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俺は全てを【パリイ】する 〜逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい〜  作者: 鍋敷
第四章 長命者の里編

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220 俺は長い耳の兄弟をパリイする

「……一体……何が、どうなってるんだ……?」


 俺はひどい頭痛で目を覚ました。

 どうやら気付かぬうちに『黒い剣』を枕にして眠ってしまっていたらしく、そのせいかわからないが、まるで後頭部を鈍器で強打したかのようにズキズキと頭が痛む。

 しばらく消えそうもない痛みと共に起き上がると、周囲で皆が眠ってしまっている。

 それを見て、俺は自分がどうしてそんな場所で寝ていたのを思い出したが、さらに様子がおかしくなっている。

 店の壁の殆どが崩壊し、外から丸見えになっている。

 どこもかしこも静かすぎて不気味で仕方なかったが、不意に遠くで大きな物音がする。

 それは派手に何かが壊れるような音であり、俺は『黒い剣』を手に音がする方にまっすぐに向かった。

 すると様相の変わった王都の広場で、見知らぬ男二人の背後から、見覚えのある女性が真っ白な刀で斬りかかろうとしている場面に出会した。


「……レイ?」


 男の一人が振り向きざまにレイに手を向けた瞬間にレイは壁まで吹き飛ばされ、激しく激突したのが見えた。

 俺は咄嗟に瓦礫に塗れたレイを抱え上げると、平らな場所に寝かせ、とりあえず【ローヒール】で傷の治療を試みる。レイは酷い姿で気を失っていたが、幸い傷は大したことがなかったようで少し手を当てていると傷自体は癒えた様子だった。

 だが、そうこうしているうちに頭上からとても嫌な気配がして、見上げれば不気味な黒い球体が浮いている。

 なんとなく、触れると非常に不味そうな気配だったので『黒い剣』で振り払う。

 すると、その黒い球体はたちまち消え去った。


 俺が後頭部を襲う鈍痛に頭をさすりながら、しばし、見知らぬ男たちと見つめ合った。


「……ノール様?」


 レイが目を覚ましたようで、慌てて身体を地面から起こし、俺を見る。


「レイ、大丈夫か?」

「……はい。ありがとうございます。ご迷惑をおかけしたようで、本当に申し訳ありません」

「いや、それはいいが……あの男たちは?」


 ひとまず、彼女が起き上がったことで俺は耳の長い男たちに目を移す。

 彼らはアスティラやティレンスとよく姿が似ているが、肌が妙に青白くて眼も冷たい印象で、雰囲気はどことなくミスラで骨の化け物(スケルトン)が化けていた方のアスティラを思い出す。


「おそらく、彼らは『長耳族(エルフ)』です。一方が手にしている金属製の香炉……『精霊王の香炉』と呼ぶらしいのですが、あれがこの不思議な霧を引き起こしているようです」

