203 俺は人型の何かをパリイする
「────なんなんだ、あいつは……?」
「……そんなの、俺が知るワケがねェだろうが」
俺とザドゥはしばらくの間、目の前にふわり、と降り立った奇妙な存在と向き合っていた。
砕けた『青い石』の中から飛び出してきたそれは、一見、輝く鎧を纏った人のように見えた。だが、照りつける光の加減次第で様々な色に輝く、まるで雪原を思わせる白銀の鎧はどうやら、それの皮膚のようだった。
じっと動かないそいつの肩越しに風に吹き飛ばされたシレーヌがリーンに抱かれ、リーンがこちらに手を振った。
大丈夫そうだとひと安心したところで、俺は改めて、それに目を向けたのだが。
(なんだか……すごいな)
初見で人のように見えたものの、見れば見るほど奇妙に思える姿だった。
胴体にはちゃんと足と腕があるものの、その脚は不自然なまでに細長く、腕は肩から背中にかけて何本も生えている。
おそらく生き物の一種ではあるだろうが……やはり人ではなさそうな感じだ。
先程から俺たちをじっと睨みつけている、鉛色の冷たく無機質な瞳と目が合うと、果たして生き物と言えるのかすら、だんだん不安になってくるが。
ともかく、さっきのシレーヌへの攻撃を見る限り危険な存在であることだけは確かだった。
「ザドゥ。あいつ、かなり手強いと思う。また手を貸してくれ」
「だろうなァ……だが。そりゃァ、無理な相談だなァ?」
「……なんで?」
「なんでって。とっくに時間切れだろうがァ……?」
ザドゥはすっかり晴れて見通しの良くなった空を見上げると、肩を竦めた。見れば、確かに約束の時刻よりも太陽が高く昇っている。
「……もうか。気づかなかった」
「ってワケで、俺はこれからお前の『殺し』の依頼に戻るコトになるが」
「待ってくれ。この場でやられるとすごく困る」
「元から、そういう約束だっただろうがァ? 俺も、こんな面倒臭ェ状況でお前を殺るなんて本意じゃねえんだが────ただ、なァ?」
「ただ?」
ザドゥは不意に晴れた空を見上げた。
つられて俺も上に目を向けると、シャウザとシレーヌが使った『黒い鏃』がくるくると回転し、丁度、俺の頭の上に落ちてくるところだった。
俺がそれを片手でキャッチするとザドゥは目線を落とし、こう言った。
「ソレ。俺にくれねえかなァ……? 普段は現物での支払いなんて受け付けねェんだが。それなら延長料金代わりにしてやってもいい」
「これを? だが……」
俺はザドゥが欲しがっている、手の中にある『黒い鏃』を見た。これは確か、一つっきりしかない大事なものだと【狩人】の教官が言っていたような。
「渡せない。俺のじゃないからな」
「じゃァ、お前を殺して、誰のものでもなくなったモノを拾うしかねェかなァ?」
「だから、これは俺のものじゃないんだ。俺を殺したからって、拾ったことにはならないぞ?」
「なら、面倒くせェがその持ち主とやらを殺すかなァ?」
「そもそも、そういう乱暴な考え方からやめた方がいいと思────いや」
俺はザドゥに文句を言いかけ、視界に入ったままの銀色の鎧を纏った二足歩行の生物……と思しき存在に目を向ける。
「わかった。しょうがない、受け取れ」
俺はザドゥに『黒い鏃』を投げた。
するとザドゥは意外そうな顔でキャッチした。
「……なんだァ? いいのかァ?」
「持ち主へは後で、俺からちゃんと謝ろうと思う。あいつは俺一人じゃどうにもできそうもないし、他に助けてくれそうな人もいない」
「じゃ、契約成立だなァ? だが、アレを相手にお前に雇われてやれるのはせいぜい、60秒が限度ってところだなァ?」
「なら、それまでにアイツを倒してくれると助かる」
「……相変わらず、人使いの荒い依頼人サマだなァ? 当然、料金分は働くつもりだが」
そうして短く話を片付けた俺たちは、再び異形の怪物へと向き直った。
◇◇◇
《────これは、どうしたことだ────?》
悠久の時を経て『青い石』より解き放たれたその人型の物体は、その時代に流通する言語とは全く異なる系統の概念を用い、人には聞き取れない高周波で疑問を口にした。
────あれは、間違いなく『理念物質』だ。
本来、この世界の何者も触れ得ぬはずの神々に干渉し、害を為すことのできる唯一無二の、危険な物質。
それが、目の前に二つもある。
こんなことが起こりうるのか?
