」

「ええ。そうね、当てられたら、だけど」


 そんなことがある筈はないのだが。

 普通、こんな距離で石を投げてあの細い小枝に当てるなど、不可能なのだ。

 まあ、一度ぐらいなら偶然というものはあるものだ。


 でも、次こそは絶対に外れるはず。

 そしたら、すぐにでも追い返すのだ。

 そんなことを考えるミアンヌを前に、少年は小石を拾い、再び言われた通りに的に向かって投げた。

 だが石を投げる少年の姿を見て、ミアンヌはしまった、と思った。


 ──こいつ、次も当てる。当ててしまう。


 ミアンヌは確信した。

 この少年はしっかりと風を読み、目標を見据え、絶妙な力の加減で石の軌道を調整し、手から石を放り投げた。

 やばい。これでは当たってしまう。

 ミアンヌが言い訳を考えているうちに、石が細い木の枝の先端に当たるのが見えた。


「これで、いいのか?」

「──全然、よくない。全然、よくないわよ──!!」


 ミアンヌは苛立ちながらも、その少年に【狩人】の訓練を受けさせることにした。

 仕方ない、約束は約束だ──それを守らないというのも格好が悪い。

 そうだ。

 この先、この面倒臭い少年のことは全部、部下に丸投げすることにしよう。

 それなら自分が面倒な思いをすることもない、などということを思いながら。



「弓が使いたい」


 とりあえずは、石だけ投げさせておけばいい──。


 部下にはそう指示を出し、一週間が経った。

 どうせ嫌になってすぐ辞めるだろうと思っていたが、まだ少年はそこにいて、そんなことを言ってきた。


「……ダメよ。絶対にダメ。

 あれだけ色んな弓を壊しておいて、なに言ってるの?

 持たせても、即座に肢を握りつぶすし、弦を切りまくるし、ろくなことにならないし……本当にどういう握力してんのよ」

「次はうまくやるから、頼む……! お願いだ!」

「ダメよ。アンタのせいで訓練用の弓はもう数に余裕がないんだから! それどころか試しに持ってきた私の秘蔵の宝弓までへし折って……うぅ。……あれ以上の強度のはもう、存在しないんだから! アンタは石だけ投げてなさい」


 そして、言われた通りにその少年はその後も石を投げ続けた。


 ミアンヌが数日後、気まぐれに訓練所を訪れたとき、多くの訓練生が弓を使って訓練用の的を射ている中、その少年だけは的に向かって石を投げていた。


 ミアンヌはその時、初めて少年のことをまじまじと眺め、観察した。

 観察した上で、やはりこの少年はどこかがおかしい、と思った。

 弓を使ってようやく届く距離に置いてある訓練所の的に、肩の力だけで小石を正確に当てている。

 普段、他人に興味を持たないミアンヌが少しだけ興味を持った。


「……それ、誰に習ったの?」

「これか? いや、誰にも習ってないぞ。鳥を獲る為に、自然に身についた」

「へえ、鳥。どんな?」

「空から山ウサギを狙って落ちてくるやつだ」

「──そう。それに当ててたの?」

「当たり前だろ。当てなきゃ獲れないからな」


 あきれた話だ、とミアンヌは思った。

 少年の言う「山ウサギを獲りに来る鳥」と言うのはこの王国の生態系でいうと【雷迅鳥】しかない。

 空から雷のように疾く獲物を狩りに来るから、【雷迅鳥】。

 常人は目で追うことすら難しく、それを射落すのは熟練者が優れた弓を使っても結構難しい。

 まあ、自分は目を瞑っても出来るけど。

 でも大体の人間は難しい。


 それをこいつは、唯の投石でやってのけていたと言う。

 それも、【投石】のスキルを身に着ける前の話だ。


 ──なんなの、こいつ?


 あきれてものが言えない。

 ミアンヌは思った。


(こいつ、訓練所(ここ)にいる意味ある?

