219 幽姫レイ
「……皆さん、一体、どうしてしまわれたのでしょう……?」
レイは先ほどまであれだけ賑やかであった店内が静まり返ってしまったことに、ただ困惑していた。
皆が自分のことを忘れ去り、どこか別の場所へと去って行ってしまうのはいつものことだったが、今回は勝手が違う。
突然、自分以外の人間が全員、ぐっすりと眠り込んでしまったのだ。
思い切って隣国の皇帝ミルバの脇ですやすやと寝息を立てているリンネブルグ王女の身体に触れ、大きく揺すってみても、全く起きる気配がない。
他の人々も同じように熟睡している様子だった。
「それに、この霧は……?」
ふと、窓から外を眺めるといつの間にか王都には濃い霧が立ち込めている。
奇妙な霧に包まれた街は月夜でもないのに妙に明るく、その静けさが異様だった。
霧の奥を見やれば、夜の街を巡回していたはずの警備兵が壁にもたれかかり、直前までネズミを追っていた様子の野良猫がネズミと一緒に仲良く通りの石畳の上でゴロリと寝転がっている。
街の異様さにレイが呆然としていると、不意に窓の近くにぱさり、と一羽の鳥が落ちてくる。
「────えっ?」
路面に落ちた鳥が、小さく胸を上下させていることにまずはホッとしたレイだったが、やがて大小様々の鳥たちが次から次へと路上に落下し、石畳を埋めていく。
異様な光景にレイは再び息を呑んだ。
やはり、この王都でただならぬ事態が起きている。
なのに……自分以外、誰一人、そのことに気づいていない様子だった。
であれば自分がどうにかしなければ、と焦るものの、そもそも自分一人が目覚めていたところで、危機を訴えようにも声を聞き届けてくれる者はどこにもいない。
「そ、そうでした……ノール様なら」
だが、不安の中で唯一自分を認識できそうな『例外』の存在を思い出し、無防備に床に突っ伏しているその男に駆け寄った。
同時に、カランカラン、と来客を告げるベルの音が鳴り響く。
「────ここか。例の『理念物質』は」
レストランの扉がゆっくりと開き、店の中に姿を現したのは特徴的な容姿の二人の男だった。見知らぬ男たちの入店に思わず警戒し、息を潜ませたレイだが、どうやらその二人はレイの存在に全く気が付かないまま、しきりに誰かを探している様子だった。
「皆、よく眠っているようだな」
「ああ。これが、『精霊王の香炉』か────初めて使ったが、なかなか使い勝手の良い遺物だ」
「むしろ、どうして、今までこれを使わなかった……?」
「この『精霊王の香炉』は最下級とはいえ、里の『指定遺物』だ。使用方法こそ単純だが、一旦、発動させればその土地のあらゆる動植物は永久に眠り続け、やがて何もかもが死に絶える。老人たちは周辺の生態系に与える影響を心配していたのだろう」
「重要遺跡である『還らずの迷宮』を慎重に扱うのはわかるが……流石にあの老人たちはありもしない心配をしすぎる。これまで、そのような些細な懸念で問題を先送りにしたことで、どれだけ副次的な問題が発生したと思っている?」
「慎重と臆病は違う。時には誰かがリスクをとって前に進まねばならない時もある……そうだな、兄者?」
「ああ、そうだ。弟よ」
レイはその二人の容姿と会話の内容に思わず、身を固くした。
その長い耳と蒼白の肌。
その特徴はレイが事前にレイン王子から「遭遇する可能性がある」と聞いていた、『長耳族』そのものだった。
二人は店の床に無造作に置かれた『黒い剣』を見て、首を傾げている。
「……『理念物質』は、そこか。ということは、例の現所有者はここに転がっている男か?」
