193 商都の嵐
「……あれは、一体?」
突如起きた大きな揺れに王女たちが建物の外に出て様子を窺うと、『忘却の迷宮』の方角から砂嵐を纏う巨大な人影が立ち上がるのが見えた。
その砂色の硬質な体躯はかなり離れた場所に立つはずのリンネブルグ王女たちからも見上げんほどで、その威容だけでその場に居た全員が本能的に恐怖で身を竦ませた。
異変はそれだけではなかった。
先ほど王女たちを襲った『始原』のゴーレムの残骸が、まるで砂に還るようにしてサラサラと崩れ落ちた後、まるで生命を持ったかのようにひとりでに動き始めたのだ。それらが一箇所に集ったかと思うとひとつの不定形な生物のような形をなし、ぐねぐねとうねりながら一斉に移動を始めた。
行き先は明らかに『忘却の迷宮』から這い出てきた砂の巨人だった。
王女はそれらの異変を目にするたび、大きな胸騒ぎを覚えた。
なぜなら────
その異変の中心は先ほどイネスが、シャウザと共にザイードを追って向かった場所に他ならないから。
「リンネブルグ様。あれって……」
「ええ。今、一瞬だけイネスの『光の盾』が見えました。つまり、彼女は今、あの巨人の近くにいるはずなのですが……それっきり、彼女の気配がありません。まさか────」
リンネブルグ王女は隣で同じような不安の表情を浮かべるシレーヌに対し、口に出そうとした言葉を呑み込み、別の言葉に置き換えた。
「……シャウザさんと一緒に、無事、逃げられているといいのですが」
呆然と巨人を眺める王女の背後で、ラシードがいつになく寂しげな笑顔を見せた。
「リンネブルグ様。残念ながら私はこれ以上、貴女のお力にはなれないようです」
「ラシード様?」
「私も、状況を把握しているわけではありませんが。おそらく、あの砂の巨人はこの街に潜んでいた何者かの置き土産です。要はその存在は、あれを使ってこの街を綺麗さっぱり滅ぼしたい、ということなのでしょう」
「……何者か、とは?」
「どうやら、僕は『間に合わなかった』らしい」
ラシードは顔を上げ、砂の巨人をじっと眺めた。
それは次第に強烈な砂嵐を纏い始め、先ほどより体躯が大きくなっているように思える。
「厳密には、振った賽の目はいまだに出ていない状況です。でも大分、分の悪い賭けになってしまった。ここまでくるともはや、私にできることは何もありませんね。なんの役にも立たない邪魔者は、さっさと退場しようと思います」
そう言って、王女たちに対して肩を竦めて笑った。
「ラシード様。それは……?」
「率直にいうと、この街で済ませておきたい個人的な後始末を思い出しまして。私だけでそちらに向かいたいのです。リンネブルグ様がご承知の通り、私は既に、何をしでかすか全くわからない、予想もつかない行動ばかりする男に全てを預けてしまい、あとはただ祈るぐらいしかできない無能な人間ですので。ここにいてもお荷物でしかないのでね」
「ですが……お一人で?」
王女に返された意外な言葉に、ラシードは可笑しそうに笑った。
「……おやおや。本当に貴女は呆れるぐらい、心優しいお方だ。まさか、この状況で私の心配をしてくださるとは。ですが、これからはもう他人のことに心を割く余裕などありませんよ? 彼らだっているのにね?」
ラシードの視線の先には、未だに意識が回復しない青い髪の少年少女たちがいる。
彼らはロロが『召喚の指輪』を使って『時忘れの都』から連れ出した魔物たちの背中に乗せられ、ぐったりと手足を投げ出したままでいる。
「そんなわけで、こちらのご心配は無用です。では、どうかお元気で。心優しい、我が友レイン君の妹君」
王女は去ろうとするラシードを止めなかった。
彼の言葉には、これまで感じなかった真実味があったからだ。
だが、それだけに王女は一層大きな胸騒ぎを憶えた。
「皆様の無事を祈っておりますよ、リンネブルグ様。あ、これは本当に本心です」
「……ラシード様も。どうか、ご無事で」
ラシードは背中からかけられた王女の言葉に少し驚いたように振り返ったが、やがて楽しそうに笑うと、その場から消えた。
◇◇◇
「……本当に、なんなんだ、あれは……?」
俺は商都の広場の壊れた塔の上に登り、その塔を壊した張本人であるザドゥと一緒に、彼方に現れた砂色の巨人を眺めていた。
正直、高い場所に登るのは気が進まないのだが……どうも街の様子がおかしい。
どういうわけか巨人が現れた途端、街に砂混じりの強い風が吹き荒れた。
