124 神獣イ・ゴル
唐突に砂の中から巨大な頸を持ち上げるようにして現れた頭上の巨影を眺め、私は言葉を失った。
「あ、あれは────」
────あれは『巨神殻類』。
最硬鉱物に匹敵する硬さの灰色の透き通った外殻に包まれ、多くの地を不毛の地にしたとされる伝説上の災害生物。
私が読んだ五百年前の書物には文章だけで記述されており、姿はそこから想像したものでしかないが……この砂漠の毒で汚染された状況と、獣人の村の青年カイルさんから聞いた伝承。
間違いない。
あれが、この辺りの病と貧困の元凶、かつて『神獣イ・ゴル』と呼ばれた存在。大地のあらゆる養分を吸い、水を吸い、自分以外の生物を弱らす毒を撒き散らす厄災の生物。
今思えば、私が先ほど【盗賊】系中級スキル【水源探査】で得た『湖のような大きさの水』の情報は、これだったのだ。カイルさんと話している間にその可能性に思い至らなかった自分の浅はかさに強い後悔の念を感じるが、今となっては全てが遅い。
私たちは既に出てきてしまったあれを、どうにかしなければならない。
「……で、でも……あんな巨大なもの、どうすれば」
あれは、あまりにも巨きい。
巨大すぎる。
地の底から姿を見せた『巨神殻類』は、ただ立ち上がっただけで辺りに大きな地震を引き起こした。
今も、辺りの様子を窺うように身じろぎするだけで立っていられないほどの揺れが起きている。
私が読んだ古代の文献の通り……いや、おそらくそれを遥かに超えた存在が目の前にいる。
いかに巨大に育つと言われる『巨神殻類』とはいえ、一体の生物があそこまでの大きさに成長するなど、聞いたこともない。
────あんなもの、絶対に人の手に余る。
書物にあった『巨神殻類』の記述での最大の記録は五十年地中に潜り続け、成長した城郭一つクラスの巨大個体。
発見当時、誰にも手が出せず、名だたる有力冒険者も軍隊もただ黙って何処かに立ち去るのを見送るのみだったという、『対処不可』にクラス分けされた歴史上でも数少ない個体。
その後、どこにも被害を出すことなく消え去った為、『幻の生物』として書物の中に残るのみの存在となっていたのだが。
もしかしたら、この巨大な個体────獣人の集落の伝承の『神獣イ・ゴル』とは、私が読んだ古い書物が示す討伐不能の最大個体と同じ個体なのではないか、という疑念が湧く。
丁度、書物に記された時代と、伝承で語られる時代が一致する。
もし、そうだとしたら。
あれは冒険者黎明期の当時に『討伐不能』認定された個体が更に五百年かけて桁外れに成長した姿、ということになる。
当時でさえ『巨神殻類』の異常個体は身じろぎ一つで建物を倒壊させ、多くの人命を含む被害を出したという。
それよりずっと巨大なこの個体がひとたび、暴れ出したりでもしたら。
先程、地中から起き上がっただけであの大地震のような衝撃。
もしあれが長期に活動をすれば……確実に国が丸ごと滅ぶ規模の大厄災となる。
その想像に思い至り、思わず身震いがする。
「……まずは、避難しなければ」
逃げなければ。
早く、周囲の獣人の村の皆を連れて。
────でも、何処へ?
