104 神託の玉
『────皆さん、私の姿、見えているでしょうか』
ミスラ本国より大陸各所の教会に配布された『神託の玉』と呼ばれる魔導具から『教皇アスティラ』の姿が映し出されると、『ミスラ教』の信徒たちは初めて聞く声と、初めて目にする姿に感嘆のため息を漏らした。
「……教主、様……?」
「……おお……あれが教皇猊下のお姿」
「なんと麗しい。まさに神の御使い」
「不敬だぞ、そのようにじろじろと見るものではない」
「でも、あのお姿はあまりにも────」
信者たちの前に姿を見せた『ミスラ教』の教主アスティラは、彼らが耳にしていた数々の噂の表現をはるかに上回る美しさだった。
まさに神託を受ける『神の器』と呼ばれるに相応しいと信者の全てに思わせ、この世のものとは思えない美しさを体現した姿に誰もが目を奪われた。
「皆、静まれ。猊下が口を開かれるぞ。聖なるお言葉を聞き漏らすな」
皆が息を呑んで教皇の次の言葉を待った。
本国の式典に出席経験のあるごく一部の者を除き、信者の殆どがその姿を見たことがなかった。ましてや、声を直に聞いたものなど数える程もいない。
一旦広がった小さなざわめきが収まると、教会の内部に柔らかな声が響いた。
『────皆さん、初めまして。
……あ、お会いしたことがある方もいらっしゃると思いますが、多分、初めましての方もたくさんいらっしゃると思います。だから、そう言っておきますね。
私は神聖ミスラ教国の教皇、アスティラです。今日は皆さんに一つ、お願いがあってこのように姿を見せることにしました。とても大事なことですので、もしよろしければ、お仕事をしている方もお手を止めて聞いてくださると嬉しいです』
会場全体に形の良い鐘の音のように心地よく響きわたる声を耳にしながら、信者たちは誰一人口をきかず、『神託の玉』より映し出された教皇の大きな幻影にただ見入っていた。
────見入った、と言うより、皆が他の動作をするという思考を奪われていた。
初めて目にする教皇のあまりに神々しい姿と、人の心を掴む温かみのある声色があらゆる信者の考える力を失わせ、その目と耳の全てを惹きつけた。
「あれが……我らの、教主……さま」
そうして老若男女、幼い子供に至るまで、皆がその口から出る声を一つも聞き逃すまいと懸命に耳を傾ける中、教皇アスティラは静かに言葉を続けた。
『まず……私はひとつ、みなさんに謝らなければならないことがあります。先日のミスラでの騒ぎを耳にした方はたくさんいらっしゃるでしょう。大聖堂地下の『嘆きの迷宮』から魔物があふれ、人を襲ったと。それでお分かりの方もいらっしゃると思いますが……それは本来、ありえないことなのです。つまり────『嘆きの迷宮』は今に到るまでずっと踏破されていなかった、ということになります』
突然始まった教皇の話の意図が察しきれず、会場はにわかにざわついた。
「……? ……どういうことだ……?」
「……『嘆きの迷宮』は教主様が踏破され、その上に聖都ミスラが建てられたのではなかったのか……?」
「……鎮まれ。教主様のお話の最中だぞ」
だが、冷静に話を聞き続けようとする者にたしなめられ、その場に静寂が戻った。
『……いきなり、そんなことを言われても、殆どの人が困惑しますよね。ですがここでは、事実だけをお伝えしようと思います。きっとみなさん驚かれるでしょうが……心して聞いてくださいね』
信徒たちは困惑を覚えつつも教主の話に耳を傾けた。
だが直後、次に放たれた言葉によって信徒たちの間で大きな混乱が起きた。
『────私たちが神と崇めていた『聖ミスラ』。
それは、迷宮深層の怪物でした。私はそうと知らず、ずっとその魔物から受けた教えを『神託』として皆さんに伝えていたことになります。それがまず、私が一番に皆さんに謝らなければならないことです』
