173 商都の夜
「こちらが当館の最上の一室でございます。ささ、どうぞ、ノール様」
「ああ。ありがとう、ガレン」
他の皆より一足早く豪華な食事を終えた後、俺はガレンの案内で「そこは来客をもてなすための一番良い部屋」だという部屋に通された。
ガレンの自慢げな説明に違わず、そこはとても立派な造りの部屋だった。
位置もホテルの最上階に位置しており、窓からは『商都サレンツァ』の名所という名所は全て見えるような特別な設計になっている、という話だったが、よく確認するとその名所というのはじっと目を凝らしてほんの小さく見えるものばかりで、それを謳い文句にするのはどうか……とは正直思ったものの、見える風景そのものは文句なしに素晴らしい。
おまけに砂漠の国だというのに水をいくらでも使えるというシャワールームがついているらしく、一人用だというベッドは大人が五人ぐらい横に寝てもまだ余るぐらいに広い。
他のサービスも至れり尽くせりで、おそらく俺がこの国をこれから何度も訪れるということはないとは思うが、もしそんな機会があればまた泊まろうか、と思えるほどには寛げた。
しかも、ひと部屋と言ってもフロア全体が貸切のようになっているらしく、この階にある部屋は全て俺が使っていい、ということだった。
俺一人では持て余す状態だが、他の人はまた別のフロアに泊まることになっている。
リーンはロロと一緒に例の『信託の玉』とかいう映像付きで遠くと話ができる魔導具の修理をしたいらしく、イネス、ロロと同じ部屋に泊まるといい、シレーヌはまた別室でリゲルとミィナの面倒を見てくれるという。
俺も何かしようかと申し出たが、特に必要ないと断られた。
というわけで、暇なのは俺だけだった。
あまりにもすることがないので最初はひたすら部屋の中をうろうろとしていたのだが、それにも飽きていつもの『黒い剣』の素振りをしようとしたところ、すぐさま駆けつけたガレンに「それだけはやめてくれ」と泣き顔で懇願された。
暇を持て余しすぎた俺は、もういっそ宿の仕事でも手伝おうかと思ったが、俺が掃除か皿洗いの手伝いなどを申し出ようものなら、青い顔になった従業員に「自分たちに何か不手際があったのか」とものすごい勢いで謝られてしまう。
そんなわけで、いよいよやることがなくなった俺は思い立ち、事前にガレンから「建物の屋上にある展望フロアから首都の景色が一望できる」、と聞いていたので、そこに行って、ただぼーっと外を眺めるだけにしようとしたのだが。
「……思ったより、いいな」
その日は月夜だった。
最初、建物の一番高い場所ということもあって恐る恐るそこに足を踏み入れた俺だったが、そこには俺の他には誰もおらず、天井も壁もなく開放された空間に様々な種類の観葉植物が生い茂っているばかりで、一見すると地上の広場のような雰囲気だった。
俺が広いフロアの中央にちょこんと置かれた小さな金属製の椅子に腰掛け、ふと見上げると、綺麗な月が浮かんでいるのが見える。
砂漠の空はいつも晴れているのできっと特に明るい月夜が貴重というわけではないが、今日はちょうど満月だったらしく、月はいつにも増して丸々と見え、空から注ぐ灯りに照らされて見えるものが思った以上に幻想的に映る。
しばらくの間、何もせずここにいても退屈はしないだろうと思った。
────だが、とはいえ。
いくら素晴らしい景色でも、ずっと同じものを見ていればやがては飽きる。
旅先の良い思い出は良い思い出として取っておきたいので、そうなる前にさっさと下に戻って寝ようか、などと俺が思い始めていた所だった。
ふと、人の足音を感じ振り返る。
「やあ、ノール。この宿は愉しめてるかい?」
足音の主はラシードだった。