どうやらその嵐の中心にいるらしい巨人がひとつ身じろぎするたび、嵐はだんだんと強くなっていく。
「色と形は普通のゴーレムに似ているようにも見えるが。とにかく……でかいな。あれが、街を襲ってきたりしたら、ひとたまりもないんじゃないか?」
「まァ、元々、その為にあるようなモンらしいからなァ? にしても、おもしれェ玩具だなァ、アレ。どんな仕組みで動いてンだろうなァ?」
「そんな呑気なことを言っている場合じゃないと思うんだが……」
そうこうしているうちに砂の巨人がゆっくりと動き出した。
緩慢な動作ではあるがあまりに巨大なためか、一歩踏み出すだけで大気を震わせ、大きな地震が起きている。
砂の巨人は真っ直ぐに俺たちがいる方向に向かってきているように見えた。
おそらく、その途中にリーンたちがいるザイードの屋敷がある。
「まずいな。このままだと本当にこっちにくる」
「俺には関係のないことだなァ……じゃあなァ、変な奴。俺はこの辺で帰る。あわよくば、お前がアレに擦り潰されて死んでくれると本当に嬉しいんだが。そうもいかねェだろうし、またなァ?」
「怖いことを言うな。こっちはもう二度とこないでくれると助か……いや、やっぱり、まだちょっと待ってくれ。聞きたいことがあった」
ニヤニヤと楽しそうに去ろうとした男の背中を俺が呼び止めると、男は怪訝そうな顔で振り返った。
「……あァ? なんだァ? あのクソ重てェ剣の話なら、知らねェって言ったろ」
「そっちじゃない。前に、金が貰えれば「何でもする」と言っていたな?」
「いやァ? 別に、なんでもじゃねえよ。料金次第だ」
「じゃあ、金があればいいんだな」
「あァ? だったら、なんだ」
「できればでいいんだが。ちょっとの間、俺に力を貸してくれないか?」
「…………はァ?」
「あそこに知り合いが何人かいる。協力して、なんとかアレを止められたらと思ったんだが」
不気味な男はゆっくりと俺に向き直った。
そうして不思議そうに首をかしげ、腕組みをしてしばらく俺の顔を眺めた。
首を捻る男の背後には、砂嵐を纏った巨人がゆったりと歩くのが見える。
「……お前。やっぱり頭、おかしいんだなァ……? なんで、そんなことを俺に頼む?」
「やっぱり無理なのか? ならいいが」
「いやァ。別に、お前が言うアレを「止めたい」ってのが、ただの「足止め」って話なら無理でもなんでもねェがなァ。俺が受けてる依頼とも矛盾するワケじゃねェ。受けたのは、ただのお前の『殺し』だからなァ?」
「本当か? それなら」
「だが」
「だが?」
「お前、そんな金を持ってるようには見えねェんだが?」
「よく言われる。でも、あるんだ」
俺はひとまず『山込めの財布』から手のひらにギリギリ載るぐらいの量の虹色の硬貨を取り出すと、男の前に差し出した。
「これで足りるか?」
「あァ? それ全部、『王金貨』じゃねェか。そいやァ、お前。『山込め』持ってたんだったなァ。だが────」
男は不気味な黒い布を巻いた顔にニタリ、と亀裂のような笑みを浮かべた。
「こんなのじゃァ、全ッ然、足りねェなァ──?」
そして首を横に振りながら、呆れるように小さく肩を竦めた。
「……そもそも、お前。何もわかってねェようだが。お前が言ってるのは、俺が受けてる依頼に後から強引に『割り込み』を掛けようって話だからなァ? おまけにこっちの都合も考えず、即、危ねェ場所で働けって話だ。当然、料金もそれだけ割増になる。だが、そんなの計算に含めなくたって、俺を雇うなんざ到底、普通の人間に支払える額じゃ────」
「じゃあ、ひとまず全部出す。数えてくれ」
「……はァ?」
男に全然足りない、と言われた俺はとりあえず、『山込めの財布』の中身を全て出すことにした。
早速財布を逆さにして口を開けると、途端に大小の金貨やら、もっと価値が高いらしい虹色の硬貨やらがまるで滝のように勢いよく流れ出す。
そうして、あっという間に壊れた塔の床を埋め尽くし、すぐに足元に大きな貨幣の山を作り上げ。
それでも全く尽きる気配のない俺の金は、ついに塔の床からも溢れ出し、ジャラジャラと音を立てて広場にこぼれ落ちていく。
「……おい? なんだ、お前。コレ」
「何って。俺の金だ」
だが……どうしよう。
足りないと言われ、とりあえず中身を全部出した方がいいかと思って『山込めの財布』にそう念じたのだが。
既に相当な量が流れ出てきているというのに、一向に金が尽きる気配はない。
これ、出し始めたはいいものの、いつ終わるんだ……?