「いや、そうとも限らない。『里』にルードが持ち帰った映像を見せられたが……最近の人間はどれも同じ顔のように見えてわからん。『器』もここにあるはずだが鎧を着た女だという情報以外、不明だな」
「ならばいっそ、国ごとまとめて潰せば良いのではないか? その方が時短になる」
「早まるな。所有者はともかく、機能の『器』は傷つけず、そのまま持ち帰った方が価値がある。それに、我々が年長者に持ち出し許可申請をした名目は「『理念物質』の回収」であって、国ごとの消滅ではない。指定遺物の用途外利用は後々、問題になる」
「……歯がゆいな。ルードが落ち目の今、結果さえ出せば、奴の地上の管理者権限は俺たち兄弟にそのまま移ると言うのに」
「だからこそ慎重にだ、弟よ」
「……老人たちは俺たちが齢千程度と若いからといって、実力を過小評価している。ルードがあれほどの失敗をしたのに何故、まだ格下げを行わない? 経験と実績を評価するのは良いことだが、年功序列に固執するのはまた別の問題だ」
「……ああ。未だに、『二人揃っての行動を避けよ』とはな。老人たちはいつもそうだ。懸念を重く見すぎて実利を見逃す」
「俺たちは二人でこそ、その真価を発揮するというのにな……いや、待て。おかしいぞ」
「どうした、兄者?」
「男が消えた」
対象の消失に、不思議そうに辺りを見回す二人。
「本当だ。何故だ? 動いた気配はなかったのに……俺たちに気づき、目覚めて逃げたのだろうか?」
「いや。それは辻褄が合わない。『精霊王の香炉』の仕様上、あり得ない。これは一度発動させたら、影響を受けた者は死ぬまでずっと眠り続けるという遺物だ」
「ならば、この状況をどう捉える?」
「俺が思うに。あくまでも、仮説としてだが────」
(────ノール様)
目の前で発生した問題を静かに話し合う二人のエルフの背後で、話題の消えた男の上半身を抱き起こしたレイがいる。だが、小さな声で懸命に耳元で呼びかけ身体を揺するものの、男は一向に目覚めない。
片方のエルフの長い耳が、ピクリ、と動く。
「……待て。そこに何かの気配がある」
「本当か? 俺は何も感じないが」
「ああ。だが、どういうわけか、我々の技術を遥かに凌いでいるかのような非常に高度な隠蔽を用いているように思える」
「我々の技術を凌ぐ? そんなもの、人間が所持するはずがないだろう。考えすぎでは」
「弟よ。常日頃から物事は柔軟に考えろ、と言っているだろう。ある「はずがない」、と考えるより、ある「かもしれない」と考える方がずっと有益で、思考の幅が広がると」
「……確かに。一旦そう思ってみれば不思議なもので、そこに何かがあるように思えてくる。そうか……あれは、女か?」
「……女? 確かなのか? 俺はそこまではっきり視認はできないが」
「いや、確かに女だ。外形はそう見える。女が……男を抱いている」
エルフの兄弟の視線が一斉に、見えないはずのレイに向く。
(────ノール様。どうか、目を覚ましてください……!)
自らの気配を読み取られたことに動揺したレイは、抱えている男の上半身を激しく揺すった。
だが、思わず力が入りすぎ、レイは勢い余って男の身体を手から滑らせた。
レイの手から滑り落ちた男の頭は、床に置かれた『黒い剣』に吸い込まれるように落下していく。
(────あっ!?)
「────へグゥッ!?」
静寂が満ちた店の中に、ゴツリ、と鈍い音が響く。
そうして、呆然とするレイの足元に『黒い剣』に後頭部を強打し、白目で泡を噴く男がゴロリ、と転がった。
(ど、どうしましょう……!?)
