155 新・経営者ノールの挨拶 1
「……どうでしたか、シレーヌさん? 何か、ご家族に繋がるお話は聞けましたか?」
浮かない顔で帰ってきたシレーヌにリーンが控えめに声をかけると、シレーヌは静かに頷いた。
「……はい。でも、正直、あまり良い方のお話ではありませんでした」
「……そうですか」
「すみません。せっかく気を遣っていただいたのに」
「……いえ。もし道中、今後もご家族の手がかりが得られそうなら、遠慮なく言ってくださいね。私ができることなら何でも協力するつもりなので」
「……はい。ありがとうございます、リンネブルグ様」
シレーヌはリーンの励ましに笑顔で答えたが、まだ浮かない感じだった。
あの後、シレーヌは何か用事ができたとかで、一人でどこかに行っていた。
だが、しばらくして帰ってきたシレーヌはかなり気を落としている様子だった。
リーンもそんな彼女に声をかけているうちにしんみりしだし、俺はイネス、ロロと一緒に少し離れた場所から、なんだか見るからにしょんぼりとしている様子の二人を眺めていたのだが。
「……何かあったのか? イネス」
「いや、私も詳細は知らない。だが、どうも個人的なことだそうだ」
「そうか」
イネスは壁を背にして、いつものように周囲を警戒しつつも二人の様子が気になるらしく、横目でチラチラと見ている。
俺とロロも可哀想なぐらい気落ちしているシレーヌを眺め、どうしたものかと様子を伺っていたが、しばらくすると廊下の奥から声がした。
「やあ、ノール」
もはや聴きなれた感じがする明るい声に振り返ると、その声の主ラシードがメリッサ、シャウザを後ろに引き連れ歩いてくるのが見えた。
「すぐに出ていくと言っていたが、荷造りはもういいのか?」
「ああ。僕らにはもう、持っていく荷物なんてないからね。所有物と言えるのはあの部屋にある茶葉と茶器ぐらいだけど、全部置いていくことにした。寛大な新経営者のおかげで、最後にお気に入りのコレクションを十分に堪能できたしね。君にあげるから、好きにしてくれたらいい」
「せっかくだが……貰ったところで多分使わないと思うぞ?」
「君が使わないなら、部屋ごと従業員の休憩室にでもしてくれたらいい。せっかく集めたものを使われないのも勿体無い」
「なるほど。じゃあ、それでいこうか」
俺がラシードと何気ない会話をしていると、リーンが静かに歩いてきてラシードに礼をした。
「ラシード様。私の従者の突然の来訪に対応いただき、ありがとうございました」
「勿論、それぐらいのことは構いませんよ、リンネブルグ様。しかしながら、少々、驚きましたね。大事な部下を、たった一人で私たちのところに寄越すとは。もしや、私もそれなりに信用してもらえたのでしょうかね?」
「彼女のお話はあくまでもプライベートなことだと伺いましたので、付き添いは不要かと。それに、彼女自身も私に護られる程弱くはありませんので」
「それはそれは、本当に部下想いの方だ。ちなみに、こちらも大事な話の前に邪魔者は退散しましたので、そこはご安心を」
「お心遣い、大変感謝いたします」
互いに丁寧な言葉遣いのやりとりだったが、どうもリーンは引き続き、ラシードのことを警戒している様子だった。
言葉を交わす二人の間に、見えない火花のようなものが散っている。
「ラシード。確か、出ていく前に俺に話があると言っていたが」
「ああ。一応、前の所有者として、この館の取扱い説明ぐらいはしないと不親切だと思ってね。要は仕事の引き継ぎさ」
「なるほど。それは助かるな」
「とはいえ、伝えることはそんなに多くないんだ。経営の方針は経営者となった君の自由だし、命令さえすれば実務は下の者達が行ってくれるしね……無意味な儀礼的なことに時間をかけるのも考えものだし、むしろ君から聞きたいことがあれば何でも答えるけど。何か質問はあるかい?」
「そうだな……?」
