33 魔導皇国の進軍
「笑いが止まらぬ──こうも思い通りの結果になろうとはな」
皇帝は目前に広がる光景を眺めながらひどく上機嫌だった。
──『魔族』に洗脳させた魔物を王都内に解き放ち、同時に伝説の生物【厄災の魔竜】をクレイス王国の首都にけしかけ、壊滅させる。
その直後に大規模編成の皇国軍を派遣し魔竜を討ち取り、王国を『救済』の名目で支配する──。
臣下からその計画を聞かされたとき、皇帝は胸が高鳴った。
実際には【厄災の魔竜】は少し暴れた後、すぐに意識を取り戻したらしく、王都を壊滅させることなく飛び去ってしまったが──まあ、それはいい。
最初から、そこまで期待はしていなかった。
むしろ、あの不気味な『異族使い』の男に支払った金額の割には大いに役に立ったというべきだろう。
竜はミスラ教国から提供を受けた『悪魔の心臓』によって飛躍的に性能を改善された皇国の新型決戦兵器──『光の槍』の一撃を喰らい、力なく地上へと落ちていった。
皇帝は土煙の舞う王都に竜が沈み込むのを眺め、笑みを浮かべた。
「数千年を生きた竜とて、所詮は畜生──我が駒に過ぎぬ」
ここまでは概ね、予定通り。
大規模【隠蔽】魔道具を駆使し、クレイス王国に踏み込んだ皇国軍は、魔竜の『破滅の光』ですら防ぎきる、移動型魔力防壁生成装置『英雄の盾』三機と、魔竜の鱗すら焼き貫く魔力砲『光の槍』を四門引き提げてきた。
あの伝説に謳われる『破滅の光』が火遊びに思えるほどの、超高出力魔力線放射兵器に加え、それを運用する魔術師兵団、そして、徴用したばかりの新兵を一騎当千の兵に変える新型装備──鉄をも容易に切り裂く【魔装剣】、魔術を無効化し、物理攻撃も跳ね返す【魔装盾】を手にした兵士を九千揃えた。
更に、厳しい選抜によって選ばれた精鋭兵には、中級魔術師の攻撃魔術に匹敵する威力の遠距離攻撃を連発できる【魔装砲】と、そして魔法攻撃をほぼ無効化出来る【魔装鎧】を持たせてある。その数は千を超える。
あわせて、実に万を超える軍勢。
クレイス王国の人口は十万に満たず、その中で戦える人員など、流れ者の冒険者を含めたところで二千人にも及ばない。
さらに、この混乱の中でまともに戦える者など、何名いる?
せいぜいが、数百人といったところではないのか。
──質にも数にも勝る圧倒的戦力差。
皇帝は、こみ上げる笑いを抑えられなかった。
もはや、我が皇国に敵はいない。
それを知らしめる為の、進軍。
──筋書きは出来ている。
『還らずの迷宮』の管理を怠り、迷宮内の魔物を街中に出現させるに至り──
不要な欲を出して【厄災の魔竜】の怒りを買い、自滅しかかっていた愚かな王。愚かな国。
我々皇国軍はそんな狂った政治を行う愚昧なクレイス王から、人民を、そして世界に名だたる重要資源である『還らずの迷宮』を解放する為にやって来たのだ。
さしずめ、愚かな王の政治のせいで破滅した国に手を差し伸べる『救世軍』といったところか。
「なればこそ──きちんと壊滅して貰わねばな」
いっそ更地になってくれた方が、その後の運営はやりやすい。
皇帝はこの地に新たな都を、そして、新たな魔道具研究所を建設するつもりだった。
その為には、今あるものなど、全て消えてしまった方が都合が良い。
無駄に愚王に対する忠誠心の高い王国民なども、後に残る火種となる。
救済したと説明に足る最低限の人数だけ生かし、あとは殺した方が良い。
皇帝はそう考えていた。
だが、非情の皇帝とて、王都が壊滅して失われるものを考えると、少し惜しくはある。
クレイス王国の首都が全て破壊し尽くされれば、過去に発掘され、王城の宝物庫に眠ると言われる数々の迷宮遺物も瓦礫の下に埋もれることになる。
探せば回収できるものもあるだろうが、壊れて使えなくなるものも出てくるに違いない。
残念だが、それは諦めるしかない。
惜しいことは惜しいが、あの抜け目のない愚王が活用しないところを見ると、大して有用なものではあるまい。
「だが──あれだけは惜しい」
『還らずの迷宮』の最深到達階層で得られたという『黒い剣』。
それだけは惜しい。
あれだけは特別だ。
どんな物でも、どんな魔法でも傷つけることの適わない未知の金属。