「あれが? じゃあ、皆が眠っているのも?」

「……おそらくは、彼らが」


 俺たちは視線を二人の冷たい雰囲気の男たちに向ける。


「……じゃあひとまず、この変な霧を消してくれないか頼んでみるか」

「……ま、待ってください。ノール様。あの二人は、とても危険です。姿が全く見えないはずの私の動きですら、当然のように察知して────あ、あれ?」


 レイは自分の耳元に手を当て、急に慌て始めた。


「どうした?」

「わ、私のイヤリングは……?」

「ないとまずいものなのか?」

「は、はい。あれがないときっと、ノール様からもきっと私が見えなくなってしまい、……あれ?」

「普通に見えてるが」

「……そ、そうですね……? ……どうして、ノール様は私の姿が?」

「どうしてと言われてもな……そういえば、前よりも多少、印象がうっすらとしているような?」

「多少?」


 レイは耳から手を離し、嬉しそうに俯いた。


「……そうですか。嬉しいです」

「嬉しい?」

「はい。この状態の私とお話ししてくれたのは……ノール様が初めてです」

「それは……色々と、苦労してるんだな?」

「い、いえ」

「つまり、彼らには今のレイの姿は見えていない……と?」

「……はい。そのようです。私が自分から近づかなければ、ですが」


 一方、男たちはじっと俺を見つめ、首を傾げながら何やら会話している。


「先ほどから、一人で何をしているんだ……あいつは?」

「おそらく、あの『見えない女』と会話しているのだろう。どうも、見えているらしい」

「どういう原理だ?」

「わからない。だが……情報交換か。厄介だな」

「……どうする?」

「ひとまず、能力の検証からだ。『重くなれ』」


 男の一人が手のひらを掲げて何事かを呟くと、身体がいきなり重くなる。

 だが────


「────ッ! ノール様、これです……! 彼らは、この奇妙な力を使って……!」

「パリイ」


 レイが何かを言いかけたところで俺が剣を振ると、全身を襲った奇妙な『重さ』がたちまち消え去った。


「……えっ?」

「なんだったんだ、今のは? 急に身体が重くなったが」


 俺に手のひらを向けた長耳族は驚愕の表情で固まっている。


「────そんな……馬鹿な? 範囲指定の『言霊』まで無効化(キャンセル)された?」

「……どういうことだ? あの男が持つ『理念物質』は確かに、それ自体に与えられる影響を拒む性質を持つ。だが、その周囲にまで同様の性質を拡張させるというのは説明がつかない」

「兄者。これはどう考えればいい?」

「俄に信じがたいことだが……あの男が『理念物質』の性質(ちから)を拡大させている。そう考えねば、あれほどの異常な無効化はあり得ない」

「……馬鹿な。だとしたら、あの異常な者はいつからクレイス王国(ここ)に居る? ルードはずっとこれを放置し、のさばらせたということだろう。職務怠慢にも程がある」

「ああ。『見えない女』の件も併せ、『里』の老人たち(エルダー)に報告せねばなるまい」

「そうだな……だが。まず、この現状をどう打破する? あれらはひとつひとつでも厄介な上、同時に排除となると難易度が跳ね上がる」

「いや、そうとばかりも言えないぞ。弟よ」

「それは何故だ、兄者?」

「常に、思考は柔軟にと教えているだろう? 時には逆に考えるといい」

「つまり、女か?」

「ああ。明らかに────足手纏い(・・・・)だ」


 一方の長い耳の男は、再び青白い手のひらを掲げると何かの言葉を口にする。


「『浮かべ』」


 今度は逆に体が異様に軽くなり、周囲の瓦礫がふわり、と途中に浮く。

 俺は変わらぬ重さの『黒い剣』のおかげで特に何も問題なく地面に立てていたのだが、ふと傍に目をやるとレイの足が宙に浮いている。

 そのまま放っておけば空の彼方に飛び去ってしまいそうだったので思わず俺が咄嗟に腕を伸ばし、その手を掴んだ、その瞬間。


「……ノール様。いけません。これは」

「パリイ」


 背後から剣を抜いた二人の男たちが同時に襲いかかってくる。

 片手が塞がったまま、咄嗟に『黒い剣』で二人を薙ぎ払うと彼らが手にする剣が瞬時に砕け散る。

 だが────


「────ぐ。『戻れ』」


 散ったはずの刃の破片が、まるで時計の針を逆回しにしたように一瞬で再生し、男たちの手の中に戻っていく。だが、俺が思い切り剣を振ったおかげで男たちはかなりの勢いで吹き飛ばされ、二人とも凍てついた広場の石畳に無理やり手と足を突き入れるような格好で背後の建物への激突を免れた。


「……どうなっている? あの男の反応速度、神経伝達速度からは全く理屈に合わないぞ」

「それに、なんだこの異常な力は? もし、あれで俺たちが顔面を殴られていたら……」

「ああ。おそらく……口も開けないほどの致命傷となる」


 弾き飛ばされた二人はこちらを警戒してしばし、様子を窺っている。

 こちらとしては、背後からの奇襲にも、壊れた武器が元に戻ったのにも驚いたが、あの華奢な体から繰り出される攻撃の重さに一番驚く。見た感じ、ザドゥよりもずっと細身でまるで力などなさそうな見た目なのに、印象に反してあの『骨』がやたらと放ってきた黒い雷ぐらいの威力はあるような気がした。

  

「ノール様。その手は、離していただいて結構です」

「でも、このままじゃ……浮かんでしまわないか?」

「もう浮いても、大丈夫です」


 レイは自分から手を離すと、ふわり、と上下逆さまに宙に浮きながら、辺りに浮遊する無数の瓦礫の一つにとん、と片足を置いた。そうして、俺の方へと向き直り、丁重に頭を下げた。

 いや、この場合は上げた、か?


