138 時忘れの都 2
俺たちは入り口の奥で出会った職員に案内され、廊下をまっすぐに歩いていた。
「こっちにも、いろんな植物が植えてあるんだな」
両脇が透明な壁になっている廊下からは色とりどりの動植物が眺められ、巨大な建物の奥へと進む俺たちの目を愉しませてくれた。
「あれもクレイス王国にはない、図鑑でしか見たことのない植物ですね。すごい、こんなに種類を集めているとは……」
時折、リーンの詳しい解説が交じり、俺たちがうなずきながら歩いていると、廊下の奥に深い青色をした壁が見えてきた。
近づいていくと、その壁の中で大小さまざま、沢山の見たことのない種類の魚が泳いでいるのが見える。
「……これは、水槽?」
水槽らしき透明な壁は、左右の長い廊下の先まで途切れることなく、どこまでも続いていた。
まるで、いきなり湖の底にでもたどり着いてしまったかの様だった。
先ほどまでと同じ建物の中とは思えない光景に俺たちが呆然としていると、いつの間にか俺たちをここまで導いてくれた職員は消え、水槽を背にして、黒服を着た小柄な女性が現れた。
見覚えのある女性だった。
「リンネブルグ様。お待ちしておりました。当館の支配人を務めております、メリッサと申します」
姿を見せたのは、昨日、片目がない獣人の男と一緒にラシードの後ろに控えていた小柄な女性だった。
女性は小さく礼をすると、俺たちに説明を始めた。
「門番のクロンからも説明があったかと思いますが、これより皆様に当館ご利用の際の、衣装のご案内をいたします」
「衣装、ですか」
「はい、当施設ではお客様により高品質なサービスを提供させていただく為、お部屋に応じて相応しい衣装をご用意しております。場合によっては、お好きな衣装をお持ち込みいただくお客様もいらっしゃいますが、今回はこちらでご用意させていただきました。どうぞ、お受け取りを」
メリッサと名乗った小柄な女性は高級そうな革鞄を差し出し、イネスがそれを受け取った。
中身を確認するとリーンは目を丸め、イネスは目を細めた。
「……中に入る為には、これに着替える必要がある、と?」
「もちろん、強制は致しません。ですが、これからご案内するお部屋は、水に入ってちょうど良いように設定されておりますので。他のお客様がいらっしゃる中で、そのままのお姿では場にはそぐわないかと」
「……その中身、何が入っているんだ?」
彼女たちの微妙な反応に、思わず横から聞いた俺にリーンが答えた。
「……これはいわゆる、水浴着ですね」
「水浴着?」
「つまり、私たちがこれから案内されるのは水の中に入って泳ぐような場所、ということでしょうか?」
「左様でございます。もちろん、必ずしもその場で水浴びをされる必要はございません。どのような楽しみ方をされても、お客様の自由でございますので」
「……イネス」
リーンは心配そうな目でイネスを見た。
「────申し上げておきますが、ご心配なされているような仕掛けなどは、一切、ございません。これは、あくまでも館の主人ラシードからの、遠路はるばるお訪ねくださったお客様方への、おもてなしとなります」
「もてなし、ですか」
「はい。『裁定遊戯』の準備ができるまで、お時間がかかりますので、それまで、存分にリラックスしていただく為のほんの心遣いと思っていただければ。本来、本館の上級会員でなければ入場を許されない区画となりますので、非常に特別な対応となります。安全面に関しましてはもちろん、私共が保証いたします」
「……少し、中身を確認させていただけますか」
「どうぞ。お気の済むまで」
リーンはイネスと目を見合わせた後、リーンはトランクの中身を確認した。
「どうやら、本当に何もない様ですね……わかりました。受け取らせていただきます」
「それでは、こちらの廊下の先にお召し替え用のお部屋がございます。それぞれ、男女に分かれて入ってご利用くださいませ。その先の出口は同じ場所に通じておりますので」