信徒たちはどよめき、互いに目を見合わせた。
教皇アスティラは彼らの混乱と喧騒の様子が見えているかのように、しばらく間をおいて、それから、またゆっくりと口を開いた。
「皆さんが驚かれるのも無理はありません……でも、どうか続きを聞いていただけると嬉しいです。私たち『ミスラ教』の将来にかかわる、大事なことだからです」
教主の言葉で信徒たちは我にかえり、湧き上がった喧騒は一旦、収まった。
再び教皇の幻影に聴衆の耳目が集まる。
『その強力な魔物は『嘆きの迷宮』から溢れた魔物を引き連れ、ミスラを滅ぼそうとしました。でも幸運にも、その日、皇子ティレンスの成人の祝賀の席に参列した客人の手を借り、すぐに討伐されました。その協力者の中には『魔族』もいました』
突然教皇の姿が消え、信徒達の前に小柄な少年の姿が映し出された。
『────彼は『魔族』の少年、ロロと言います。彼は命を賭して私たちを護ろうとしてくれました。長らく敵対していたミスラの者をです。魔物に襲われた私たちは、彼と協力することによって大きな試練を辛くも退けたのです』
その姿と話の内容に信徒たちは狼狽え、ざわついた。
「あれが……魔族か」
「魔族と、ミスラの信徒が協力した? そんな馬鹿な。あれは邪悪な敵性種族だぞ」
「……お前は教主様のお言葉を疑うのか?」
「だが────」
「……いや、確かに聞いたぞ。巨大な竜が聖都ミスラの上空を飛び回り、神々しい光と共におぞましい魔物を滅ぼした、と」
「まさか……共に戦ったというのか? 教主様と、魔族が」
『これも、以前ならありえないことだったでしょう。
……ご存知の通り、私たちミスラの民は彼ら『魔族』を敵と認め、長きに渡り戦いを続けてきました。その中で多くの信徒が彼らに殺され、そして……私たちも彼らを殺しました。その過去を忘れようというわけではありません。ですが、私たちはその血塗られた歴史の上により良い未来を築いていく必要があると思うのです。この少年の献身は、その一つの可能性を示してくれました』
信徒たちは目の前に映し出された少年の姿をまじまじと眺めた。
「確かに……聞いていたほど、邪悪な姿には見えないな」
「だが……あれは悍ましい性質を持つ種族だ。見た目だけの話ではない」
「とはいえ教主様のご意向とあれば……反対する理由があるのか?」
「だが先ほど、教主様ご自身がおっしゃられたではないか。『神託』が間違っていた、と。それはつまり、同時に教主様が間違われたということになるぞ」
「我々信徒は、何を信じれば良いのだ……?」
信者たちの間に深い動揺が拡がったところで、再び、彼らの前に教皇の幻影が映し出された。
その姿は変わらず美しく、やはり信者達の目には自分たちに救いをもたらす存在のように映った。
信者達は半ば呆然とした心持ちで、彼女の発する言葉に耳を澄ませた。
『……私たち『ミスラ教』はもう『魔族』と敵対することをやめにしようと思います。かつて『聖ミスラ』からもたらされたミスラ教の『教え』も、皆さんにとって有益なものを見極め改訂することになるでしょう。もしかしたら、『神聖ミスラ教』という名称も新たにする必要もあるかもしれません。
私たちにはこれから、大きな変化が待ち受けています────ですが、皆さん。ここから、私からひとつ『お願い』があります』
教皇アスティラは会場に集まった信徒達をまっすぐ見つめるようにして言った。
信徒達は次の言葉を待って息を呑んだ。
