215 好きな匂いと嫌いな匂い 2
「じゃあ、準備するからちょっと待ってて」
『グァ』
そこは王都の郊外に位置する、深い森に囲まれた『竜の餌場』。
王都の北の『魔獣の森』の一部を切り開いて造られた、その円形の開けた岩場は緩やかな斜面となっており、見下ろすと遠くに王都の街が見える。
『餌場』の中央に大人しく座っている魔竜の前で、給仕役のロロが大小さまざまな木箱を並べていき、綺麗に並べ終わると慣れた手つきで一つ一つ、丁寧に木箱を解体していく。
すると、無数の箱の中から色とりどりの料理が現れ、鮮やかな色彩を巨大な眼球の中に入れた竜は嬉しげに低く喉を鳴らした。
「お待たせしました。さあ、どうぞ召し上がれ」
『────グォ!』
ロロから食事開始の合図を受け取ると、早速、ララは目の前に並べられた無数の料理の中からひとつを選び、自慢の巨大な爪で器用に摘んで口の中に放り込む。
そうして身体の大きさに対してちっぽけに思える前菜を、じっくりと味わうように咀嚼して呑み込むと、また次の料理へと視線を移し、同じように時間をかけて食べていく。
そうして竜は人の尺度で見れば数十人分の大宴会程度の量の料理を軽いおやつのように平らげると、満足そうに喉を鳴らし、その場に蹲る。
「どう? シレーヌさん。これが普段のララの餌やりなんだけど」
「……うん、なんていうか。すごく……意外」
一方、ロロとこの竜の『餌』を運ぶ為、王都の店とこの場を何度か往復したシレーヌは、竜が目の前に綺麗に並べられた料理を順番に食していくのを目撃して小さく感嘆の声を上げた。
「というか。ララって、こんなにお行儀よく食べるんだ?」
「うん。ライオスさんがどうしても、「料理は食べる順番で満足感が違う」ってことをララに伝えたかったらしくって。もちろん、最初は意図なんて伝わらず、木箱ごと全部一緒に口の中に放り込んでぐちゃぐちゃに噛み砕いてたんだけど」
「そう、私のイメージ的にもそっちだった」
「でも、何度か根気よく説明したら、箱で分かれてる意味をわかってくれたみたいで。今みたいに順序よく食べてくれるようになったんだ。でも、今じゃ、きちんと順番通りじゃないと満足できないらしいから……正直、そこまで教えてよかったのか、わからないんだけどね」
『────グゥア』
しばらく岩場にゴロリと寝転び、気分良さそうに喉を鳴らしていた竜だが、不意にロロに顔を向けると、長大な尻尾を大きく縦に振る。
そうして、硬い地面を軽く二回叩く。
それは「そろそろデザートを出していい」という合図だった。
そうして、要望を受けてロロが最後に残った木箱を丁寧に開けると、中から巨大なイチゴのタルトが顔を出し、ララはそれを見て嬉しそうに喉を鳴らすと、ペロリ、と長い舌を使って口の中に放り込む。
ララの幸せそうな唸り声が大地に鳴り響き、それに怯えた鳥たちが一斉に飛び立っていく。
「今日も満足してもらえたかな?」
『グゥァ』
そうして竜の少し長めの食事の時間が終わり、ひと仕事終えた二人は何をするでもなく小さな岩に腰掛け、満足げに寝そべる黒竜を眺めていた。
ふとロロがシレーヌに視線を向ける。
「シレーヌさんとこうして会うの、本当に久々だね? 落ち着いて話すのも、帰ってきて以来な気がする」
「確かに。王都に帰ってからは忙しかったし……まあ、特に会う用事もなかったけど」
「そうだね」
「……そういえば。あの子達、どう? 記憶なかった、って聞いたけど」
「うん。もうだいぶ健康にはなってきたけど、オーケンさんとメリジェーヌさんが色々調べた限りだと、やっぱり何も覚えてないみたい」
「……ロロのことも?」
シレーヌの問いにロロは寂しそうに笑い、頷いた。