見れば広い廊下の奥に、それぞれ男と女らしき絵が描かれた金属板がある。
ここは見慣れた王都の浴場のような作りで、どういう場所かわかりやすい。
「なお、お召し替えの際、女性の衣装には多少のコツがありますので、私めがお手伝いいたしますが、申し訳ありませんが男性陣は御自身でお召し替えくださいませ。もしお手伝いが必要であれば、担当の職員が参りますのでお気軽にお申し付けください」
「わかった、ありがとう」
俺が男性用のトランクを受け取って礼を言うと、メリッサは小さくお辞儀をした。
「じゃあ、俺とロロはあっちだな」
「うん」
「では、ロロ、ノール先生。後ほど」
そうして俺たちは別れて、別々の部屋に入った。
渡された革鞄の中身は、膝ぐらいまである短パンだった。
高級品なのか肌触りがとても良い。
そうしてすぐに着替えを済ませると、合流するために着替えの部屋を出たのだが。
「……湖?」
廊下に出てその先の長い階段を上がっていくと、急に明るい場所に出た。
しばらく眩しくて辺りがよく見えなかったが、目が慣れてくると、そこには太陽の日差しを受けてキラキラと輝く湖があった。
四角い形をした、とても大きな湖だった。
見上げてみると遠くに透明な天井があったので、ここはとても大きな部屋の中、ということになるのだが。
その中に澄んだ水を湛えた巨大な湖がある。
湖の中で、際どい衣装を着た男女がはしゃいで水を撥ねながら、照りつける強い太陽の下で楽しそうに遊んでいた。
建物の中だということを忘れそうだった。
「ノール先生。お待たせしました」
声がした方向を振り向くと、リーンとイネス、シレーヌがいた。
俺たちと同じく、彼女たちも着替えて水着になっていた。
「こういう格好で殿方と一緒、というのは変な感じですね」
「まあ、俺も多少違和感はあるが、慣れてしまえば問題ないだろう。王都にも、こういう泳ぐ用の浴場があると聞いたことがある。今まで、行く機会はなかったが」
「……そうですね。王都の兵士たちの為の訓練場にも似た施設がありますので、そう思えば、私もそんなに気になりません」
けっこう肌の露出の多い衣装だが、リーンとイネスは堂々としている。
でも、シレーヌだけはどうもその格好に慣れないのか、フード付きの白い上着を羽織って、しきりに周囲の視線を気にしている。
彼女の場合、普段と肌の露出はほぼ変わらない気がするのだが。
「皆様、とてもよくお似合いでございます」
メリッサは笑顔だった。
心なしか、先ほどよりも表情が和らいでいる様に見える。
彼女の説明の通り、この部屋はかなり暑かった。
水に入ってちょうどいい、というのはその通りだろう。
彼女は黒服のままで暑そうに見えるが、イネスの鎧のような体温調節のための便利機能が付いているのだろうか。
俺がそんなことを考えていると、ふと、水中に動くものが見えた。
俺は思わず湖に近づき、水の中を見通した。
水は見事なまでに透き通っていて、色とりどりの魚がすいすいと気持ちよさそうに泳いでいるのが見えた。
「すごいな。あれはさっき、水槽から見えた魚か?」
「はい。内部で通じておりますので。目で愉しんでいただき、入っていただくこともできる、当館自慢の水槽でございます」
「なるほど。本当にいろんな種類がいるんだな。もしかして、あれだけいるということは、少しぐらい獲って食べても……?」
「………………観賞用ですので。ご遠慮いただければ」
「そうか。残念だ」
明らかに美味そうなのもいるのに、本当に残念だ。
「……それでは、私はこれで失礼いたします。お世話を担当する職員は外で常に待機しておりますので。何かありましたら、なんなりとお申し付けください」
「はい、ありがとうございます」
「頃合いのお時間になりましたら、お迎えに上がります。それまで、どうぞ…………ごゆるりと、お楽しみください」
