162 砂漠の嵐
雲ひとつなくカラッと晴れた砂漠を、いつもより人を二人多く乗せた馬車が行く。
「……いい天気だな。本当に雲ひとつない」
「こっちの空はいつもこんな感じさ。クレイス王国では違うのかい?」
「ここまで綺麗に晴れることは、滅多にないな」
「なるほどね。少し北に移動するだけで随分と気候も違うんだね。興味深いよ」
ラシードとシャウザは自分たちのゴーレムで首都に向かうと言っていたが、結局、いろいろと話し合った結果、俺たちと同じ馬車に乗って行くことになった。
広い馬車の中の空間はまだ余裕があるが、たった二人増えただけで少し車内が狭くなったような感じがする。
先頭の御者席にはイネス、そのすぐ後ろの座席にラシードとリーンの二人が座り、更に後ろの広めの座席に俺とシレーヌ、ロロとシャウザの四人が座っている。
俺たちは時折、馬車が大きく揺れると互いの肩が少し触れるぐらいの間隔で座っているのだが。
「リンネブルグ様。改めて我々の同乗を許してくださり、感謝申し上げます」
「いえ。席の余裕はありましたし、やっぱり旅は大勢の方が楽しいですから」
「はは、おっしゃる通りですね。どうだい。君もそう思わないかい、シャウザ?」
険悪なムードに見えたリーンとラシードも、当たり障りない感じではあるが言葉を交わし、多少打ち解けたようだった。
どことなく、馬車に乗ってからのシャウザはずっと居心地悪そうにしていた。
「……ラシード様。わざわざ、我々が同乗することはなかったのでは?」
「そうかい? こっちの方が冷房がよく効いていて、ずっと快適じゃないか。せっかく乗せてくれるというのだから、好意は素直に受け取っておこうよ。異国の文化も堪能したいしね」
「…………」
主人に苦情を聞き入れてもらえなかったシャウザは、無言で席に座り直すと不服そうに窓の外を眺めた。
シャウザの視線の先には彼らが乗るはずだった羽の無い鳥のような形をしたゴーレムが二体いる。
「シャウザは馬車が苦手なのか?」
「……いや、そういうわけではないが」
「その割にはずっと、しかめっ面をしているが」
「俺は元々、こういう顔だ」
たしかに乗る前からも若干、嫌そうな顔はしてはいたが。馬車に乗ってからのシャウザはずっと落ち着きがなく、険しい顔だった。
「………………」
一方、俺の隣に座っているシレーヌも落ち着きがない。正確に10秒おきぐらいにチラチラと何か話したそうな顔でシャウザを眺めているが、シャウザはそんな彼女に一向にかまおうとしない。
ロロはそんな二人に挟まれ、苦笑している。
「……心配しなくてもいいよ、シャウザさん」
「何がだ」
「ボクが『魔族』だから、不安かもしれないけど……無闇に人の秘密を暴いたりしないようにはしてるから」
「俺に秘密などない」
「……そっ、そうだね。ご、ごめん、変なこと言って」
「大丈夫だぞ、シャウザ。ロロは他人の恥ずかしい秘密を言いふらしたりする奴じゃない」
「……どうだかな」
一方、シレーヌはそんな二人の会話を聞いてすごい表情をしている。
ロロとシャウザに交互に視線を送り、しきりに話しかけたそうにしているが、一向に話しかける気配がない。
……あっちはあっちで、聞きたいことがあるのなら普通に聞けばいいと思うのだが。
そんなとても落ち着かない様子の車内ではあったが、出発前に車内の広い貯蔵庫に冷凍保存された『神獣鍋』を食し、元気一杯の屈強な体つきの馬たちに引かれた馬車は広大な砂漠を快速に進んでいく。
『時忘れの都』行きの時とは違って、地上の起伏が少ないのは幸いだった。
どうやら首都への道はちゃんと舗装されているらしく、所々砂に埋もれてはいるものの平坦だ。
一切遮るもののない道を、馬車はどんどんスピードを上げていくが、馬車の後部の窓を覗くと鳥のような形をした乗り物もちゃんと走ってついてきているのが見える。
「ラシードとシャウザは、いつもああいうもので移動しているのか?」