「……この度は、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。本来であれば、私がノール様の御身をお守りするべき立場であるはずなのに。かえって危険に晒すことに」

「いや、それは別にいいが。それより────ん?」

「どうか、しましたか?」

「いや。大したことじゃないんだが……嬉しそうだな?」

「……え? 私は……笑っているのですか?」

「ああ。そう見えるが」

「……そうですか」


 上下逆さまのレイはどこか嬉しそうに自分の頬に触れると、ハッとした表情になり再びその頭を()げた。


「こ、こんな緊急の折に、失礼いたしました。つ、つい」

「つい?」

「実は。私は……こういった事が長年の夢でして」

「夢?」

「はい。不謹慎だと承知しておりますが……これは、私がずっと望んでいた状況なのです」


 頭が疑問符だらけの俺に、宙に浮かぶレイは寂しそうに俯いた。


「……これまで、私の声は誰にも聞いてもらえませんでした。頑張って頑張って、カルー様に察していただけたぐらいで。こんな風に人様と長くお話できたことは、ありません。メリジェーヌさんに、存在強化の魔導具を新たに作ってもらったりして、すごく嬉しかったんですが……それも、使いすぎるとすぐに壊れてしまいまして。時間は限られていたのです」

「……なるほど?」

「なので、誰かに私のことをちゃんと見てもらえる、ということ自体がとても、嬉しくて。つい……」


 どうやらレイは相当な苦労人のようだった。


「……本当に申し訳ありません。こんな緊急の事態に、個人的なお話を。さ、さらに、とても奇妙なことをお願いしてしまい、大変、心苦しいのですが……」

「なんだ?」

「……少しの間だけ、私を見ていて(・・・・)もらえますか?」

「見る?」

「はい。実は……『隠密兵団』に私が所属してからごく初期に習った、初歩中の初歩の技術があるのですが……私はこれまで、それを一度も使いませんでした。もし、私が最初から躊躇なくそれを使えていれば、今のようにノール様のお手を煩わせるようなこともなかったと思うのです」

「なんで、使わなかったんだ?」

「それは……これ以上、自分が薄く(・・)なることが怖かったんです」

「怖い?」

「はい。それを使ってしまったら最後、自分がこのまま誰の記憶にも残らず、あっという間に世界から消えてしまうような気がして。それが、すごく怖かったのです……もしかしたら、死ぬことより、ずっと」

「なるほど? わかるようなわからないような?」

「……でも、ノール様のおかげで……少し勇気が持てました。仮に、それでもし私が消えてしまったとしても……私を覚えていてくださる人がいる。それだけで、十分に幸せなことですから……それ以上を望むのは、きっと、贅沢なのだろうと思いました」