『────どうか、引き続き、私についてきていただけないでしょうか。先ほどお伝えした通り、私は誤った教えを広めるという大きな過ちを犯しました。でも、だからこそ……私は、私を信じてついてきてくださった人を、これから先もちゃんと幸せな生へと導く義務があると思っています』
信徒たちに、その願いを受け入れる理由はなかった。自ら間違いを認めた教主を信じる理屈も、もはや存在しなかった。
だが、どこにも嘘を感じさせない教主の真剣な眼差しに、皆が呑まれ言葉を失った。
「……教主様……」
「猊下」
『だから────できればでいいので、また少しだけ、私を信じていただけると嬉しいです。どうか、これからも私に皆さんが幸せになるためのお手伝いをさせてください』
教皇の真剣さは表情だけでなく声色にも滲み出て、自分たち信徒たちを想う心に感じ入り、地に伏して啜り泣く者も出始めた。
会場全体が奇妙な一体感に包まれ始めていた。
『これからのことですが……まず最初に、これまで二百年以上もの間、皆さんが『聖ミスラ』に寄進した宝物を全て信徒の皆さんにお返ししたいと思います。個人にお返しすることが難しい場合はお金に換え、皆に行き渡るように公平に分配します。
これから大きく『ミスラ教』は変わる必要がありますが、なるべく誰も苦しむことがないような形で、皆さんにとってより良い姿に変えていけたらと思っています』
最早、多くの信徒は彼女の言葉を浴びながら、恍惚とさえしていた。会場に集まった信徒の半数は再び考えることを辞め、教皇の姿と声を追うことに夢中になっていた。
『……私たちの『ミスラ教』は信徒の皆さんがあってこその『教え』です。
信徒の皆さんがいらっしゃるからこそ、私は教皇という名の役割を続けることができます。信徒の皆さんをより良い生へと導く、繋ぎ手として。
ですから────』
信徒たちは考えることを辞めて、教主の次なる言葉を待った。
……内容を全て理解する必要などない。
ただ、教主から発される声。姿。それらを一片残らず頭の中に入れ、持ち帰る。今や、そうすることだけが、自分たちの義務とさえ思えた。
『……私にも、これからも皆さんと同じ道を歩ませてください。まだまだ未熟な教皇ですが、皆さんと労苦と喜びを分かちあい、これまでと変わらず、共に歩ませてください。皆さんと一緒に、将来にわたってどんな辛難をも乗り越えさせてください。
それが……私からの、ただ一つのお願いです』
そう言って、教皇アスティラの幻影は信者達に向かって深く頭を下げた。
「……教主様……?」
その姿にどよめきが起き、幻影が消え去ると、辺りは静寂に包まれた。
「────これで第一回目の『教主様の御言葉』を終わる。次回の時間は、広報官から知らせがある。続報を待て」
しばらくして教兵の声が会場に響き渡り、信徒達の集会に解散が言い渡された。
「一回目? ……もしかして、次があるのか?」
会場の出口に向かって歩き始めた信徒達は、先ほど聞いた話と目にしたものの感想を口々に述べあった。
「……なあ、今の教主様のお言葉、どう思う?」
「どうって……俺には難しすぎてわからん。お前は?」
「同じだが……要するに、我ら『ミスラ教徒』はもう、あの不気味な骸骨の肖像を家に掲げなくとも良いということでは?」
「────お、おい! こんなところで『聖ミスラ』をそんな風に言うと不敬罪で教兵に……って。そうか、それももういいのかな」
「多分、そういう話だよな」
信徒達は歩きながら感想を続けた。
「……実は俺、子供の頃から怖かったんだよな、あれ」
「私も。正直、不気味よね、あれ」
「たしかに俺もアレさえなければなぁ、って思ってた」
「あの絵を家の壁から外せるってのは、いいことじゃないか?」
「ああ。そうかもな。というか、もしかして……実は悪いことって何もないんじゃないか?」