「ああ。普段はあのような移動用の人造ゴーレムを使う」
「……人造? じゃあ、あれは誰かが作ったものということか?」
「そうだよ。あれは『忘却の迷宮』で発掘されたものとは違う、人が作ったゴーレムさ」
俺は二つ目の質問も隣にいたシャウザに聞いたつもりだったが、寡黙なシャウザの代わりに前の席のラシードが答えてくれた。
「なるほど、そういうのもあるのか。発掘されたものと、人が作ったものとで何か違いはあるのか?」
「そうだね。細い違いは色々とあるけど……一番大きな違いは単純に出力かな。そもそも材質から違うし、人が作ったものは未知の技術が詰まった『迷宮産』ほどの力は出せないんだ。その分、制作自由度は高くて色々と便利な用途を持たせることができるんだけどね。郵便配達用の『機械鳥』とか、いい例だね」
そういえば、あの見事な『時忘れの都』の建物も建築用のゴーレムを使って作った、と言っていた。
それなら、他の生活に役立つゴーレムもたくさん作られているのだろうと思う。
「すごいな。あんなのを自分で作れる人がいるのか」
「ゴーレム専門の技師はごく少数だし、だいたい大規模商会に囲われてるからそこいらで見かけること少ないと思うけど……これから首都に行けば、きっと会えると思うよ。君、お金なら結構あるんだし、せっかくなら彼らに好きなゴーレムを作ってもらってもいいんじゃないかな?」
「それは確かに、面白そうだな」
考えてもいなかったが、それもいいと思った。
畑仕事をするゴーレムなんてあったら便利そうだし、単純な命令しか出来なくても、水の管理とか、肥料やりとか、それぐらいやってもらえたら十分だろう。
そうして獣人たちの村に持ち帰れば、あの農園も快適に管理ができるようになるだろう。
もしかしたら、今から行く街の市場にはそういうのが沢山売っているかもしれない。
不意に夢が大きく広がり、ウキウキした気分になったところだったのだが。
「……ノールさん。あそこ、見えますか? ちょっと、様子がおかしいですよね」
シレーヌが遠くに何かを見つけたらしく、俺に話しかけてきた。
「……ん? どこだ? 俺には何も見えないが」
言われてじっと目を凝らしてみるが、何も見えない。
「……砂嵐だな。嫌な匂いがする」
シャウザは何か異変に気が付いたらしく、ただでさえ険しかった顔をいっそう険しくさせた。
「嫌な匂い?」
「ああ。おそらく、すぐにでもこの馬車を止めたほうがいい」
「……とシャウザが言っているが。リーン、どうする?」
「イネス。一旦、ここで馬車を停めましょう」
「わかりました。周囲の警戒をしてください」
俺たちが停まった馬車からぞろぞろと降りた後、俺が改めて目を凝らすと、砂漠の彼方で小さな砂嵐が立ち上がるのが見えた。その砂嵐は少しづつ大きくなりながら、真っ直ぐに俺たちの方に向かってくるようだった。
「すごいな。シレーヌはよくあんなのを見つけたな」
「私、目はそこそこ良い方なので」
「俺もてっきり、自分は目が良い方なんだと思っていたんだが……二人にはとても及ばないな。獣人というのはみんなそうなのか?」
「いや。獣人でもこの距離で見える奴はそうは居ない」
「……そうなのか」
ということはもしかして、やっぱり自分の目の良さには自信を持っていいのだろうかと思いつつ、いや、そんなほどでもないだろうと首を振る。
俺がよく知っている獣人というと子供の頃に訓練を受けた【狩人】の教官ぐらいだが、あの人は俺とは比べ物にならないぐらい目がよかった。
あれを『目がいい』というのは少し違う気もするのだが。
あれは当時、十二歳だった俺が【狩人】の訓練期間の中盤に差し掛かった頃だった。
その頃、俺は弓を使わせてもらえなくなっていた。
それは力加減のわからない俺が、触れた弓という弓を全てへし折り、ついには訓練所の弓がなくなってしまったからで、自業自得ではあるのだが。
そんなわけで、次第に弓に触ることすら許してもえらえなくなった俺だったが、当時の俺はそれでも、どうしても弓の練習をしたかった。
