107 大衆浴場
「ほう……いい所で会ったな、ノール?」
新規オープンの大規模浴場の入り口で、俺の背後から声をかけてきたのはどこか見覚えのある男だった。
誰かと思って顔をよく見ると、工事現場で一緒に仕事をしていた同僚だった。
彼は自称『大衆浴場マスター』で、時折、俺に珍しい浴場を教えてくれた男だ。
しばらく姿を見かけなかったので、すっかり顔を忘れかけていた。
「……久々だな。元気にしていたか? しばらく顔を見なかったが」
「そうだな、久々だろうな。俺が王都に戻るのも久々だったしな」
「どこかに行っていたのか?」
「ああ。俺は王都を少しの間、離れていたんだ。俺の愛する浴場たちから……少し、距離を置くために」
大の浴場好きのこの男が、自ら至上の楽園と呼んでいた王都を離れていたというのは少し意外な感じがした。
「距離を置くって? なぜ、そんなことを」
「……お前はあの時一緒にいたし、まだ覚えているだろう。俺が前に『ヒドラ湯』で犯した大きな失態を」
「ああ、あれか」
以前、男と一緒に訪れた『ヒドラ湯』という浴場でこの同僚は少し無茶をして気を失い、ちょっとした騒ぎになった。
その翌日ぐらいには、その浴場には「入浴者に危険がある」ということで、営業停止の看板が立てられてしまったのだが。
「でも、あそこは危険なものは撤去して営業を再開したと聞いたが」
「だが、俺のせいであの伝統ある老舗浴場が危うく死にかけた事実に変わりはない。俺は誰に問われなくとも、その罪を償わねばならない……それで、自らにしばらく『禁浴』を課していたんだ」
「禁浴?」
「ああ。つまり────あれから、俺は自らに浴場を禁じていたんだ。浴場には一切通わず、体すら洗っていない。それぐらいの罰は甘んじて受けなければならないからな」
「……………………そうか」
……確かに、ちょっと、臭うかもしれない。
「……だがな。新規の大型浴場がオープンとあっちゃあ、この俺が行かないなんて選択肢はないからな。『禁浴』は本日をもって解禁だ……どうだ、ノール。『浴場王』の俺がいない浴場生活は退屈だっただろう?」
「いや、別に」
「……まあ、そう照れることもないさ」
「本心だが」
「…………ところで、ここにいるということは、お前もここの浴場に入るつもりだな?」
「もちろんだ」
「ならば一緒に行くか。俺が解説してやろう」
この自称『大衆浴場マスター』、もしくは『浴場王』を名乗る男は言うだけあって王都の大衆浴場事情にはかなり精通しており、王都に住んでまだ日の浅い俺に『隠れた名湯』と言われる珍しい場所を色々と紹介してくれた。
湯が高温すぎて危険と言われる『地獄の蒸風呂』と呼ばれる隠し間がある『キマイラ湯』や、無数の触手で肌の老廃物を除去する植物『ヒドラプラント』を大量に浴槽に放し「入浴者の破壊と再生を司る」という『ヒドラ湯』にも、この男の案内がなければ訪れることはなかっただろう。
男の説明はいつも少しばかり大袈裟で、実際に行ってみるとそれほどではないのだが、話を盛り上げて楽しませようとしてくれているのはわかる。
とにかく、珍しいスポットには目がない男なのだ。
「ここも何か面白い仕掛けがあるのか?」
「いや。この浴場は造りとしては極めて王道だ。浴槽自体に特筆すべきことはそれほどない……だがそれを補って余りある、王都の歴史的にも画期的なとある特徴がある。そこに触れずして、この浴場は語れないだろうな」
「……へえ?」
この男はやたらと浴場の歴史に詳しく、その成り立ちやら由来やら、俺に会うたびにこと細かに講釈してくれる。説明が詳しすぎて、中身は半分ほども理解できないのだが。
俺もわからないなりに、楽しく話を聞いている。
「何を隠そう、この新しい浴場はクレイス王国史上初、『半官半民』で造られた大衆浴場なのだ。長い浴場の歴史がある、この王都でさえ初なんだ。意外だろう?」
「そうなのか」
意外だろうと言われても俺は王都の歴史について知識がないので、そうか、としか言えない。
「まあ、それだけだと、わからないかもしれんがな? 面白いことに、この浴場には国で指定管理されている『特級迷宮遺物』、『湧水の円筒』が収められ、訪れた客がそこから流れ出す水を直に見ることができるようになっているんだ」
「……直に?」
「ああ。普通『湧水の円筒』は王都の給水施設の中に収められていて、そこから各施設に水路を通して水を引いている。
だが、基本的に給水施設の周りは厳重に警備され、誰も立ち入れないようになっているんだ。
王都の市民の生活を支える重要施設だし、『湧水の円筒』そのものが世界的に見ても非常に貴重な品だからな。実際に本物を目にした奴なんてほとんどないんだ」
「そうか」
確か、似たような話を、前にもこの男から聞いた気がする。
王都内に建つ塔のような『給水施設』から出る水は、浴場や飲み水だけでなく、近隣の農業の灌漑用水にも使っているのだと。
本当にクレイス王国の生活の基盤になっているのだと聞いた。
「確か、農業にも使われているんだったか?」
「そうだな。ここクレイス王国は昔から雨があまり降らず、水源となる山も特にないから水にはとても苦労していたらしいが……冒険者たちが『還らずの迷宮』から幾つもの『湧水の円筒』を持ち帰り続けてきたおかげで、今や水に全く困らない、世界でも有数の土地になった。
むしろ、クレイス王国が国として成り立っているのはこの『湧水の円筒』があったからとも言えるな」
「へえ、すごいんだな。その……『水の出る筒』というのは」
