194 敗北者たち
「……うぐ。こ、これは、一体……な、何が起きた……?」
そこはどうやら商都にある高い塔の上のようだった。
最上部に設けられた薄暗い空洞の前にある踊り場のような場所で、まるで身体を全て引き裂くが如き鋭い痛みに呻きながらゆっくりと瞼を開いたザイードの目にまず、異様な姿の人影が目に入る。
「……なんだ、あれは。なぜ、あんなものが儂の土地の中に……?」
二本足で歩くそれは激しい嵐を纏い周囲の全てを破壊している様子だった。
だが、それは悠々と歩きながらも硬質な巨体をさらに膨張させているようにも見え、まるで、その姿はそこにあるあらゆるものから栄養を得て急速に成長していく、歩く砂の大樹のようにも思えた。
ザイードはそんな矛盾したものを目にしたことがなかった。
だが、朧げな記憶の中にそれを指し示す言葉が見つかった。
「……まさか。あれが『忘却の巨人』……?」
「どうやら、ラシードが言っていたことは事実だったようだ。あんなモノの周りに長年、街を築いていようとは」
不意にした声に顔を上げると、ザイードの背後には片腕のない獣人が佇んでいる。
それは、ラシードが連れていた獣人だった。
「な、なんだと、ラシード? ま、まさか、あれも全てラシードが仕組んだことなのか!?」
「……本当に、馬鹿らしくなる」
シャウザは混乱して問いかけたザイードに一言だけ吐き捨てると、足元で身じろぎすらできない巨躯の男を見下ろした。
「────これまで、ずっと、俺はこの手でお前を八つ裂きにすることばかり夢見ていた。あの日、同胞が瞬く間にゴーレムに血と肉の塊に変えられ、父が魔物の腹に収まってからずっと、どうすればそれを率いたお前に最大限の苦しみと後悔を与えられるのかと。悩まない日は、一日たりともなかった。だというのに……今、お前を見ても、何も感じない」
そうして、血まみれの体躯を軽蔑するように目を細めた。
「お前は、俺が苦しめるまでもなく、ずっと勝手に苦しんでいた。まるで……かつての俺と同じように。ありもしない幻影に追われ、無様に追い詰められていた。もう構うのも嫌になるほどに」
「……お、お前は、まさか……? ────リゲル」
片腕を目にして目を見開いた。
「────その名で呼ばれるのは、本当に久しぶりだ。俺はずっと、誰かにその名前で呼ばれるのを恐れていた。生き残った同胞たちから後ろ指を差され、恨み言を言われるのが怖かった。ただそれだけの理由で、散り散りになった同胞を探しに行こうとも思わなかった……結果。最初にその名を呼んだのが、お前とは。本当にわからないものだ」
「な、何故、お前がラシードと共に……? あの時、反乱を企てたあの父親と共に処分したはずでは……いや。あの日、すでにラシードの手引きがあったか」
「そうだ。処刑台に立ったのは俺だが、血を失って死んだのは俺とよく似た別人だ」
「……ちっ。道理で、書類が綺麗に整いすぎていたわけだ。もっと部下の報告を疑うべきだった」
「本来、俺はあの時に終わっていい命だった。だが、奴の目的に沿って生かされた」
「……やはり、ラシードの目的は儂への復讐か?」
「いや、違う。俺はそのような理屈は奴から一度も聞いていない。奴の口から聞かされたのは、もっと別の理由だ」
「……なんにせよ。もう理由など、どうでもいい。終わりだ。儂は負けた。あれでは……後に残る物は何もないだろう」
力なく笑うザイードが眺める先で、ゴーレムが邸宅の敷地を悠々と歩いていく。
「……あんなモノの制御が、己の手でできようなどと。何故、思った? 今となっては、何に突き動かされていたのかすらわからん……儂は、なんのためにあれをやった? 記憶に、空白がありすぎる」