そこで俺はある日の深夜、思い立って誰もいない間にこっそり訓練所に忍び込むことにした。
案の定、そこに見張りは誰もおらず、俺が訓練用の弓を見つけ、一人で練習をしようと弓を手に取ろうとした時のことだった。
突然、暗闇の中に鈍く光るものが見えて、俺は思わず飛び退いた。
でも、それが数十本もの矢だと気づいた時にはもう、遅かった。
まるで生き物のように軌道を変えながら俺に襲いかかった矢は、あっという間に俺の服を貫き、そのまま俺を訓練所の石の壁に縫い付けた。
あっという間に全く身動きできなくなった俺は、誰かに見つかってしまったのだろうと思い、とにかくまずは謝ろうと辺りを探ったが、いくら見回しても誰も居ない。
結局、その矢は当時の俺ではどうあがいても抜くことができず、翌日の朝まで俺はそのままの状態だったのだが。
翌朝、そのままの格好で寝ていた俺だったが出勤してきた【狩人】の教官に起こされ、「……やっぱりアンタだったか……」と呆れ顔をされた。
俺は早速、昨日の出来事を正直に話し、謝った。
そして、聞けば、やはり昨晩の矢は彼女が放ったものだったという。
彼女は俺が訓練所に忍び込んだ時、自宅でぐっすりと就寝中だったが「コソ泥」の気配を察して目を覚ますと、そのまま枕元にあった弓を手に取り寝室の窓から矢を放ったという。
俺が必死に矢を射った相手を探しても見つからなかったはずだ。
彼女の家は訓練所から遠く離れた場所にあったのだから。
そんな場所から俺の衣服だけを狙い、一切傷つけることなく壁に縫い付けてしまうのだから恐ろしい。
そうして大量の矢を射ってスッキリしたところで、彼女は再び就寝したという。
深夜に起こされた為、寝ぼけて手元が狂ったが、だいたい狙い通りに当たっていたという。
そんな話を彼女から聞いた俺は恐れ慄き、子供心ながら「この人のいる所では決して悪いことはできないな」と真剣に反省したことを覚えている。
そういうわけで、俺は改めて彼女に忍び込んだことを謝り、それからは真正面から弓を使わせてもらえるよう、しつこく頼み込むことにした。
そうして結局、根負けした彼女に私物の『普通の人は引けない強い弓』をいくつか貸してもらい、弓の練習を再開させてもらうことになるのだが。
……結局、俺はその全てをへし折った。
どうも、俺は弓の才能はとことんないらしかった。
以来、俺は完全に弓の練習をさせてもらえなくなり、もちろん、それは自業自得で、仕方のないことなのだが……今思えばあの弓、かなり高そうな物ばかりだった気がする。
……帰ったら、彼女には改めて何かお詫びを考えなければならないな、などということを思い出していたところだったのだが。
「……あの嵐。やっぱり、おかしいと思います。普通の風の動きじゃ、ありえないです」
どうも、そんなことを考えている場合ではないらしい。
シレーヌの言う通り、砂嵐が奇妙な動き方をしていた。
こちらに真っ直ぐ向かってきていたはずの砂嵐が二つに分裂し、いきなり真横に軌道を変えた。
「……こっちでは、こういうのはよくあることなのか?」
「いや……あれぐらいの大きさの砂嵐なら、別に珍しくもないけれど……あの動きはやはり、様子がおかしいね」
いつも余裕のある顔をしているラシードが、いつになく険しい顔をした。
嵐はそのまま勢いを落とすことなく、俺たちから見て真横に広がっていく。
そうして、その嵐はまるで俺たちを中心にして囲むように広がり、あっという間に前後左右、全ての視界が風で巻き上げられた砂塵で覆われた。
「……あそこ。誰か、いませんか?」
またもやシレーヌが何かを見つけたらしく、嵐の向こうを指差すと、すぐさまシャウザが反応する。
「……ああ。嵐の向こうに不審な人物がいる。まずはあいつを警戒するべきだろう」
「……そうですね」
俺も必死に目を凝らして、やっと人影らしきものが見えてくるぐらいだった。