 そう言って、レイは笑った。


「それで、その……大変、厚かましいお願いとは存じますが……なるべく見失わないよう、可能な範囲で私を見守っていて欲しいのです」

「わかった。じゃあ、とりあえず見ている」

「ありがとうございます」


 ふわふわと宙に浮く瓦礫を足場にして、一歩一歩踏みしめるように男たちへと歩いて行く。


「────兄者。様子がおかしい。あの男、何もしてこない」

「じっと空を眺めて、何を考えているのか……?」

「女は、どうした? あいつはなぜ手を離した?」

「わからない。様子を見るべきか────『重くなれ』」


 宙にふわふわと舞っていた瓦礫がいきなり、あり得ない速度で落下し、一斉に砕け散る。

 広場の彫刻がぺちゃんこに潰れ、石畳が潰れて真っ平らになっている一方で、レイは平らになった石畳に、ふわり、と降り立った。

 レイはどういうわけか先ほどとは違い、二人の不思議な力にまるで影響を受けていないように見える。


「……なぜだ。男にはまるで影響がないのは検証済みだ。しかし……」

「……ああ、女はどこに行った? これだけ重くしてもなぜ、地に落ちない?」

「まさか……『理念物質』と同じ性質を?」

「いや、違う。あの女は自ら拒むのではなく、避けられる(・・・・・)という性質だった。現象があの女を避けている」

「つまり……まだ余力を残して我らと対峙していた、と?」

「……馬鹿げているが。可能性としてはあり得なくはない」

「くそ、どこに行った……!?」

「────私は、ここですよ」


 レイの返答は二人には届いていないらしかった。

 二人の男の額に冷や汗が流れるのがわかる。

 俺も逆の立場だったら本当に恐ろしい。

 いや、むしろ、とレイが淡々と距離を詰め、穏やかに刀の鞘に手をかける様子がありありと見えるからこそ、俺からするとすごく怖く見える。


「ノール様」


 レイが不意に足を止めた。


「……本当に、できる範囲で大丈夫ですので。なるべく、見失わないでくださいね……?」


 そう言って静かに震える声を響かせた、その瞬間。


「【しのびあし】」


 その場から、全ての音が消失した。

 そして、レイが立っていた場所から静寂に満ちた波のようなものが爆発のように広がっていき、その領域に一旦呑まれたものは何であれ存在自体が希薄になり、突然消え失せてしまったように思えた。

 俺は目を凝らしていたにもかかわらず、あっという間にレイの姿を見失った、と思った。

 だが実際、レイはまだそこにいた。

 何もせず。

 一歩も動かず、ただそこに立っている(・・・・・)だけだった。


「……何が、起きた?」

「わからない。わからないが。ここにある、全ての存在が……消えかけている」


 驚く二人の周囲では実際に、レイを中心にして全ての存在が幻のように揺らいでおり、周囲の全てが消えていく(・・・・・)につれて、レイ自身の存在感もより一層希薄なものになっていく。

 そこにあるのかないのかわからないような、いつ消えてもおかしくないような────存在した(・・)ことすら不確かな朧げな記憶の残り香のようなものとしてだけレイはそこに居た。

 消えたように見えたレイはただ静かに、そこを歩いているだけだった。

 一歩一歩、踏みしめるようにして。

 彼女を見失わないようにじっと見つめていた俺の目には、かろうじてその存在がうっすらと見えるものの、その姿は今までと比べ物にならないぐらい儚く揺らいでおり、誰にもその存在を気づかれぬままレイはゆっくりと二人の目の前に立った。

