151 【星穿ち】のリゲル 1(前)
投稿、予定より遅くなりました。少し「お兄ちゃん(リゲル)」側のエピソードを挟んでから本編に戻ります。
「母様。シレーヌはもう寝た?」
「ええ、やっと寝たわ。でも音を立てるとすぐに起きちゃうから、静かにね」
リゲルには歳の離れた妹がいた。
リゲルからすると12歳年下の妹、シレーヌ。
リゲルとシレーヌは『ミオ族』という全員で数百名しかいない獣人の少数民族を率いる族長の子供として生まれた。
彼らは昔からとても険しい山の上にある、僅かな大きさの森の中に器用に建物を建て、集落を作り住んでいた。
その地は身体能力に優れた他の獣人たちですら簡単には立ち入れない土地であり、時折、若者が傭兵のようなことをして出稼ぎに行く以外には外との交流もなかった。
その為、集落の住人たちはその地で獲れるものだけで日々の生活をするしかなかったが、彼らが得意とする『弓』さえ上手く使えれば十分な量の獲物がいて、生活には全く不自由しなかった。
リゲルの妹、シレーヌも十分な栄養のおかげで健康的に丸々と育ち、広い家の中に用意された赤ん坊専用の寝床の中で静かに寝息を立てていたが、リゲルはそんな幼い妹の気持ちの良さそうな寝顔をしばらく眺めた後、遠慮がちに母親の顔を覗き込んで言った。
「……ねえ、母様。また俺に弓を教えてよ。忙しいなら家事、手伝うからさ」
上目遣いでそんなお願いをする息子に、リゲルの母は笑いながら小さなため息をつく。
「何言ってるの。リゲルにはもう私から教えることなんてないでしょう? 何を教えてもすぐ覚えて、私より上手くなっちゃうんだもの」
「え〜……。でも、風を読むのは母様の方がずっと上手いじゃん」
「……そうね。本当にそれぐらい。私が貴方に教えられることなんて」
諦めようとしないリゲルに、母は困ったように笑った。
リゲルの母はかつて『ミオ族』を護る最も優れた狩人の一人だった。
12年前に若き族長と結婚し、すぐに第一子リゲルを出産、それを機に集落の衛士からは引退して若い戦士を育てる教導職となった。
温和で力強く皆の尊敬を集める族長を父に持ち、類稀な弓の腕を持つ戦士が母であるリゲルには、生まれた時から大きな期待が寄せられた。
リゲルは生まれつき力が強く、並外れて早熟だった。
生まれて半年もすると自分の足で歩き回るようになり、一歳になる頃には当たり前のように森を駆け、三つを数える頃には大人の男と腕で押し合い、押し勝った。
その後、弓を得意とする母に技術を教わり始め、五歳になる頃には鉄の鎧すら射抜く戦士用の強弓を指一本で引いて見せ、周囲の大人を驚かせた。
幼い頃からリゲルは弓と共にあった。
『ミオ族』の昔からの慣わしで、戦士に子供が生まれた時には「この子もこの弓が引けるぐらいに強く勇ましく育つように」という願いを込め、大人でも引けない程に固く弦が張られた弓を贈る。
普通、成人でも引くのは不可能な儀礼的な弓だったが、リゲルは七歳の時にその弓を易々と引き、矢を放った。
すると引くことを前提としない異常な力で張られた弦から放たれた矢は、巨大な岩を貫き、背後に立ち並んだ樹木を数本打ち砕いた。
そんな数々の異常な逸話を作りながら成長していったリゲルは、10歳になる頃には皆に一人の戦士と認められていた。
大人たちに交じって子供が厳しい訓練に参加することは異例であったが、誰も異論を挟もうとはしなかった。
リゲルは周囲の成人した戦士たちと比べても既に弓を操る技術で並ぶ者はなく、またその弓から放つ矢の強さも飛び抜けていた。
武芸に優れた一族の戦士たちの中には木製の矢で容易く鋼板を貫く者も珍しくはなかった。だが、リゲルの矢は10枚重ねた鋼板を貫いても全く勢いを落とさず、そのまま練武場の厚い壁を貫き、外の深い森の大樹の幹を破裂させる程だった。
まだ幼いリゲルの数々の異様な逸話は語り種となり、出稼ぎの傭兵を通して広大な砂漠の向こうの獣人の集落にまで届いたが、それが未だ10にも満たぬ少年の成したことのはずはない、と誰もが一笑に付して信じようとはしなかった。