 もう、一生このまま石投げてればいいじゃない)


 そしてこの少年が石を当てている的を眺め、また呆れ返った。


 見れば、部下が少年の為に用意した『特別製の的』には無数の穴が空いていた。

 最初は少年も他の訓練生と同じような木製の的を使っていたのが、少年の投げた石によってすぐに穴だらけになり、あっという間に破壊されてしまい、困った部下たちの手によってすぐに別の物と交換されたのだ。

 それからは、無残に破壊される、ということはなくなったのだが。


 だが──聞いたこともない。

 壊れない的として用意された鋼鉄製の大盾を、辛うじて見えるぐらいの距離から投げた小石で撃ち抜く(・・・・)、などと。


 ──やっぱり、この子供は異常だ。おかしい。


 確かに、弓を使う才能などこれっぽっちもない。

 身についたスキルも【投石】だけだ。

 でも、それで十分じゃないか。

 下手な弓より、よほど強力だ。


 もう、こいつには朝から晩まで石だけ投げさせときゃいいのでは。

 そうすりゃ、いつか飽きて出て行くだろう。


 ──ミアンヌがそう思って、思い続けて三ヶ月が経った。


 その間、ミアンヌの出す無理難題を乗り越え続け、あきらめ悪く訓練所に居座り、未だに「弓を持たせてくれ」と懇願する少年に、ミアンヌは言い放った。


「言ったでしょう? アンタに弓はいらない。

 アンタには繊細な道具を扱うセンスが絶望的にない──全然ダメ。

 持っても壊すだけじゃないの! 弓なんか教えるだけ無駄!」

「で、でも──!」


「アンタはそのまま石でも投げてりゃいいのよ──それで十分。

 さっさと何処かに行きなさい。ここにいられても邪魔だから」


 ミアンヌは尚も【狩人】の訓練所の門にしがみつく少年を、手荒に蹴って追い出した。


 自分よりも的に当てることが上手い者など、この訓練所に居られても邪魔でしかない。

 だいたい、元からこいつに教えることなんて何にもないのだ。

 この少年は【スキル】を身につけて「冒険者になる」ことにやたらこだわっているが、別にそんな肩書きがなくても人生はなんとでもなるだろうに。


 ──本当に面倒臭い奴。

 さっさと自分で好きにやればいいのに。


 それがミアンヌの嘘偽りない気持ちだった。




 ◇◇◇




 身体中に足型のような形の泥をつけ、肩を落とした少年が【盗賊】の訓練所に現れたのは、カルーが昼休憩で読書しながら寛いでいる時だった。


「【盗賊】の訓練を受けさせてくれ」

「訓練を? お前のような子供がか? ──そうか、お前があのノールか」

「ああ。訓練を受けさせてくれ」

「いいだろう。ついてこい」


 カルーはこの少年の話を耳に入れていた。

 どういう人物かも大体把握している。

 今さら無駄な問答をする必要もない。

 早速、【盗賊】の訓練が始まった。


 【盗賊】の訓練内容は地味なものばかりだ。

 気配を消す訓練。

 気配を察知する訓練。

 音もなく目標に近づく訓練。

 設置された罠や仕掛けをひたすら発見し、解除したり回避したりする訓練。 


 それら基礎的な訓練を繰り返し、だんだんと難易度(レベル)を上げていく。

 そうすると大抵、何周目かで【盗賊】職に必要な【スキル】が身につく。


 だが、どんなに頑張っても、この少年にはただ一つ──足音を軽減するスキル【しのびあし】しか芽生えなかった。

 それ自体は悪くない。最も基本的なものの一つだからだ。

 だが、気配だけ消せたところで、他の能力と組み合わせて使えなければ【盗賊】職として役に立つことは難しい。


 それだけでなく、少年は【盗賊】職として他にも大きな問題を抱えていた。

 設置された罠や仕掛けに対して、不器用そのものなのだ。


 【盗賊】といえば鍵の解錠や罠などの危険察知が仲間内での役割となるものだが、この少年は鍵を掛けた小箱を渡せば必ず破壊するし、罠に近づけば必ず作動させてしまう。

 鍵はまあ、触らせなければ破壊することもないのだが、罠を作動させる方は深刻で、複数の罠の掛かった通路に入れば一つ残らず全て作動させて帰ってくる。

 どういうわけか、壊れて修理が必要とされているような罠でさえも、少年が近づけばなぜかきちんと発動するのだ。 