その材質や製法を解きあかせれば、世にある武器や軍事機械は飛躍的に進歩する。
決して武器でも魔法でも傷つかない鎧。
どんな鎧をも、竜の鱗でさえ簡単に貫く剣。
現在知られている金属では実現不可能だと思われている、都市一つを蒸発させるほどの魔砲兵器。
他にも、何にでも応用が効くだろう。
あれは、世界を変える力を持っている。
我が手元にさえあれば、文字通り、世界に革命が起こせるのだ。
解析して製造技術を確立すれば、誰にも打ち破れない『完全無敵の軍隊』を独占することも夢ではない。
それだけに、惜しい──。
無知で愚かな王の手に渡ってしまったのが、あの超級遺物の不幸だったといえよう。
このまま発見されることがなければ、その潜在する力が全く発揮されることなく歴史に埋もれてしまうかもしれない。
──だが、と皇帝は考える。
瓦礫の中から『黒い剣』を見つけられなくとも、最悪、それを産出した迷宮さえあれば良い。
『還らずの迷宮』の最深到達階層の更に奥には、まだ同様の材質で製造された遺物が眠っている可能性も十分にあるからだ。
進歩した兵器を携えた軍で徹底的に攻略し、奥底に眠る遺物を根こそぎ手に入れるのであれば、それを見つけるのも難しいことではないだろう。
もしかすると、『最古の迷宮』と呼ばれるあの迷宮には、もっととてつもない遺物が眠っている可能性だってある。
そうなれば、我が皇国は更に、爆発的に飛躍する。
それがこの世界全体にとって、どれ程の成長の糧となるか、どれ程の恩寵となるかは計り知れない。
──あの愚物には、それが分からぬのだ。
あのモノの分からぬ愚か者の王はこちらからの温情に満ちた要求の悉くを撥ねつけた。
だから、滅びる。
奴についていた臣下は、一人残らず滅びる。
他国への良い見せしめとなる。
事の顛末を語る証言者は、皇国の者だけで良いのだ。
「歴史に複数の語り部は要らぬ──真実は一つあれば良い」
勝者の語る歴史のみが、唯一絶対の真実。
それ以外を語る口など、要らない。
もし王国民の生き残りがいたとしても、口封じをした上で、最後には奴隷にでも売りに出せば良いだろう。
商業自治区の商業ギルド頭目とはすでに話がついている。
難民は、好きに「仕入れ」て良いと。
余計なことを語るものがあれば、語りそうな口があれば、残らず塞げ、と。
「それにしても、随分残ったようではないか」
風が吹き、舞っていた土埃が次第に取り払われ、少しずつ、目前の街の姿が露わになる。
思っていたほど、愚王の都は崩れていない。
竜は短時間とはいえ派手に暴れまわったように見えたが、壊されたのはせいぜい四分の一といったところか。
大殺戮を予定していた竜は、やはり期待外れの働きに終わった。
王都民はまだ、半分にも減ってはいないだろう。
このまま行けば、皇国軍がかなりの『謀反者』を殲滅することになるだろう。
「──それもまた、一興」
皇帝は白毛の混じる髭を撫でながら嗤う。
我が皇国軍に刃向えるだけの力は相手にはない。
これから行われるのは、一方的な殺戮の宴。
世界各地から集まる冒険者とて、所詮は有象無象の集まり。
魔導兵器を完全配備した皇国軍の敵ではない。
その筈だ。
だが、少し気になる者たちは居る。
豊富な経験を積み上位スキルを身につけ、力を備えた者達。
まず、その中核となる──【六聖】。
【千剣】のシグ。
【不死】のダンダルグ。
【死神】カルー。
【天弓】ミリアム。
【九魔】のオーケン。
【聖魔】セイン。
あれらは皆、化け物だ。
さらには【不死】の教え子【神盾】イネスと【千剣】の右腕、【竜殺し】のギルバートの存在。
王子と王女も今やそれに並ぶ力をつけているという。
そして、認めたくはないがあの愚王もまた、強者。
なればこそ、今まで野蛮にも腕力にモノを言わせ、皇帝に対して傲岸不尊な態度を取り続けてきた。
──忌々しい。
化け物じみた、個の力。
奴らは、クレイス王国はそれらのおかげで独立を保っていた。
「だが、それも今日で終わり──時代は、大きく変わったのだ」
これまで皇帝は数々の迷宮を擁する泡沫国家を、一方的に蹂躙してきた。
