186 忘却の迷宮
オークション会場を抜け出したシャウザが、地竜型のゴーレムに跨って必死に逃げるザイードの姿を確認したのはしばらく走り続けた後だった。
男の周りには誰もおらず、その向かう先には『忘却の迷宮』が見える。
「……見つけた」
「シャウザ殿」
追いつこうと走る速度を上げようとするシャウザに、銀色の鎧を纏った女、イネスの姿があった。
何らかの性能の高い補助魔道具の力を借りているのか、獣人の中でも飛び抜けて高い脚力を持つシャウザと同じ速さで駆けながら、彼女は息一つ乱していなかった。
「私も加勢する」
「……どうしてだ」
「リンネブルグ様より、貴方に助力をとの御命令があった」
「そうか」
「それと。シレーヌからも貴方を頼む、と」
「……。奴に気付かれた、来るぞ」
途端に、ザイードの周囲に大量のゴーレムが湧き出し、二人に襲いかかった。
即座にシャウザは短刀でそのうちの数十体の首を刎ねていく。
間を置かずして、二人に覆い被さるように大量のゴーレムが跳躍する。
「ち。奴は『始原』のゴーレムを、足止め要員として使うつもりだ。下手にやると、瓦礫に押し潰されるぞ」
「ここは一旦、私に任せてくれ。【神盾】」
二人の視界を覆わんばかりに飛びかかってきたゴーレムの群れを、イネスは片手から生み出した巨大な『光の盾』で薙ぎ払った。
すると弾き飛ばされたゴーレムが一斉に宙に舞い、遠くへと落下していくのが見える。
「……成程な。一国の王女の護衛を任されるだけはある」
「まだ、これは貴方には見せたことはなかったな。むしろ、こういう邪魔なモノが周囲にない場面は戦いやすい」
「であればこの際、大いに頼らせてもらう」
イネスの神盾で全部薙ぎ払われたゴーレム達が再び立ちはだかるが、それをものともせずイネスは盾を横に薙ぐ。
すると直線上に並んだゴーレムの首、数百体分が一斉に宙に舞う。
「すまない、少し漏れた」
「いい。残りは俺がやる」
そうして、ほんの僅かに残ったゴーレムたちも、シャウザの短刀によって瞬く間に砂色の瓦礫に変えられる。そのまま二人は走る速度を微塵も落とさず目標を追いかけ続けた。
尚も男を護ろうと発生しては群がる『始原』ゴーレムを、イネスが光の盾で薙ぎ払い、シャウザが邪魔なものを選んで仕留めていくと、すぐに追いかけている人物の背中が見えてくる。
「────ようやく、抜けた」
「まだ奴は殺すな。用事がある」
「私も元からそのつもりだ」
「まずい、奴が『忘却の迷宮』に逃げ込むぞ」
見れば、ザイードは地上に大口を開ける『忘却の迷宮』の入り口に駆け込んでいくところだった。
道がひらけたと思った瞬間、数千体はいようかという大量のゴーレムが一斉に迷宮の入り口に押しかけ、塞いでいく。
「入り口を塞がれた。どうする?」
「決まっている。【神盾】」
イネスは迷わず、ゴーレムの塊に向かって『光の盾』を薙いだ。
「塞がれたなら、こじ開けて押し通る」
「……。力技だな」
「悪いが私はこのやり方しか知らない。行くぞ」
二人がザイードを追って『忘却の迷宮』の内部に突入した。
だが、内部に足を踏み入れた瞬間、迷って思わず足を止めるイネスとシャウザ。
「想像以上に入り組んでいるな。これでは、どの道が正解かわからない……」
「奴の音を辿る……下だ。もう、かなり潜っている。おそらく、あらかじめ備えてあった昇降機か何かを使ったのかもしれない」
「ならば、この際、贅沢は言っていられないな。【神盾】」
イネスは迷わず、硬い岩石質の地面に向けて光の盾で斬り付けた。
すると二人の足元に四角い穴が空き、下に広がる大空洞が見えた。
「もう、道はこうやって開けていく。シャウザ殿はこのまま対象との距離を」
「……力技にも程がある。が、この際、合理的だ」
二人はそのまま、床を破壊しながら迷宮の深部に落ちていく。
だが何回目かの下のフロアに降り立った瞬間、迷宮内部に響き渡るような大音量の警報が鳴り、どこからともなく大量のゴーレムが現れる。
「迷宮内に警備か。よほど使い込んでいるようだ」
「すまないが、あれも放置して押し通る」
「ああ、それがいい」
襲い来るゴーレムを物ともせず、入り組んだ通路を無視し、時には壁となる敵を蹴散らしながら、シャウザの耳を頼りに二人は『忘却の迷宮』をひたすら奥へ、奥へとつき進んでいく。
急ぐ二人は、気づけばとても深い場所に到達していた。
「……もう、どれぐらい降りた?」
「だいぶ、としか。シャウザ殿、方角は?」
「もう近い。真横の、すぐそこだ……? なんだ、あれは」
最深部に辿り着いた二人が薄暗い通路を駆け抜けると、ついにザイードの背中が見えた。
だが、その異様な姿に二人は息を呑んだ。
脂肪にむくれていたはずの腕や脚が歴戦の戦士のように膨れ上がり、あちこちの皮膚が裂けて流血している。
にもかかわらず、その表情は恍惚と笑っていた。
そうして、その片手に蠢く黄金を握りしめた異様な風貌の人物は、不自然に膨らんだ体躯から人ならざる膂力を発揮し、片手で巨大な石の扉を強引にこじ開ようとしているところだった。
「……まさか、あれがザイード殿?」