 もはや、神がかっている、と言ってもいい。


 何かのスキルや【恩寵(ギフト)】持ちか何かとも思ったが、違うらしい。

 それが分かる魔道具を持ち出してみても、なんの反応もない。

 天性の運の悪さと不器用さとしか言いようがなかった。


 だが、少年は必ず仕掛けられた(トラップ)を発動させはするものの、どんな脅威もものともしなかった。

 飛び来る毒矢を素手で叩き落とし、身体を押し潰そうと転がる大鉄球を真正面から受け止め、天井から襲い掛かる無数の毒蛇の頭を全て潰し、血抜きをして持ち帰った。


 聞けば、あとで調理して夕飯にするのだという。


 ──趣旨が、違う。


 そう、その少年は全ての罠を正面から打ち砕いていった。

 事前に発見したり、解除したり、回避したりするのではなく。

 罠を発動させた上で、真正面から叩き潰したのだ。


 ──確かにすごいが、間違っている。


 これは盗賊の訓練だ。

 勇敢さと動体視力、反射神経と生存能力は認めるが、趣旨が全然違う。

 いや、罠にどう対処するのが本当は正解だ、というのは実際はないのだが、最低限のことは教えてから訓練を始めるべきだったとカルーは後悔した。


 ともあれ、いくら罠を発動させたとしても、この少年自身は大丈夫だと言うことは分かった。

 だが、これではパーティで行動した時、巻き込まれる方はたまったものではないだろう。

 この少年は集団行動には致命的に向かない。


 ──この少年は【盗賊】職としては完全に失格だ。


 あくまで、冒険者志望の【盗賊】職としては、だが。


「どうしても冒険者でなければいけないのか?」

「ああ。俺は冒険者になりたいんだ」


 カルーはそれ以上何も聞かなかった。

 この少年は、簡単に意見を曲げるような人物には見えなかったからだ。

 そういう性格も含めて、カルーはこの少年を好意的に受け止めた。


 この少年はまあ、そんなに悪くない。

 気配を殺すことには長けているし、恐ろしいほどに勘がいい。

 ──だが、それだけで【盗賊】職として合格点にはならないだろう。


 訓練期間が三ヶ月を迎え、別れ際にカルーは少年にはっきりと言った。


「冒険者としてやっていきたいのなら、罠のかかった宝箱の開錠もできない、気配察知スキルももたない……おまけに触った罠を片っ端から作動させていく斥候(スカウト)などお話にもならない。【盗賊】に関しては全く才能はないから違う職を探せ」


 とはいえ、カルーは知っていた。

 この少年は【剣士】、そして【戦士】の才能もなかったという。

 あのミアンヌがまともな訓練を行ったとは考えにくいが【狩人】もダメだったらしい。

 自分が面倒を見た【盗賊】職でも碌にスキルは身につかなかった。


 残るは、【魔術師】と【僧侶】のみだが、おそらく望みは薄いだろう。

 となると、この少年は規定上は『冒険者』になる最低要件を満たせないということになる。

 そう考えて、カルーは仮面の下で笑った。


 ──そうか、それならば都合がいい。


 この少年の意志は固いようだが、もし今後、彼が『冒険者』への道を諦めざるを得ないのなら、ちょうどいい。

 自分の王都諜報部(職場)にリクルートしよう。


 確かにこの少年には何のスキルもない。

 罠を片っ端から作動させてしまうのも困りものだ。

 だが、この少年の気配の消し方と、周囲の異変を察知する天性の勘は優れている。

 何よりも余人に代え難い忍耐力と執念がある。

 それは自分のような職業を生業とするものにとっては、何よりの資質だ。

 きっと将来、優秀な諜報部員として活躍してくれるだろう。


 これはいい人材を見つけた──。


 そう思いながら、カルーは期限が来ても【盗賊】の訓練の継続を希望する少年を訓練所からつまみ出した。

 そして尚も、【隠蔽】を使っている自分の姿を察知し、必死に追いかけようとしてくる少年の姿を頼もしく思いながら、夜の闇に紛れ姿を消した。




 ◇◇◇




「……【魔術師】の……訓練を、受けさせてくれ……!」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、【魔術師】の訓練所の門を叩いていた少年を見かけた時、【魔聖】オーケンは首を傾げながら自慢のあご髭を撫でた。


