225 夜明けの王都 1
「悪いねぇ、ノールさん。店の片付けまでやってもらっちゃって」
「いや、こんな簡単なことしかできなくてすまないが」
俺たちが元の食事会をしていたレストランに戻った時、すでに王都は夜明けを迎えていた。
少し明るくなった街路から見える店の様子はひどいものだった。店の壁だった煉瓦や窓枠の破片といった大小の瓦礫が散乱し、ほとんど半屋外のようになっていた。
どうやら、あの晩に目覚めていたのは本当に俺とレイだけだったらしく、皆が困惑の顔で俺たちを迎えてくれた中でリーンのお父さんに手短に事情を説明すると、彼は俺に礼を言ったかと思うとすぐさま血相を変え、自分の職場に戻って行った。リーン、イネスもそれぞれ家に戻らなければならないとのことで、ミルバ、ロロたちも一緒にその場を後にし、他の面々もそれぞれ別の理由で散っていった。
俺は俺で、いつもの朝の依頼をする時間になったので、それらをいくつかこなした後、予定していた現場仕事の依頼に向かおうと『冒険者ギルド』を訪ねたてみたが、どうやら昨晩の混乱を受けてどの工事現場も一旦休止となってしまったらしく、やることがなくなった俺は再び崩れたレストランに戻り、店主の人と一緒の散らばった瓦礫の片付け作業をしていた。
途中、酷いにわか雨が降って少し風通しの良くなった店内でのお茶休憩を余儀なくされたものの、店主と適当に雑談などしているとすぐに雨は上がり、その後、協力してテキパキと作業を進めていくと、一見、どこから手をつけようか迷うようなひどい有様だったのがあっという間に綺麗に片付いた。
その頃には分厚い雨雲もあらかた去り、空からは暖かな太陽の光が射していた。
「ありがとう。これだけ片付けばもう十分だよ。あとはこれをどうやって直すかだけどね」
「俺はそういう器用な仕事はあまり得意じゃない。修理は誰か他の人に頼んでもらった方がいいだろうな」
「ああ、もちろん。知り合いの建築屋さんに頼むことにするよ。本当に助かったよ。お礼はまたいずれ、時期を見てさせてもらうよ」
「いや、そんなに大したことはしていないし、さっきのお茶とおやつで十分だ」
「じゃあ、せめて何か簡単に一食分、ご馳走させてくれないかな? メニューは僕のお任せってことで」
「まあ、それぐらいなら……じゃあ、楽しみにしている」
「ああ、任せてくれ。これでも、料理の腕にはちょっと自信があるからね」
レストランは改装のために当分休業だということだったが、この程度のことならよくある話だとばかりに朗らかに笑う店主に別れを告げると、いよいよ何もすることがなくなった俺はぶらりと昨晩騒動のあった中央広場に向かった。
すると明るくなって異変に気がついた人々が集まっているのか、少し騒がしくなっている。
「……これは、本当に……ひどいな」
改めて、太陽の光の下で広場を眺めてみると、本当に酷い有様だと思った。
たくさんの人々が気軽に集う憩いの場だったはずが、見事に手入れされていた樹木や花々はもはや見る影もなく、広場内に点在していた手の込んだ彫刻や噴水やなどの建造物は見事なまでにぺちゃんことなって潰れており、もはや原型がなんだったかすらよくわからない平らなオブジェのようになっている。
辺りには慌ただしく王都の衛兵たちが行き交っていて、そのうちの何人かは何事が起きたのかと不審がる人々が崩壊した広場に立ち入らないように緊張した面持ちで見張っている。
俺も野次馬に交じって衛兵に聞いたところによると、奇跡的に人への被害はまだ確認されていないということだった。だから、それだけでも良しとするべきなのだろうと思うが……ぐるりと軽く見渡すだけで周辺に立つほとんどの建物に大きな亀裂やひびが入っているのがありありとわかり、あれでは当分、危なくて使い物にならなそうだと思った。
「ノール殿」
悲惨な現状を再び目の当たりにした俺がその場を離れようとすると、不意に背後から俺を呼ぶ声がする。
見ればリーンのお兄さんだったが、いつになく緊張感のある表情だった。
「昨日は大変だったな」
「……貴殿の多大なる協力に感謝する。その後の件で貴方に一つ、相談があって来た」
「俺に?」
「……単刀直入に伝える。つい先ほど、王都の某所で近隣三国の首脳を交えた会談があった。その結果、我々は昨晩王都を襲撃したエルフの『討伐隊』を組織することになった。我が国としては貴方にその『討伐隊』の一翼を担っていただきたいと思っている」
「……討伐隊? 俺が?」
「昨晩、貴方があれらを撃退したとの報告を受けている」
「いやいや、あれはレイがいてくれたからなんとかなっただけで、俺は実際、何もしていない」
「……戦闘の内容がどうだったにせよ。貴方は昨晩、レイと共に二体のエルフと対峙し、その内の一体を撃破した。そして、もう一体を追い払った。だが……その際、顔を見られているとも伺った」
「ああ。確かに『お前の顔は覚えた』と言われた」
「……他には?」