ザイードの手によって、轟音を立てながら重い石の扉が開かれていく。
そうして、動かされた石扉の奥には薄暗い石室が広がっているのが見える。
「あれは、迷宮の核か」
「何を……?」
石室の中央には古い祭壇のようなものがあり、不気味な紋様の刻まれた台座の上に、迷宮の核、いわゆる『青い石』が浮いている。
呆気にとられる二人が止める間も無く、ザイードは己が手にしていた黄金色の蠢くモノをその祭壇の台座に捧げた。
すると、その黄金色の何かは台座にするりと飲み込まれ、瞬間、眩しく光り輝くと、イネスは自分の足元がぐらつき、視界全てがぐにゃりと歪んだような気がした。
「……何が、起きた?」
イネスは一瞬、自分の目と平衡感覚がおかしくなったのかと思った。
だが、それは錯覚などではなかった。
実際に石室の壁と床が生物のようにぐにゃぐにゃと動いている。
そればかりか迷宮全体が脈打ち、轟音を立てながら不気味に蠢いている。
「シャウザ殿。あれを」
そこには意識を失い、力なく砂に呑み込まれていくザイードの姿があった。
二人は即座に動き、イネスは光の盾で蠢く砂からザイードの身体を切り離し、放り出された血塗れの体躯をシャウザがその肩に担ぎ上げた。
だが、イネスの光の盾によって斬り裂かれた砂の壁は何事もなかったかのように再び持ち去られた獲物を探し求め、触手のように蠢いた。
「……まずいな。この砂の壁は斬っても再生する」
「すぐに脱出するぞ。こいつは俺が担いでいく」
「わかった」
即座に脱出することに決めた二人は降りてきた時とは真逆の手順で天井を切り開き、そこから上へ上へと駆け上がっていく。
だが、あれだけ硬かった岩石質の構造は今や、どろり、と液体のように溶けて流れ続け、二人の足をとった。
またそこにはあれほど大量にいた警備用のゴーレムの姿はひとつもなく、あるのはその残骸だけであり、それは熱で溶けた飴細工ように僅かに原形を残しているのみだった。
逃げる二人の周囲で、つい先ほどまで刃物も通さないほど硬質な床と壁で構成されていた迷宮が脆い砂の城のように崩れ去っていく。
「……まずい。このままでは三人とも生き埋めになるぞ」
「シャウザ殿。一旦、そこで止まってくれ」
「……何を? そんな悠長なことをしていたら──」
「【神盾】」
イネスは巨大な光の盾を生み出し、溶ける天井に遥か遠くの雲ひとつない青空が見えるほどの大穴を開けた。
「すぐに崩れる。行くぞ」
「……なるほどな」
イネスはそのまま流れる斜面を駆け上がり、シャウザはザイードを抱えながら高く跳躍した。
そうして三人は脆い砂のように崩れ落ちる迷宮から脱出し、地上に降り立った。
「どうやら、生き埋めは免れたようだ」
「ああ。おかげで助かった」
一旦、危機を乗り越えた二人の間に僅かに安堵の空気が流れる。
だがシャウザは迷宮の異変を警戒するイネスに背を向け、こう言った。
「悪いが、こいつは俺がもらっていく」
「……シャウザ殿?」
イネスが声に振り返った時、血塗れの巨体を肩に担いだシャウザの姿はその場から忽然と消えていた。
消えたシャウザを探そうとイネスは周囲を見回すと、更なる異変に気がつき、息を呑んだ。
「……これは、どういうことだ」
今、三人が抜け出てきた穴から、サラサラと砂が流れ落ちていく。
そうして地上に露出していた『忘却の迷宮』が消えた。
かと思えば大地が鳴動し、立っているのもやっとの揺れがイネスを襲う。
それが治まったかと思うと、深い穴からずるずると何かが立ち上がってくるのが見える。
それはイネスの視界を覆わんばかりの、一本の巨大な砂の腕だった。
深い穴からずるりと這い出るようにして地面の端を掴んだそれは、更にその体積の数十倍はあろうかという胴体をぐい、と地中深くから強引に引き摺り出し、辺りに強い揺れを引き起こしながら見る間に見上げんばかりの山となった。
「──巨人?」
そのまるで巨大なヒトの上半身のような何かは、その頭に空いた二つの虚な眼窩からじっと、イネスを見下ろしているように見えた。
雲ひとつない青空を覆わんばかりの巨体を見せた砂の巨人の周りに、砂をまとった強い風が吹き荒ぶ。
やがて硬い砂混じりの嵐を纏った巨人は、緩慢な動作でその太い腕を高く振り上げると、そのまま真っ直ぐ、イネスの頭上に向けて振り下ろす。
「まずい。【神盾】────ッ!?」
イネスの『光の盾』は難なく巨人の強大な一撃を受け止めた。
だがその瞬間、踏み込んだイネスの足を無数の砂の手が掴み、引きずった。
そうして、イネスの気づいた時には細かな粒子の砂が脚を、胴体を、鎧を隈なく覆い、大量の蠢く砂によって全身を地中に引き摺り込まれていた。
(……しまった……)
必死の抵抗も虚しく、イネスは意志を持つ砂の中に取り込まれた。
脱出しようともがいた指先まで埋まりきり、その存在全てを絞り潰さんような砂の圧力に身じろぎすらできなくなっていく。
「……リンネ、ブルグ……様」
イネスは最後まで、自分以外の者の安否を気にかけていた。
だが、その誰かを案じるか細い声を拾う者はなく、そのくぐもった声の主自身もすぐに砂の中に埋もれて消えていった。






