111 ロロと魔竜
「ロロくん。今日はララの食事の後、スープの仕込みを手伝ってくれないかな」
「ボクがお店の料理を……?」
「ああ。君には基本的な仕事は覚えてもらったし、そろそろ次の段階も教えた方がいい頃だと思ってね」
「……うん、わかったよ」
ミスラから帰ってきてから、ボクは何もすることがなくなった。
あの『神託の玉』で大陸全土のミスラ教会に向けて、アスティラさんの声明が出されてから、街で見知らぬ人から声をかけられることが多くなり、出歩きづらくなった。
大体は優しい声を掛けてくる人だったけれど、時折、ボクの姿を見かけると酷く罵声を浴びせてくる人もいた。
だから頻繁に一人で街に出るのは難しかったし、特にこれといった用事もなかったので、ボクはずっと寝泊まりしているイネスの屋敷の敷地内で、広い廊下を往復するようにフラフラとする毎日を過ごしていた。
そんな状況をミアンヌさんが耳にして「そんなに暇ならウチの店を手伝ったら」と、このレストランにボクを連れてきてくれたのだ。
それ以来、ボクはミアンヌさんの夫、ライアスさんのレストランの手伝いをするようになった。
最初は皿洗いや床の掃除など、誰でもできることをやっていたが、ライアスさんは何も知らないボクに少しづつ料理のやり方を教えてくれ、今では簡単なものなら自分で作れるようになった。
ライアスさんはボクが料理を初めて作った時、筋がいいと褒めてくれた。
お店には顔見知りになったシレーヌさんとマリーベールさんが、よく一緒に料理を食べにくるので、ある日、ライアスさんがボクが練習で作った料理をこっそり彼女たちに出し、違いがわかるかと聞いたら、二人ともわからないと言った。
ボクとしては、かなり違いがあったと思うけれど、でもシレーヌさんが「すごく美味しい」と言ってくれたのは、とても嬉しかった。
自分が何か食べられるものを作って、人に「おいしい」と言ってもらえるなんて。そんなこと今まで考えもしなかったことだった。
でも、これぐらいなら簡単だし毎日でも作ってあげられる、と言ったら急にシレーヌさんの表情が固まってしまった。
その時の彼女の心は混沌とした感情で満たされていて、よく真意が読み取れなかったのだけれど……あれはお世辞というやつだったのだろうか。
次に食べてもらう時には本心でおいしいと言ってもらえるように、もう少し上手く作れるようになりたいと思っている。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい。ララに食事の感想を聞いておいてくれ。彼女の好みも把握しておきたいからね」
「……感想はあんまり期待しないほうがいいと思うよ」
今日は、ボクが魔竜に餌となる食べ物を持って行ってあげる日だ。
彼女は山のような図体の割には少食で、数日に一度、ほんの一口食べれば満足らしい。
ボク以外にララとまともに意思疎通ができる人はいないので、ライアスさんのお店の手伝いを除けば、この『ララへの餌やり』が今のボクの唯一の仕事と言ってもいい。
リーンから借りた『隠者の外套』という姿を目立たなくできる外套を身につけ、ララの今の棲家となっている王都の北の荒地まで食事を乗せた荷車を引いていく。
ボクにとっては結構な重労働で、半日がかりの仕事になる。
最初の頃は、ララには王都の牧場から可哀想な牛や豚を一頭ずつ運んであげていたのだけれど、いつも食肉用の家畜が十分に飼育されているとは限らず、時折都合がつかない時がある。
そんな時はララにはしばらく待ってもらうのだけれど、とある日、ライアスさんの店に余って悪くなりかけている食材が大量にあるというのを聞き、代わりにそれを彼女の食事として持っていった。