メリッサは俺に若干不安そうな視線を送ると、湖のある大部屋を出て行った。
彼女が立ち去ったのを見届けるとリーンは一つ、小さくため息をついた。
「ここまで、特に罠らしきものは見当たりませんでしたし、実害もありませんが……それでも、まんまと乗せられてしまったような気がしますね。『裁定遊戯』の内容も定かではないというのに……とても、遊んでいる気分にはなれませんね」
リーンはここにきてから、ずっと気を張っているらしかった。
とはいえ、ここはどう見ても遊ぶための場所だし、俺たちももう完全に遊ぶための格好だ。
人工の湖のある広い部屋の中には楽しそうに、はしゃいでいる声が響く。
「でも、せっかくなら、楽しめばいいんじゃないか? ここでしか見られないものも多いし、俺から見ると、クレイス王国にはない面白い文化ばかりだ」
「……それも、そうですね。確かに、優れた異国の文化を吸収して持ち帰るのは私たちの役割の一つかもしれませんね。それに、先生のおっしゃる通り、緊張しすぎても気疲れするだけでよくないかもしれません……わかりました。私も、楽しむべきところは楽しむことにします」
「ああ、その方がいいと思う」
リーンはすぐに気分を切り替えたのか、笑顔になり、輝く湖に目を向けた。
その視線の先には戸惑っている様子のシレーヌがいた。
「み、水が……こんなに深く? えっ……こ、ここに入るんですか? 本当に???」
シレーヌは先ほどから怯えた表情で水面にちょんちょん、と足先をつけたり離したりしている。
湖の水はあまりに透明で深くて一見、高いところにいる様に錯覚し、俺はなんとなく水際に近づけないのだが。
もしかして彼女も同じか、もしくは泳げないのだろうか。
「シレーヌさん。せっかくなので泳ぎましょうか? ここの暑い空気はそのために設定されているようですし」
「あの……リンネブルグ様。お気遣いはありがたいんですが、私は遠慮しておきます」
「私は後でいいですよ。ほら、遠慮なさらず。お先にどうぞ!」
「い、いえっ。じ、実は遠慮というか、私、全然……ぴぎゃあっ!?」
「────えっ?」
リーンに軽く押されると、シレーヌは派手な水飛沫を上げながら頭から水の中に落ち、そのまま石像のように身体を硬直させ、水の中に沈んでいった。
しばらく待っても、浮いてこない。
「……全然、浮いてこないな」
「シ、シレーヌさん!?」
リーンはすぐに水の中に飛び込み、沈んだシレーヌを助けに行った。
イネスは二人の様子を腕組みをしながら冷静に眺めている。
「イネスは助けに行かなくていいのか?」
「私は、泳げんのだ」
「……そうか。意外だな?」
「いや。私が泳ぐのが苦手、という意味ではない。護衛役の私まで水の中に入って遊んでいてはまずいだろう、ということだ……それに、リンネブルグ様がついていらっしゃる。心配はない」
「まあ、そうだな」
イネスと二人で水の中を眺めていると、リーンがシレーヌをしっかりとキャッチし、水面に上がってくるのが見えた。
「むしろ、シレーヌが【王都六兵団】所属の身でろくに泳げない、ということの方が問題だ。得手不得手があるのは理解できるが、シレーヌも今後のことを考えるなら少しは水に慣れる訓練をすべきだろう。あれでは、いざというときに支障が出る」
「……まあ、そうかもな」
あんなのは初めて見た。
普通、人の身体は何もしなければ多少は浮くはずなのに、シレーヌはまっすぐ水の中に沈んでいった。
でも、俺だって苦手なものは苦手だし、仕方がないだろうとも思うが。
最近はララに鍛えられたおかげで高いところに行っても少しは平気になったが、やっぱり怖いものは怖い。
「イネスは泳ぐのは得意なのか?」
「……ああ。好きか嫌いかでいえば好きだし、どちらかといえば得意な方だ」
「それなら、少しぐらいなら水に入ってもいいんじゃないか? そのままだと暑いだろう?」