そんな状況に変化が訪れたのはリゲルが12歳となり、ちょうど、年の離れた妹が生まれた年だった。
その頃、砂漠の夜空に奇妙な流れ星が現れるようになった。
夕刻から夜中にかけ、数秒から十数秒に一回、暗い空に細く輝く軌跡が連続して走る。
その流星は広大な砂漠の至る所で目撃され、普段の砂漠の空を知る者は皆、珍しいこともあるものだと首を傾げた。
とはいえ、流れ星がまとまった数で流れる程度なら時折あることであり、当初、殆どの者が気にはしなかった。
だが、その奇妙な流れ星は翌日にも現れ、数日経っても止まず、それから毎夜ずっと続くようになった。
そこまでくると誰もがおかしいと思った。
流れ星の流れ方も奇妙だった。
普通、流れ星とは空から地へと降りるものだと皆が知っている。
だが、その星の軌跡はよく観察するとまるで地上から空へと昇っていくように見え、ある程度上昇すると燃え尽きるように消えた。
その下から上へと逆に流れる不気味な星を、ある者は凶兆と受け取り不安がったが、他の者は何かいいことがある兆しに違いない、と気楽に構え、真夜中まで続くその光の軌跡を愉しんだ。
だが結局、その怪現象は何日経っても止む気配がないどころか、日に日にその数は増えていった。
次第に不安に思った者たちが騒ぎ出し、手の空いた若者達が戦用の弓を取り、奇妙な現象の正体を『流れ星』の原因をその目で突き止めることにした。
もしかしたら自分たちに危険を及ぼす異変が起こっているのかもしれない、と危惧してのことだった。
そうして複数の集落から優れた狩人が集められ、夜になると皆で奇妙な流れ星を追った。幼少期から狩りに親しみ、優れた追跡技術を持つ彼らはすぐにとある山に行き着いた。
どうやら、流れ星はその山から生まれているらしかった。
そうして彼らが険しい山を登り、ひたすらに夜空に昇っては消えていく不思議な光の軌跡を辿って進んでいくと、やがて開けた場所に行き着いた。
それは『ミオ族』という僻地の集落の近くにある湖の畔だったが、彼らはそこで一人の少年がぽつんと立っているのを見つけた。
すぐさま、「この辺りで奇妙な流れ星を見なかったか」と、彼らはその少年に問いかけた。
だが、少年は即座に否定した。
そんなものは見ていない。
何かの見間違いではないか、と首を傾げて言う。
星を追ってきた者は、まず少年を怪しんだ。
そして「何も見ていないはずはない、確かにここから奇妙な星が登っていったはずだ」と問い詰めるように言った。
すると少年は困ったように首を傾げ、ふと思いついたように持っていた弓に手製らしき粗末な矢を番え、弦をいっぱいに引くと真上にその矢を放った。
瞬間、彼らの頭上に輝く星の軌跡が生まれた。
その光は夜の闇に吸い込まれていき、しばらくすると、遥か上空で音もなく消えた。
口を開けて空を見上げたままの大人たちに、少年はもしかしてあなたたちの言う『流れ星』とはこれのことか、と先ほどと変わらぬ落ち着いた様子で問いかけた。
星を追ってきた者たちは、ただ頷くしかなかった。
自分たちの目の前で年端も行かぬ少年が手に持つ弓から放ったもの。
それこそが彼らが追っていた奇妙な『流れ星』に他ならなかった。
結局、彼らが流れ星だと思って見ていたのは、少年の放った練習用の木製の矢だった。
大人たちは戸惑い、なぜ少年がそんなことをしていたのかと聞いた。
少年は真面目な顔で、「真横に矢を打つと意図しないものを撃ち抜いてしまって皆に迷惑をかけてしまう」ため、「仕方なく何もない空に放って練習していた」と言った。そうすると「空で砕けた矢が空気との摩擦で綺麗に燃えて消え、どこにも迷惑がかからなくて良いと思った」、と。
流れ星を追って来た者たちは正直なところ、少年の話が半分もわからなかった。
……空に矢をうてば勝手に空中で燃え尽きる?
それに、水平に矢を討つと意図しないものを射抜いてしまう、とは?