いつもと違う、と文句を言われないか少し不安ではあったけれど、彼女はこれまで出されたものは全部食べたし、きっと大丈夫だろうと思って、ボクはお店の余りの食材を彼女に食べてもらったのだけれど。
ララは食材を口に入れた途端に豹変した。
急に興奮した様子で立ち上がり、辺りに小さな地震が起きた。
そして巨大な眼を見開きながら『今食べたこれはなんだ』としつこく聞いてきた。
それはお店で余った廃棄食材だよ……と正直に言うのも気が引けたので、「人が高級料理に使う食材だよ」と、完全に嘘ではないが少し真実をぼかして伝えたところ、彼女は大いに満足し、少なくてもいいから次からも同じものを寄越せ、と要求してきた。
かなり味の違いがあったらしく、それ以外はもう食べたくない、と。
それ以来、ララにはライアスさんのお店で余った食材を食べさせるようになった。
ボクとしては運ぶ量も減るし、可哀想な生き物の鳴き声を聴く機会も減るし、とても助かるのだけれど。
ライアスさんはうちの味がわかるなんてララはなかなか美食家だな、と笑っていたけれど、はたして本当にそうなのだろうか。
たまにその辺りの岩とかを囓って『うまい』と言っているのを見かける。
その辺りのことはよくわからないけれど……今日もボクはいつもと変わらず荷車を引き、彼女の為に余った食材を運ぶ。
ライアスさんは食材を運び出す前に、いつも少しだけ手を加える。
毎回味付けを微妙に変えて、ララの味の好みを探っているらしい。
今回もその反応を見てくるように言われた。
多分、ライアスさんは甘いとか辛いとか、前より良かったとか悪かったとか、そういう感想を聞きたいんだと思うのだけれど……ララは大抵、『うまかった』とすら言わず、無言でペロリと食べて終わるのであまり期待はできない。
今日もやっぱり同じだった。
そうして食べ終わった後はいつも喉を鳴らし、ノールの話題になる。
相変わらずララはノールを恋しがっている。
また会いたい、と事あるごとにボクに伝えてくる。
でも、彼女の感覚はボクらの時間感覚とは大きくずれていて、主人にも主人の都合があるのだし、自分は彼が来てくれるまで何百年でも待てるから、と言う。
ノールは人間だから、きっとそんなに長生きしないよ、といくら伝えても『主人がそんなに弱いはずがない。少なくとも自分の倍ぐらいは生きる』と言って、頑なに話を聞かない。
自分より強いと思っている生き物が、自分より先に死ぬということが理解できないらしい。
『……グアアアアアァ』
毎回、ボクらは食事の後でたわいのない雑談をするが、最近彼女が好むのがミスラでの思い出話だ。うちの主人は相変わらず凄かったが、あの光を操る小さい奴、あれもなかなか良かった、と。
多分、イネスのことだと思うけど、ララとしては珍しく他の人のことをかなり気に入っている様子だった。『自分と肩を並べて戦えるなど中々だ』と上機嫌で、会うたびに同じ話を何度も何度も繰り返し聞かされる。
……よっぽど、あの戦いが楽しかったらしい。
またあのような機会があれば必ず呼べ、とかなりしつこい。
ボクとしては二度とあんな光景は見たくないのだけれど。
◇
「戻ったよ」
「ララの反応、どうだった?」
「今日も何も」
「……そうかぁ。次こそはララに『うまい』と言わせてやりたいな」
ライアスさんにとって、ララへの餌やりは何かの挑戦になっているらしい。
腕組みをしたライアスさんが少し悔しそうに唸っていると、お店のドアを開ける音がした。
「あれ? シレーヌさん。マリーベールさんも」
「……来たわよ」
「食べに来ましたですぅ」
「……いらっしゃい」
ボクが彼女たちに挨拶をすると、マリーベールさんは笑顔で返してくれたが、シレーヌさんは目を合わせず、ぷい、と窓の外に目を向けた。
やっぱり、ボクは彼女に嫌われてしまっているのだろうか。
相変わらず彼女の心の中はぐちゃぐちゃで、感情が読めない。