そのうち、大なる『理念物質』を所持する個体は先ほど自分の前に立ちはだかり、一本の刃を粉々に打ち砕いた。だというのにまるで敵意というものをこちらに向けず、ただのらりくらりと立っている。
一方で、小さな方の一つを持つ個体は静かにこちらの挙動を窺いながら、尋常ならざる殺意をぶつけ、そのせいでどういうわけかずっと目が離せず、こちらが気軽に身動きできない状況を作っている。
────なんなのだ、あれらは。
あんな異様な生物は過去にはいなかったはず。
同様の形状を持つ生物はいたにはいたが、あそこまでの力は持ち得なかった。
いずれにせよ、『理念物質』が自分に敵対行動を示す存在の手の中にある。
『理念物質』はその大小を問わず、存在自体が重大な危機。
ゆえにあの二体は速やかに処理を行うべきだと考え、瞬時に空間を任意に捻じ曲げると、『理念物質』を保持する者の背後に瞬間転移し、存在を抹消せんと凶器と化した腕部を振るう。
だが────
「パリイ」
およそ生物には感知不能な刹那に接近したにも拘らず、再び硬質化させた己の腕が丸ごと砕かれる。
同時に、おかしなことが起こる。
「……こいつ、クソ重てェなァ? だが切れ味はまァ、悪くねェ」
気づけば背後に立つ者がじっと手の中の『理念物質』を眺め、何事かを呟いている。だが、その音声は左右まるで別々の場所から聞こえ、自分の左右の視界が次第にそれぞれ上と下へとズレていく。
《────────?》
そこで、それはその異変が自らの頭部が縦に切断された為であったことに気がついた。
慌ててこの世ならざる物質で構成された腕で己の脳髄が露出するのを防ごうと、両側から押さえようとするが、腕の数がどういうわけか幾本か足りず、代わりに不安定な視界の中で数本の白銀に輝く棒状の物体が、ボトボト、と重い音を立てて地面に落ちていく。
《────────???》
かつて人々に神と呼ばれ崇められていた存在は、虹色に輝きながら転がる白銀の物体が自分の腕だと認識するのにしばらくの時間を要した。
……これは一体、どうしたことだ?
また、斬られた。
そして、失われた肉体の部位を即座に再生しながら、ようやく本気で状況の分析を試みる。
こんな異常な生物はかつて、地上に存在しなかった。
少なくとも自分が『青い石』の中に幽閉されるまでは。
だが、これは大変、興味深い。
これは非常に稀な場面である。
即座にデータを収集する必要がある。
まず、この興味深い二つの個体から脳髄を引き抜き、神経細胞と遺伝子のサンプル採取を────と、それが心を躍らせた瞬間、次は四本の腕が宙に舞う。
《────────?》
飛ばされた己の腕が再び空で煌めくのを眺めるうち、ソレはやっと己が遭遇した者の異常性に気がついた。
これらは、ただの厄介な存在ではない。
とてつもなく、厄介だ。
過去の経験を紐解いても前例がないほど稀有で、危険な存在。
そうして敵対する相手に最大限の評価と警戒を以って排除行動に移ろうと空間を渡った、その瞬間────
「パリイ」
またもや、残り全ての腕を砕かれる。
《────────?》
────────なんだ、これは。
こちらの攻撃が相手に届きすらしない。
なのに、相手の攻撃はもれなく通るばかりか、こちらは満足に反応すらできていない。
切断部位の再生すら間に合わず、ただただ、されるがままになっている。
……これはまずい。
本当に、まずい。
「なぁ、こいつ。何でこんなに素早いんだ? 背後にいきなり現れたように見えたんだが」
「むしろ、お前はなんでそんなのに反応できるんだァ……? そんなことより、なんなんだァ、コイツ? 普通の武器じゃ歯がたたねえどころか触れられもしねェ」
「俺に聞かれても困るが……まあ、たまにはそういうのもいるんじゃないか? 確か、俺が前に会ったスケルトンもそんな感じだった」
「そんなスケルトンがいるワケないんだよなァ……? まァ、面倒臭えし、細かいことは消してから考えるかァ?」
「そうだな」
────本当に、なんなのだ。こいつらは。
度重なる、全力での排除行動の完全なる無効化。
その度に繰り返される、未知なる手段による甚大な被害。
