122 砂漠の畑 1
あの老人に言われていた通り、砂漠の夜はとても冷えた。
寝床に入って布団をかけてしまえば大丈夫な程度だろう、という俺の甘い予想を大きく裏切り、油断していると凍え死んでしまいそうなぐらいの寒さだった。
リーンと夜遅くに白い息を吐きながら話していると、この宿の部屋の真ん中に大きな暖炉がある意味がよくわかった。
結局、あれから俺とリーンはかなり話し込んでしまい、寝たのは辺りが明るくなり始めた頃だった。
適当なところで話を切り上げて眠りについたはいいものの、俺は少し眠るとすぐ目が覚めてしまい、仕方なく寝床から出て、俺より早くに目覚めていたイネスと一緒に火の番をしながら暖炉の周りで皆が起きるのを待っていたのだが。
「────辺りに人の気配がする。囲まれてるわ」
寝癖をつけたままの頭で飛び起きて弓を掴んだシレーヌの言葉に、すぐにロロとリーンも目を覚ました。
俺とイネスが窓から外の様子を伺うと、泊まっている宿の周りに人だかりができているのが見えた。
「……どうやらこの村の人々のようですが。いかがなされますか、リンネブルグ様」
「少し、外に出て皆さんの話を聞いてみましょうか」
ドアを開けて外に出て行ったリーンとイネスに従い、俺たちも外に出ていくと、昨日俺と話をした老人が慌てた様子で現れた。
「……そ、早朝にお騒がせして申し訳ありません! 皆様が今日お発ちになるということで、村の者がせめてお見送りをと……!」
老人は困り果てたような顔で俺たちにこの状況を説明した。
イネスとシレーヌはまだ辺りを眺めながら警戒しているが、ロロとリーンは互いに顔を見合わせて頷いている。
どうやら、老人の言葉は本当らしい。
「まだお休みになられている頃だと思い、お目覚めまで静かにするよう村の者には申しつけておいたのですが、かえって驚かせるようなことになってしまったようで……ほ、本当に、どう申し開きをすれば良いか……!」
「……なるほど。そういうことか」
これだけの人数が辺りを歩いていたというのに、足音もほとんどしなかったのはそういうことだったのか。
知らない間に大勢にとり囲まれていて何事かと思ったが。
多分、シレーヌが気づかなければ俺もイネスもしばらく気が付かなかったと思う。
獣人の身体能力がすごいと言うのは聞いていたが、こうも皆で存在を消せるとは。
身のこなしも軽そうだし、王都で郵便配達か荷物の配達でもすればかなり稼げそうだな、などとふと思う。
そもそも、彼らは北の壁を越えることができないという話だが。
それはさておき。
朝早くこの老人に会うことが出来たのは俺としては都合が良かったりもする。
昨日話したことを試したくてうずうずしてよく眠れなかったというのもあるので、俺は早速リーンに話題を振る。
「……リーン。昨日の話なんだが、せっかくだし、もう聞いてもらっては?」
「はい。この村の皆さんにも早めにご相談させてもらった方が良さそうですね」
せっかく見送りに集まってもらった皆には悪いが、朝早く話ができたのは丁度いいので、俺は老人に昨日リーンに相談した内容を切り出すことにした。
「……今日早々にお立ちになられるというのに、お休みの邪魔をしてしまい、本当に申し訳ありません。村の者は退散させますので、どうかまたお休みになっていただければ────」
「いや。実はそのことなんだが────」
◇
「この村に留まる? なぜ、そのようなことを……?」
「もちろん、なるべく村の皆の邪魔にはならないようにするし、食料は自分たちでなんとかする。だから、数日の滞在を許してもらえないだろうか」
「そ、それは当然、構いませんが……?」
「これを育ててみたいんだ」
老人は俺たちの突然の申し出に少し戸惑っている様子だったので、俺は説明のために、荷物袋の中から黒ずんだ根をとり出して老人に見せた。
「これは、植物の根? ……いえ、芋類の作物ですかな」