途中で止められたりしないのだろうか。
このままでは俺はあのゴーレムにたどり着く前に、この男と共に金の山に埋もれて溺れてしまうのでは?
と、俺が心配になりかけていたところ、最後の一枚が出終わったようだった。
結果として広場のほとんどを埋め尽くすように積み上がった、キラキラと金やら虹色やら輝く貨幣の山を眺めると、ザドゥは首を傾げた。
「なァ、お前。どうやって、こんなに稼いだんだァ?」
「それが。俺にもさっぱりわからない」
「……はァ???」
「気づいたらこうなってた」
「ちょっと、何言ってるかわかんねェんだが……」
俺とザドゥは塔から一緒に、広場にできた貨幣の山、というか、山脈のようなものを見おろした。
「何にせよ、こりゃァ。数えるだけでも骨が折れるなァ……?」
「手伝おうか?」
「いい。邪魔だ、そこで待ってろ」
男は軽く片手を振り上げた。
すると、俺が広場中にバラ撒いた貨幣の山が一斉にふわりと宙に浮き、そのまま風に木の葉が舞うようにして男の前を流れていく。
そう、コレはあれだ。
男がいつも銀色の刃を使って人を襲うときとだいたい同じ要領だった。
今、男はいつになく真剣な様子で目の前を通り過ぎる大量の金を数えている。
どうやらブツブツと数字を呟いているので、頭の中で金額の計算をしているようだったが。
「なあ、まだか?」
「……うるせェな。今、数えてるんだよ。黙ってろ」
「でも、あいつ。もう結構動いてるんだが」
「本当に、うるせぇなァ? 気が散るって言ってンだろ。この金、どんだけ量があると思ってる……?」
「足りないって言ってただろう」
「……モノには限度や、段階ってモンがあるんだよなァ……あァ。今、やっと終わった」
「どうだ、足りてたか?」
俺の問いかけに男はニタリ、と笑った。
「────あァ、足りてる。『割り込み』、の割り増し料金他含め、きっちりと揃ってやがる。オマケに現金での即払いじゃァ、断りたくても断れねェよなァ? だが」
「だが?」
「契約前にはっきりさせておく。俺はお前に雇われたからって、「なんでも」するワケじゃねェ。俺がやりたくねェことはやらねェし、料金内で俺がやってもいいって事だけをやる。もし、それでいいってンなら────」
「それでいい。もう、考えてる時間もなさそうだ」
「それじゃァ。依頼、成立だなァ? ────毎度あり」
男が不気味に笑うと、不意に激しい風が巻き起こる。
すると俺の数えるのも億劫になりそうな量の金が、一斉に空に舞ったかと思うと、ザドゥの腰元の小さな袋に吸い込まれるようにして消えていく。
そうしてザドゥは広場にあったほぼ全ての金を自分のものにすると、僅かに残った数枚の硬貨を俺に放り投げた。
「釣りだ。貰いすぎになる」
「ああ、ありがとう……?」
男が投げて寄越した数枚を『山込めの財布』に放ると、俺は再び遠方で歩くゴーレムに目を向けた。
「それで。雇われて貰える時間はどれぐらいになる?」
「あァ? お前、後から条件確認するなんて、本当に馬鹿なんだなァ。あの料金だと、今から昼過ぎぐらいまでは働く計算だなァ」
「それは……ちょっと高くないか?」
「言っただろうが。高えって。今更、キャンセルなんて受け付けねェからなァ?」
「じゃあ、良いか。ちゃんと仕事はしてくれ」
「あァ、貰った分はなァ。じゃ、ほんのちょっとの間だけだが、よろしくなァ? 金払いの良い依頼人サマァ」
そうして俺は俺に雇われた不気味に笑う黒い包帯の男と一緒に、遠くでゆっくりと歩みを進める巨大なゴーレムを目印にして、全力で走った。