徴兵で人員を確保し、迷宮遺物を研究して得られた知見を余すところなく注ぎ込んだ最新鋭の魔装兵器を量産し、全員に持たせ、進軍させた。
それだけで、相手の国の軍隊はなす術もなく散った。
今や、軍事力は練兵などに拠らず、『力』は工業力で生み出せるのだ。
その証左が、今皇帝が引き連れている万の兵。
今までは他国を侵略するのにはせいぜい、二千の兵も揃えれば十分だった。
だが、今回は示威行動も兼ねている。
その為の、一万。
仮に生き残るものがいたとして、二度と歯向かおうという気を起こさせない為に恐怖を植え付けるのだ。
言わば、魔導皇国に楯突いた国の末路が、どういうものになるのかを永遠に語り継がせるための見世物だ。
──見物だ。
皇国の極めた魔科学が、時代を超えた畏怖の象徴【厄災の魔竜】を討ち倒し──古臭い『伝統』に縛られた愚かな国家を支配する。
もはや、『伝説』など時代遅れのものでしかないことを世に知らしめるのだ。
自らの行いによって滅びを招いた、愚かなクレイス王国の醜聞と共に。
「陛下、あそこに」
「何だ」
近くに控えていた近衛兵の一人が指差す方向に数人の人影が見える。
【遠見】の魔道具を覗き込むと、そこにはこちらを鋭く睨みつける、銀色の鎧を身にまとった女の姿があった。
皇国軍に掛けられた【隠蔽】はすでに、【隠蔽除去】で解除されているようだった。
「あれは、何だ」
「──【神盾】のイネスです。間違いありません」
皇帝は舌打ちをする。
「よりによって、ここにあの女がいるか」
【六聖】は文字通りの化け物だが、【聖】の上の名【神】を冠するあの女はその上をいく化け物だ。
文字通り『神』の恩寵を与えられし女。
世界に名だたる生ける伝説の一人。
生身で竜のブレスを防ぎ、何も持たずに『王類金属』を切断する、化け物の中の化け物。
だが、そんな化け物──『伝説』が支配する時代も、もう、終わりだ。
すでに今は我々、『叡智』を持つ人間の時代なのだ。
「いや──ちょうど良いではないか。『光の槍』をもう一門放て」
「は」
あの女の力は有用だ。
何とか手なづけて、存分に利用したいという欲にも駆られるが、あの厄介な王の臣下だ。
簡単には寝返るまい。
洗脳を施すという手もあるが、そこまでに掛かる労力のことを考えると、そこまでの食指は動かない。
惜しいが、ここで殺しておくとしよう。
──『光の槍』。
【厄災の魔竜】の巨体を焼き尽くした『魔導兵器』研究成果の最たるもの。
戦場に持ち込んだ四門のうちの二つ目をここで使う。
あれであれば、いかに無敵の『光の盾』を持つ【神盾】といえど、受けた途端に熱で蒸発する。
『伝説』とまで謳われる者がまたひとつ自分の手で沈んでいく。
あの絶世の美貌を持ちつつ、どこまでも強き化け物が、自分の意向ひとつで消滅する。
「──愉悦よのう。これだから、戦争はやめられぬ」
皇帝は歴史ある街が破壊されるのをみるのが好きだった。
人間が蹂躙されるのをみるのが好きだった。
支配し、気に入らない者を破滅させるのが好きだった。
これからその欲望を存分に満たせると思うと、胸が高鳴る──
最後まで盾ついたあの愚王の悔しがる顔が見られないのだけが残念といえば残念だが──まあ、それはいい。全ては結果だ。
今は、完全に勝利しているという結果──それだけを求めているのだ。
……いや。
あの体だけは頑丈な愚王のことだ。
まだしぶとく生き残っている可能性だってある。
もし、万が一あの愚王が生きていたら──そうだ。
四肢を切り落とし、宮廷内の地下に飼うのも一興かもしれない。
そこで死ぬまで、自分に刃向かったことを後悔させてやる。
──そうだ、それがいい。
皇帝は目の前の都を支配した後のことに思いを巡らし、高まる愉悦に笑い声をあげた。
「準備が整いました」
「撃て」
皇帝は迷いなく臣下に命じた。
そうして、無慈悲の光が放たれる。
超高純度魔石『悪魔の心臓』によって純化・増幅された強大な魔力が『光の槍』の砲身へと流れ込み──一本の輝く赤い線となり、放たれた。
その破壊の光はうねりながら、まっすぐに対象へと向かい、そして──
「パリイ」
【神盾】イネスの前に飛び出た、黒ずんだ剣を持つ男の前で、空の彼方へと弾かれた。






