221 四国会議 1
早朝の謁見の間の玉座で、クレイス王は昨晩から数えて何度目になるかわからないため息をつき、傷だらけの顔の眉間に深く皺を寄せていた。
「……これは、完全な失態だな」
王が目覚めた時、小さな祝宴を挙げていた店の中は変わり果てていた。
店の壁に大きな穴が空き、そこで各々まちまちの姿勢で寝ていた人々の様子は何か異常な事態が起きたことを物語っているが、真相を訊いても誰にもわからない。
唯一わかったと言えるのは、その場にいた全員が何らかの力で一斉に深い眠りに落ちたこと。
皆が異変に大騒ぎを始めかけていたところ、その場に姿が見えなかった男が一旦、全てが終わったことを告げにきた。
────曰く、少し前に王都に『長耳族』がやってきた、と。
二人だけで王都の中心部に侵入したその長耳族の兄弟は『精霊王の香炉』と呼ばれる迷宮遺物を用い、王都に存在するありとあらゆる生き物を眠りにつかせ、人知れず王のすぐそばにまで来ていたのだという。
あまりの事態に祝宴はそこで中断し、王は集めた皆を帰らせた後にレイン王子と共に事態の把握に奔走することになった。
幸い、と言っていいのか、目立った被害はライオスの店の壁と、王都の中央広場の建造物が軒並み破壊されたこと。
そして、広場の周辺の店舗にも大きな被害があったが、夜も更けた時間帯であった為に奇跡的に人的被害はなかったという。
そうして、長耳族の兄弟は『黒い剣』を持つ男、ノールと【幽姫】レイによって撃退され、兄は何らかの理由でノール曰く『塩』となって死亡。だが、そのことで長耳族の弟にしっかりと睨みつけられ、「顔を覚えた」と言われた、という。
それが王と王子が必死に奔走して把握できた、昨晩の出来事の全てだった。
「また、命を救われたな。あの男にはさらに大きな借りができてしまった」
「……そのようです」
その間、自分は何をしていたかというと……久々の酒に酔い、王都が危機に晒されているとも知らず、テーブルの上で良い気分で突っ伏していたのだ。宴会など開いて楽しんでいられる状況では決してなかったのだと、心底臓物が冷える思いがする。
襲撃の際、一人だけ目覚めていたレイが察知することでなんとか対処ができたが、他は【隠聖】カルーを含めて全員が眠りに落ち、誰一人としてその侵入者の存在に気がついた者はいなかったという。
「レイン。ランデウス殿に状況は伝えてあるな?」
「はい。ミルバ陛下のご無事に加えて、至急、近隣の四カ国で首脳を集めた会議を行いたい、との要請を行いました」
「卿の回答は?」
「『無論、すぐに行く』と。ミスラ教国のアスティラ教皇猊下、商業自治区の新領主からも同様の回答を得ています」
「未だ奴らの脅威が残るかもしれんというのに……よく即断してくれたものだな。確かに、奴らの時間感覚は俺たちと違う。逆に安全に集えるのはおそらく今が最後の機会、という考え方もできるが」
「【魔聖】オーケンによれば、長耳族の活動には一定の沈黙期間があるとのことでしたので、先方にも危険性と一緒に説明した上でお招きしております。その上で、どの盟主も「貴国には恩がある」と。特にノール殿には……と」
「……いよいよ、あの男には頭が上がらんな」
「ええ。ここまで三つの隣国と信頼関係が築けているような状況は、ほんの少し前までは考えられませんでした。」
「本当にな。それにしても……「長耳族は忘れた頃にやってくる」か。まさか、子供の頃に耳にした『お伽話』が現実のものになろうとは」
王は苦い顔で玉座の肘掛けに腕を置き、小さくため息をつく。
「それで、いつ集まれる?」
「本日正午には全員が揃う予定です」
「わかった。では、頼んだ。すまんな。どうやら俺は今、取り乱しているようだ。冷静なお前がいてくれて助かる」
「いえ。私は会議室の準備をしてきます」
王子が謁見の間から立ち去ると、何もない場所から声がする。
「王」
次第にうっすらとした影のようなものが実体を持ち、姿を現したのは【隠聖】カルーだった。
「……カルーか。すまんな。お前たちにも苦労をかけている」
「いや、これは俺たち『隠密兵団』の失態でもある。レイのおかげで多少は面目が保てたが……長耳族の王都中心部への侵入を許すなど、仕事を果たせているとはとても言えない」
「……こればかりは、相手が悪い。この件で己は誰にも責を問おうとは考えていない」
「では、俺も同じ言葉を王に返そう。今回の事態は俺たちの力で対応できる範疇を超えていた」
「……その通り、と諦めきれないのが辛いところだな。予測はできたことだった」
「ああ、俺たち【六聖】は皆、長耳族の一人と接触している。今回の襲撃とは違う人物のようだが、奴らが王都にやってくるのは時間の問題だった」
「……それが数年後か、数十年後か。はたまた数百年後か。時期が読めないのが奴らの不気味なところだな」
「おそらく、次も確実にある」
眉間にさらに深い皺を寄せる王に、カルーは仮面の下から視線を向ける。
「いいのか、王。このタイミングであの件を話さなくて」
「……あの件とは、何のことだ」
「王妃のことだ。『長耳族』と関われば、いずれ向き合わねばならない時が来る」
「……そのことは、二度と口に出さないと皆で誓ったはずだ」
「だが、事態が事態だ。開示するとしたら今ではないか?」
「……駄目だ。あいつのことにはもう、触れるな。あの子達には何も報せない。それがあいつとの約束だ」
「だが。王子は薄々勘付いている。さまざまな情報を扱う立場ともなれば、当時の状況の不自然さにも気がついて然るべきだからな。知らないふりをしているだけだ」
「あいつは、いい。俺などよりもずっと冷静だ。だが、心配なのはリーンだ。あの子があいつの行き先を知れば必ず「自分が行く」と言い出す。それだけはさせてはならない」
「……わかった。その件に関しては今後、もう俺からは触れないことにする。他の仕事を済ませておく」
「ああ。頼んだ」
謁見の間からカルーの姿が消える。
王はおもむろに玉座を立ち、謁見の間に隣接する執務室へと向かう。王の部屋と言うには質素すぎるその実用的な品々だけが置かれた部屋の壁には肖像画が一枚だけ掲げられている。
王は自分の娘、リンネブルグ王女とよく似た女性が描かれたその絵の前に立ち、その女性の名を呼んだ。
「────レオーネ。お前は今、どこにいる?」
それは王が時折、迷いがある時に行う儀式のようなものだった。
しばらくの間、王は一人で考えに耽り、顔を上げると再び絵の中の女性に問いかける。
「あの子には決して、お前たちの後を追わせない。それがお前の願いだった。でも、本当に……それで、いいんだな?」
当然、絵画はその問いには答えない。
静寂の中で絵画をじっと見つめる王の瞳には、淡い後悔の色が揺れていた。