彼らは優れた弓の使い手を知っているが、そんな矢を放つ者など聞いたこともない。
だが、だんだんと理解が追いつくと、彼らは興奮し始めた。
そして少年に名を聞き、あの噂話で伝わった『リゲル』だということを知り、あの作り話めいた逸話は本当だったのか、と口々に少年に問いだした。
リゲルは戸惑いながらも大体は事実だと認め、自分が周りを騒がせてしまったことを謝った。そして、これ以外にもう自分が弓を練習する方法は残っていないのだ、とだんだん涙目になって彼らに赦しを請うようになった。
悪いことしているのを見つかって叱られているようなその年相応の少年の表情と、たった今少年が成し遂げたことの間には大きな差があった。
そして彼らはその場で話し合うと結論を出し、その場を去った。
翌朝、正体不明の流れ星を追った者たちはそれぞれが自分たちの集落に戻り、自分がその目で見たことを報告した。
『流れ星』というのは誤解で、あれは単に一人の少年が放った、ただの練習用の木製の矢であった。
信じがたいことかもしれないが、『ミオ族』にはそんな光景を作り出す少年がいる、と。
最初は半信半疑だった長老たちも、口を揃えて言う若い戦士たちの真剣な眼差しに、真実味を感じずにはいられなかった。
若い戦士たちは口々に言った。
疑うのなら自分の目で確かめればいい。
あの少年は確かにそこにいる、と。
それからというもの『ミオ族』の少年リゲルの噂は砂漠に広まり続け、やがて遠くの集落からも、その矢を一目見てやろうと多くの人が彼の元を訪れるようになった。
その中には各地で名の知れた弓の達人もいた。
弓という道具と何十年と付き合ってきた彼らは、自らの目で見るまでは決して信じようとはしなかった。
空に放った矢が燃え尽きるなど、彼らが長い時間をかけた鍛錬の経験上、そして実際に存在した言い伝えの英雄たちの逸話からもあり得ないことだった。
だが、老いた達人たちは実際にリゲルの矢を目にすると誰もがその光景に呆れ果て、一斉に口を閉じた。そして老人同士で目を見合わせると腹を抱えて大笑いし、すぐに自分たちの集落に帰って口々に称賛した。
あそこには地上から天に流れ星を放つ少年がいる。
それはきっと我々にとって将来、大きな希望となることだろう。
信じ難い噂話はやがて真実となり、獣人たちの間で共有される神話となっていった。
だがリゲルはそんなことは我関せず、ただ、自分の弓の練習に夢中だった。
昨日はできなかったことが今日できるようになるのが嬉しくて、ただただいつものように練習を繰り返していた。
リゲルの弓は日に日に冴えていった。
皆が見上げる中で砂漠の夜に流れる星の数は増えていき、輝く軌跡はより速く、遠くにまで伸びるようになった。
無数の星がどこからか生まれ、真っ直ぐ空に昇ってはただ消えていく光景は幻想的で、特に他の娯楽を持たなかった人々は、夜になると何もせずただ空を見上げることが多くなった。
空に登る星は、その地に生きる獣人たちの日常となっていった。
だが、ある日、また空に異変が起きた。
夜空に真っ直ぐな軌跡を描いていた『流れ星』が突然弾け、とても明るく輝いた。
またおかしなことが起きた、と人々は首を傾げたが、今度はそれほど驚きはしなかった。
きっとまたリゲルが何かやったのだろう、と。
人々はその奇妙な夜空を見上げながら、冗談半分に「ついにリゲルが星を落とした」と笑った。
実際のところ、それはリゲルの矢の速さがついに限度を超え、空気との摩擦で爆発するように燃え尽きるようになってしまったが故に起きた光だったが、何も知らない者の目にはまるで「リゲルが星を撃ち抜いた」と見えた。
無論、大人たちは本心からそう言ったわけではなかったが、子供達の耳にはその童話めいた話の方が真実味を帯びて響いた。
リゲルの放った矢が天に浮かぶ星々を射抜き、星が次々に弾けては暗い夜を照しているのだ、と。
大人たちにとっても、そう説明された方がずっと納得のいく光景だった。
それからというもの、砂漠の夜は以前より少し明るいものになった。
毎夜、一瞬だけ明るくなる空を見上げて大人たちが「また星撃ちが始まった」などと笑い、子供たちもその星撃ちに追いつこうと必死に夜空に向かって矢を放つ。
リゲルの名は誰かが言い出した「【星穿ち】」という二つ名と共に、皆の中で大きくなっていった。
昔から狩人として弓の技を誇りとする者であった彼らは、ただの木矢が夜空を照らす冗談のような光景に勇気づけられ、いつしか自分たちの未来にもおぼろげな希望を抱くようになった。