突然眼前に現れてぐったりと横たわった男に、二人のエルフは思わず目を見合わせた。
「男が……急に現れた?」
「ああ。そして『理念物質』で頭を強打し、白目で泡を吹いている」
「……あれはもう、死んだのではないか? かなりの衝撃だった」
「かも知れぬ。だが、それより今は────」
「ああ、優先すべき問題はあの女だな」
二人は男と同時に現れた、朧げな影を注視した。
「……何故、あれだけ目覚めている?」
「どうやら、あの女が男を隠していたようだ」
「そして目覚めているということは、つまり、我々を観測しているということだな」
「ああ。こちら側からはうっすらとしか認識できないのに」
「『精霊王の香炉』発動後、エリア外からやってきたわけではないようだ」
「となると。最初からここにいて、かつ、効果の対象外? あり得るのか?」
「そんな例は聞いたことがないが……例の『理念物質』に備わっていた『恩寵』の一つ、と考えれば、可能性はある」
「なるほど。確かに老人たちはその種の『機能』が現生人類の手に渡ることを懸念していた」
「しかし、ここ最近、つい三十年ほど前に調べた時には何もなかったと聞いているが。その短期間にまた新たな『器』が生まれたというのか?」
「現状、そう考えるのが妥当だ。それ以外、我々エルフが保有する技術を凌ぐものはあり得ないはずだ」
「……やはり、この国の害虫どもの進歩は早すぎる。目を離した隙に伸びすぎる雨後の雑草のように、適時・適切に刈り込まねばならない」
「里に帰ったら、ここまで事態を放置した担当者を厳しく糾弾するべきだ」
そう言って二人のエルフが笑い合い、腰から刃物を抜いた瞬間。
「【朧刀】」
二人のエルフの首が、宙に舞う。
────かのように、見えた。
「────驚いたな、兄者」
「ああ。この害虫、案外、剣を上手く使う」
だが、レイが鞘から抜いた真っ白な刀によって引き裂かれたのはただの幻影であり、相手には一つの傷もついていない。レイ自身、手応えからそれを知っていた。
「太刀筋もそんなに悪くない。初動が全くわからなかった」
「……それは、そもそも姿が見えないからではないか?」
「そうか。そう考えると────凡以下か、塵か」
「まあ、威力だけは認めてもいいかもしれない」
レイの斬撃により、兄弟の背後の壁一面が一斉に崩れ落ちる。
店はたちまち半屋外となり、レイはすかさず瓦礫の隙間から王都の街へと飛び出した。
「……おい。女が逃げた」
「愚かな。我々から逃げ果せると思ったか」
「いや、或いは……ここにいる誰かを庇おうとする意図かもしれない」
「いずれにせよ、あれは我らの顔を目撃した。生かして逃す意味はない」
「そうだな」
二人は少しの議論の後、瞬時に女性の影を追いかける。
(────よかった……追ってきてくれた)
一方、レイは二人が自分を追う判断をしたことにホッと胸を撫で下ろしつつ、しばらく駆け、人気のない広場で足を止める。
「……女の影が止まった」
「かなり開けた場所だが。罠だったか?」
「いや。この女がそこまで賢いとも思えない」
「どうして?」
「ここで俺たち二人を相手にする気でいるのなら、賢いとは言い難い」
「なるほど」
レイの気配を感じた二人も、同じ場所で立ち止まる。
「────すみません、お二人とも」
レイは会話を続ける二人と真っ直ぐに向き合うと小さく息を吸い、意を決して声を発した。
「つかぬことをお伺いしますが────」
「……おい。今、女が何か喋ったが、意味はわかるか?」
「いや、風の囁きのようにしか聞こえない。きっと、意味はないだろう」
「……私の声が、聞こえますか? と伺いたかったのですが────そうですか」
レイは二人の反応を確かめると、己の存在を他者に報せる【存在強化】の魔導具を一つ、耳からとり外す。
「────では、これでは?」
レイが再び問いかけると耳を澄ました二人は、辺りの様子を慎重に窺った。
「……どういうことだ。女が完全に、いなくなった……?」
「いや。姿は消えたが……まだ、気配はあるように思える」
「どこに?」
「……それは、わからない」
戸惑う二人を前にレイは二つ目のイヤリングを外しながら、問いかける。
「────では。これでは、どうでしょう」
レイの問いかけには最早、返事はない。
二人からの反応がないことを確認したレイは、小さくため息を吐くと、ゆっくりと歩きながら二人に近づいていく。