……ああ、これでは。
この状況は、まるで────
《────嗚呼。愉快────》
今、ソレが目にしているのは、ソレが悠久の時の中で何億回と夢想し待ち望んだ理想世界そのものだった。
故に、思わず、訪れた歓喜の瞬間に銀色の両顎を揺らして咲う。
何故なら、それはとてもとても、退屈していたから。
それが存在し始めてから、幾星霜。
この異世界に渡ってきてからの、数万年。
それ以上の、とてもとても長い間。
存在開始の当初から闘争を喜ぶ性質を備えていた其れは、その性質ゆえに退屈した。何故なら他の生命体をいくら一方的に蹂躙し、存在を消し飛ばしても微塵も興奮が得られなかったから。誰かと対峙するたび虚しさだけが残る。己がそのような性質を持って創造されたことを恨み、己に何の喜びをもたらさぬ世界に対して不満を募らせた。
故に己が所属する世界がついにその寿命を迎え、崩壊する際もなんの感慨もなく、他の避難者と共に他の世界に渡った。
次元を超えた末に辿り着いた世界には、自分達と良く似た知的生命体が生息し、文明を築いていた。
だが、それらは寿命も知能も肉体強度も遥かに劣る、非常に原始的な生命であった。
そうして、不均衡な移民と原住民との交流が始まった。
未知との遭遇に興奮し、互いに己の知識を分け与えようとした。
そうして、やがて、原住民にとっての数世代が経過すると、あらゆる面で劣る其れらは異世界からの移民たちを『神』と呼んで、崇めるようになっていった。
他次元から孤独に世界を渡ってきた移住者たちは、畏敬を込めてそう呼ばれ、決して悪い気はしなかった。中には本当に己を異界より訪れた『神』だと信じ、自称する者もさえいた。何故なら、そう名乗っても全くおかしくないほど、原住民との間には埋め難い能力の差があったからだ。
互いの異なる存在たちの邂逅は、即座に主従の関係になった。
だが────
当時、先見の力に優れ総ての移民たちを束ねる役割を担っていた『指導者』は持ち上げられて浮かれる移住者たちに向け、こう言った。
『この世界の原住民である人類はいずれ我々と同じ高みに登り』、『扱い次第では脅威となる』。ゆえに、『「完全に滅ぼす」か、和解し「対等な関係を築く」かの二つに一つ』だと。
そう言って、即時の選択を迫った。
当時、移民の大多数はその提案を信じなかった。
また、誰もがその言葉に従う利益を感じなかった。
何故なら、既にとある者は異世界の原住民たちを便利な奴隷として使役しており、またとある者はただの『食糧』、あるいは好みの文明を築く為の『玩具』として扱っており、即座に全てを滅ぼすという意見には同調しにくかったのだ。
そうして、数百年に及ぶ丁寧な話し合いの結果、移民たちは結局、「あのようなあらゆる面の能力が劣る下等生物はただの家畜であり、今後幾万年を経ようと一顧だに値しない存在」と定義づけ、正式に「管理し支配する」ことに決めた。
そして、原始的な生物の進化の可能性に触れ、極端な二択を迫った者は指導者の役割から追放され、やがて姿を消した。
だが────
実を言うと、銀の肢体を持つ其れは、元の指導者の言葉の成就を信じていた。
何故なら、其れは元の指導者と幾度も行動を共にしたことがあり、その能力をよく理解していたから。
それゆえに、彼の警告を無視しようと心に決めた。
それは他の安寧を願う移民たちと違い、ただ脅威だけを求めてこの新天地へとやってきたのだから。
そうして、待った。
あの脆弱で知恵の劣る存在が、自分達に抗う力をつける時を楽しみに。
すると程なくして自分達に対する『神々』の決定を知った原住民たちが各地で反乱を起こし始めた。
退屈していたソレは、嬉々として移民たちに与えられた知恵を用いた武器を手に取り戦おうとする者たちを潰したが────それには、すぐに飽きた。
あまりにも期待はずれだったからだ。
元の指導者の予言とは違い、まだまだあれらは弱く、脅威と言うには程遠い。
だが……いずれそうなる。
あの予見には決して、『外れ』はない。
でも、それまでにどれぐらいの時を要する? あと、どれぐらい待てば良い?