何やら奇妙な格好をした男が、ニコニコと楽しそうに歩いてくるのが見えた。
「……なんだ、あれは?」
「……ノール先生。私には何も見えませんが、あそこに誰かいるのですか?」
「ああ。頭に黒い包帯をぐるぐる巻にした、半裸の男が……ニヤニヤと楽しそうに笑いながらこっちに歩いてくる」
「……半裸の男……? ……楽しそう……?」
俺の説明にリーンは多少混乱したようだったが、俺たちの会話を聞いていたラシードからはいつもの余裕のある笑顔が消えた。
「頭に黒い包帯、ね」
「なんだ、ラシードの知り合いか?」
「いや。知り合いではないけれど、僕が知っている人物だとしたら……ちょっとまずいかもしれないね」
「まずい?」
確かに、見た目で人を判断するのはよくないとは思うが、あれはちょっとまずい奴かもしれない。
腰に大量の刃物をぶら下げ、半裸で悠々とこの暑い砂漠をてくてくと歩いているその姿は異様だった。
でも、こちらを見ながら陽気に笑っているし、案外、会って話せばいいやつかもしれない。
そんなことより、あの嵐をどう切り抜けようか……などということを考えていると。
突然、男の姿が消えた。
遅れて俺の背筋に悪寒が走る。
「パリイ」
考えるよりも早く身体が動き、気がつけば俺は『黒い剣』を振っていた。
一瞬、『黒い剣』が歪んだかと思えるほどの衝撃が腕に伝わり、遅れて火花と轟音。
振った剣と何かがぶつかった余波で、周囲一帯の地面の砂が一斉に抉られた。
「……なんだ、今のは……?」
俺は思わず、驚いて辺りを見回した。
なんとか危険に反応できたはいいものの、それが何かわからずに困惑する。
気づけば、俺たちのすぐ後ろにあの奇妙な格好をした男が立っていた。
「……おっかしいなァ……? お前、なんでまだ死んでねェんだァ────?」
男は不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んで、そういった。
ということは、やっぱり、こいつなのだろう。
どうやらさっきの衝撃は、この男が突然ものすごいスピードで俺に突進してきたかららしい。
……もしかしたら、ギルバートの槍より、ちょっと速いかもしれない。
「……いきなり、危ないじゃないか。誰かに当たったらどうするんだ」
俺はとりあえず、いきなりぶつかってきた男に文句を言ったのだが、男はまた不思議そうに首をかしげるばかりだった。
「あァ? お前、おかしなやつだなァ? お前に当てるつもりでやったに決まってるだろうが」
「そうなのか?」
「それに、なんだ、その剣。おっかしいなァ────? こっちは最硬鉱物の短刀だってのに。なんで、こっちが先に折れる」
男は手に持っていた二本のナイフがボロボロと崩れ落ちる様を、不思議そうに眺めていた。
だが、不意に興味を失ったようにそれを砂の上に投げ捨てると、また腰にぶら下げた大量の鞘から、新たな二本を抜いた。
「────そうかァ。やっぱり、それが例の『黒い剣』かァ。どうやっても傷はつかねェって話だったが……本当みたいだなァ?」
男はそう言って俺に向かってニタリ、と笑った。
男の姿が消える。
「パリイ」
同時に背後に気配を感じ、思い切り『黒い剣』を振ると、剣に何か硬いものが当たる感触。
奇妙な男が弾き飛ばされ、手に持っていた短刀が二本、砕けるのが見えた。
「……そうかァ。さっきのを防いだのは、まぐれ、ってわけじゃァ、ねェんだなァ────?」
男は空中で腰にある大量の鞘から短刀を二本引き抜き、ふわりと地面に着地した。
「……待ってくれ。どうして、いきなりこんな乱暴なことをする?」
「そう言われてもなァ? これが仕事なんでなァ」
「仕事?」
男は俺の質問には答えず、俺が持つ黒い剣に目を向けた。
「……なァ。その『剣』。俺に、くれねえかなァ────? それさえもらえれば、お前になんか用事はねェんだがなァ?」
「これを?」
「ああ。別に今回は『殺し』の依頼じゃねえしなァ。俺も余計な面倒事は避けてェんだ」