自分たちと遠くで血の繋がった一族にあんな子供がいるのなら、きっと自分たちの未来も明るいに違いない、と。
リゲルは知らず知らずのうちに、そんな幻想を皆に見せるまでの存在となっていった。
リゲルが夜空に星を輝かせるようになってしばらくすると、リゲルは族長の父と共に複数の集落の代表が集まる重要な会議の場に呼ばれることになった。
その頃、まだ獣人たちは『国』とも言えるような共同体を持っていた。小規模な集落同士の連携で構成される緩やかな絆を持つ共同体であったが、争いごとがあれば互いに納得がいくまで話し合って決める、という程度の調停機能は持っていた。
古くからの縁を持つ集団で、昔からの遠い親戚のようなものだ、と父親には説明されながらリゲルは古い建物の入り口をくぐった。
リゲルは奥の集会場に通されると、その中央に大きな弓があるのを目にして立ち止まった。
それはかつて英雄が打ち破った『神獣』の殻を削って作られたという『神弓』であり、数十世代も前から伝えられて大事にされてきた、獣人たちにとって特別な弓だった。だが、はるか昔に作られてから一度も引けた者はおらず、いつからか『引けずの神弓』と呼ばれるようになったという。
そんな父親の説明も耳に入らないぐらい、リゲルはひと目でその弓に心を奪われた。
その弓はリゲルが今まで目にしたどんなものよりも美しかった。
弓本体は硝子のように透き通る灰色で、見たこともない材質だったが僅かに奥から光を放っているように見え、その弓の弦は見るからに硬そうな金と銀の鋼糸のようなもので張られており、それは角度によって様々な色に輝いた。
リゲルはその弓に見惚れしまい、一歩も動けなくなり、しばらく立ち尽くしていると、様子を見た最古老がリゲルに近づいてこういった。
「興味があるなら、皆の前でそれを引いてみよ。そうすれば、それを自由に使わせてやろう」と。
リゲルは二つ返事で引き受けた。
手に取る前に、普段は「無理に引くと指を落とす」と触れるのも禁じられている、と説明されたが、それも意に介さなかった。
見たこともない美しい弓に、触れられるだけで嬉しく思った。
そうしてリゲルは最古老に言われるまま皆の前に立つと、その透き通る弓を受け取って構え、弦を強く引いた。
すると奇妙な光沢を放つ金属製の弦は容易くリゲルの腕に引かれ、リゲルはそのまま姿勢を維持して立って見せた。
その光景に皆は驚き、物は試しとそこにある一番硬い聖銀製の矢をつがえて外に放たせた瞬間、矢はあっという間に弦に圧し負けて砕け散り、弾けた矢の破片が巨大な集会場の半分と一緒に散り、辺り一帯の地面を吹き飛ばした。
それは一本の矢が起こした出来事と云うには余りにも理不尽な光景だった。
それからすぐに全ての部族の長老を交えての長い協議が行われた。
その結果、満場一致で『引けずの神弓』は『ミオ族のリゲル』に預けられることになった。
リゲルの父の人柄はすでに多くの長老たちに信用されており、リゲルも信用されていた。
リゲルと会話したあらゆる弓の達人たちがあの少年なら問題ない、と推薦し、ある者はあの神弓を持つのに相応しいのはあの少年しかいない、と意気込んだ。
そうしてリゲルは妹が生まれた翌年、弱冠13歳にして十八部族の伝説の品、『引けずの神弓』を携えるようになった。
自身の有り余る力に見合う強靭な弓を手にしたリゲルの矢は、易々と遠くの山を貫き、分厚い積乱雲を散らし、またある時は襲い来る巨大な砂嵐を真正面から破裂させた。
以前まで使っていた練習用の木矢では弦に対する強度が足りず、代わりに練習用に金属製の矢を用いるようになったが、それでも力加減を少しでも誤ると矢は弦に負けて爆散し、広大な夜空を覆わんばかりの流星群を作って砂漠の夜を真昼のように輝かせた。
その光景はリゲルを知っている者ですら、一人の少年と一本の弓と矢が起こしている出来事とはとても思えず、どこかの神が気まぐれに起こしている奇跡としか思えなかった。
そうして、王を頂かない共同体に皆が共有する新たな『神話』が誕生した。
リゲルは弓を通じて獣人たちの様々な共同体と交わり、慕われていった。
そして『引けずの神弓』を手にしてから二年後────妹のシレーヌが3歳となり、やっと言葉らしい言葉を覚え始めた頃には、古老の予言通り、獣人たちの誰もがまだ15歳だったリゲルを『大きな希望』と見なすようになっていた。