憂鬱に沈みかけたところですぐに希望となるような出来事が起こった。
絶滅に瀕した人類が、絶望の淵で神々に干渉しうる存在として『理念物質』を生み出したのだ。
己の絶対的な安全が脅かされ、多くの移民たちが恐怖に逃げ惑う中で、ソレはようやく己に危機を及ぼしうる存在が現れた、と大いに歓んだ。
そして、対峙しようとした、その矢先。
どういうわけか『理念物質』は忽然と世界から姿を消した。
其れは期待を胸に抱いた分、落胆した。
代わりに『青い石』というごくつまらないものが幅を利かせ始め、その性質を知るとさらに失望した。
何故なら、ソレは『理念物質』とは対極の、生物としての当然の性質であるはずの闘争と競争を放棄し、ただ逃げて時間稼ぎをし、退廃の時間のみを生み出す退屈極まりない代物であったから。
闘争により互いを高め合う興奮を求める其れにとっては、最も侮蔑すべき基礎概念だった。
故に、それからはただ、退屈。
退屈。退屈。
退屈に次ぐ、退屈。
なんの手応えもなく、気づけばいつの間にか仲間の数だけが減っている、という退屈な時代が数千年以上も延々と続いた。そのうち、『神々』と人との間の争いごとすらなくなり、やがて其れにとって興奮すべき出来事は何もおこらなくなった。
故に、其れにとってその世界は前の世界と同じく大して意味のないモノになり、もう、自らが存在を続けることにすら興味がなくなった。
闘争のない世界など、何の希望も高揚も感じない。
だが────
ふと、ある時。
其れは姿を消した『指導者』の語った『予言』のことを思い出す。
その唯一無二の正確さと共に。
あれが言った事はいずれ、成就する。
必ず、その時は訪れる。
つまり……まだ成就していないだけ?
そう考え、もっとも嫌悪する停滞の象徴たる『青い石』に身を委ね、時を渡ることにした。何故なら、今のこの世界はあまりにも退屈で、まだ『青い石』に力を吸われながら寝ていた方がずっとマシだ、と考えたからだ。
おそらく、『青い石』の緩慢なペースでは半ば永久に自分の力を削ぎ切るには至らない。だが……予見は確実に成就するはずだが、自らの存在の消極的な摩滅の前にそれら楽しきモノに出会えるという保証もない。
どちらが先か?
可能性は五分五分であり、どちらでもよかった。
何故なら、其れは本当に退屈していたから。
故に以後、其れは人類が生み出した停滞の最たるもの、『多次元結晶体』の中で自らを眠らせ、時折、覚醒すると襲い来る絶望的な退屈に耐えながら、その時が来るのを辛抱強く待ち続けた。
希望に満ちた予見が成就するのを夢見ながら。
結果────
《────嗚呼。正解。》
ここには多くの僥倖がある。
幾万年の退屈を覆すものが、ここには数多に存在する。
失望交じりの予想に反し、本当に面白いことになっている。
「……なあ。あいつ、笑ったように見えたんだが?」
「あんなのの表情なんか、俺にわかるワケねェだろうが」
「確かに」
目の前に存在する、こいつらが。
────その、最たるモノ。
嗚呼。なんという僥倖。
自らが見たかった未来が目の前にある。
この世界こそ、己の永劫たる生命に潤いを与えてくれる理想郷……と、それが歓喜に震えた瞬間。
世界の総てがくるり、と回転する。
《────────────?》
ああ、そうか。
また斬られたのだと、その生物はすぐに理解した。
これは世界が回転しているのではなく、自分の頸が飛ばされ、単純な回転運動をしている為なのだと。
規則的にぐるぐると回る視界の奥に、ゆっくりと倒れゆく白銀色の肢体が見える。それは地面に到達するまでもなく、小さな『理念物質』により、上から下へと丁寧に細切れにされていく。
あれには自身の核となる情報が刻まれた重要な器官が幾つも存在している。
つまり、あれの損壊が意味するのは自己という存在の未来永劫なる『消滅』。
《ああ────『歓喜』》
そうして────それは心の底から歓喜した。
何故なら、それは死ぬのが初めてだったから。
かつて、望むべくもないと思っていた恒久的な退屈からの解放。
代わりにもたらされる、『己の消滅』という新たな概念。
元来、不滅の存在として創造されていたそれらには死という仕組みは備わっていなかった。
にも関わらず。
自己の死を内側から観測を行う機会を得た。
そればかりか、なす術もなく、己の幽体が切り刻まれていくのをただ見守るばかりとなっている。
────ああ、そうか。
これが敗北か。
これが他者に蹂躙されるということ。
抗いも虚しく、ただ滅ぼされる、ということ。
嗚呼。では、もうお別れなのか?