「ホッホウ──随分と若い訓練志願者じゃの? 確か、普通は最低でも15歳からじゃったような気がしたが……受付年齢が急に下がったのかのう?」


「ギルドのおじさんから紹介してもらったんだ……!

 頼むから、受けさせてくれ……!!

 もう、本当にここしかないんだ……!!

 頼む……!! お願いだ……!!」


「ホッホウ、面白い口のききかたをする小僧じゃのう──まあ、やるだけやってみなさい」


 そうして、【魔術師】の訓練をはじめてはみたものの──案の定、ダメだった。


 その少年は、一言でいえば全く魔法の才能がなかった。

 驚くほどに、魔力が体に流れないのだ。

 魔術は幼い頃から魔力に親しみ、理論を学び、やっと使えるようになる。

 だが、この少年はその一番最初の段階でつまずいた。

 この少年の魔力は、あまりにも凝り固まってしまっているのだ。


「ちと、魔力を動かし始める時期が遅かったかのう。

 じゃが、それにしても……ここまで魔法の才に恵まれない者もめずらしいのう。

 その年齢ならもうちょっと柔らかくてもおかしくはないのじゃが……なんかの体質かの?」


 この少年の身体に魔力がないわけではない。

 むしろ多い方だろう。

 だが、それが凝り固まって全く動かないのだ。

 動かせないものは、使えない。


 ──逆に言えば、強烈な魔法攻撃を受けても生き残ることのできる強烈な耐性がある可能性もあるのだが。

 この先頑張っても見込みはないことを少年に率直に伝えたが、本人は訓練所を去るのを拒んだ。


「──ふむ。ちと様子を見るか」


 オーケンはしばらく放っておくことにした。

 嫌になって辞めて行く者は多いが、出て行きたくないというのなら本人の気が済むまでやらせておくしかない。


 とはいえ、この【魔術師】の訓練所はある程度の知識と技術を身につけた者が来る場所。

 この持たざる少年に出来ることといえば『共振部屋』での瞑想だけだった。

 完全な闇に包まれた、音も光も完全に何もない空間に籠もり、自らの『魔力』のみと向き合う鍛錬。

 その部屋に全ての感覚を何倍にも鋭敏にする装置が埋め込まれており、【スキル】習得の効果は高いが、同時に恐怖や不安や苦痛も一緒に増幅されてしまう為、人によっては数分で気が狂う。

 数秒で耐えきれなくなって出てくる者も多い──少年はそんな説明を受けても、怖気付くことなく、訓練を受けることを望んだ。


 ──まあ、何事も経験だ。

 やらせてみてもいいだろう。


(どうせすぐに出てくるじゃろうし)


 オーケンは軽い気持ちで少年に『共振部屋』に入ることを許可した。


 だが、数分経っても、数時間経っても──

 少年はその部屋から出てくることはなかった。

 翌朝になっても少年が部屋から出てきていないことに気がつくと、オーケンの顔は青白くなった。


 ──まずい。

 もしかしたら中で気絶しているかもしれない。

 いや、下手すると……死んでるかもしれない。


 そう思ってオーケンが慌てて中を覗き込むと、少年は何事もなかったかのように、ただ静かに座っていた。

 そして、心配して様子を見に来たオーケンを見つけると「邪魔をするな」と部屋から追い出した。


 それからというもの、少年はずっとその部屋に入り浸ることになった。

 たまに食事とトイレに出てくる以外は、一切出てくることもなく、『共振部屋』はほぼ少年の専用部屋のようになってしまった。

 オーケンは流石に心配になり、何度も大丈夫か、体に異常はないかと問いかけたが少年は「何ともない」と答えるばかりだった。


 オーケンはどういうことかと、首をひねった。

 いきなりやらせてしまってはいたが、少年がやっているのは熟練の魔術師ですら逃げ出すような、かなり上位の鍛錬──この訓練所でいえば、一番辛い部類の鍛錬ということになるのだが。