「そうだな。『教え』についても、『魔族』についても、我々は教主様のご意向に従っていただけだしな。これからもそうするだけだ」
「ああ。何より教主様のご尊顔を再びあのように拝めるというのは、この上ない幸せだ。今日のあれを観て、俺は初めて家が代々『ミスラ教』で良かったと思えた」
「本当に、次が楽しみだよな……次の前の晩は興奮して寝れないかも」
「じゃあ、まずやることは、『聖ミスラ』の聖像画を家の壁から外すことか?」
「そうだな」
明るく会話し始めた信徒達だったが、その後ろで暗く呟く者もいた。
「……だが。まだ納得がいかん。我ら信徒が今まで信じてきたものはいったい……なんだったのだ? 本当に『聖ミスラ』がいないとなれば、我らはこれから何を信じ、何を崇めれば良いのだ……?」
深刻な顔でうつむく熱心な信徒に、周りの信者たちは一斉に声を合わせた。
「これから何を崇めるかって……そんなの、決まっているだろう」
「ああ。教主様がこれからも我らを導いてくださることに変わりはないと仰っているのだから」
「────教主様だ。教主様を崇めればいい」
「そうだ。いっそ『聖ミスラ』の代わりに、教主様の絵を飾ればいいんじゃないか?」
「おお……! それはいいな。教主様のお姿があれば家の中が一気に華やぐ」
その話題に、周囲の信徒達が一斉に反応した。
「じゃあ俺、さっそく知り合いの絵師に教主様の肖像を頼んでくる」
「────あ、それ、俺も! 俺のも頼む!」
「……私も欲しいなぁ。親戚の分もお願いしようかしら」
「うちも家族全員分……いや。予備で倍の数頼んでくれないか。礼金ははずむから、なるべく大きいのを頼む」
「いや……そんなにいっぺんに描けないと思うぞ……?」
先ほどまで暗く不安に沈んでいた信徒達の顔は、会場から出た時にはどこか晴れやかなものに変わっていた。
◇
「……ふう」
長い演説が終わってアスティラは演台の上で一息つくと、少し自信なさげな表情で後ろを振り返り、自らと似た容姿の少年の顔色を伺った。
「……これでよかったでしょうか、ティレンスくん?」
「はい、お見事です、お母様」
「……私、セリフ間違えてませんでした? 姿勢とか、変じゃありませんでした? ……今さらですけどやばい寝癖とか付いてませんでしたよね……?」
「もちろん大丈夫です。歴史に残る名演説だったと思います」
「ふふ、そうですか。ティレンスくんがそう言ってくれるなら、良かったです。ものすごく緊張しましたけど……でも私、昔からこういうの一度やってみたかったんです。だから、とてもいい経験になりました」
教皇アスティラはそう言って柔らかな笑顔を見せた。
二人の後ろに立つ老人も、顎にたっぷり蓄えた自慢の白いヒゲを撫でながら笑う。
「ホッホウ! じゃがワシゃあ、お前さんがいつ原稿にないことを喋り出すかハラハラしとったわい」
「ふふ、心外ですね、オーケン。自慢じゃないですが、私、記憶力は良い方なんですよ? ティレンスくんが書いてくれた原稿はちゃんと全部暗記しましたから」
「まぁ、そこはあんまり疑ってないがのう……妙な気を利かせておかしなアドリブ入れんかが心配だったんじゃい! まあ、内容の大筋はちゃんと原稿通りじゃったが……正直、出だしから妙なズレ方してて、心臓止まるかと思ったわい! ホッホウ!」
ティレンス皇子はそんな風に陽気に笑い声をあげる老人へと向き直り、深く礼をした。
「【魔聖】オーケン。全教会支部に行き渡る数の『神託の玉』の御提供、ならびに本演説に関する多大なご協力────改めて感謝いたします」
「ホッホウ! 律儀じゃのう! なに、今回のは『神託の玉』の試験運用も兼ねてのことじゃし、資金も動力源の『赤い石』もお主らから提供してもらっているしのう。こちらにもかなり利がある。こっちこそ、絶好の機会をもらって感謝しまくりじゃわい!」