ようやく出会えた、この喜ばしい世界と。
滅びの希望に満ち溢れた、素敵な理想郷と。
そう。
つまるところ、これは『贈り物』なのだ。
不滅の存在を滅ぼすという矛盾した目的を達成しようと醜く生き足掻き、『理念物質』を創造したあの執念深い者たちからの。
そして、我々をあの狭い『青い石』に閉じ込めようなどと画策した、あの非力で卑怯な者どもからの。
そして何より過去に誤った判断を下した自分達からの。
同時に『予言』の成就でもあった。
ソレはありえないと言われていた自分の消滅の到来を歓びながら、過去の出来事を反芻する。
やはり我々は間違っていた。
かつての指導者の言うように、我々の存在の持続という観点からすればあれらは支配し蹂躙するモノではなく、完全に滅ぼすべきモノだった。
或いは、互いに理解を求め。
歩み寄り────
《────否。否定》
それは両の顎をカパリ、と左右に開き、自らに芽生えかけた概念を嘲笑った。
────あり得ない。
あれらと、和解するなど。
そもそもの存在が違う。在り方が違う。
不滅の我らと有限のあれら。
決して相容れぬ、本来的に互いに触れ得ぬはずの存在。
それが、よもやこのように対峙できるなどとは思いもしなかった。
其ればかりか、原始的で、無知で、野蛮で。
刹那の生しか持ち得ぬ弱者と触れ合い、なおかつ、圧倒されている。
これは本来、あってはならぬこと。
だが────それがいい。
今、自分はその無垢なる弱者の大いなる進歩を目撃した。
この目で偉大なる躍進を観測し、我々に抗い凌駕するという稀有なる願いの成就を見届けた。
望むべくもなかった新たな知見にして、求めてやまなかった永劫の劇的な終幕。
その数奇な現実を今まさに、自分は体験している。
これは想像より、ずっと面白い。
《────────カッ》
感極まった余り、それは己の消滅も厭わず頭部に残存する全ての粒子を励起した一撃を敵対する者に放った。
かつて『霊槍グングニル』と呼ばれ、数々の山脈を穿ち、高度な文明に育まれた城塞都市を蒸発させ、海を乾かし塩の海溝を創造した究極の光の柱。
だが────
「パリイ」
それでさえ楽々と打ち払われるのを見て、また微笑う。
真上に弾かれた渾身の一撃は、ただ無意味に大気に一つの空洞を作っただけで、虚しく宇宙の彼方へと消えていく。
────そう。
あれらに、もう、自分は敵わない。
────ああ。これが、敗北。
────ああ。これが、死。
《嗚呼────甘美》
頭部が綺麗に二つに割られた瞬間、ソレは心の底から咲っていた。
その世界のモノでない物質で満たされた脳の内容物を撒き散らしながら、最後の残骸が切り裂かれ全ての器官という器官を喪い、存在ごと消え去る瞬間に、心から想った。
我々、異界から渡ってきた者たちは、この敗北を大いに誇るべきなのだ、と。
我々の過去の過ちが、あの下等な存在をこのように育てた。
我々は、結局、あれらを滅ぼさなかった。
結果、あれら弱きものたちはこのたった二万余年の短い時間で、不滅の我々がなしえなかった創造と進歩を、想像もし得ない形でやってのけたのだ。
この偶然による選択の結末の、なんと芳しいこと。
これは祝福されるべき快挙である。
何故なら、この著しい変化は生きとし生ける生命総てにとっての、かけがえのない勝利と言っても差し支えないのだから────と。
特異な思考回路を持つその異次元生命体は、未知なる刺激にうち震えながら、人知れず世界への祝福を叫んでいた。
だが、誰にも理解できない言語で叫ばれたその声は、当然、誰にも届くはずもなく。
《────ァ。尊────》
「……これで依頼完了、だなァ?」
結局、ごく微細な光の粒子となってそれらが本来存在し得ないはずの世界の中へと霧散した。