 だが、それだけやっても肝心の【スキル】は一つも身についていないようだった。

 オーケンは再び首をひねった。

 こんなこともあるのか、と。



 ──そうして、そのまま三ヶ月が経った。


 訓練期間の期限も近くなった頃、相も変わらず『共振部屋』に出入りしていた少年が、珍しくオーケンを呼び止めた。


 少年はやっと、【スキル】らしきものを身につけたので見て欲しいという。

 オーケンは大した期待もせずに、少年がスキルを使う様子を眺めていた。

 この少年が殆ど魔力を動かすことが出来ない体質であることを知っていたからだ。


 まあ、何であれ、ここまで努力して身につけたのだ。

 それがどんなものであれ、それなりに褒めてやることにしよう。

 そんなふうに思いながら。


 だが、それを見せられた瞬間──オーケンは愕然とした。


(──何しとんのじゃ、こいつ)


 少年が出来たと言って見せてきたのは【プチファイア】だった。

 【魔術師】のスキルにおいて、最下位のスキル。

 まあ、それはいい。

 それ自体は問題ではない。


 問題はそれが二本の指先から一つずつ(・・・・)でていることだ。


 ──つまり、【二重詠唱】。

 こんな魔術に触りたての小僧が【二重詠唱】?


(何やっとんのじゃ、こいつ……!!)


 オーケンは驚きのあまり硬直していた。

 それは魔力操作の奥義とも言え、長年の研鑽の末に辿り着く筈の境地。

 自分が若かった頃は幻とさえ言われており、体現した時にはかなり驚かれたものだった。

 自分はそこまで行き着くのに、五十年かかった。


 自身が体現して以降、調子に乗って行く先々の酒場でコツを教えて回ったこともあり、その後数十年も経つと「出来るようになった」という者はそれなりに話に聞くぐらいにはなったのだが。

 それも自分が教える前にはいなかったのだ。


 なのに、こいつは。

 何も教えられないまま、自力で、それもたった三ヶ月(・・・・・・)でそれを成し遂げたという事になる。


(何やっとんのじゃ、こいつは──!!!)