何か質問は、と言われても正直わからないことだらけなので何もかもを聞きたくなるのだが。
「そういえば、館長はもうメリッサじゃないんだよな?」
「そうだね。彼女は僕が経営者だった時点で『解雇』したから。彼女はちょっと特別でね。悪く思わないでほしい。僕にとって、替えの効かない部下なんだ」
「それは構わないが……これからどうすればいい? やはり、館長がいないと、困るだろう?」
「新しい館長には君が誰でも、好きな後任者を任命すればいい。この『時忘れの都』の従業員の中には優秀な者は他にもたくさんいる。普通に運営するだけなら彼らでも十分務まるだろう」
「……なるほど? ちなみに、誰でもいい、というのは、本当に誰でもいいのか?」
「ああ。館長に誰を任命するかの決定は経営者の専権事項だ。お望みなら君が館長を兼ねても問題ないし、クレイス王国から連れてきてしまってもいい」
「なら、またメリッサにお願いしてもいいのか?」
「また、彼女に?」
ラシードとメリッサは目を見合わせ、意外そうな顔で俺を見た。
「…………ダメなのか?」
「……いや。任命の人選は自由だ。ただ、それを彼女が受けるかどうかは別の話だよ」
「なるほど。じゃあ、まず頼みたいんだが。考えてもらえないか?」
俺はメリッサに顔を向けて頼んでみたが、メリッサは微妙な顔をした。
「……あまり、気が乗らないみたいだな?」
「……そうですね。まず、私が貴方にそんなに信用されていたこと自体が意外です」
「そうか? 知っていると思うが、俺はこの国の者じゃない。当然この館のことも何もわからないし、俺としては引き続きやってもらえるのが一番良いと思ったんだが」
今度はリーンとメリッサが目を見合わせ、互いに目をぱちくりさせた。
ラシードはなぜか可笑しそうに笑っているが、三人はどうやら同じことを考えている様子だった。
「……何か、まずいことでもあるのか?」
俺はあくまでリーンの付き添いということでこの国を訪れたのだし、まだその用事は済んでいない。
その後のことが未定だが、ひとまずクレイス王国には帰るつもりでいる。
なので、今まで通り問題なく運営してくれる人がいてくれるといいんじゃないか、という単純な考えからなのだが。
「……どうやら、ノール様には『館長』の役職の意味をご理解いただけていないご様子ですので、私めからご説明を差し上げても?」
「ああ、頼む」
「経営者が任命する『館長』という役職は、つまるところ────経営者の全権代理者となります。つまり、経営者の権利を全て預け、経営者が不在の間にも実際に行使させる者、ということになります。それが私、メリッサでも問題ないと?」
「……別に、それでいいと思うんだが?」
ラシードとメリッサはまた目を見合わせ、一緒に口を閉じた。
「ノール。一ついいかな?」
「なんだ? ラシード」
「『時忘れの都』の館長を解任された今、彼女は僕の専属の使用人ということになるんだけど。君が言っていることはつまり、僕に彼女を貸して欲しい、という意味になる」
「なるほど……そうなるのか? なら、それでいい。とにかく手を貸してもらえると助かる」
「……へえ? いいんだ、それで。面白いね」
リーンの意見を聞いてみようと振り返るが、リーンもメリッサと同じように微妙な顔をしていた。
「リーンはどう思う? まずいと思うか?」
「……いえ。ノール先生の仰る通り、異国の地で彼女の代わりとなる人材を探すとなると大変ですので、十分考慮に値するお話かと。しかし、メリッサさんをお借りする、というお話は、かなりの対価を前提としているのに加え────」
「いや。対価はいいよ。今回は無料でいい」
「……無料?」
リーンが今日一番、怪訝な顔をした。
「……それは、どういった意味でしょうか」
「言葉通りの意味さ。より正確には、ここで彼女の身の安全を保証してくれるのなら、むしろ、タダでも置かせてもらいたい、かな。他の含みはない。どうだい、ノール?」