「でも、むしろ、それでよかったと思ってる。あそこは、よくない思い出ばっかりだったから。元々、あの子達とは部屋を分けられたりしていて関わりは薄かったし……覚えてても辛いだけの毎日だったら、記憶なんてないほうがいいに決まってる」
「…………そう。でもなんか、それって……ちょっと辛いかも」
話を聞いて悲しげに俯いたシレーヌだったが、ロロは再び彼女に笑顔を向ける。
「でも、今は違うよ。今、こうしてシレーヌさんと一緒にいられるのも、ララの餌やりも楽しいし。今日のことだって、絶対に忘れたくない」
「……えっ?」
『────グァ』
会話する二人をじっと眺めていたララが不意に低く短く、喉を鳴らす。
「ララも、『この前は自分も楽しかった』って。ノールと一緒に遊べたのが何より嬉しくて、自分もあの出来事は絶対に忘れない、って」
「……えっ? 私たちが話してること、聞いてたの?」
「今のは少しだけ、ララにもわかるようにボクが心で伝えてたんだけど。言葉も少しずつわかるようになってきてるから」
「へぇ……じゃあ、今私が言ってることもわかる?」
『グァ』
「『みくびるな。言葉はまだよく分からなくとも、匂いと態度で何を考えているかぐらいわかる』だって」
シレーヌに大きな眼玉を向け、また小さく喉を鳴らすララ。
『────グゥア。グォ』
「今のも、私に何か言った?」
「うん。『そっちの小さいのも、なかなかおもしろい曲芸を披露したから覚えている。褒めてやると伝えろ』……って」
「曲芸?」
「多分、シレーヌさんがたくさん射った矢のことを言ってるんじゃないかな。あれをまたやるなら、面白いから見てやる、って……従う必要はないと思うけど、かなり気に入ったみたい」
「えっ? それは……ありがとう。私的には反省しかないけど」
『グァ』
「謙遜するな。お前はなかなか面白い、だって」
ロロの通訳でララと会話したシレーヌは、安堵するように息を吐く。
「なんか……ララって思ってたより、親しみやすい性格?」
「ね? 話してみるとそんなに怖くないでしょ」
「うん……初見の印象よりは全然、怖くないかも」
「まあ、でも本竜がその気になったら、ボクらなんか一瞬でパクりとやられちゃうから。そこは気をつけないとだけど」
『────グォ!』
「『お前らみたいな不味いモノ、誰が好き好んで食うか』だって。ライオスさんの料理にしっかり餌付けされたみたい」
『グァ』
「わかった。ライオスさんには今日も美味しかった、ってちゃんと伝えておく」
『……グゥ』
「うん。次回のリクエストも承ったよ。『極限まで辛めのフルコース』だね」
『グゥア!』
「……本当に普通に会話してるんだ?」
「うん。もうお互い、友達だと思ってるから。ねっ、ララ?」
『──グォァオ!』
「うわっ! びっくりした……!?」
「……あっちは、『お前なんか、ただの退屈しのぎの関係でしかない。調子に乗るな』って言ってるけど。ボクが死ぬまでの間は、こうやって気軽に会話に付き合ってくれるつもりみたいだから」
『……グァ』
「『代わりの話し相手がいないんだから、仕方ない。まあ、お前ら二人は少しは気に入っているからいいが……他は主人のお気に入りだから殺さないだけだし、勘違いするな』だって」
「へぇ。私も気に入ってくれてるんだ?」
『────グゥ』
不意にララが長い頸を持ち上げ、眼を細めながら遠くを見つめ、小さく鼻を鳴らした。
「今のは?」
「『この場所も気に入った。ここからは愛しい主人の住処がよく見える』」
「……愛しい?」
「うん。ララはノールのことが大好きだから」
『グァ』
「『ここには時折、風に乗って主人の匂いがやってくる。それだけで幸せな気分になるし、いい住処だ。静かだし、ここなら快適に主人を待てる』って」
