100 王都への帰還
「やっと、帰ってきたな」
朝靄のかかった風景の中に王都が見えてくると、俺は不思議な感覚を憶えた。
見慣れた風景に自分がどこかホッとしているのを感じる。
「はい。流石に色々あって、少し疲れましたね」
「ああ。短い旅だったが色々あったな」
俺たちはあれから山中の街の温泉のある宿に立ち寄り、そこで一晩過ごして翌日早朝に街を出た。
その街から王都まではそれほど距離がなかったらしく、出発してすぐに俺たちは王都に辿り着き、街の門をくぐった。
その瞬間、俺はどこか久々に自分の家に帰ってきたような懐かしい気持ちを抱いた。
どうやら俺はこの王都を自分の街だと思い始めているらしかった。
「では、ここで降ろしてもらってもいいか?」
「……はい」
王都の中に入ると俺は馬を止めてもらい、すぐに馬車を降りた。
「ようやくこれで、俺の仕事も終わりだな」
俺がリーンから受けた依頼は、王都から出て、帰ってくるまで彼女たちと行動を共にすることだった。
だから、これで彼女からの依頼は完了したことになる。
馬車を降りて王都の土を踏むと、一つの仕事が終わったという安堵感と共に、なんともいえない新鮮な達成感があった。
これが旅に出て帰ってくる、という感覚だろうか。
今までミスラへの道を途中まで急いで行って帰ってきたり、竜に乗って皇国に出かけたりはしたが……この感覚は初めて味わったような感じがする。
俺の胸に、ちゃんと一つの旅をして帰ってきたのだ、という嬉しさに似た感慨が湧く。
「……はい。ここまで本当にありがとうございました。本当に助かりました」
「いや、こちらこそ貴重な体験をさせてもらったな」
俺は馬車から見下ろすような格好のリーンと目を見合わせ、笑った。
今回のミスラの旅では、本当に色々な経験ができた。
いろんなことを見聞きし、知らなかったことを沢山知れた。
あのスケルトンとの戦いでは自分の成長を実感しつつも、改めて自分の力不足を思い知らされた。
明日からの生活と自主訓練にもハリが出るだろう。
本当に良い旅だったと思う。
帰りの馬車の旅も楽しかったし、こんなことで報酬をもらってしまっていいのかと思えるぐらいだ。
「────それでは、ノール先生。改めまして、当家に一緒に来ていただけないでしょうか?」
リーンは感慨に耽っている俺にそう切り出した。
「……ん? もう王都に帰ってきたし、依頼はここで完了じゃないのか」
「はい。ですので改めて今回のお礼を」
「────改めて、お礼?」
……確か、既に報酬は前払いで貰っていたはずだが。
何か────嫌な予感がする。
「いや……報酬はもう、もらっているものかと思っていたが」
「はい。ミスラまで同行いただいた依頼料については事前にお渡しした分に加え、残りもすぐに冒険者ギルドから支払われる予定です」
「なら、それで十分だぞ」
「ですが……今回の件では、当初の想定を大きく超えて先生のお力を借りることになってしまいました。恐らく、父もまた何かを直接お渡ししたいと言うはずです」
……やはり、リーンのお父さん、か。俺の額を冷や汗が伝う。
「いやいや────大丈夫だ。気遣いはありがたいが、なにもいらない。悪いが、そう伝えておいてくれ」
こんな風にまだ何も言われないうちから断るのはリーンにも少し悪い気がする。
でも、俺がこのまま彼女についていけば、きっとまた、リーンのお父さんは俺に土地とか建物とか、いらない財宝を押し付けようとしてくるような気がする。
確証はないが、確信めいた予感がする。
「で、ですが今回の件は流石に」
「いや……いらない。本当に大丈夫だ」
「で、ですが────!」
やはり、リーンも譲らない。
まあ、ここまでは想定の範囲内だ。
俺もこの文化にも少し、慣れてきた。
あとは……どうやって、断るかなのだが。
「────お? ノールじゃねえか」
俺がそんなことを考えていたところで、背後から聞き覚えのある声がした。
振り向いて顔を見ると、その声の主は俺と同じ工事現場で働いていた顔なじみの同僚だった。
「ああ、久々だな」
