207 反省会
「本当に、珍しいこともあるもんだなァ? ルードの旦那が仕事をしくじるなんて」
広大な砂漠の真ん中で、一人で黙々と歩みを進める黒いローブの男。
その耳に、どこからか可笑しそうな笑い声が響く。
「ザドゥか」
名を呼ばれ、声の主が蜃気楼のように現れた。
そうしてニヤニヤと笑みを浮かべながら黒いローブの男の背後に立ったが、ローブの男は振り返る素振りもなくゆっくりと歩みながら会話を続けた。
「……先ほど、こちらでも『忘却の巨人』が破壊されたことを感知した。その後、『青い石』の中から解き放たれたモノはどうなった?」
「あァ。あの、虫みたいな金属みたいな変なヤツだったら成り行き上、解体しちまったが……まずかったかァ?」
「いや。問題ない。むしろ、今後数千年かけて行うはずだったこちらの長期の仕事が一つ片付いたことになるが……解体した? どのように」
「たまたま、面白いモノが手に入ったんでなァ?」
ザドゥが黒いローブの男、ルードに小さな『黒い石』を見せると、ルードは思わず足を止め、感慨深げにザドゥの手の中にあるものを見つめた。
「それは……まさか、遠い昔に『剣』から分たれた『理念物質』の欠片か? つまり、お前はそれを使って出て来たモノに対処した、と」
「あァ。登場は派手だったが、あまりにもあっけなく終わっちまったんで拍子抜けしたなァ?」
「……まさか、まだそんな遺物が実在していたとはな。やはり、『還らずの迷宮』の深層にはまだ我々の知らぬものがあるようだ」
「やっぱり、これも値打ちモンなのかァ?」
「価値自体は『本体』に遠く及ばない。だが、それでも『理念物質』であることに違いはない。『里』は喉から手が出るほど欲しがるだろう。言い値で買い取れるが、幾らだ」
「……そりゃァ、気前のいい話だなァ。ただ……コレ、あのクソ重てェ『剣』と違って、ちゃんと俺の武器として扱えるんだよなァ?」
「無論、受け渡しは仕事を終えてからでいい。時期はまかせる」
「あァ? いいのかァ? エルフ以外には渡したくねェんだろ?」
「『本体』はな。だが、念の為、上の者には黙っておけ。昔から頭の硬い奴ばかりだ……素直に全てを伝える必要はない」
「老人のエルフに睨まれるなんざ、めんどくさすぎて嫌なんだが……まァ、旦那がそう言うなら、しばらく俺があずからせてもらうかなァ?」
改めて手元の黒い石を眺め、ザドゥは嬉しそうに口の端を歪めた。
「……それで、肝心の『剣』の所有者の『殺し』の件だが」
「どうも、聞いた話と流れが変わっちまったみたいだったんでなァ? 一旦、保留にして旦那に会いにきたってところだが……やっぱり、まだ継続かァ?」
「無論、変更はない。依頼内容の変更を望むなら、応じない」
「まァ、別に『殺せ』としか言われてねェし、期限は切られてねェから、本来は楽な依頼のはずなんだが……あいつだけはちょっと、なァ? あれを『殺す』となると何から何まで面倒すぎる」
「お前の口からそのような弱音を聞くとは、意外だが……今回は、お前ばかりを責められる状況にない。『理念物質』を奪われたのはこちらの落ち度だった」
「あァ。確かに、アレがなけりゃ、こっちの仕事ももうちょっとスムーズに進んでたかもなァ?」
そう言って、ザドゥはルードに対して意地悪く笑った。
「だが、本当に珍しいなァ? 一体、誰にしてやられたんだァ? 例のデカい黒龍が咥えて持ってきたが、まさかアレじゃねえだろうなァ?」
「……そうだ。それにやられた。俺は以前にアレを使役したが故に油断し、出し抜かれた。変化は一目で感じ取れたはずだが……想像より、ずっと厄介になっていた」
「────へェ? アレが、旦那を?」
二人の頭上をクレイス王国の方角へと巨大な黒竜が飛び去っていく。
二人には他者からは知覚できない認識阻害の魔法が多重掛けされているはずだが、かつて【厄災の魔竜】と呼ばれたその竜は上空を通過する瞬間に、ギロリ、と的確に二人を睨みつけていった。
「まァ、確かになァ。アレは、ただの畜生ってワケじゃねェもんなァ」
「……魔竜の性質とは元来、破壊と蹂躙のみであるはずだった。元々は生体兵器として、純粋に暴力だけを望むように予め設計され、生産されていた。それだけに、戦闘面では対処が容易だったのだが……今のアレは己の衝動に従うことなく、状況に合わせて柔軟に思考し対応する。冷静で知性を備えた獣など、桁外れに厄介な存在となる」
「旦那がそう言うなら、そうだったんだろうなァ? 俺も、剣の持ち主に何度か殺意を向けてやったんだが、その度に、それ以上の殺気で睨みつけてアレが襲いかかって来そうだったモンでなァ?」
「その変化の原因はどうやら、例の『剣』の持ち主にあるようだ。竜の思考もそのように読み取れた」
「……本当に、面倒臭えよなァ? アイツの周りにいるってだけで、途端に雑魚が厄介になりやがる」
そう言って、ザドゥは愉快そうに笑った。
「で、どうするんだァ? これから」
「予定通り、『里』に戻る。お前も同行しろ」
「あァ? サレンツァはあのまま放っておいていいのかァ?」
「いずれ、時期がくれば滅ぼすことになる。だが、それは今ではない。『忘却の巨人』という手頃な手段がなくなったせいで、代替となるものを用意するには時間がかかるし、大規模な遺物を利用するには『里』の許可が必要となる」
「それで、家に帰って話し合うってワケか……? しかし、気が進まねェなァ。どの道、未払い金受け取る為には行かなきゃならねェんだが、あの辺、僻地すぎて碌な食いモンがねえんだよなァ? おまけに徒歩でしか行けねェとか……頭、おかしいんじゃねェのかァ?」
「エルフの『里』とは、そういうものだ。こちらだって辟易している。文句を言うな……そういえば、ザドゥ。お前がこちらの依頼の途中に、『裏切り』の新規依頼を受けた件についてだが」
「────あァ? なんだァ。視てたのかァ?」
ルードの持ち出した話題に、ザドゥの笑みに僅かに殺気が籠った。
「……別に、何も問題はないはずだよなァ? 俺がアンタから受けたのは、単なる『殺し』の依頼だけなんだからなァ……?」
「ああ。無論、お前との契約上、他者と契約をしてはならないなどという条件は設けていない。加えて、お前が依頼を受ける際の基本ポリシーも把握している。故に、今回の多重契約状態の発生がこちらとしては望ましくないことだったとしても、お前には落ち度はなく、あるとしたらそのような曖昧な状況で依頼を行った俺にあるが……」
「急にゴチャゴチャと……要するに、なんなんだァ?」
「今後、今回のように依頼の途中で一時的にせよ相手側に付かれる、という状況は避けておきたい。故に、以上を踏まえ、今後は『里』の者に確認を取った上で、二者の納得する条件を改めて見直し、文書にて契約を締結することを提案したい。今回の『里』への帰省にはその用事を済ませる意図もある」
「……まァ、きっちり依頼してくれる分にはいいがなァ……? それ、一体、まとめるのに何年かかるんだァ?」
そうして黒いローブの男、ルードとザドゥは遥か遠方の目的地へと続く道をただひたすらに歩いていった。