「悪いが、それは断る」
「ちなみに、それはなんでだ?」
「これは俺の大事なものだからだ。世話になっている知り合いからもらったものだし、普段の生活でもとても役に立っている。だから、できるだけ手放したくない」
「そうかァ、なるほどなァ? そういう理由かァ……なら、仕方ねェなァ────?」
そうして、男は俺にくるりと背を向けた。
俺はてっきり、そのまま帰ってくれるのかと思ったのだが。
「パリイ」
再び背後に危険な気配を感じ取り、剣を振る。
気づけば、男のナイフが背中に食い込む直前だった。
「このまま、帰ってくれるんじゃなかったのか?」
「そんなわけ、あるかァ? 大人しく渡すつもりがねェんなら、殺して持っていくしかねェっていう、当たり前の話だなァ────?」
またもや俺に短刀を砕かれた男は、また消えた。
そうして、今度は左右から同時に二撃。
と見せかけ、追加で背後から三連撃。
上から四撃目……と、見せかけて、下から五連。
ようやく終わったかと思ったところに、六連撃目。
この男の攻撃、重たくて速い上に────キリがない。
「パリイ」
俺は最後の攻撃に合わせて、思い切り力を込めて『黒い剣』を叩きつけた。
すると男は勢いよく弾き飛ばされて宙に浮くものの、また何食わぬ顔でふわり、と地面に着地する。
そうして壊れた短刀を捨てて新たな短剣を腰から引き抜き、何やら楽しそうに笑っている。
……本当にいつ終わるのだろう、このやりとりは。
「……なあ、ラシード。いったい、何なんだあいつは? さっき知ってるような口ぶりだったが」
「君が苦戦しているところを見ると……やはり『ザドゥ』かな」
「……ザドゥ? まさか、【死人】の……!?」
どうやらラシードだけでなく、リーンもあの男のことを知っている風だった。
「リーンもあいつを知っているのか?」
「……あれはおそらく、元『冒険者』のザドゥです」
「元、冒険者?」
「はい。ずっと消息不明のはずでしたが、こんなところに居たとは」
「……へェ。俺のことなんて、よく知ってたなァ?」
手にした二本のナイフを弄びつつ、奇妙な格好をした男は深刻そうな顔のリーンを眺めながら楽しそうに笑う。
「てっきり、随分前に、死んだことにされたと思ったが」
「表向きは。でも、貴方のことは私達関係者の間では有名です」
「なるほどなァ……? ってことは、アンタがクレイス王国の『リンネブルグ様』かァ。なら、状況次第ではアンタの方がいい金になるかもなァ────? ……へェ。それに、そっちは魔族のガキかァ」
男が嬉しそうにニタリ、とリーンとロロに笑顔を向けると、すかさずイネスが前に出る。
「リンネブルグ様。私の後ろへ」
「すみません、イネス」
「……ラシード様も、そこを動かぬよう、お願いいたします」
「ああ、ありがとう、シャウザ。悪いけど、任せたよ」
同時にラシードを守るようにして、シャウザが出る。
イネスとシャウザが奇妙な男と睨み合うと、男はまた、嬉しそうに笑った。
「……そうかァ、お前があの【神盾】の娘かァ? それに、そっちはサレンツァ家の嫌われ者の御曹司。どういうワケか、ここには金目のモノがぞろぞろと並んでやがるなァ……? でもまァ、そんなに怖がらないでくれねェかなァ。今日は、お前らには用はねェんだよなァ────?」
男の姿がまた、ゆらりと消えた。
「パリイ」
今度は首の後ろに鋭い気配を感じ、振り払う。
刃が届く寸前に剣で払えたからよかったようなものの、少しでも反応が遅れたら確実に男のナイフは首に突き刺さっていた。
「へェ。これでもダメなのかァ」
「……いい加減、やめてくれないか?」
「お前が素直にその剣を渡してくれたら、俺だってすぐに帰れるんだよなァ?」
「それはできない、と言ったと思うが」
「じゃ、ダメだなァ。依頼人からの要望をこなすのが俺の仕事なんでなァ」
男の姿が、また消える。
「パリイ」
次第に男の動きはまるで嵐のように激しくなり、目で追えない程に速くなっていく。
