142 サレンツァの遊戯場 2
ラシードとリンネブルグ王女は二人並んで観客席に座り、闘技場を見下ろしていた。
「いかがです、リンネブルグ様。こういう余興は」
「私はこういう血腥い賭け事を好みません」
「そうですか。それは残念。でも、せっかく見知った顔が晴れ舞台に出ているのです。せめて楽しくショーを観覧しようではありませんか」
「……そうさせていただきます」
◇
『グァアアアアアアアアアア!!!』
俺は借りた剣を緑色の竜に向かって構えた。
相手の体はとても大きく、迫力がある。
とはいえ、王都にいる魔竜と比べてしまえば小ぶりに思えるし、そう考えるとあまり怖くはない。
それにミスラで出会ったスケルトンと比べると、あっちの方が何倍も怖かった。以前なら飛び上がるほど怖がったと思うが、俺はもう色々と麻痺してしまっているらしい。
『グァ』
そんなことを考えている間に、緑色の竜が俺の頭上から巨大な爪を振り下ろしてくる。
「パリイ」
俺は借りた剣で落ちてきた竜の爪を思い切り打ち払った。
だが、いきなり失敗した。
力加減を大幅に間違い、借りた剣を一撃で粉砕した。
(しまった)
どうやら俺はあの重たい『黒い剣』に慣れすぎてしまったようだ。
もうこういう普通の剣がうまく扱えない。
一撃目で剣がなくなってしまった。
『────グァ────?』
焦ったが、緑色の竜は不思議そうな声をあげ、ごろりと横に倒れ込んだ。
辺りに土埃が舞い、会場からどよめきが起こる。
この舞台の上からだと、観客の声がよく聞こえる。
「……おや、どうしたのでしょう? あの竜、今、自分から倒れたように見えましたよ」
「は。折れやがったぜ、あのボロ剣。もう丸腰じゃねえか」
「……いや。折れたというより、砕けてなかったか? どうなったらああなるんだ?」
「グリーンドラゴンの爪で粉砕されたに決まってるでしょう。あの強靭な膂力であいつらが潰されるのが楽しみですわ」
「ああ、その通り。さあ、これから殺戮ショーの時間ですよ。汚ない獣人奴隷がどんなふうに泣き叫ぶか楽しみですね────この闘技場の高い入場料はこの為にあるようなものですから」
辺りがざわつく中、緑色の竜はすぐに立ち上がり、また俺たちを睨みつけた。
『グァ────ゴォ。グゥオオオオオォ────!』
緑色の竜は巨大な尾で床を打ち付けて砕き、雄叫びを上げた。
だが、見ようによっては少し怯えているようにも見える。
さっきから、俺に近づいてこようとしない。
また、ざわめきが大きくなる。
「……どうしたどうした? 急にグリーンドラゴンが動かなくなったぞ」
「なんだ……? 調教不足か? この試合、今日の闘技場の目玉じゃなかったのか?」
俺が観客席の声に耳を傾けながら怯える目をした竜に近づいていくと、竜は後退りした。
別に、俺はこの竜を殺そうとは思っていないのに、だんだんと壁に追い詰められていく。
「……大丈夫だ。別に殺そうとは思ってない」
一応、声をかけてみるが通じている気配はない。
こうなると、もう可哀想になってくる。
俺は後ろに立っていた獣人の男に相談する。
「この試合、棄権はできないのか?」
「……できるわけないだろ。ここにそんなルールはない。契約書に書いてあっただろうが……って、見てないのか。というか……今、アンタ、何したんだ? あの竜が怯えてるようにしか見えないんだが」
「俺はただ爪を剣で弾くだけのつもりだったんだが……すまない。借りた剣を台無しにしてしまった」
「いや、それはいいけど……何がどうなれば、あんな風に剣が粉になるんだ……? 初めて見たぜ、あんな壊れ方」
「悪い。ちょっと力を入れすぎた」
「……ちょっと力を、で済む話じゃねえだろ、どう考えても……?」