ラシードはいつものような笑顔で歩いてくると、置かれた椅子に腰掛けて街を眺める俺にそんなことを聞いてきた。
「ああ。部屋も豪華だし料理もうまい。おかげでかなり休まった。それに思ったよりここから見える風景がいい」
「それはよかった。こんな街でも僕の故郷でね、そんな風に褒めてもらえると嬉しいよ」
「そういえば、ラシードは子供の頃にこの街に住んでいたんだったか?」
「ああ。十二の頃に街を出るまではね。ちょっとしたきっかけがあって、いられなくなっちゃったんだけど」
「……何か、悪いことでもしたのか?」
「あはは、確かに思い当たることは幾らでもあるけどね。ここはその程度で追い出されるような綺麗な街じゃない。そもそも、僕が街を出た理由は自分のことじゃないんだ。ま、いずれ君にも話せる時が来るといいんだけど」
いつになく真面目な表情でそう言ったラシードは、顔を上げて夜空に浮かぶ月を見上げた。
俺もしばらくラシードと一緒になってただ月を眺めていたが、ふと街を見下ろすと、街路に俺たちが雇った運送商会の荷車の列がひしめき、動き始めているのがわかる。
「あれが全部、『時忘れの都』に向かうのか」
「ああ。リゲルが優良業者を選定してくれたおかげで滞りなく進んでいるようだ。心配することはない。彼らなら、きっとちゃんと送り届けてくれる」
「そうだな」
「────こちらにいらっしゃいましたか、ノール様。ラシード様」
また呼ばれて振り向くと、そこにはリゲルとミィナがいた。
二人はガレンの館で食事の前に仕立ての良い服をもらったそうで、着替えて髪も整えてもらったので見違えるように立派になっている。
一見すると、良いところのお坊ちゃんとお嬢様、という感じだ。
「おかげさまで、これまでの人生で一度も味わったことのない素晴らしい料理をいただけました。ありがとうございます。それも昼間の報酬として金銭をいただいた上に、宿までご一緒させていただいて。何というか、申し訳ないぐらいです」
「はいっ! 本っっ当に! 美味しかったです! ありがとうございましたっ!」
二人はそう言って一緒に頭を下げた。
どうやら、先に食事の場を抜け出してきた俺にわざわざお礼を言いに来てくれた、ということらしいが。
「いや、二人とも仕事を頑張ってくれたんだし遠慮はいらない。というか、わざわざこんな風にお礼を言いにきてもらわなくていいんだが?」
「そうだよ。君らが受け取ったのは仕事に対する正当な評価だ。何も言わず、素直に受け取っておくといい」
「ああ、本当に助かったぞ、リゲル、ミィナ。これからも何かあったら手伝ってくれると助かる」
「かしこまりました、ノール様」
「はいっ! ノール様の行くところであれば、どこまでもついてまいりますっ!!」
「────ちなみに、水を差すようで悪いんだけど」
二人を楽しそうに眺めていたラシードだったが、ふと真剣な表情になり、まだ多くの人々が行き交う夜の街を見下ろした。
「二人は早々に、この街を離れた方がいいかもしれない。明日から、この街はもう少し混乱する。今日だって、もうすでに色々とあっただろう?」
「……確かに」
明日からと言わず、今日も大概だったが。
到着早々に多くのトラブルに遭遇するような物騒な街なので、ラシードの言う通りこれから明日以降に何があってもおかしくはないと思う。
流石に今日のようにいきなり監禁されて襲撃されるようなことはもう二度とないとは思いたいが、俺としては二人には『時忘れの都』に居てくれた方がずっと安心だと思った。
「じゃあ、できれば明日は二人で『時忘れの都』まで行けるか? もちろん、俺の金を使ってちゃんと人を雇って準備した上でだが」
「はい。僕たち二人だけであれば、先の運送業者に依頼すればすぐ送り届けてもらえると思います」