男の繰り出す一撃一撃が、だんだんとあの『骨』の雷よりも重くなり、そしてその雷よりずっと鋭いギルバードの槍より────
少しだけ、疾くなった。
「パリイ」
それでも、俺はほんの少しの差でどうにか男の攻撃を捌き、全ての攻撃を受け流す。
ギルバートが普段付き合ってくれている練習のおかげか、素早い動きに慣れるのが早い気がする。
そうしてだんだんとその異様な速さにも慣れてきた俺は、先程まで見えなかった男の動きをはっきりと捉えた。
「パリイ」
そうして、ほんの少し余裕を持ちながら、相手の消える攻撃を弾く、また弾くを繰り返していると……急に男の動きが止まった。
見れば、腰にジャラジャラとつけた短剣の鞘が全て、空になっていた。
「……なんだ。もう、来ないのか?」
「……あァ。俺の収集品が全部無くなっちまったしなァ。これ、集めるの苦労したんだがなァ……?」
「壊したのは悪いが……謝らないぞ? そっちが襲ってきたんだからな」
「別に、そこは気にしてねェよ。こんなの元々、仕事用に買った消耗品だからなァ──……しっかし、お前、本当におかしいなァ? なんで、さっきより動きが良くなってるんだァ……?」
「だんだん、体が温まってきたからな」
男は腰につけた鞘を全て外し、バラバラと砂の地面に放り投げた。
「でも、こんなに早く全部なくなるとは思わなかったなァ。こんなことなら、最初からあっちを使うべきだったなァ」
「あっち?」
男はゆったりと砂漠に立ち、彼方を見つめた。
その視線の先には俺たちに向かって近づいてくる巨大な砂嵐が見える。
でも、その嵐は少し様子がおかしい。
嵐の中でキラキラと銀色の何かが光っている。
それを見たリーンが、青い顔をした。
「……あれはまさか、『銀十字』」
「銀十字?」
「あれが、本来のザドゥの武器です」
「武器、か」
よく見れば、銀色の刃物が混じっているように見える。
「あれは、もしかしてお前がやったのか?」
「……あァ? 今頃気づいたのか、お前」
ザドゥに聞くと、本人がやったと認めた。
「なんで、あんなことをする?」
「仕事が終わる前に、逃げられたら困るからなァ……まァ、あんなのでお前を殺せるとは思わねェが。でも、周りの雑魚はどうかなァ────?」
男はニタリ、と笑った。
「……俺の他には手を出さないんじゃなかったのか?」
「仕事の邪魔にならないんならなァ? でも、そうも言ってられねェだろ? 受けた依頼の達成が優先だ」
「そうなるのか」
無数の刃物が混じった嵐が近づいてくる。
あれに巻き込まれでもしたら、当然、タダでは済まなそうだ。
「一応、聞いておくが止めてくれないか?」
「もちろん、いいけどなァ。お前が、それを渡してくれたらの話だがなァ?」
「……そういうことか」
最初、強引に奪われそうになった時は絶対に渡すつもりはなかったが……これは少し考える。
確かにこの『黒い剣』、もう俺の相棒のようなもので大事だが、仲間を傷つけてまで手元に置いておかなければならないものではないかもしれない。
少し迷うが。
俺がザドゥに剣を差し出そうとすると、俺より小さな手に止められた。
「……シレーヌ?」
「ノールさん、渡さなくていいですよ」
見ればシレーヌが弓を手に、俺の隣に立っていた。
「あれぐらいなら、きっと、大丈夫だと思います」
「シレーヌはあれに巻き込まれても平気なのか?」
「……いえ、そういうのはもちろん、無理ですけど。要はあれ、全部撃ち落としちゃえばいいんじゃないですか?」
「あれを、全部?」
シレーヌは簡単なことのようにいうが。
「そんなことが本当にできるのか?」
「はい。ああいうの、前に一回やったことあるんで」
「前に一回?」
「はい。訓練で」
「……なるほど」
そういえば、シレーヌはあの教官の元でずっと仕事をしているのだという。
それなら、あれぐらいどうにかできてもおかしくはないとは思うが。
でも、シレーヌの顔を見ても自信はありそうだった。