「……なるほど。それぐらいなら大丈夫だと思うが。もちろん、俺がどうにかできる範囲でだが」
「それで十分さ。ちなみに……それとは別に、彼女に『館長』としての給料は支払ってくれるんだろうね?」
「もちろん、そのつもりだ」
「なら、僕からは何も言うことはない。どうだい、メリッサ? 新オーナーからすごくいい条件でオファーが来たけど、受けるかい?」
ラシードは上機嫌だったが、メリッサは眉間に皺を寄せながらラシードの顔色を伺った。
「……ラシード様。それはつまり、私だけここに置いていかれると?」
「いいじゃないか、メリッサ。彼が君の安全を保障してくれると言うなら、君にとってこれ以上の身の置き場はない」
「……彼の言葉をそのまま信じろと?」
「信じていいんじゃないかな。そうだろう、ノール?」
「ああ、全てがうまくできるとは限らないが……言ったことはできるだけ、守るようにする」
「だってさ、メリッサ」
「……それは実質、何も約束していないのと同じでは?」
「いいじゃないか。できることはできるし、できないことはできない。未来のことなんて誰にもわからない。だから、やれるだけはやる、と。とても誠実な答え方だろう? それに、彼は今の自分に必要なものとそうでないものをちゃんと見分けた上で交渉を持ちかけてるらしい……『時忘れの都』を任せる者の資質としても、満点さ」
俺としてはそう言うしかないのでそう言ったまでなのだが、ラシードは終始機嫌よくニコニコしている。
メリッサは、やはりあまり乗り気じゃない様子だが。
「……ちなみに、もし私が急に辞めたいと言い出したら?」
「それは仕方ないだろう? やめたくなったら、いつでも自由にやめてもらって構わない。やりたくもない仕事に縛り付けるつもりはないし、仕事の内容も、必要だと思うことを必要なだけやってくれればそれでいいと思う」
「……? 本当に、その条件で宜しいのですか……?」
「ああ。それでいいと思うんだが……?」
「……それならば、承ることも可能かと思いますが」
メリッサは俺の言葉を疑いつつ、多少前向きに考えはじめてくれたようだった。
ラシードはそんな彼女を可笑しそうに眺めているが、リーンは少し心配そうな顔をしている。
「リーンは、今のでいいと思うか?」
「はい……私も色々と考えてみましたが、現状、『館長』業務は彼女にお任せできるのが最良かと。これから、他の方を見つけるという手もありますが……同じぐらい信頼がおける方を見つけるのは、かなりの時間を要することだと思います」
「おや? リンネブルグ様はもしや、メリッサを信用してくれているのですか?」
「……はい。少なくとも、彼女の実務の手腕に関しては」
「それはそれは。優秀な部下を評価していただけて光栄ですね」
「何より、ノール先生が彼女が適任と判断されたのであれば、部外者の私が口を挟む道理はありませんので」
「それもそうだ。僕ら部外者は黙って見守るだけに致しましょう」
「……そうですね。あくまでも、ラシード様が部外者として振る舞っていただけるのでしたら、ですが」
あの二人は相変わらず険悪なムードだが、要するにリーンもそれでいい、ということらしかった。
「なら、今の条件で頼む」
「じゃあ、交渉成立だ。よかったね、メリッサ。新経営者は、いたく君のことを気に入ってくれたようだ。期待に応えられるよう、これまで通り仕事に励んでくれ」
「……承知いたしました」
ラシードは喜んでいるようだが、メリッサは渋々、といった感じだった。
よくわからないが、俺はメリッサにはかなり警戒心を抱かれている様子だったが。
「────悪いが、よろしく頼む」
「……かしこまりました、新経営者様。今後は何とお呼びすれば?」
「ノールでいい」
「かしこまりました、ノール様────それでは、これより改めて『時忘れの都』オーナー全権代理者『館長』を務めさせていただきます、メリッサ・モーモントと申します。今後とも、お見知り置きを」