 オーケンは驚きのあまり、頭の中で同じ台詞を三度繰り返した。


 今、目の前でとんでもないことが起きている。

 魔術の歴史を揺るがすような異常事態。

 だが、興奮するオーケンの前に立つ少年は悲しげな声でこう言った。


「──これが、精一杯だったんだ。どんなに頑張っても、これしか」


 オーケンは冷静さを取り戻すと、肩を落とす少年に声を掛けられないでいた。

 確かに、この少年の魔術に対するセンスは、ずば抜けている。

 ただ、体質が致命的に悪い。


 この少年の成し遂げたことは凄い。

 だが、冷静になって考えるとあまり喜べはしないのだ。

 オーケンには分かってしまうからだ。


 残念ながら──この少年に魔術師としての大成はない。

 この少年が魔術師として活躍する未来は、残念ながら、ない。

 三百年近くを魔術の研鑽に費やしてきた【魔聖】だからこそ、それが分かってしまった。


 ──勿体無い。

 これは本当に、勿体無い。

 普段何かを悲しむことのない楽観的な老人が珍しく、心の底から嘆いていた。


 体質という器さえ違えば、この少年は不世出の魔術師としてこの世に名を馳せていたに違いないのだから。


「ホッホウ──何にせよ、ここはお主の居場所ではないな。何か別の道を探すといい。お前さんがちゃんと納得して歩める道をな」


 そう言って、オーケンは満期で訓練を終えた少年を送り出した。


 視界から遠ざかっていく小さな背中を眺めつつ、自分が引き取って少年を育てることも考えに浮かんだが、思い留まった。

 この少年には他の人間にはない『何か』がある。

 このまま行かせても、自分の力でなんとかするぐらいの強さは持っていることだろう。

 この少年はおそらく、これから自身で道を探すことになる。


 ──この手の人間に、師はいらないのだ。


 かつての自分がそうであったように。




 ◇◇◇




「【僧侶】になりたい。訓練を受けさせてくれ」


 全てを諦めたような昏い表情の少年が、【僧侶】の訓練所の窓口を兼ねている教会を訪ねてきたのは雪の降る朝のことだった。


 その少年はどういうわけか何の前準備もなく【僧侶】になりたい、という。


「一応聞いておきますが、小さい頃に『祝福』の儀式は受けましたか?」

「──儀式? 何だ、それは」


 ──セインは少年を哀れに思った。

 残念ながら【僧侶】は、そんな風にしてなれるものではない。


「【僧侶】になるには、ある程度の素養(したじ)がなければ無理だから、やめておきなさい」


 残念ながら門前払いすることに決めた。

 可哀想だが本当に無理なのだ。

 幼少時の『祝福』がなければ人は『奇跡』を扱えない。


 普通は生後間もなく『精霊』を体の中に導き入れる儀式を行い、その精霊の量の多寡でその後に扱える『奇跡』の範囲が決まる。

 本当に特別な【恩寵(ギフト)】持ちでもない限り、例外は無い。

 後からやりたいと言ってできるものでは無い。


 ここへ訓練を受けに来る者は、あらかじめ数年前から決まっているのだ。

 急に来られても受け入れられないし、ここだけは他の訓練所にはない適性審査がある。

 少年の持つ訓練許可証に判を押した冒険者ギルドの職員は、そのことを知らなかったのだろうか。

 知っていれば、そんなことをするとは考えられない。


「その許可証も、おそらく何かの手違いです。ここではあらかじめ決まった生徒しか訓練を受けることができないのです。申し訳ないのですが」


 セインは少年を受け入れられない理由を簡単に説明した。

 だが、その少年は強情だった。


「──訓練を受けさせて貰えるまでは門の前から一歩も動かない」


 少年の意志は固いように見えた。

 だが、孤児院の院長を兼任するセインは子供の扱いには馴れており、この手の我儘は一時的なものと心得ていた。

 こんな雪の中で立ち続けるのは子供には辛い。

 いずれ、あきらめて立ち去ることになるだろうと、放置して仕事を始めることにした。


 だが昼頃になり、「あの子供がまだ門の前に立っている」と見回りの職員が困惑した顔で報告に来た。

 追い払うか、と聞かれたが「放っておきなさい」と返した。

 その日は忙しく、セインはそのまま別の仕事場に移動し、一日が過ぎた。


 ──翌朝。

 その子供は、変わらず門の前に立っていた。


「まさか、昨日からずっとそうしていたのですか?」

「ああ、そうだ」


 流石に、それはこの子供の嘘だろうと思った。

 こんな子供がコートも何も身につけず、丸一日この天候の中で立ち続けることなど考えられない。

 もし本当なら、今のようにまともに受け答えをする体力があるとも思えない。


「そんな風にして毎日訪ねてきても、変わりませんよ」

「俺も、訓練を受けさせてくれるまではここを一歩も動かない」

「そうですか」


 前日と同じく、少年のことは放置して仕事をすることにした。

 とはいえ様子が気になり、仕事の合間に時々、窓から少年の姿を見下ろし、あることに気がついた。


「……本当に、門の前から一歩も動いていませんね……」


 少年はその日の午後になっても門の前から一歩も動かなかった。


 まさか、本当にずっと昨日からああしていたのだろうか。

 日が落ちる頃になっても、少年がそのまま立っているのを確認すると、もはや、そんなことがあるはずがない、とは言い切れなかった。

 セインは急いで門の前に立つ少年の元に向かい、声をかけた。


「本当に申し訳ないのですが、いくらそこに立っていられても、何も教えることはできないのです。【僧侶】になるには特別な資質が必要なのです。何も意地悪で言っているわけではありません」