「……いえ。オーケン様のあの魔導具が各教会支部に行き渡っていなければ、ミスラ教徒達への意図の伝達は不可能でした。お母様の近しいご友人に、貴方のような魔導具に精通した方がいらっしゃったとは……我が国にとって、この上ない僥倖です」
「そりゃ、ちょっと褒めすぎじゃないかのう……?」
「私もほんと、びっくりしましたよ。貴方があんな便利な道具を発明していただなんて。ちょっと見直しましたよ、オーケン」
アスティラとティレンス皇子が重ねる賞賛の言葉に、オーケンは照れ臭そうに自慢のヒゲを撫でた。
「ホッホウ! 伊達に歳は取っておらんからのう? まあ、普通は通達の文書だけ送って納得してくれって言われても、そうすんなりはいかんしの。こうして姿を見せてやった方が手っ取り早いじゃろうて! ……ブッツケ本番だったが、うまくいって何よりじゃ!」
「あ……やっぱり、ぶっつけ本番だったんですね。私、なんとなくそんな気がしてて、いつか途中でぶっ壊れるんじゃないかと正直、心配で仕方ありませんでした」
「ホッホウ……? そんなのお互い様じゃわい!」
オーケンとアスティラが顔を見合わせ笑っていると、彼らに近づいてくる顔に深い傷の刻まれた人物が見えた。
「教皇猊下。お初にお目にかかる」
「え〜っと、貴方はクレイス王国の……?」
「ああ。私は隣国クレイス王国の纏め役をやっている者だ」
顔に深い傷が刻まれた男はアスティラの前で立ち止まり、二人は静かに向き合った。
「初めまして、王様。……私、本物の方のアスティラです」
「話は伺っている。本当に姿が瓜二つなのだな」
「みたいですね。私はあんなのが地上で出歩いてるなんて思いもしなかったです」
二人は目を見合わせたのち、互いに小さく微笑んだ。
「娘のリンネブルグが大変に世話になったそうだな。もし貴女の働きがなければ命も危うかったと聞く。王としてだけではなく、一人の親としても心からの謝意を述べたい」
「あ、そうですか。貴方はリーンさんの……ふふ、あの子、すごく無茶する子ですね? あの時は危いところだったんです。助かって本当に良かったです」
「……ああ。貴女には感謝してもし足りない。この件に関しての礼は惜しまない。もちろん私的な謝礼となる為、大した規模にはならないが……出来ることはさせてもらいたい」
「いいえ、お礼には全く及びませんよ、王様。あの子の頑張りのおかげで私たちみんなが救われたんですから。助けるのは当然でしょう? リーンさんが元気なら、なんにも問題なし、ですよ!」
そう言って胸元で小さく親指を立てるアスティラに、王は目を細めて笑った。
「ふふ……そうか。姿は同じでも、中身はまるで正反対だな」
「そうですか?」
「ああ。前の教皇猊下は正直、いつ取って喰われてしまうか、不安で不安で仕方がなかった。だが貴公とは気兼ねなく話ができそうだ」
「ふふふ……わたしは魔物じゃありませんからね。私も隣の国の王様が怖い人じゃなくて良かったです」
「ああ、全く同感だ。今後は良き関係を築きたいものだな」
「はい。私もクレイス王国には恩人がたくさんいますから。もちろん貴方の娘さんも含めて!」
「そうだったな。ならばきっと、私は娘にもっと感謝するべきなのだろうな」
「そうですよ、とてもよくできた娘さんです!」
隣り合う二つの国で頂点の存在となる二人の人物は、互いに顔を見合わせて楽しそうに笑った。
「……あ、そういえば今日はリーンさんも来ているんでしたよね?」
「ああ。今、あちらでロロと一緒に魔導皇国の新皇帝、ミルバ殿と歓談している。貴女との会話にも同席させようかと思ったが……歳の近い彼女たちの話は長くなりそうだったのでな。私だけ先に来てしまった」