砂の巨人を眺めながら穴だらけの記憶を辿り、ザイードは自嘲気味に笑った。
「結局、ただの駒だったのだな。儂自身も」
「そうだ。結局、俺が復讐などせずとも、お前たちは勝手に滅んでいた。俺も、それがわかるのが……遅すぎた」
力なく座り込むザイードの隣で、シャウザは商都に吹き荒れる砂嵐とその中心にいる砂色の巨人を眺めている。
「────ずっと、俺は『サレンツァ家』のことを高い壁だと思っていた。乗り越えられるわけがないと信じすぎていた。目の前にあの男が現れるまで、それがわからず、あの化け物が現れるまで腑に落ちなかった。お前たちの揺るがぬように見えた繁栄が、砂の上に築かれた、一瞬にして消え去りかねないものなのだと認めようともしなかった。だが、実際、ひどく脆い物だった……お前はずっと、その脆いものを維持するために必死だったのだな」
石の床に横たわる血まみれの男は、片腕がない男の意外な言葉に思わず顔を上げた。
「お前がしたことは、絶対に赦すつもりはない。だが……お前は最後まで醜く生き足掻き、己のなすべきことをやろうとしていた……だというのに。それを裁こうとする俺は、何をしていた? もう何もかもが全て遅いのだと、己がなすべきことを恐れ。手をこまねき。ただ時が流れるに任せ────結果、本当に全てを失った。ありもしない幻想に気を取られ、恐怖した結果、もう俺には復讐すらなくなった」
片腕がない男シャウザはただ地面を見つめ、独り言のように呟いた。
「……俺が追い続けた仇は、皮肉にも、同じ苦しみを持つ者だった。立つ瀬が違うだけで中身は同じ。全てと向き合うことを避け、ただ逃げ続けた、臆病者。俺とお前は、よく似ている。いや、醜く足掻いた分、お前の方がマシだった。そう思ったら……もう、殺せなくなった」
シャウザは足元に横たわる男を改めて一瞥し、吐き捨てた。
「────俺もお前も同じ、負け犬だ」
「は。くだらぬわ。今更おまえの独白など、どうでもいい。全て終わったのだ。殺すなら、殺せ。どの道、もう生きておってもどうにもならん」
「俺はもう、やらない。その権利は別の者にある」
シャウザはそれから何も言わずその塔の上から飛び降り、立ち去った。
「────やあ、親父」
入れ替わるようにして背後の暗闇から声が響く。
ザイードにはすぐに、その声の主が誰かがわかった。
「……ラシード。全ては、お前の差金だったのだな?」
「いやいや、そんなことはないよ。親父は昔から僕を買い被りすぎだ。あれだって、たまたまさ」
「そんなたまたまが、毎回続くものか」
「続いてしまうものは仕方がない。まあ、そのための努力と下準備はしていたつもりだけれど。まさか、ここまで話が大きくなるとはね……」
ラシードは彼方を歩く巨人を眺めると、小さく首を振った。
「……やはり、恨んでいるのか? 儂のことを。お前の財産を奪った『家』のことも。だから、これだけのことを?」
「恨む? いや、全然。恨んでないよ。何ひとつ。財産だってまた稼げばいいだけだしね」
ラシードはザイードの問いかけに、笑顔で軽く返事をした。
「本当に、親父のことは少しも恨んでないんだよ。だって……僕にとっての肉親は母さんだけだったから。親父には何一つ、期待してなかったんだ。アンタが母さんを見限り、見殺しにした時も、本当に何も感じなかった。だって他人だと思ってたから。僕にとって、親父は代えの効く存在だったんだよ。ちょうど────親父にとっての母さんがそういう人だったように」
そう言って息子は父親に対し、冷ややかな笑顔を向けた。
「だから、復讐も全く考えなかった。代わりに自分の無力さを本気で呪ったよ。なんであの時、何もできなかったんだって。自分の間抜けさに腹を立てた」