 そして────


「【朧刀】」


 レイはなんの迷いもなく男達に向けて白い刀を抜き放つ。

 瞬間、二人の衣服が同時に裂け、鮮血が激しく飛び散った。


「────ぐッ!?」

「な、『治れ』ッ!!」


 男達はくぐもった悲鳴と同時に何事か呟き、見る間に切り裂かれた身体と衣服が治っていく。

 それはさっき俺が破壊した剣が再生したのと同じ要領だったが、男たちには激しい動揺が広がった。


「……兄者。い、今のはどこからだ……? ……わ、わからない。斬られた後ですら俺はあの女の所在がわからない!」

「弟よ。落ち着け。とにかく、女から『香炉』を守り切れ。この遺物が壊れたらもう俺たちでは『戻せ』ない」

「了解だ、兄者。だ、だが……その女は今、どこにいる?」


 兄弟はこれまでと違い、油断なく武器を構えているがその表情には全く余裕がない。


「────私は、ここです」


 二人の背後に立ったレイが、真っ白な刃を引く。

 男たちは『香炉』を守ろうと必死に身を捩らせつつ、切断された身体を瞬時に再生していく。

 レイが彼らが守るモノを切り裂くのは時間の問題のように見えた。


「……兄者。これは、本当にまずい。まるで何も見えない!」

「────柔軟に考えろ。見ようとするから、見えなくなる。俺たちの最も優れた感覚器官はどれだ?」

「なるほど。耳か」


 途端に二人は目を瞑り、無防備にだらりと両腕を垂らした。

 そうして長い両耳をピン、と張った。


「どうだ、わかるか」

「……よく、わからない。だが……目よりも何か、そこにいるような気がする」


 そうして二人は同時に目を開き、


「そこか」


 刹那、レイを二つの刃が襲う。

 その鋭い二つの切先が彼らに迫ろうとするレイの喉元を正確に狙う。

 だが────


「パリイ」


 全てを見ていた俺は、その刃をまとめて打ち払う。

 あの二人は俺の存在を忘れていたのだろうか?

 横から割って入った俺が振るった『黒い剣』で、砕けた二人分の剣が粉々となり、微細な金属片が片方の男の頬に小さな傷をつけた。


「ぐ!?」

「────ありがとうございます、ノール様」


 同時にレイがするり、と白い刀を振り抜いた。

 すると、男が大事に抱えていた小さな香炉が真っ二つに割れ、中から白い煙が噴き出した。


「しまっ────!」


 辺りを覆っていた奇妙な霧があっという間に晴れ、奇妙に明るかった空は元の月夜へと戻った。

 あれから随分と時間が経っていたようで、月がもうかなり高く昇っている。

 状況を静かに眺めつつ、二人の男たちは俺たちから距離を取る。


「……兄者。『精霊王の香炉』が損壊した。これでは────」

「ああ。もう始末書の提出では済まない事態だ。とにかく、弟よ。顔から出血している。治しておけ」

「────ち。忌々しい……『治れ』。……?」

「どうした? 早くしろ。身だしなみには気をつけろ、とあれほど言っているだろう?」

「ち、違う! 俺はさっきからやっている。なのに……この傷は、治らない」

「……それは、つまり。その顔の傷は俺の所持していた武器が、原因……ということか?」


 二人は目を見合わせたかと思うと、傷の無い方の男がゆっくりと星空を見上げ、ふっと笑った。


「……このようなことが、起こり得るのだな。我々の計画に落ち度はないとばかり、思い込んでいたが……想定外とは、起こるものだ。一つ勉強になったな、弟よ。お前はこれからこの経験を生かして生きていくといい」

「まっ、待て、兄者! まだそう(・・)と決まったわけではない! く、くそっ……『治れ』!! な、なんで治らない!?」


 一方、傷を負った方が急に慌て出す。

 二人とも、これまでいくら身体を斬り裂かれでも平気な顔をしていたというのに、頬についたほんの小さな傷のことで必死の形相になっている。


「ど、どうしてだ!? なぜ、治らない!? こ、こんなはず……!!」

「もう、いい。弟よ、これは俺の判断の失敗(ミス)だった。お前には責任はない」

「ち、違う! 兄者は、決して────あ゛? あ、ああああああああ!?!?」


 突然、辺りに絶叫が響く。

 香炉を抱えていた方の男の青白かった顔が、生き物が持つ肌の白さというより鉱物に近い完全な白に近づき、パリパリと割れていく。


「……何が、どうなってる……?」


 もはや、二人の視界には俺は入っておらず、レイも注意の外だ。

 そうして頬に傷を負った方の男は膝まづいて地面に手を置き、祈るようにして天を仰ぐ。


「────た、頼む!! どうか、やめてくれ!! これは全くの想定外なんだ!! 兄者は決して、俺を傷つけようとなどと思っていない!! 俺たちはこれまで、里の為、使命の為! 全てを投げ打って奔走し、尽くしてきた!! 同胞を害する意図など、持ちようも無いだろう!? ……なのに!! なのに、どうして!? どうして、このような仕打ちをするッ!?」