「では……失礼して」
そうして、レイは腰に差した純白の鞘にそっと手をかける。
「【朧刀】」
レイは誰にも見えない白い刃を鞘から抜き、長耳族の一人が手に持つ奇妙な形状の金属製の香炉に向け、一直線に薙いだ。だが、瞬時に反応した男は器を守ろうと咄嗟に半身を捻り、その斬撃を自分から受けにいく。
「────グゥッ!?」
器を庇った男の胴体が、肩から下腹に至るまで滑らかに切断された。
レイは自分の振るった白い刃が相手の心臓のすぐ脇を通り抜けたのを感じ、浅くはない傷を負わせた手応えにもかかわらず、思わず後悔に息を吐く。
(────一撃で、仕留められなかった)
会話の内容から、エルフが大事そうに抱えるあの小さな器が『精霊王の香炉』なのだろうとレイは察した。そして、もしあの箱が壊せたなら、王都のこの異常は元通りになるのかもしれない、とも考え、レイはそれを実行に移した。
それが他人に助けを求めることができない自分が、この状況に貢献できる、唯一のことだと思ったからだ。
レイは初見で、二人が『長耳族』という種族であるかどうかにかかわらず、途方もない練度の戦士であると感じた。
実際、ただ真正面から対峙しただけで、こちらの姿が全く認識されないという優位にも拘わらず、たった一度の失敗で全てを覆され、なすすべもなく殺されてしまうのでは、という恐怖が拭えなくなった。
直感は正しかった。
今も、自分の斬撃が届いたと思ったその瞬間、目にも留まらぬ刹那の内にあのエルフは自らの身を盾にして遺物を護り切ったのだ。その時点で、絶望的な力の差を感じざるを得なかった。もし、自分が最初から姿が見えたままであの二人と対峙すれば、それこそ赤子の手をひねるようにあしらわれてしまうだろうと容易に想像できた。
故に刃が相手の体を通った瞬間、レイは香炉を破壊できなくとも、少なくとも一人に致命傷を負わせたいと思っていた。
それができれば多少は状況が有利に傾くのでは、と期待しつつ。
だが刃を振り抜いたレイはこれは致命傷と呼ぶには浅すぎる、と感じた。
実際、男の命を刈り取るには至っておらず、香炉も破壊できていない。
初動は相手に警戒心を与える結果に終わった。
……でも、きっと、あれでもしばらく行動不能にさせるには十分なはず。
そう信じ、レイは震える手で刀をまた握り直す。
だが────
「『治れ』」
一見致命傷と見えた傷は、当の斬られた男が手を当てて一言発するだけで、たちまち何事もなかったかのように癒された。傷だけでなく、大きく切り裂かれた衣服や、飛び散った血の跡でさえ、何もかもまるで時を巻き戻したかのように元通りになっていく。
(────えっ?)
「────しくじった。奴の狙いは『精霊王の香炉』だったか」
「……誰もいないと思って話しすぎたな」
「だが幸い、斬撃は緩いものだった。当てられてからでも致命傷は避けられる」
致命傷を負ったはずの男は何事もなかったかのようにその場に佇み、隣の男と会話を続けている。
「だが、どうする? 喰らうまで姿が見えないぞ」
「弟よ。困難な場面でこそ、柔軟な思考が重要だと教えただろう? 問題の解決法はいくらでもある」
「では、こういうのはどうだ? ────『凍れ』」
一人が言葉を発すると、辺りに凍てつく風が充満した。
辺り一帯が氷に覆われ、噴水が瞬時に凍りつくのを見て、レイは思わず足を竦めた。
瞬く間に王都が激しい吹雪が吹き荒れる氷原となったのを満足そうに眺めると、長耳族は目を閉じ、凍てつく風の通り路に耳を傾ける。
「……なるほど。あそこに確かにいるはずなのに、一切の痕跡が残らず、どういうわけか冷気すら対象を避けるようにして逸れていく。やはり隠蔽とは全く性質が異なるようだ」
「注意そのものを拒む性質か? この異常な挙動はやはり、『機能』なのだな」
「……思えば、年長者がクレイス王国の調査を躊躇していたのは、この種の『機能』を警戒してのことだったのだろう」
「確かに。この系統の『機能』を所持する者がいれば、一方的に情報をとられる可能性がある」
「年寄りどもめ……適切な情報の共有があれば危機管理ができようものを。あれらは秘密主義が過ぎる」
「致し方ない。となれば、工夫で対処する────『軽くなれ』」
一人が言葉を発すると、突如、広場の石畳の舗装が崩壊し、宙に浮く。