ロロの通訳に、シレーヌは意外そうにララを見上げた。
「……意外。竜ってもっと乱暴でワガママだと思ってた」
「基本はそうなんだけどね」
「……ララは会いたい、って思わないの? その、ノールさんに」
『グァ』
「『自分から主人を求めるなど、傲慢だ。自分は主人が求めてくれるまで、いつまでも待つ。何百年でも、何千年でも』」
「なんか……ララって、思ってたより健気?」
『グゥァ』
「『勘違いするな。偉大すぎる主人には、自分ですら釣り合わない。自分がいくら相手を想ったところで、相手が想ってくれるわけではない』」
「そ、それは……そうだけど。でも、それで本当にララは満足なの?」
『グァ』
「『それでもいい。想うに足る相手が居る。それで十分、幸せだ』って」
「……じゃあ、ララって、ホントにノールさんのことが好きなんだ?」
『グァ』
「『当然だ。この主人を想う気持ちこそ、我が誇り』、だって」
ロロが翻訳すると同時に、竜は誇らしげに鼻から大きく息を吐いた。
『グァ』
「『お前はなかなか話がわかる奴だ。またここに来い。そっちの小さいのよりもいい』、だって。シレーヌさん、気に入られたみたい」
「そ、それはどうも……? まあ、話し相手ぐらいなら、いつでも」
シレーヌの返事に機嫌良く唸ったララだったが、不意にロロをジロリ、と見つめると低く喉を鳴らす。
『────グァ。グォ』
「……えっ? それはちょっと」
「今のはなんて?」
「……う〜ん。直訳すると、『お前たちは弱すぎるし、寿命が短かすぎる。どうせ滅びるのだから、さっさと子孫を作れ』って」
「しっ、子孫!?」
「『お前らはまあまあ面白いから、子供ができたら贔屓にしてやる』って。気に入ってくれてるのは嬉しいけど……気が早いよねぇ、竜は。こっちにはこっちの事情とかタイミングがあるから、心配してもらわなくても大丈夫だよ、ララ」
『……グゥァ』
笑いながら肩を竦めたロロに、ララはつまらなそうに寝転んで、そっぽを向いた。そうして、しばらくの間、二人と一頭は開けた岩場で穏やかな時間を過ごしていたのだが。
『…………………………グァ』
不意にララが長い頸を持ち上げ、苛立つように低く唸る。
「……ララ?」
直後、地面を脚で強く踏み締め、巨大な体躯を持ち上げる。
突然の轟音と地響き周囲の森からは一斉に鳥たちが飛び立った。
「ねえ。ララ、なんでこんなに機嫌悪くなってるの?」
「……『嫌な匂い』がした、って」
「嫌な匂い?」
黒竜が再び、いきり立つように地面を数回踏み締めた。
そうして、巨体をまっすぐ空に持ち上げたかと思うと上下に顎をパクリ、と開き。
「いけない、シレーヌさん! 耳塞いで!」
「えっ?」
ロロの警告が響いた、その瞬間。
『────グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!!!』
辺り一体に耳を裂かんばかりの爆音と、衝撃。
その場から世界の全てを震わせんばかりの魔竜の咆哮に、周囲に転がる岩という岩が砕け、硬い岩石質の地面に一斉に亀裂が入る。
思わず耳を塞いだまま硬直したシレーヌだったが、興奮して唸るララの視線がまっすぐ王都に注がれていることに気がついた。
「……何? 王都が、どうかしたの……?」
「……ララは、一番嫌いな匂いが、主人の匂いと混じってるって」
「────それって」
二人は低い唸り声を上げるララと、遠くに見える王都を交互に眺めた。
見慣れた街はいつも通りで、平穏そのものにしか見えなかった。
「シレーヌさん。すぐ戻ろう」
「……うん」
だが、大きな胸騒ぎを覚えた二人は興奮するララを宥めると、竜の視線が注がれ続ける街へと急いで戻った。