 叫ぶたび、男が手をついた地面が割れていく。


「……このような判断は、あんまりだ」

「もういい、弟よ。決まったことだ」


 その姿をじっと見守っていたもう片方の男が優しく肩に手を置くと、その手は既に真っ白に変色し、肌は乾燥した水田のように割れている。


「も、もう、そんなに……!? あ、兄者! すぐに里に帰ろう!」

「無駄だ。すでに裁定は下された。こうなればもう何も抗う術はない」

「だ、だが……!!」

「────思えば、『二人以上での行動を避けよ』との年長者(エルダー)の忠告は至極妥当だった。老人たちの心配はいつも過剰で、過保護に思えるが……確かにこういう事態は想定するべきだった。全ては功を焦った俺の失敗(ミス)だ。里にはお前に責任はないと言え」

「そ、そんなことを言うな!! 俺たちはずっと、一緒にやってきたのだ! あ、兄者がいなくなったら、俺はこれから、どうしたら────!!」


 泣き崩れる男の前で、体が崩れていく男は優しく微笑んだ。


「……なあ、弟よ。これまで俺は、お前に散々、物事は柔軟に考えろ、と、教えてきただろう? つまりお、これも、()に考えてみるといい」

「……兄者?」

「確かに、俺たちはずっと一緒に過ごしてきたな。片時も離れず、俺がお前の親代わりだった。でも、だからこそ、ここまでお前に教えるべきことは全て教えてきたつもりだ。これ以上、言うことはないというほどに。だから(・・・)────」

「や、やめろ。それ以上、言うな、兄者……!」


 懇願するように見上げた男に、見下ろす男は崩れながら笑う。


「……これからお前は、こう考えるといい。俺たちはもう、十分に共に時を過ごしたのだと。故に、お前はもう十分、一人でも生きていけるのだ────……と」


 そうして、辛うじて人の形を保っていたものが塩の結晶のようなものとなり、月明かりの下でサラサラと風に崩れ去っていく。


「────あっ、兄者? 兄者あああああああああああああああああああああ!!?」」


 残された男の悲痛な叫びが響き渡る。

 その後も地面に膝をついた男は白い砂の前で、しばらく泣き崩れていた。

 何が起きているのか全くわからず、呆然と一連の出来事を見守っていただけの俺とレイだったが、不意に男が振り返る。

 涙が溢れていた眼が血のように真っ赤に染まる一方で、その表情(かお)は冷たく、温度を全く感じない。


「────お前らの、せいだ」


 憎々しげな視線をまっすぐに俺たちに投げつける男の声は悲しげで、重々しく響く。


「……そう。全部、お前らのせいだ。お前らが抵抗したから……お前らが、俺たちの邪魔をしたから。兄は、ああなった」


 嘆く男の背後では白く輝く砂が、夜風にサラサラと消えていく。


「お前たちほんの百年も生きられぬ『短命種』の傲慢さによって、あの優しかった兄は物言わぬ塩となり、永久に失われたのだ。まだまだ、一緒に生きられたのに……兄こそが、もっと生きるべきだったはずなのに。馬鹿馬鹿しい……散々、使命に奔走した挙句、この仕打ち。『長耳族(エルフ)』の務めなど知ったことか。俺には、やることができた」


 そう言って男は半分ずつになって転がる香炉を踏みつけると、再び血走った目で俺の顔を睨みつける。


「────覚えたぞ、『理念物質(イデアル・マテリアル)』の所有者。お前の顔はもう、一生忘れない。今後何十年、何百年、何千年経とうとも……俺はお前とその女に地獄の苦しみを味わわせ、この世から抹消するためだけに生きることにした」


 男は地面に落ちたもう一本の剣を拾い上げ、


「覚えていろ。今後、お前が住まう処に安寧が訪れることはない」


 そうとだけ言い残し、奇妙な霧が晴れた王都から消えた。

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― 新着の感想 ―
この場面でみすみす見逃すノールの緊張感のなさ(笑)基本、守るための戦いしかしない優しさが仇に。とはいえ、逃げたかぁぐらいの感覚なんだろうなぁ。
レイは顔は全く見られて無いのでは?
ノール、これはもう責任とってレイと一緒に居るしかないな! すっとずっとw あれ、リーンさん、顔が怖いんですがあばびゃー(
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