「ふふ、だろう? 王都でこんなに『浴場』の文化が発展しているのも、そのおかげなんだぜ。おまけに、ここ王都には上水の水路もちゃんと敷かれていて、下水と雨水を分けて地中に排水しているんだ。こんなに水道が発達した街、世界のどこを探しても、他にはないハズだ」
「……そうかもしれないな」
この男は王都の外に出たことがないらしく、今までは誇らしげに語る説明も話半分に聞いていたが……今は確かに、そうかもしれないと思う。
俺は魔導皇国の首都とミスラの街、そして、幾つかの村や街を見てきたが、そのどこにも王都のように水路を巡らせている場所はなかった。
俺はいつも王都の街中で『どぶさらい』をやっているが、他の街にはそんな溝自体がないのだ。
自分で見ることのできた範囲でしか確かめられないが、この街は他とは大きく造りが違う、ということらしい。
「俺は最近、いくつか街を廻る機会があったが、確かにどこにもこんな街はなかったな」
「……ふふ、そうだろう? まあ、要するに、この新規開店の浴場は王都の歴史に深く関わる『湧水の円筒』を直に拝める史上初の浴場ってことだな。これは見なけりゃ損だろう?」
「そうかもしれないな」
そういえば、俺がもらった『入浴券』には奇妙な模様の描かれた筒が描かれている。これはきっとその『湧水の円筒』というやつだろう。
今まで興味はなかったが、そんな風に説明されると見てみたくなる。
「どうだ。これで期待値は高まったか?」
「ああ。楽しみだな」
「さあ、心していくぞ。中に入ってからもしっかり解説してやる。俺についてこ────」
「お客様」
突然、浴場の門番をしていた衛兵らしき人物に呼び止められた。
俺は『黒い剣』を担いだままだったのでそれで呼び止められてしまったのかと思い、どう釈明しようかと心の準備をしたのだが。
どうやら、様子を伺うと衛兵は俺にではなく隣の男に声をかけたのだとわかった。
「すみませんが……我々に、ご同行願えますか?」
「んん……? 俺が、どうしたのか? 別に、手ぶらだし。危険なものも持ってないと思うが?」
「いえ、申し訳ありませんが……ちょっと、その」
「大変申し上げにくいのですが……そのままですと、他のお客様のご迷惑になりますので」
「……なに?」
見回すと辺りにいる人々が俺たち二人を避け、綺麗に円を描くようにして距離を置いている。
というより、正確には俺の隣にいる男に鋭い視線を向け、鼻をつまみながら後ずさりをしている。
────確かに今の彼はちょっと、臭う。
「すみませんが、大人しくご同行願えますか」
「な、なぜだ……? ここは市民への福利厚生と公衆衛生が目的の公営施設でもあるはずだろう! いくら俺が汚くて臭いからって、追い出すのは酷いんじゃないのか?」
あ、やはり臭っている自覚はあるのか。
「とはいえ、当施設は娯楽目的の施設でもありますので……単に汚れを落とすだけなら、別の場所がありますから。ご同行を……お連れの方は?」
「俺か?」
どうやら俺も彼と同類とみられているらしい。
「────くっ、待て。そいつは俺とは無関係だ! 連れていくのなら、俺だけにしろ……!」
「……そうなんですか?」
「まあ、無関係というか、知り合いだが……今日はさっき会ったばかりだしな」
「そうですね、あなたは特に問題ないと思います。入り口の預かり場にその……ええと、黒い看板……? ……みたいなのを預けてくだされば」
「わかった」
そうして、男は二人の衛兵にガッチリと肩を掴まれた。
「ノール……すまねえな。こんなことになっちまって」
「いや、俺だけで行ってしまって悪いな」
「ふっ……いいんだぜ、気にするな。ここは俺に任せて、先に行けよ。なあに、俺もすぐに後から追いつくさ。大丈夫だ、心配するな……死にはしない」
「まあ、そうだな」
俺は俺に向かって親指を立て、涙と笑顔を同時に見せながら衛兵に連れ去られる男を見届けると、入り口で荷物預かり場に『黒い剣』を預け、新しくて大きな浴場を堪能した。
実際に入ってみると、浴槽はかなり大きく、かなり大勢の人間が入っているというのに結構な余裕があった。身体を洗う場所もしっかりとあるし、なんと水風呂も蒸し風呂も完備という豪華な造りだ。
それだけでもかなり上等な浴場だと言えるが、それだけではない。
そこには他にも、数え切れないほど沢山の珍しい浴槽があった。
中には『風魔法』を使って動かしている『水竜風呂』という、温水が流れて泡の出るかなり変わった浴槽もあって興味を惹かれたが、大量の子供達が群がってとても入れる雰囲気ではなく、今回は諦めることにした。
他にも、とても一度では利用し切れないほどの多種多様な浴槽があって、それを利用する客を眺めているだけでも楽しかった。
あの『大衆浴場マスター』の男は王道な造りだと言っていたが。俺としてはけっこう、面白い場所なんじゃないかと思う。
やはり、人から話を聞くだけではなく、実際に自分で体験してみないと案外わからないものだと思った。
また、何度も来ようと思う。
ここの『入浴券』はたくさんもらったことだしな。
◇
「思ったより、面白かったな」
俺は身体を綺麗に洗った後、一通りの浴槽を楽しんでから浴場の広間へと出て、そこで売っている冷たい飲み物を飲み、ひと息ついた。
そうして、広間から見えるようになっている例の『水の湧き出る筒』を心ゆくまで鑑賞した後、浴場を出たのだが。
「あいつは結局、帰ってこなかったな」
その日は俺はもう、あの男と会うことはなかった。
だが、色々と教えてくれた男に感謝しつつ、俺はよく晴れた王都の夜空に彼の無事を祈った。