俺と獣人の男が怯える竜の前で会話をしていると、舞台の上に何かが飛んでくる。
見ればそれは観客が持っていた飲み物のグラスで、それがいくつも硬い壁や床にぶつかって割れた。
「ふざけるな! ちゃんと試合をしろ!」
「金返せ! 払い戻しをしろ!」
「どうなってるんだ、ここの調教師は……! これでまともな興行と言えるのか!」
「死ね! 戦え!! どちらかが死ぬまでやれ!!」
気づけば、辺りの歓声は酷い罵声に変わっていた。
◇◇◇
観客席から舞台の中に投げ込まれるものを見て、ラシードは楽しそうに笑っていた。
「いやあ、これはこれは。大損害ですね。適切に予定した興行が行われなかったとあっては『時忘れの都』の名にも傷がつきます。これは相当な痛手ですよ、リンネブルグ様」
ラシードはそう言って隣の席に座る少女を眺め、さらに顔を歪ませた。
「────でも。これで彼との契約は僕のものですね、リンネブルグ様」
「その契約書の内容、念の為、私にも内容を確認させていただけますか。彼の現在の雇い主として、それぐらいの権利はあると思います」
「もちろん、ご確認いただく程度ならよろしいですが。可能な限り、丁重に扱っていただければ。これは私と彼の大事な約束の証明となりますので」
「はい、もちろん。それでは────可能な限り、丁重に処分させていただきます。【滅閃極炎】」
ラシードからリンネブルグ王女の手に渡った紙は、跡形もなく燃やされた。
突然遊戯場の中から火柱が上がり、観客席が一時騒然となる。
「……おや。クレイス王国では大事な約束の文書をそんな風に扱うのが普通なのですか」
「双方が十分に内容を確認せずに行われた契約は無効です。サレンツァの法にはそう、記述されているはずですが」
「確かに、我が国の法律の条文にはそうあります。しかし、契約書自体に免責事項がきちんと書き込まれていれば、特に問題とはならないのですけれどね。とはいえ……契約書そのものを復元不可能な灰にされてしまっては最早、それを確認する術もない、か。ははは、これは一本取られました。よく法律を勉強していらっしゃいますね、リンネブルグ様。さすがレインくんの妹君です」
「兄は私に、貴方には特に気をつけろと」
「それはそれは。レインくんからの最大級の賛辞と受け取っておきますよ。彼と僕は色々とありましたので。そんなふうに覚えていていただくだけで、光栄の極みです」
ラシードは楽しそうに笑いながら、今や様々なものが投げ込まれる闘技場の舞台の上に目を戻した。
「……しかし、あの試合。少々様子がおかしいですね。あの凶暴なグリーンドラゴンが妙に大人しい。今……何かされましたか、リンネブルグ様?」
「いいえ。私にはなんの心当たりもありませんが」
「────あの竜にかかっていた狂化魔法なら、もう、解いたよ。それで無理やり戦わせてるみたいだったから」
ラシードに声をかけたのは後ろの席に座っていたロロだった。
声をかけられた本人は振り返らずに舞台に目を落としたまま、微笑んでいた。
「……なるほど。君は例の魔族の少年か。君たちは魔物を自在に操ることができるんだったね。じゃあ、今のあれもそうしているのかい」
「ううん。ボクはあの竜にかけられていた魔法を解いただけ。それ以外は何もしてないよ」
「いつ、それをやったんだい」
「この試合の初めに。あの竜があそこに現れる、少し前から」
「……そうかい。本当に素晴らしい力だね。伝説に謳われる『魔族』の力がここまでとは驚いたよ。だが、あまりやりすぎないほうがいい。きっと悪い噂が広まることになる。『魔族』がまた、魔物を操ってよからぬことを考えている、と」
「うん。それはボクも嫌だから。だから、貴方がそうさせないようにしてほしいかな」
ラシードはまた、楽しそうに笑った。