その時、ラシードは少しだけ寂しそうな顔をした。
「それからはちょっとだけ、マシになったと思うよ。僕は僕の『大事なもの』を本気で守るようにした。自分の目的以外は捨てて、ただ一つに全てを注ぐことにしたんだ。そして、その過程で、ほんのちょっとだけ『サレンツァ家』の存在が邪魔になったんだ。だって……あなた達、僕の大事なものを、大事にしてくれそうにないじゃない? 母さんの時みたいに。僕が大事にしていると、こぞって壊そうとする」
「……まさか、我々家族と対立したのは本当に、それだけ?」
「もちろん。それだけさ。別に、おかしなことじゃないと思うけどね。きっと、あなた達には一生理解できないことだと思ったから。だから一旦、全部崩壊させようと思ったんだ。この国の、土台から」
そう言ってラシードは屈託のない笑みを浮かべた。
「……そんな。そんな、馬鹿な話、理解できるはずが──!」
「理解できなくていいんだよ。理解してもらおうと思ってないから。そんなわけで、僕は親父のことは一つも恨んでなんかいない。今までも、これからも。僕から親父に何かしようなんて思わない」
「そ、それなら。今からでも関係を……!」
「────でも。どうやら、彼らは違うらしいけど」
ラシードがおもむろに振り向くと、暗い空洞の中から誰かが呻くような声がする。
「……おお、あれは……ザイード、様……?」
「ああ。本当に……ザイード様だ」
「おお、ザイード様。ザイード様……!」
その声の主たちの顔は見えなかったが、複数のギラギラした目が暗闇の中で蠢いているように思えた。
「……な、なんだ、あいつらは。そう言えば、ここは……?」
「覚えてない? ここは親父が昔作らせた『贖罪の塔』だ。宮中で軽い罪を犯したものを適当な理由で放り込り込んでおく、便利な収容塔さ。たしか、誰かのお気に入りの皿を割ったとかいう理由で頭から酸をかけられた奴もいたっけ。ほら、そこの彼みたいに」
「────嗚呼、ザイード様。本当に、お久しゅうございます」
暗闇から伸びた青白い腕が、突然、ザイードの脚を掴んだ。
そして次第にその腕の数は四本、六本と増えていき、一斉にザイードの重い身体をずるずると奥に引き摺った。
「な、何をするッ……! は、離せっ……!」
「シャウザも案外、酷いことをする奴だよねぇ。こんな場所に何の説明もなく、身動きできない親父を放り込むとは。まぁ、アイツにここを教えたのも、牢の鍵を開けてきたのも僕なんだけど」
「……ラ、ラシード……!? き、貴様ァ!? や、やはり」
「────おや。駄目じゃないか、親父。ここで逃げようとしちゃ。親父こそ、これまでずっと逃げ続けてた、蓋をしてたものと向き合わなきゃ。さっき、逃げも隠れもしないって、言っただろう? だったら今更、責任を逃れようなんて、ずるいじゃないか。親父が作った法律で舌を引き抜かれ、何も言えなくなってしまった彼だって、きっと、舌があったらそう言うだろう……ねえ、君たち?」
「────嗚呼。ザイード様」
「ザイード様……おお、ザイード様」
「……ザ。ザザ、イー、ど。──サマ」
「ほら。親父も商売人なら……借りたものはちゃんと、返さなきゃ」
ラシードは次々に暗闇から突き出された手に引き摺られていく父の姿を冷ややかに見守った。その後も硬い石の壁に幾度となく反響する絶叫は、その度に荒れ狂う砂嵐にかき消された。
「じゃあね、親父。僕はもう行くけど。もし、お互いに無事に生き残れたら……その時は一緒に、普通の親子みたいに酒を酌み交わそう」
そうして悲鳴と怒号がこだまする暗闇に背を向けると、ラシードはその石造の高い塔の外周に設けられた階段をゆっくりと降り、立ち去った。