「そんな理由で職務を放棄できない。気遣いは有難いが、私は平気だ」
イネスはそう言いつつも、額に汗を滲ませている。
どうやら彼女はあの銀色の鎧を着ていた方が快適らしい。
なんとなく、砂漠にいた時よりも暑そうな感じだった。
そんな会話をしているうちに、リーンがシレーヌを抱えて水面に上がってきた。
「……す、すみません! まさか、シレーヌさんが全く泳げないとは……!」
「……け、けほっ! い、いえ……! これまで、水の中に入る機会があんまえりなくて……こっ、これから練習したいと思います……!」
意外だったが、シレーヌは水の中で泳いだ経験がないらしい。
そういえば、ロロも俺の横で床に座っているだけで水に入ろうとする気配がないが。
「ロロも泳げないのか?」
「ううん。そんなことはないんだけど」
「なら、泳いでもいいんじゃないか?」
「でも、泳ぐというよりは、ただ浮いていられるだけだから。小さい頃、足のつかないような沼地にしばらく放置されたことがあって……それで自然と身についた程度のものだから」
「それは……大変だったな」
俺も泳ぎは誰にも教わったことはないが、住んでいる場所の近くの川の魚を獲ろうとするうちに自然と身についた。
今では泳ぎは俺の得意なことの一つだが、慣れない頃は大変だった。
ある時は川の流れに押し流されて下流の大きな滝から転落したり、ある時はうっかり嵐の後の増水した水の中にはいってしまい、雨後の濁流でものすごい勢いで転がる大岩にぶつかって、押し流されたりもした。
でも、そういう失敗を何度も繰り返すうちに泳ぎもだんだんと上手くなっていったものだ。
王都で生活するようになってから、泳ぐこともなくなったが。
「では、シレーヌさん。いい機会ですし。私が泳ぎ方をお教えしましょうか? これでも、泳ぐのは得意な方ですので」
「えっ……リンネブルグ様から? そ、そんな。わざわざ、悪いですよ……!」
「大丈夫ですよ。シレーヌさんだったら、ちょっとしたコツを掴めばすぐに覚えられると思いますから」
「そ、そうですか……? そ、それじゃあ、お言葉に甘えていいですか……?」
「はい。初めてでも、慎重に入れば怖くありませんから。まずは水に慣れるところから始めましょう」
「わっ、わかりました。どうぞ、お手柔らかに……?」
わいわいと水の中に入っていく二人を、俺とロロとイネスは水際で眺めていた。
イネスは直立不動の姿勢のままだったが、彼女達を目で追っている表情はどこか羨ましそうだった。
一緒に入りたければ、素直に入ればいいと思うのだが。
「しかし……ここは暑いな」
外よりはずっとマシとはいえ建物の中に差し込む日は強く、とても暑い。
ただ座っているだけでもじっとりと汗が滲んでくる。
対して、水の中はとても気持ち良さそうだった。
イネスには悪いが俺もそろそろ入って泳いでみようかな、と思った、その時だった。
どこからか、大きな悲鳴が響いた。
「……きゃあっ!? な、何よあれぇっ!!?」
「なんだね、急に。どうしたんだ?」
「けっ、獣よ! どういうことなの!? この上級区画に獣が紛れてるわ!!」
「なんだ……?」
あまりに危機感のある叫び声に、俺はてっきり部屋に猛獣でも紛れ込んできたのかと慌てて辺りを見回したが、何もいない。
だがよくみると、悲鳴を上げた女性は俺が想像しているものとは違うものを凝視していた。
「な、なんで、ここに獣人がいるのよッ!? ふ、不潔よ……こんな汚れた水、早く取り替えて!!」
「おい、職員は何をしているのだね!? すぐにあれを追い出したまえ! おい、聞いているのか!? 警備の者はどこだ!?」
先程まで楽しそうに泳いでいた人々が一斉に声を荒げだした。
その視線の先に居たのは水の中にいるリーンと、彼女に手を引かれているシレーヌだった。