「……君、思っていたより面白いね。ロロ君、って言ったっけ。気に入ったよ」
それだけ言うとラシードから笑顔が消えた。
「それで、今日のこの損害は誰に請求を回せばいいのでしょうね、リンネブルグ様」
「ラシード様。今日は私たちを歓待していただけると伺ったのですが」
「はは、そうでした。さすが、耳聡い。ではこの損害は歓待の経費とすることに致しましょう。請求は父に回すことになりますのでご心配なく」
「ご配慮、感謝いたします」
「どういたしまして」
隣の観客席に座る者同士の、互いに笑顔を用いない冷たいやりとりが終わると、またすぐにラシードの顔には笑みが戻った。
◇
『闘技場スタッフによる協議の結果、本日の最終試合は無効試合となります。ご来場の皆様には心よりのお詫びを申し上げます。掛札の払い戻しが行われますので、各自、窓口にてお手続きください。尚、都合により、本日予定されていた以降のプログラムは全てキャンセルとなります。ご来場いただきましたお客様には誠に────』
「ふざけるな!!」
「入場料返せッ!!」
遊戯場に響く罵声がさらに大きくなり、一層多くのものが舞台の上に投げ込まれた。
「ん? もしかして、試合が終わったのか?」
「……え、本当に? 助かったのか、俺たち?」
「そうらしいな」
俺たちは飛んでくるグラスや鉢植えなどを手で払い除けながら、獣人の男シンが入ってきた方のゲートを潜った。
◇
「戻ったぞ」
「ノール先生、ご無事で」
闘技場の控え室でシンと別れ、その辺りにいる職員に道を聞きながら戻ってきた俺をリーン達とラシードが出迎えた。
「ああ、おかえり。闘技場は楽しめたかい?」
「特に楽しくはなかったが、怪我人は出さずに済んだ」
「それは結構。でも残念だね。君からの、楽しくない、という感想はこの闘技場の設計者としては忸怩たる思いだよ」
ラシードは大袈裟な身振りをつけながら、笑顔で首を横に振った。
だが後ろのリーン達は皆、硬い表情をしている。
「何かあったのか?」
「いえ……特には」
「そうだね。大事な紙が燃えてしまったこと以外、特には」
「紙? ああ……さっき、俺がサインしたあれのことか」
「……すみません、ノール先生。あの契約書は私が燃やしてしまいました。勝手な判断をして申し訳ありません」
「燃やした……? いや、俺なら別に構わないが……そういえばあの紙、何が書いてあったんだ? 読む暇がなかったが」
「もう気にすることはないよ。なくなってしまったものは仕方がない。あの契約はキャンセルだ。少々、残念ではあるけれど────元々、あんなに簡単に君が手に入るとは思ってはいないから」
ラシードはまた一層、楽しそうに笑った。
……なんだかこの人物、さっきからどんどん機嫌が良くなっていく。
「ははは、本当に、君は良い仲間に恵まれているね、ノール。僕はますます、君のことが欲しくなったよ。できれば、丸ごと、いただけると嬉しいんだけどねぇ」
「先程のような小手先の仕掛けで手に入るほど私たちは安くはありませんよ、ラシード様」
「ええ、もちろんわかっていますとも、リンネブルグ様。だから、これからは正々堂々、真正面から勝負して、誰からもどこからも文句が出ないような形で、全ていただこうと思っております────決着が、誰の目にも明らかなようにして」
遊戯場を照らしていた照明が一斉に落ち、さらに薄暗くなった。
まだ辺りには人がたくさん残っていたので、会場全体が騒然となる。
「……それでは。くだらない余興も終わったことですし、これからはちゃんと楽しい『遊戯』をすることに致しましょう────メリッサ。すぐに皆様をVIPルームにご案内を」
「は」
そうして俺たちはメリッサに連れられ、例の『裁定遊戯』の会場へと足を運んだ。