「ああ、よろしく頼む。頼りにしている」
メリッサは小さな身体で形の良いお辞儀をし、俺が片手を差し出すと、すぐに小さな手で握手を返してくれた。
「じゃあ、引き継ぎの話はもういいね。彼女がここに残るとなればその必要はないだろう」
「そうだな」
「────それでは、『館長』再就任をもちまして、早速業務を再開しても?」
「ああ。頼む」
「今、この館にはやるべきことが山積みです。というか……もっと、はっきり言わせてもらいますと、前代未聞の経営者交代劇を受け、緊急事態です。『時忘れの都』の維持管理責任者として、まずは館の機能を最低限維持する為の対処の許可をいただきたく存じます。それと、それにはノール様ご自身にも是非ともご協力を」
「……ああ? もちろん構わないし、俺にできることならやるが」
「では、今からノール様には経営者交代のご挨拶をしていただきたいと思います」
「……挨拶か?」
「はい。唐突な経営者交代の報を受け、一般の従業員はもとより居住区の住民にまで混乱が拡がっています。できるだけ早急に鎮めねば、要らぬ噂が広まり、今後の業務にも大きな支障をきたします」
「なるほど。確かにそうかもな」
「それに、ノール様はこの『時忘れの都』にそれほど長く留まるおつもりはないのでしょう? ならば尚更急務です。すぐに経営者就任のご挨拶を。読み上げる原稿の内容については、ノール様のご意志を元に専従のスタッフが作成致しますので、どうぞご協力を」
メリッサは任せた途端、すごい勢いで仕事を始めた。
ついさっきまで、渋っていた様子なのに切り替えが早い。
……というか、むしろ、いきなり職を奪われた鬱憤のようなものを感じる。
「やっぱり、その挨拶は俺がやるのか?」
「……他に、どなたが? 経営者御自ら今後の方針を示してもらわねば、私ども従業員はこれから、いったい誰に従えば良いというのでしょう。経営者がその舵取り一つ間違えば、すぐにでも皆が路頭に迷うことになることも、この『時忘れの都』の経営権をお買い求めになられた時点で、しっかりご理解されていると思っておりましたが……?」
メリッサに鋭い目を向けられて思わず恐縮するが、その視線は半分、俺の脇でうすら笑いを浮かべているラシードにも向いていた。
言葉の方も、どことなく売った方のラシードに対する恨み言にも聞こえたが、勿論、残りの半分はよく考えずに買ったことが明らかな俺に向けられている。
「……わかった。でも、その前に幾つか聞いておきたいことがあるんだが」
「私に答えられる範囲であればなんなりと────ですが、お急ぎを。これから全従業員を一箇所に集める間に、全ての準備を滞りなく行わねばなりません」
「わかった。悪いが、リーンもいいか? 長い話を俺一人で考えるのは無理がある」
「はい。私にご協力できることがあれば、なんなりと」
テキパキと仕事を進めるメリッサの姿からは、なんだかリーンと同じような頼れる人物の気配を感じる。
年齢はメリッサの方が年上だと思うが、背丈は同じぐらいだし、この二人はよく似ている、と思った。
俺からすると、リーンが二人に増えたような頼もしさがある。
メリッサがこの館に残ってくれてよかった、心から思いつつ。
「では、まずは執務室にご案内いたします。今後の簡単なご予定は移動しながらご説明いたしますので」
早速、歩き始めたメリッサについて急いで移動しようとする俺たちの背中に、ラシードの明るい声が届くとメリッサの眉がピクリ、と動くのが見えた。
「────じゃあ、頑張ってね。メリッサ。いずれ、迎えに来れると思うけど」
「……ラシード様。そんなに長い期間、私をここに置かれるおつもりで?」
「それは、今後の成り行き次第」
そうして、俺たちはメリッサに連れられて別の部屋に移り、『時忘れの都』の従業員たちの前で読み上げる挨拶の中身を作り上げることになったのだが。