「──それでも、やりたいんだ。お願いだ。頼む」

「無理なものは、無理なのです。お願いですから、あきらめて帰ってください」

「──帰るところなんて、ない」


 セインにはもう、その少年が嘘をついているようには思えなかった。

 本当に帰る場所はないようだった。


「それなら、孤児院(うち)に来ませんか? 他にも子供たちが大勢いますし、きっと友達もできるでしょう」

「行けば、訓練を受けさせてくれるのか?」

「それはできません」

「なら、行かない」

「そうですか──ならば、気が済むまでそこでそうしていてもらうしかありませんね」


 セインは少し迷ったが、放っておくことにした。

 少年は弱っているようには見えなかったし、幸いここには癒術に長けた職員も多くいる。

 宿直当番の職員に、もしこの少年が倒れたら手当てをして暖かい部屋の中に入れ、すぐに自分のところに連絡をするようにと申し添え、その日は職場を後にした。


 だがその夜、セインは眠れぬ夜を過ごすことになった。

 職員からの連絡はなかった。

 少年は諦めたのだろうか。

 いくら強情な子供でも、生命の危険がある程に意地を張ったりはしないものだ。

 でも、あの子は意見を曲げない様子だった。

 それに、帰る場所などないという。

 やはり、強引にでも連れ帰ってくるべきだったかもしれない──

 そんなことを考えながら宿直の職員からの連絡を待つうち、そのまま日が昇り朝になった。


 その日の朝も、前の日と変わらず雪が降っていた。

 気になっていつもよりも早めに教会に赴くと、少年はまだ門の前に立っていた。


「──まさか、ずっとそこに……?」


 質問に答える代わりに少年の口から出た言葉は、昨日聞いたものと全く同じものだった。


「訓練を受けさせて貰えるまでは門の前から一歩も動かない」


 セインは背筋に寒いものを感じた。

 そして悟った。

 この少年は放っておけば、翌日も、また翌日も──命を落とすまで、ここに居続けるだろう。

 このままでは、この少年の命が危ない。

 最早、セインが折れるしかなかった。


「わかりました──手ほどきだけなら。【僧侶】の訓練に参加させてあげましょう」

「ほ、本当に──!?」

「でも、何かができるようになる保証はどこにもありませんよ。それはわかってくださいね」

「ああ、わかってる……!! ありがとう……!!」


 そうして、【僧侶】の訓練が始まった。

 だが、この少年に【僧侶】系統を目指す者であれば誰もが受けているはずの『祝福』はない。

 念の為、体内の精霊の量を測ることのできる計器を使って調べてみたが、改めて少年に素養(したじ)がない事実が浮き彫りになっただけだった。


 【僧侶】職の人間は身体の中に精霊を取り入れることによって、奇跡の力を行使する。

 それが【ヒール】などの癒しの奇跡を体現する系統【聖術】であり、そもそも使用に至る為の前提があるのだ。


 この少年にはそれがない。

 だから、訓練所に受け入れたところで、単にその知識を授けることになるだけになる。

 そう思っていたのだが、他の『祝福』で精霊を体内に宿した訓練生と同じように奇跡を「扱う」為の訓練をすることを求めた。

 それは不可能だということを伝えたが、少年の意志は曲がらないようだった。

 自分も他の者と同じような訓練を受けたい、と。


 仕方ないと思い、希望の通りにさせておいた。

 この少年が望むものは決して得られはしないだろうと内心哀れに思いつつ。


 だが、そこで、不思議なことが起きた。

 少年は、無謀とも言える訓練を継続した結果、最下級のさらに下位とはいえ【ローヒール】の【僧侶】スキルを身につけてしまったのだ。


 それは本来、起こり得ないはずのことだった。


 【僧侶】スキルは奇跡の触媒たる『精霊』を後天的にその身に宿さずには決して使うことはできない。

 身体に宿したもの以上の力は、使えないのだ。

 だが、精霊の力を使うことでしか成し遂げられない筈の奇跡を、この少年は現実に使っている。