何の品種かはわからないようだったが、老人はどういうものかはすぐに察しがついたようだ。
「『マンドラゴラもどき』と言って、痩せた土地でも育つらしい」
「……それはつまり、この砂漠で畑を作ろうということですか?」
「ああ。場所を借りて少しだけ試してみたいんだ。そんなに手間は取らせないようにするから」
「そ、それはもちろん、村としては願ってもいないことですが……」
俺の話に、老人は少し困ったような顔をした。
「まずいのか?」
「い、いえ。ですが、この一帯はご覧の通り砂地、荒地です。せっかくのお話ですが、まともな作物が育つとは思えません。そもそも、ここには農業に使えるような水源がありませんので……」
「それなら、なんとかできるんじゃないかと思ってな」
俺はリーンに説明してもらおうと、彼女と目を合わせた。
「……この村に魔力を扱える方は?」
「あまり多くないですが、魔法を使える者は数人はおります。私も一応、一通りは……それが?」
「それなら、大丈夫だと思います。すみませんが、私たちが利用しようとしているのは、繊細な扱いを必要とするものでして……村の方々には実際に品物を取り寄せた後で色々ご相談したいと思います」
「……は、はい……?」
リーンが話しているのは例の『水の出る魔導具』のことだが、大事な部分を濁したような説明に、老人はさらに不思議そうな顔になった。
やはり老人は全く腑に落ちない様子だったが、今はそこまでしか話せないのだという。
リーンによれば、王都の浴場にあるような『水の出る魔導具』はサレンツァにも数個は存在はしているらしいのだが、国を渡るととんでもない付加価値がついてしまうモノらしく、ほんの少し取り扱いを間違うだけで大規模戦争の引き金にすらなりうるらしい。
だから、あまり大勢がいる前で話をすることは避けたほうがいいという話だった。
多くの兵士がいる王都や、自分で自分の身を守る術をある程度は持つ俺たちと違って、手作りの弓とナイフ以外の武装を持たない村にそんなものを置いたことが知れ渡ったら即座に村ごと略奪対象になりかねない、と。
俺たちが乗って来た馬車にも似たような小型の『水の出る魔導具』が取り付けてあるが、王都の浴場にあるようなものは仕組みが違い、格段に貴重なのだとか。
それなら、そんなものを持ち込んでしまって大丈夫なのか……と、俺から言い出したことではあるものの不安に思ったが。
リーンには隠しながら上手く使うアイデアもあるらしいし、サレンツァに持ち込んで良いか悪いかの判断は、政治や経済に詳しいリーンのお父さんとお兄さんがしてくれるという。
俺が『水の出る魔道具』を使いたいと言っていたことは、リーンが昨日の夜のうちに『神託の玉』とかいう便利道具で報告済みだ。
深夜のリーンの呼び出しに応じたのは、昨日、ロロとの別れを惜しんでいた眼鏡の女性だったが、すぐに彼らの耳にも届くという。
そういうわけで、その話については彼らの判断待ちとなった。
ということで、ひとまず俺はもう一つの方の水源についての相談をする。
「俺からもひとつ教えて欲しいんだが。この辺りに井戸を掘ったことは?」
「井戸ですか? 何度か試してみたことはありますが……集落の若い者が人の背丈の十倍ほど掘ってみても何も出ませんでした」
「それなら、これからもう少しだけ掘ってみたいんだが。もし何も出なかったら、ちゃんと元どおりにしておくから」
「……な、なんと? そ、そんなことまでやってくださるのですか……?」
「まあ、試してみるだけになると思うから期待はしないでくれ」
水が出ないような土地に見えても、深く地面を掘ると水脈が見つかる、というのはよくある話だという。
俺の母親はそういうことにやけに詳しく、小さな頃から色々と教えてくれたのだ。
俺が山小屋にいた頃はそんなに遠くない場所に川があったが、そこまでいちいち水を汲みにいくのが面倒臭いので、必要な場所には自分で井戸を掘ったり、近くの山肌から湧き出る水を手作りの樋を造って家まで水を引いたりした。