「そうですか。元気そうで何よりです」
アスティラは静かに笑みを浮かべながら、辺りをゆっくりと見回した。
「それにしても、色んな人が来ていますね……? やっぱり、全部違う国から来た人ですか? ……知らない顔がいっぱい」
アスティラは会場にいる来客の顔を眺め、たまに目が合うと愛想の良い笑顔を浮かべて相手に小さく手を振った。
「それなら、この後一緒に挨拶に歩いて回るか? その時、私がそれとなく相手の名前を呼ぶから覚えていくといい」
「……あっ! それ、すごく助かります! 私、記憶力にはすごく自信がありますので、一度聞かせて貰えば大丈夫ですから」
「ああ、今後の為にも周辺国の要人の顔と名前ぐらい、一致させておいた方がいい────とはいえ」
王は会場を目線だけで見回した。
「南のサレンツァの頭目の姿が見えんな。あれも招待されていると聞いたが」
訝しがる王の隣でオーケンが鼻を鳴らした。
「……ふん。あの成金のことじゃ。どうせヘソでも曲げてるんじゃろ。今回の演説もあやつらにとっては大損する話ばかりじゃからのう。使者も寄越さんとは、かなり気に入らんのじゃろう」
「それ以外は大体揃っているようだ。どうせなら娘も一緒に連れて歩くか。彼女を知人に紹介する体で皆に接すれば、不自然さが紛れるだろう」
「……それでいきましょう。よろしくお願いしますね……あれ、そういえば」
アスティラは再び、誰かを探すように辺りを見回した。
「ノールは今日、来てないのですか?」
アスティラの質問に、王はわずかに渋い顔をした。
「……ああ、そうだな。伝えねばと思っていたが、あの男は今日、残念ながら来ていない。私もこの式典には是非参列してほしいと思い、娘と一緒に頼みにいったのだが……にべもなく断られてしまってな」
「断られたんですか? ……王様なのに」
「……ああ。今日は都合が悪くて行けないから、よろしく伝えておいてくれ、と」
王とアスティラの後ろで、オーケンが考え込むように自慢のヒゲを指先でくるくると巻いた。
「……ほんとに、あやつは何を考えとるんじゃ? 勿体ないのう。一応、あやつも今回の立役者なんじゃし、間違いなく歴史的な瞬間じゃし、来ればよかったのにのう」
「そうだな。だが今日はどうしても外せない用事があるから無理だ、と言われてな。代わりに貴女にこれを渡して欲しいと預かっている」
「……えっ、私に?」
アスティラは王から差し出されたものを両手で受け取り、一瞬、嬉しそうな表情を浮かべたが────手渡された木製の彫刻らしきものをしばらく眺めると、顔に困惑を滲ませた。
「……なんですか……これ……?」
「一応、魔除けの一種だと聞いている。実は私も同じものをもらっている」
「なんでしょうね、これ……人を襲っている魔物の姿の彫刻……とかですかね?」
「いや、熊だそうだ」
「熊?」
アスティラは一層不思議そうな顔で目を細め、手に中にある奇妙な木彫りの置物を眺めた。
「これを、私に?」
「なんでも貴女に多少縁のあるものだと。心当たりはないか?」
「…………。…………いえ…………全然」
二人は困惑した表情で目を合わせた。
「……そうか。一応、皇子の分も預かっているのだが」
「……………………要ります? ティレンスくん」
「はい、せっかくなので頂いておきます。ですが、これは本当にどういう意味なのでしょうね……?」
「あの男はきっと本人ならわかるのではないか、と言っていたのだが」
「……本人? なんでしょうね、それは……?」
しばらく三人は微妙な表情で両手を広げた熊の置物に見入り、何度も目を合わせては互いに首を傾げた。