「ふふ、シレーヌさん、マリーベールさんもいらっしゃい。最近、よく来てくれるね」
「……そ、そう? ここの料理、美味しいから」
「ありがとう。若いお得意さんが増えて嬉しいよ……おや、今日はメリジェーヌさんも一緒だね」
「お久しぶりですライアスさん。お邪魔します」
「三人とも、ゆっくりしていってくれ。すぐにお茶を用意するから、お好きな席にどうぞ」
予約でいっぱいの夜と違い、昼は外からまばらにお客さんが入ってくるので、少し忙しい。
三人はすぐに席に付き、ボクはライアスさんが淹れてくれたお茶を彼女たちのテーブルに運んだ。
でも、シレーヌさんはずっと窓の外を見つめている。
というか、お茶を飲む間も、ずっと首の角度がおかしな方向に曲がっている。
……今日のシレーヌさんはどこか具合でも悪いのだろうか。
「ねえ……ちょっと誤魔化すの下手すぎない、シレーヌ」
「そんなこと言うと、後で怒られちゃいますよぉ、メリジェーヌさん」
「でも……これはあんまりでは? もはや動作不良起こした魔導人形にしか見えないんだけど」
「……これでも本人は頑張ってるつもりなんですよぉ……いくらダメダメで痛々しくて哀れでも、私たちが応援してあげないとですぅ」
「────聞こえてるわよ。二人とも」
ライアスさんは三人の様子を眺めて笑いながら、ボクに声をかけた。
「そうだ、ロロくん。スープ用の食材を奥の倉庫から出して、刻んでおいてくれないか。仕込み方を教えるついでに、折角だから彼女たちにも味見をしてもらおう。倉庫にある箱の移動は力仕事だけど……出来るかい?」
「うん。今日は籠手を持ってきてるから」
「じゃあ、頼んだよ」
ボクは早速、自分の荷物袋から銀色の籠手を取り出し、腕に取り付けて意思通りに指が動くのを確かめると調理場の奥の倉庫に向かった。
この銀色の籠手は元々、ミスラ教国の兵士シギルさんに借りていたものだ。
あの一連の騒動が終わった後、ボクは借りた片方の籠手と短刀を返そうとしたが、シギルさんはどうしてか、受け取らなかった。
それどころか、もう片方の籠手もボクに手渡し、両方持っていけと言う。
理由を聞いたら「今それを必要としているのは俺ではない。貴様が使え」とだけ言われた。よく意図はわからなかったけれど……結局、ボクはそのままお礼を言って受け取ることにした。
そんな風に人から物を貰うのは初めてだったし、その気持ちがとても嬉しかった。
シギルさんにもらったこの籠手のおかげで、ボクは色々なものを力強く握ることができるようになった。
それだけで自分が強くなれたような気がした。
もちろん実際にはそんなことはないのだけれど。
でも、今みたいに食材が詰まった重い箱を苦もなく運ぶことができるのは、とても助かっている。
「これは……ここでいいかな」
倉庫から箱を運び出して調理場に置くと、中から必要な食材を選び出し、調理台の上に置いていく。
そして調理場にある調理用のナイフを手に取り、食材をまな板の上で刻んでいく。
この作業もシギルさんから貰った籠手を嵌めたままだと調子がいい。この籠手はうっかりすると、まな板ごと切断してしまう程の力が出てしまうけれど、上手く調整してあげれば食材を刻むのにはとても便利だ。
まな板の上とナイフが小気味良い音を立て、面白いように肉や野菜が細切れになっていく。
ボクはこの作業がとても好きだ。
誰かに喜んでもらう為に何かを作る、ということが好きになりつつあるのかもしれない。
ボクがようやく一通りの食材を刻み終え、一息つくと、突然、お店の中で悲鳴が上がった。
「……ああぁ……!? ……ああ、ああああああぁ!!?」
見れば、メリジェーヌさんがティーカップ片手に肩を震わせ、こちらを見つめながら何かを叫んでいた。
「……み、見つけたあああああぁ……!! こんなところに、居たあああ……!」
……見つけた?