初めて王都に出た時、普通は子供の頃に井戸や水道を自分で作ったりしないことを知り、多少ショックを受けたものだが……とにかく、畑の水やりや炊事には本当に便利だった覚えがある。
たまに井戸の水がなくなることもあったが、一見、水が枯れたように見えても少し位置を変えて掘ってみるとまた出たりする。
地上とは別に、地下を流れる水の流れがあるのだ。
あの時はよく雨も降る土地だったし川も近くにあったし、こことは勝手は違うとは思うが……なんと、リーンは『スキル』で地下に水があるかないかぐらいなら分かるのだという。
それなら試してみる価値はあるだろう。
……というか、水があるというのがわかっていて掘るならずっと楽だし、やってみたい。
「それでは、村の若い者もお連れください。この辺りの土地について詳しい者もおりますので」
「そうか? 人手を借りてしまって悪いな」
「いえ、お客人がそのようなことをしてくださるのに村から誰も出さないというわけには……カイル。この方達の案内役を頼んでもよいか」
「はい」
見送りに集まってくれたらしい多数の村人の中から、一人の若い獣人が歩いて俺たちの前に出てきた。
「自分は村長の補佐をしております、カイルと申します。先日、自分もそちらのお連れの方に病を癒していただきました。ご恩は何も返せていないと感じているので、何かお役に立てることがあれば何なりと言ってください」
そう言って、若い獣人は形の良いお辞儀をした。
彼は昨日、金の入った袋を返しにきた老人と一緒に俺のところに来た青年だ。
体は細めだが精悍な顔つきをしていて、なんとなく頼りになりそうな人物だった。
「ああ、付き合わせてすまないな」
「いえ。ご一緒できて光栄です。お連れの方も、よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
「────そちらの鎧の方、青い髪の方、そして獣人の方も」
「……よろしく頼む」
「うん」
「……ええ、よろしく」
彼は律儀に一人ずつ、俺たち全員に挨拶をしていった。
イネスとシレーヌはやっぱりまだ警戒気味だが、ロロとリーンの様子を見て信用することにしたらしい。
彼らの挨拶が済むと、リーンが馬車の前に立つイネスに声をかけた。
「それでは、イネス。お願いしますね。しっかり王都でリストにある物を揃えてきてください」
「はい。この馬車なら急げば一日もあれば王都との往復が可能ですが……くれぐれもお気をつけください。ここは異国の地ですから」
「大丈夫です。ノール先生も、ロロもシレーヌさんもいらっしゃいますので」
イネスはすっと無言で俺たち3人と目を合わせ、俺たちが頷くとリーンに視線を戻した。
「……畏まりました。では、すぐに行って参ります」
「お父様にもよろしく伝えてください」
「はい」
そうしてイネスは一人で馬車に乗り込むと、馬車は砂塵を捲きあげながらあっという間に遥か彼方へと消えていった。
「あの馬車……あんなに速かったのか」
砂漠の奥に消えた馬車は、明らかに俺たちが乗ってきたときよりも速かった。
「詰め込んだ食料と、私たちの重さがなくなりましたし、とても軽くなったんだと思います」
「そうか」
「それと、先生の『黒い剣』が無いのも大きいと思います。あれは普通の馬車だと載せたまま引けませんから、馬にも特別な装備をつけてもらっています。それで、あんなに速さが出たんだと思います」
「……そうか」
なんでも、あの馬たちは重いものを引いても大丈夫なように育てられた特別な馬で、馬車自体もその為に頑丈に作られた特別製なんだそうだが……あの速さの違いからすると、やはり相当辛かったらしい。
重荷から解き放たれ、元気よく走って行った馬たちには申し訳なく思いつつ、俺たちは若い獣人に案内されて、村から少し離れた場所にあるかつて『神域の森』だったという場所に向かった。