「────え?」
急に足場を失い、戸惑うレイ。
「……確かに、全く見えず、聞こえないというのは厄介だ。だが……見えないなりにやり方はある。『落ちろ』」
ふわふわと宙に浮かぶレイの身体は、男の発した言葉によって、無数の瓦礫と共に勢いよく地面に叩きつけられる。
沈んだ石畳から、誰にも聞こえないくぐもった声が響く。
「手応えはあったが……まだ浅いか?」
「ああ。すぐ逃げた。もう同じ場所にはいない」
「しかし、今ので位置特定のコツはだいぶ掴めた。きっと、次は────ここだろう?」
音もなく背後に二人の回り込んでいたレイは、振り向きざまに青白い手のひらを向けられ、思わず体を硬直させる。
「『吹き飛べ』」
またもや無防備な状態で全身に強烈な衝撃を受け、思い切り壁に叩きつけられるレイ。頭部を強打し、そのまま声を上げることすらなく、ぐったりと膝から崩れ落ちる。
「案の定、姿が見えぬだけで、思考は至って単純だ。こちらから敢えて隙を見せれば、素直に喜び勇んで飛んでくる、思えば可愛い虫だった」
「こいつはまだ戦いに慣れていないようだな、兄者」
「ああ。能力は強烈だが……経験は赤子同然。短命種故の悲しき限界だな」
散乱する瓦礫の中で気を失うレイの前に、二人のエルフが立つ。
「……どうする? とはいえ、この女は少々厄介だ。このまま、ここで『解体する』か?」
「落ち着け。『機能』を容れた『器』は一瞬で壊さねば、貴重な情報がいくらか失われるという……待っていろ。今、『容れ物』を出す。解体は里に帰ってからだ」
「そうだな。こういうこともあろうかと予備を持ってきて本当によかったな……目的は『光の盾』の『器』の回収だったが、この女と共に『里』に持ち帰れば、即時の昇進も夢ではなくなる。やはり、リスクを恐れたら何も手に入らないのだな」
「ああ。我々はついに、自らの力でそれを証明し……ん?」
「どうした? 兄者」
予定外の報酬を得て浮かれていたエルフの一人は、再び表情を曇らせた。
「……また、女が、いなくなった」
「どうしてだ? 確かに深刻なダメージを負わせたはず」
「冷静に考えろ。こういう時は案外、単純な問題を見落としている。考えうる可能性を丁寧に見える化し、一つ一つ潰していけば、いずれ────」
「あれは?」
ふと振り返ると、見覚えのある男が二人に背中を向けて立っている。
男の手には二人が回収に訪れた『黒い剣』が握られている。
「……どういう事だ? なぜ、あれが目覚めている」
「てっきり、『理念物質』で致命傷を負ったとばかり思ったが……甘かったようだ」
「どうやら、俺たちは優先順位を間違えたのかもしれない。どうする?」
「決まっている。複雑な問題は小分けにし、順番に処理しろ、と」
「なるほど。では、こういうことか────『潰れろ』」
霧に包まれた王都の上空に、巨大な黒い球体が現れる。
それは二人のエルフの敵対者となる者だけを選んで圧し潰し、やがてはどのような手段を以てしても再生不可能なほどの細かな肉片へと変えるための、異常な力場の集合体だった。
それは実際、降下する過程で触れたあらゆるもの、広場を装飾で彩る門型の建造物や彫刻、周囲に立ち並ぶ建造物の屋根と壁、空気中に漂う微細な粒子に至るまで、すべてをより細かい要素へと分解しつつ、ゆっくりと対象に近づいて行く。
一方、黒い球体が狙う男はその場でじっと屈み込み、何かに手を当てている様子だった。
だが、その不吉な漆黒の球体が頭のすぐ上まで迫った時、ようやく異変に気がついたかのようにゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
「────さあ、もう逃げても無駄だ。それはどこまでもお前を追っていくぞ……さっさと、その剣だけ遺して『消えろ』」
破顔うエルフの言葉で、黒い球体が加速する。
そうして────
男はその黒い球体に、手にした黒い剣の先端をほんの少し触れさせると、表面を引き裂くように軽く振る。
「パリイ」
すると、言葉一つで生み出された巨大な力場は対象に何一つ影響を与える事なく、跡形もなく消し飛んだ。
「「…………は?」」
そうして、男は何事もなかったかのように自分の後頭部を手でさすりながら、心の底からの困惑の色を浮かべた顔で、同じく困惑顔の二人へとゆっくりと向き直った。