 つまり、精霊の力を借りることなく自らの力で『奇跡』を行使している、ということになる。


 精霊を介さず、自ら奇跡を行使する──

 それが、どれほどとんでもないことか。


 それはつまり、身に宿す精霊の量に縛られず、『奇跡』の力をほぼ無尽蔵(・・・・・)に扱えることを意味する。

 どうすれば、そんなことができるようになるのだろう。


 本当に信じられない。

 セインの常識からすると、それはとても信じ難いことだった。

 だが、認めないわけにはいかない。

 この少年がある面に於いて、自分よりも遥か『先』の領域に到達しているということを。

 セインは少年によって、自らが修練を重ねる必要があることを気付かされたのだ。


 ──自分は何と、愚かだったのだろう。

 この少年のことを可哀想、などと。


 セインは少年に対する扱いを悔やみ、同時に感謝した。

 自らをさらなる高みに引き上げてくれた目の前の小さな師の存在に。

 だが、当の少年の表情は浮かなかった。


「これは、スキルじゃないのか?」


「残念ながら、【ローヒール】では『冒険者』としての有用スキルとしては認められないと思いますが……でも、幼少時の祝福もなしでここまでできるのは、すごいことなんですよ。今はまだ実感が湧かないかもしれませんが……これは本当に、すごいことなんです」


「そうか──やっぱり、ダメだったのか」


 少年は可哀想なぐらいに肩を落としていた。

 セインの想いとは別に、少年の望むものは手に入らなかったのだ。

 既に少年が訓練所を訪れてから、丁度、明日で三ヶ月が経過しようとしていた。

 

 その夜、セインは考えた。

 あの少年の才能はすぐに芽は出ないかもしれない。

 だが、時間をかけて育てれば、おそらく、きっと、とてつもない人物になる。

 最近孤児院に入ってきた彼ら──イネスやギルバートとも良い友達になれるかもしれない。

 そう思い、セインはこの身寄りのない少年を自らの経営する孤児院に招こうと思った。


 そうして翌日の朝、セインが声をかけようと訪ねた時──少年は訓練所から忽然と姿を消していた。

 少年は誰に別れを告げることもなく、自ら姿を消したのだ。

 目撃した部下が言うには、少年は冒険者ギルドのある方角へと向かったと言う。


 それを知ったセインは即座に【六聖】全てを招集し、会議にかけた。

 あの凄まじい素質を持った少年、ノールを今後どうするか全員に問う為に。

 そして、満場一致でその少年の身柄を【六聖】全員で引き受け、育てることが決まった。


 だが──その時、既に少年は王都から姿を消していた。

 最後に姿を目撃したギルドの職員が言うには、少年は行き先も告げず無言で何処かへ立ち去ったという。


 その事実を知ると、即座に剣聖シグが「全ての仕事を辞してあの少年を探す旅に出る」と言い出し、王宮を巻き込んでの大騒ぎになったのだが──なんとか、王を含む周囲の人間が引き止め、協力して探すということでことなきを得た。


 だがその後、幾ら手を尽くしても、一向に少年の行方はわからなかった。

 どういうわけか、誰一人、少年の影すら掴むことができなかったのだ。


 そうして、失意の中で時間だけが過ぎていき──


 彼らが再会する迄にはその日から、実に十数年の歳月を要することになる。

これにて一章終了です。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
【スキル】を身に着けるため体と精神を極限状態に置くことであり― スキル習得が環境に対する適応とするならば、ノールが有用とされるスキルを覚えないのは才能がないのではなく、逆に才能の伸びしろが大きすぎて…
何回読んでも盗賊のところで笑ってしまう
アニメ大変楽しく拝見させていただきました。 原作も気になり読ませていただき内容は知っていても涙したり笑ったりしながら拝読してます。 続きをまた楽しみながら拝読させていただきますね。
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