「その間、ノールさんはその人が邪魔しないでもらえるようにしてくれると助かるんですが」
「なるほど……だそうだが?」
「……あァ? 俺に言ってるのかァ? そんなの、邪魔するに決まってるじゃねえかァ」
一応、本人にも聞いてみたがダメだった。
「……とはいえ。ろくな武器も無くなっちまったからなァ。もう、大してやれることもねェかなァ」
「だそうだぞ、シレーヌ」
「一応、その人が変な動きをしないよう見張っててください」
「ああ。わかった」
「リンネブルグ様。許可をもらってもいいですか?」
「はい。もちろんお願いします、シレーヌさん」
シレーヌはリーンから許可をもらうと、早速弓を構えた。
そうして大量の矢を弓に番えると、ゆっくりと息を整え、一斉に放った。
「……おお」
大量の矢が、生き物のように嵐の中に飛び込んでいく。
そうして矢の群れは風の中を縫うようにして飛び回り、銀色の刃だけを撃ち落としていく。
そしてシレーヌの弓から次から次へと間断なく射ち放たれた大量の矢は、今度はまるで渡り鳥の群れのように砂漠の空をぐるりと駆け巡ると、風を得たような様子でより勢いを増し、より鋭くなって巨大な嵐の中へと飛び込んでいく。
そうして、次々に嵐を巻き起こしている銀色の刃を打ち落としていく。
俺には何がどうなっているのかわからないが、俺たちを囲う巨大な砂嵐を大量の矢が掻き散らして行く様は、見ていて爽快だった。
「……あァ? なんだァ、お前。まさかあの風、全部読んでるのかァ────?」
「流石に全てとはいきませんが……まあ、大体」
「なら、そっち方面も分が悪いかァ────? ったく、今日はつくづく、間が悪いなァ」
俺たちはシレーヌが放った矢が銀色の刃を落としていくのを眺めていた。
そうして、シレーヌの矢が全ての十字の刃を叩き落とし、俺たちを囲む砂嵐をかき消すまでには、そう時間はかからなかった。
「……すごいな。もう、終わったみたいだな」
「……あァ、そうだなァ?」
俺とザドゥは並んで立ちながら、静かになった広大な砂漠を眺めた。
見れば、散らばった十字型の銀の刃が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「もう、帰るのか?」
「ああ。そうするしかないみたいだなァ……?」
「落ちてるあれは、持って帰るのか?」
「いや。あんなの元はただの『聖銀』だし、また錬成ればいいだけだからなァ。いちいち回収する方が面倒臭ェ。欲しいならやる」
「そうか。俺もいらないが」
今、この男。
何気ない感じで、すごいことを言った気がする。
……そんなすごい特技があるのなら、こんな強盗まがいの物騒な仕事はやめて、そっち方面で生きていけばいいように思うのだが。
「じゃあ、またなァ、変な奴。次に会う時はちゃんと、ソレはもらってくからなァ?」
「ああ。もう来ないでくれると助かるが……じゃあ、またな?」
またな、と言われて思わず普通に挨拶を返してしまった俺だったが。
男はそんな俺を不思議そうな顔で覗き込んだ。
「……お前、やっぱりおかしいなァ? 俺は頭のイカれた奴を、死ぬほどたくさん見てきたが……お前はその中でも、とびっきりだなァ?」
「……とびっきり?」
「ま、不本意だが、今日は諦めて帰るしかねェよなァ────? だって、なァ?」
不意に男の足元に、ざわり、と砂の中から出てきた大量の銀色の刃がまとわりつくのが見えた。
それが突然眩しく光り輝き、どろり、と溶けたように見え。
同時に、男の姿が俺の視界から消える。
「パリイ」
男はいつの間にか十字型の巨大な銀の刃を手にしていた。
真っ直ぐ俺の喉元に向かってきたそれを、俺は『黒い剣』で打ち砕く。
その破片が俺の顔を掠めて、わずかな傷を作った。
「……こんなのが、持ち主じゃァなァ────?」
そう言って奇妙な姿の男はまた楽しそうに笑うと、現れた時と同じように忽然と姿を消した。