ボクの後ろに彼女が探していた誰かがいるのかと思い、思わず振り返ったがそこには誰もいなかった。
「────ふう、いやいやいや、待て待て待て。まずは落ち着こうか、メリジェーヌ。まず、確認だ。事実確認は大事だよね。……ねえ、ロロくん。ちょっといいかな?」
「うん」
メリジェーヌさんに声をかけられたボクはナイフを置き、エプロンをつけたままの格好で彼女のいるテーブルに歩いていった。
そうしてボクがテーブルの近くまで行くと、彼女は急に不気味なほど静かになった。
「……それ。『巨人の籠手』よね。指と腕の動きを補助する為の籠手型の魔導具」
「名前は知らないけど……使い方は、そうだよ」
「ちょっと、見せてもらっていい? ……うん、間違いない。これ、『巨人の籠手』だ……二百年以上前にミスラで発掘された『特級遺物』の。ねえ、キミそれどこで手に入れて────いや、今はそれはいいか。キミ、どうやってそれを動かしてるの?」
「どうやって……?」
「今、それ使ってまな板の上でお肉とかトントン刻んでたよね? その魔導具ってさ、扱うのに超繊細な魔力操作が必要なことで有名で、普通のナイフなんて紙くずみたいに握りつぶしちゃうはずなんだけど……なんで、そんなことが出来ちゃうのかな?」
「…………なんとなく?」
どうやって使っているのか、と聞かれたものの特に意識もせずに使えてしまっていたので、そうとしか言いようがない。
あまりちゃんとした答えでなくて悪いかな、と思いつつメリジェーヌさんの顔を見ると、彼女はティーカップを両手で握りしめながら目にいっぱいの涙を溜めていた。
「……い、いたああああ……!! 求めていた人材ぃ!! 人材だああああぁ……!!」
メリジェーヌさんが、喉から絞り出すような悲鳴に近い声をあげた。
当然、お店の中の皆が驚いて彼女に視線を向けた。
それでも当のメリジェーヌさんはそんな視線を気にするでもなく、静かに隣に座るシレーヌさんを見つめて、言った。
「ごめん、シレーヌ。ロロくん、私にちょうだい」
「……えっ? メリー? ちょ、ちょっと……!? 何を言ってるの……?」
「うん、大丈夫。そういう意味じゃないから。ちょっとだけ────少しの期間だけ、借りるだけだから。いいでしょ? ね? 大丈夫だよね?」
メリジェーヌさんのボクを見つめる目が鋭く光った。
少し不安になってしまい、思わず彼女の心の中を覗くと……彼女の頭の中には『苦悩』と『解放』、『期待』と『希望』、そして肉食獣のような『捕獲衝動』が混沌と渦巻いていた。
……何だろう、これ。ごちゃごちゃしすぎている。
「ねえ、ロロくん。キミ、魔導具製作とか興味ない? …… 絶対才能あるよ。私が保証する。ね、私と一緒にやろう! なんでも教えてあげるから! ね?」
メリジェーヌさんは飲みかけのティーカップを片手にボクに詰め寄ってきた。
彼女が一歩進むたび、床に熱いお茶が飛び散る。
「それは前にオーケンさんにも言われたことあるけど……でも、ボクは今まで何か道具を作ったことなんてないし……できないと思うよ」
確かに魔導具を扱う才能がある、というのは以前、オーケンさんにも言われたことがあった。
でもそれは使う方の才能であって、作る方の話ではなかった気がする。
「オーケン!? あのおんじに!? じゃあ、もう、いいじゃん! キミ、即戦力確定だよ! 今すぐにウチの魔導具研究所に来なよ! 入構許可なんて、あとから取るから!」
どうやら彼女は本気でそう思っているらしい。
……今すぐに?
「でも……ボクは魔族だよ? 悪気はなくても、思わぬことで迷惑をかけると思う」
「あ〜、そういや、そうだったね。でも今は魔族とか魔族じゃないとかはかなり、どうでもいいの。とにか〜く! ウチはキミを歓迎するからっ! お願いだから一緒に来て! 今とてつもなく納期がやば────ほんの少しだけ、手が足りてないから! ほら。私も怪しい者じゃないでしょう? 大丈夫、全然怖くないから。本当に、安心安全で健全な、とってもアットホームな職場だから……ねっ!?」
言葉を重ねるごとにメリジェーヌさんの迫力と、嘘の濃度が増していく気がする。
でも、ボクに一緒に来て欲しいというのは本心のようだ。
というか、心の底から助けを求めている感じに近い。
……どうしよう。
「……ライアスさん、今日のお店の手伝い、もういいかな? スープ用の食材は刻み終えたから」
「ああ、わかった。どうやら仕込み方を教えるのはまた今度にした方が良さそうだね」
「うん、ありがとう……じゃあ、いけるよ、メリジェーヌさん」
「ほっほう!! 助かるわぁ! じゃあ、マリーベール、シレーヌ。悪いけど私は今、お茶よりも大事な用事ができてしまったので。ロロくん連れて、もう行くね。あ、今日のお代は私が持つから。好きなもの食べてってね」
「了解ですぅ! 行ってらっしゃいですぅ〜!」
「……えっ? ……えっ……!?」
「また、誘ってねぇ〜!」
ボクたちのやりとりを見てぽかんとしているシレーヌさんをよそに、メリジェーヌさんはものすごい力でボクの腕を掴み、引きずるようにしてお店を出て行った。
そうしてその日、ボクは半ば拉致されるように王都の魔導具研究所に連れ込まれ────その後、ボクはライアスさんのお店を手伝いつつ、メリジェーヌさんとも一緒に働くことになったのだった。