「なら、悪いが先に行って待っていてくれるか? 俺もそのうち戻れると思うから」
「はい。かしこまりました、ノール様」
と、俺がリゲルと事務的なことを話していた所で隣のミィナのお腹が小さくきゅう、と鳴る。
「さっき、一緒に食事をしていたと思ったが……遠慮してあまり食べてなかったのか?」
「いえ。姉はしっかりと食事をさせてもらいました。それも、見ているこっちが心配になるぐらいに。しかし────」
「……あ、あんまりお料理が美味しくって。お腹が贅沢になっちゃったかも、です……」
ミィナが恥ずかしそうに俯くとまたお腹がぎゅう、と鳴る。
どうやら味というより量の話らしかった。
彼女は見かけによらず、大食いらしい。
「……食べ足りないのなら、戻ってまた食事をするといい。この宿に泊まっている客なら誰でも、頼めば好きなだけ作ってくれるらしいぞ」
「そっ、そうなんですか……!?」
「ああ。しかも、部屋まで運んでくれるらしい。せっかくだから、金のことは心配せずに何でも頼めばいいと思うが……一応、お腹を壊さない程度にな?」
「は、はいっ! ありがとうございます! ノール様っ!」
「……僕が見ておきます」
「……頼んだぞリゲル」
「じゃ、じゃあ! 早速、お部屋に戻ってお願いを────!」
「悪いけど、その前に。リゲル、君に一つ聞きたいことがあったんだ」
ミィナは元気よく弟のリゲルの手を引いて屋敷に戻ろうとしたのだが。
ラシードがリゲルの方を呼び止めた。
「はい、何でしょう? ラシード様」
「君のそのリゲルって名前、両親につけてもらったんだよね?」
「はい、その通りです」
「でも、君が生まれたのは『【星穿ち】のリゲル』が処刑された後だろう? 生まれてきた自分の子供にわざわざ大罪人の名前をつけるなんて、君の両親はずいぶん変わったことをするなぁ、って思ってね。君、その名前気に入ってる?」
俺がなんでまたそんな急に立ち入ったことを……と疑問に思っていると、リゲルは薄く笑うラシードに真剣な顔で答えた。
「ラシード様のおっしゃる通り、僕の名前は多くの人にとって良い名前ではありません。ですが、少なくとも僕の父と母にとっては全くそうでなかったみたいなんです」
「へえ?」
「むしろ、幼い僕とミィナには『【星穿ち】のリゲル』のことを毎晩のように語って聞かせてくれていましたから」
微笑むラシードに無言で話を促されたリゲルは少し考えた後、ゆっくりと話し始めた。
「……僕たちの両親は彼の集落『ミオ族』とは何の関係もない少数部族の出身です。例の戦争にも参加しなかったそうですが、その後、数年が経ち僕たちが生まれた後に集落ごと奴隷狩りに遭いました。両親は奴隷となった後も人知れず、繰り返し幼い僕らに『【星穿ち】のリゲル』の話を聞かせてくれました。曰く────彼の放つ矢は、たった一本でどんな暗い闇夜も照らし、満月が輝く晩にも世界を一層明るく照らして真昼のようにした、と」
リゲル少年はそう言って、ゆっくりと丸い月が浮かぶ夜空を見上げた。
「────また、曰く。『【星穿ち】のリゲル』は貧しい生活に喘ぐ自分たちのような者に、毎晩のように想像すらしたことのないものを見せてくれた、と。自分たちは、それに日々励まされながら生きることができたのだと。たった一人の少年が一本の弓から作り上げた御伽噺のような光景が、多くの人々の語り種となり、それは彼が去った後もなお語り継がれ決して消えることはないだろう、と」
そこまで語り口調で言うと、リゲル少年は再び俺とラシードに目を向けた。
「……きっと、父と母にとって『リゲル』とはサレンツァ家に弓を引いた十八部族を纏め上げた力ある少年ではなく、辛い現実の中でも顔を上げることを思い出させてくれる、彼が見せてくれたひとときの美しい光景そのものだったような気がします。僕はそれを目にすることは叶いませんでしたが……」