「よく覚えてないが、『お前が安心して眠ることはもう二度とないだろう』とか、そんな感じのことだったような気がする」
俺の答えに、レインのお兄さんは眉間に皺を寄せた。
「……であれば、以後は昨晩のような危険が、貴方の身に幾度となく降りかかることが予想される」
「確かに、そうかもしれない」
「そして────もし、そうなれば。その度に、あなたの周りにはあのような光景が幾つも生まれることになるだろう」
そう言って、何もかもが平らになってしまった広場へと目をやった。
「それも、そうかもしれない」
「故に……大変申し上げにくいのだが。貴方は今、ただいるだけでこの王都に危険を招く存在、と言っても過言ではない状態だ」
「まあ、それはそうだな。ってことは?」
「……今回の遠征の人選にはそういう事情も含まれる、ということだ。貴方に何度も助けられた側の我々の口からこんな発言をするのは、本当に身勝手でしかないのだが」
「…………なるほど?」
派手に破壊された広場を除き、街にはいつも通りの平穏が戻っている。
まるで昨晩、何事も起こっていないかのようだった。
様変わりしてしまった広場に困惑している人々もいるにはいるが、首を傾げながらその場を後にし、また日常に戻っていく。
「わかった。じゃあ、ひとまず俺は王都を出ることにする。それが一番良さそうだ」
「……いいのか?」
「ああ。俺は元々王都の外の人間だ。もちろん、この街は好きだし、多少は寂しい気持ちはあるが……無理して居座って迷惑をかける方が嫌だからな」
「……無論、今すぐにという話ではない。貴方にも別れを言うべき人はいるだろう。『討伐隊』の出発までにはまだ僅かに猶予がある。だが、本当にいいのか?」
「何が?」
「貴方は今後、昨晩のエルフ以外とも対峙することになる。その覚悟すら強いることになる」
「確かにそれはちょっと不安だが……でもどうせ、待っててもあっちからやってくるんだろう? それに、俺も彼に会いたいと思っていたところだから」
「……会いたい? まさか、昨晩のエルフの片割れと?」
リーンのお兄さんは困惑の表情で俺の顔をじっと見つめた。
「ああ。昨晩の彼の口ぶりからすると、何か、誤解があったんじゃないかと思えて仕方ないんだ。もしかすると、そうじゃないかもしれないが……少なくとも、ちゃんと話してみないとわからない」
「……『長耳族』と対話、か?」
「ああ。一応、言葉は通じるみたいだし。案外、話がわかる相手かもしれない」
「…………俺には、とてもそうは思えない。だが、接触時の判断はノール殿の判断に任せたい。どの道、我々はそうする他ない」
「じゃあ、ひとまずそうさせてもらう」
「────それと、ノール殿。頼み事の上に条件をつけるようで申し訳ないが、この件については以後、誰にも他言はしないでほしい」
「それは、どうしてだ?」
「同様の理由だ。奴らは自分たちに関する情報が出回ることを酷く嫌う。故に仮に、この話を貴方が誰かに振り撒けば、貴方を知る者にまで危険が及ぶ可能性がある」
「なるほど」
「……もちろん、それだけの配慮で無事が保証されるわけではない。だが、できる用心はするに越したことはない。今回の相手はそういう奴らなのでな」
「確かに、それもそうかもしれない。わかった。じゃあ、そうする」
「……すまない。ノール殿。どんなに言葉を選ぼうとも、我々が貴方を王都から追い出す形になるのは変わらない」
「気にするな。俺は元々余所者だし、元に戻るだけだ」
「我が国としても、貴方に対してはできうる限りの支援を行うつもりだ。それだけでは十分とは言えないかもしれないが」
「大丈夫だ。それで……出発はいつなんだ? 一応、ギルドから受けている依頼がいくつかあるから、黙って急に出て行くと多分困る人が出る」
「出立の期日は『2ヶ月後』としている。それまでに全ての身支度を頼みたい」
「……2ヶ月後? 意外と余裕があるんだな」
「こちらでも色々と準備することがある。何せ、行き先は北の『永久氷壁』だ。かなりの極地となる。貴方もその心づもりでいてほしい」
「…………もしかして、寒いのか?」
「ああ。これまでのように気楽な馬車の旅とはいかないはずだ。二ヶ月ではとても、十分な準備期間とは言えないが……色々な情報を総合すると、それが目一杯の猶予だと考えている」
「わかった。俺もそれまでに準備を済ませておく」
「ご協力に感謝する」
「……そういえば。リーンはどうしてるんだ?」
「……リーンがどうかしたのか?」
「いや。こういう旅の時は大抵、彼女に誘ってもらっていたような気がするから。それに、今朝会った時もかなり顔色が悪かったしな。それで、ちょっと気になっただけなんだが」
「────リーンは今回の遠征には参加しない。イネスもだ。聞きたいことは以上か?」
「…………いや。わかった。もう十分だ」
俺はリーンのお兄さんと別れると早速、王都を出る準備をする為、本日二度目となる冒険者ギルドへと向かった。