と、即座に疑問が湧く。
辺りは見渡す限りの広大な砂漠地帯。
これから逃げるとしても、私たちは何処に向かえばいいのだろう。
自分が今から行おうとしている行動に矛盾を感じ、混乱する。
タイミングも、悪かった。
もし、ここに、全てを切り裂く【恩寵】、『光の剣』を持つイネスが居れば、或いは討伐も可能だったかもしれない。
馬車で早朝に発ったイネスが異変に気がついて今から戻って来てくれる可能性もゼロではない。
でも、もし気づいて戻ってきてくれたとしても、かなりの時間はかかるはずだし、その上、あの馬車の速度なら今ごろ既に王都に辿り着いていてもおかしくはない。
そうなると、彼女の加勢は絶望的となる。
そして、あの『最硬鉱物』に匹敵するという硬さを持つと言われる外殻。あの分厚さでは、ノール先生の『黒い剣』すら弾いてしまうだろう。
私達の最大戦力の一人のイネスが欠けている今、真正面から戦うという選択肢はない。
でも、どこにも逃げ場もない。
一体、どうすれば。
そんな絶望に近い戸惑いを覚えているうち、空に一つの人影が飛んでいるのが見える。
「ノ、ノール先生?」
空高く飛ばされていたノール先生が、私とカイルさんの近くに音を立てて落ち、大きな砂埃を立てた。
幸い怪我はないようだったが……砂の中でゆっくりと立ち上がった先生も、真剣な目であの巨大な怪物を見つめている。
「……リーン、あれが例の『神獣』か?」
「はい。おそらくは、そうだと思います」
「となると、あれがこの一帯に毒を撒き散らし、土の養分を全部独り占めにしていた生き物なのか」
「……そうなります。おそらく、あれは数百年単位で大地に犠牲を生み、その全ての養分を溜め込んでいる、ということになります」
「そうか」
先生は怪物を見つめ、少し考えてから呟くように言った。
「なら、あれは畑の肥料にしよう」
私にはすぐにはその言葉の意味がわからなかったが────先生の声には何か確信めいた響きがあった。
私にはまだ、先生のお考えがわからない。
でも必ずそこには勝機があるはずだと自分を奮い立たせ、私は先生の言葉を信じることにした。
「は、はい、わかりました。ではこれから、私たちはあれを肥料に………………………………………………肥料?」
でも、しばらく考えてみても、私には何のことかわからなかった。
私の戸惑いをよそに、ノール先生はずっと真剣な顔で巨大な影を落とす怪物を見つめている。その視線に反応するように『巨神殻類』は大きな頸を持ち上げ、巨大な眼玉をこちらに向けた。
……そうか、あの眼。
カイルさんの伝承によれば、かつて村人たちは英雄の助けを借りて弓矢であの『眼』を射ることで怪物を撃退した、と。
今のあのスケールではまともな弓では効果がありそうもないが、もし、あの『眼』をノール先生の『黒い剣』で叩くことができれば勝機はあるのかもしれない。
もしや、先生はそれを狙って……?
そんなことを私が考えていた時、不意に身体全体を襲う衝撃波と共に、辺りに大きな地震が起きた。
「……えっ……?」
同時に砂嵐のように空高く砂塵が舞う。
私が遅れて襲ってくる激しい砂塵の嵐に気を取られていると、今までそこに聳え立っていた巨体が忽然と消えていることに気がついた。
「……消えた?」
「跳んだな」
「……跳んだ……?」
空を見上げるノール先生に従い私が空を見上げると、そこには絶望としか言いようのない光景が広がっていた。
あの巨大な『巨神殻類』が、天高く跳躍していた。
先ほどの揺れはあれの跳躍の衝撃だったのだ。
そうして────その巨大な影が私たちめがけ、落ちてくる。
「嘘、でしょう」
まるで一つの湖と見紛うような大質量を持った巨体が、世界最硬の鉱物『最硬鉱物』に匹敵する分厚い外殻を纏い、私たちに降りかかってくる。
最早、どこにも逃げ場がない。
あれに対処する術もない。
私たちだけで逃げ出すならともかく、獣人たちの集落は壊滅だ。
それに……『巨神殻類』は硬い外殻に包まれた大脚を拡げるようにして私たちの上に覆いかぶさってくる。
あれではもう、この角度からでは『眼』を狙うことは叶わない。
もしや、あの生物は数百年前に起きた出来事から学習しているのだろうか。
あの巨体と硬い外殻に加え、知能もあるなどと。
それなら、もう勝ち目などあるはずもない。
────あれにはどうやっても、殺されるしかない。
ただ空を見上げながら絶望する私の隣で、ノール先生の静かな声が響く。
「リーン……俺に一つ考えがある。すぐに村に帰って、ロロを呼んで来てくれないだろうか」
「────ロロを? も、もちろん構いませんが」
「おそらくだが……鮮度がとても大事になる。なるべく、すぐに調理をお願いしたい」
「は、はい、わかりました。では、私はすぐにロロを……………………鮮度??」
上空から『神獣』の影が迫ってくるのも忘れ、私は思わず振り返って先生の顔を見た。
先生は変わらず、真剣な表情でまっすぐ空を見つめている。
「では、ロロを急いで呼んできてくれ……それと一応、危なくなったらまた助けてくれ」
そうして、先生は音もなく消えた。
私が見失った先生の姿を探して、見つけた、と思った次の瞬間。
先生は空中で高速で『黒い剣』を振り回していて。
「……えっ……?」
「【投石】」
先生は『黒い剣』を大きく回転させた勢いのまま、思い切り、空に向かって投げつけた。
すると唸りを上げ高速回転する『黒い剣』は空気を切り裂きながら空の彼方へと昇っていき、遥か上空の灰色の巨体に吸い込まれていくように消え────その直後。
「────嘘、でしょう?」
砂漠の空に響く雷鳴のような轟音と共に、神獣の『最硬鉱物』と比肩される外殻がまるで硝子細工のように粉々に打ち砕かれ、その巨体は再び宙へと高く跳ね上げられた。