リゲルは両親から話を聞いていた幼い頃を懐かしむように微笑んだ。
「でも、代わりにこの名前をもらいました。両親にとって明るい希望を意味する『リゲル』という名前を。確かに、僕の名前を聞くと良い顔をしない人もたくさんいます。でも、僕が少しでも彼に近づこうと日々努力できたのは、間違いなくこの名前のおかげです。もちろん、体の弱い僕では彼と同じことはできないので全く別のやり方になりますが……僕はこれからもずっと、この名に恥じない生き方をしなければと思っています」
丸い月の下に立つリゲル少年は淀みなくそう言い切った。
背後でミィナが満足げに頷いて拍手している。
しばらく語るリゲルを眺めていたラシードも、その顔に笑みを浮かべた。
「……ご質問の件に関しては、今のような答えでよろしいでしょうか? ラシード様」
「ああ、僕が聞きたかったことはそれで十分だ。ありがとう、リゲル。呼び止めたのはそれだけだから」
「はい。それでは失礼します」
リゲルは姉のミィナと一緒に俺たちに丁寧な一礼をすると、くるりと踵を返してまた屋敷の中に戻っていった。
二人が去ったのを見届けるとラシードは楽しそうに笑いながら物陰に向き直った。
「────だってさ、シャウザ」
見れば、その物陰にシャウザが無言で立っている。
「物事も見方によって随分と変わるものだね。参考までに、君の感想は?」
「……何故、俺に? 俺には何の関係もない話です」
「おっと、そうだった。気を悪くしないでくれ。それと、今は僕に従順なフリはいいよ。ここには僕らとノールしかいない。無意味に堅苦しいことはやめにしよう────で、シャウザ。本題だけど。明日、君はどうするつもり?」
「どう、というと」
月明かりに照らされるラシードの笑みは、先ほどより若干冷たく見えた。
「とぼけなくていい。明日、君にとって千載一遇のチャンスが巡ってくるわけだけど……やっぱり、やるのかい?」
ラシードの問いかけにシャウザは床を見つめるばかりだった。
「……まだそのつもりはない。報酬は後払いだった筈だ」
「でも、みすみすチャンスを逃すことはない。僕はどちらでも構わないよ。むしろ、この状況は君の為に作ったようなものなんだし、活かしてくれた方が嬉しいんだけど」
「……メリッサはどうする」
「彼女はもう子供じゃない。自分のことは自分で守れるよ」
「なら、俺はお役御免ということか」
「そういうこと」
シャウザはいつにも増してぶっきらぼうに答えると、そのまま俯き何かを考え込んでいるようだった。
「明日の朝までまだ時間がある。よく考えておくといい」
ラシードは無言で立ち去ろうとするシャウザの背中に言葉をかけたが、シャウザは何も応えることなくそのまま歩いて姿を消した。
「……今のは何か、仕事の報酬かなにかの話か?」
「ああ。彼と僕の間の、昔の約束の話だよ」
「全く関係ないのに聞いてしまって悪かったな?」
「いや、いいよ。君だったら別に何の問題もない」
ラシードはそう言ってまたいつもの笑顔に戻り、やれやれ、という感じで肩を竦めた。
「それじゃ、僕はもう休むことにしようかな。お互い、明日は忙しくなるはずだから君ももう休んだら?」
「ああ、そうだな。俺ももうちょっとここでゆっくりしたら寝ようと思う」
「明朝、すぐに親父の屋敷に向かおう。きっと、あいつらは今頃もてなしの準備に忙しい頃だろうけど、あまり待たせても悪いしね」
「そうだな」
「じゃ、おやすみ、ノール。また明日」
「ああ、おやすみ」
そう言ってラシードはいつもと変わらぬ調子で俺に手を振り、立ち去った。