「なんだ、やっぱりノールか。親方が「……あいつは、夢を追って旅に出ちまった……」とかしばらく落ち込んでたけど、もう戻ってきたのか?」
「ああ。用事は済んだからな。これは土産だ」
「おお、わざわざありがとう……なんだこれ? 木彫りの、人形……? 魔物かなんかか?」
「いや、熊だ」
俺は帰りの道中、何か同僚たちへの手土産となるものがないか、ずっと目を光らせていたのだが、途中で立ち寄った街で小さな木彫りの熊をたくさん売っている露天を見かけ、興味を惹かれた。
その露店で売っていたのは、手のひらに乗るぐらいの小さな木彫りの熊が外敵を威嚇するようなポーズで大きく両手を広げている、というちょっと変な工芸品だったのだが、そのポーズはどことなく、俺がミスラで目にしたアスティラが皇子を羽交い締めにする直前の姿を思い起こさせた。
聞けば、像には魔除けの意味もあるそうだし、俺にとっても今回の旅の中で印象深い場面と重なるので土産にはちょうど良いかと思い、店主には持っていた金を全部渡して、とりあえずそこにあった全ての熊をもらってきた。
たっぷり買ってきてしまったので、俺はこれから、この土産を全ての知り合いに配らねばならない。
「お、おう。そうか……まあ、ありがとう。子供が喜ぶかもしれん。もらっておくよ」
「大事にしてくれ。魔除けだそうだ」
「あ……ああ。あ、そういえば。子供といえば、ノール。あの約束はどうなったんだ?」
「……約束?」
「おいおい、忘れたのかよ。……前に、うちの子供らに『デカいゴブリン』の話がウケたってのは言ったろ? また話を聞きたいって。そしたら、次の話を考えとく、って乗り気だったじゃねえか」
確かにそんな約束をした覚えがある。すっかり抜け落ちていた。
「……そういえば。すまない、すっかり忘れていた」
「まあ、そんなことだろうと思ってたけどよ……うちのガキんちょども、あれからずっと楽しみにしてたんだぜ? 今も楽しみに待ってるんだ。それで俺、今から家に帰って、あいつらの『ゴブリン』遊びに延々と付き合わされるんだぜ……? 毎回毎回、飽きもせず同じヤツをな……今日、非番でせっかくの休みなのに。まぁ、俺もけっこう楽しんでるからいいんだけどよ。でも、これで……休みが完全に潰れるの……七日目……? いや、八日目、ぐらいかなぁ……ははははは」
話すうちに男の目がだんだんと暗く沈んでいくのがわかる。
それも俺の話と約束のせいでもあるのだと思うと、ちょっと悪い気がしてくる。
「すまない……じゃあこれから、俺が話をしに行こうか?」
「……え? いいのか?」
「ああ、約束だからな。今からすぐに────あ」
すぐに行こうか、と言いかけて、リーンの顔が目に入った。
あちらを思い出した途端、こっちのことを忘れていた。
「リーン。すまないが……先約があったのを忘れていた」
「……先約、ですか?」
「ああ、聞こえていたかもしれないが……子供達に話を聞かせる約束をしていて、結構、待たせてしまっているんだ。たしか、三ヶ月ぐらい」
そう、確か三ヶ月ぐらいだった。
……改めて考えてみると、けっこう、待たせているな。
「そういうことなら、仕方ありませんね」
俺の説明を聞くと、意外にもリーンは笑って納得してくれたようだった。
「……いいのか?」
「先約なら、仕方ありません」
「すまないな。お父さんにもよろしく伝えておいてくれ」
「はい。では、私たちはこれにて失礼いたします────お礼のお話はいずれ、改めて」
俺は馬車と共にその場を離れるリーンとイネスに手を振って別れた。
……最後に気になる言葉が聞こえた気がしたが。
「……よかったのか? あの人たち、もしかして、お前の仕事の依頼主とかじゃないのか? なんか邪魔したみたいで悪いな?」
「ああ。でも大丈夫だ。ちょうど仕事は終わったところだしな」
むしろ……正直、助かったと言えるかもしれない。
リーンには悪いのであまり口には出せないが。
「そっか……? ならいいけどよ」
「それで、約束の話か」
「ああ。そうだなぁ……なんの話がいいだろうな。オススメはないのか? 新しいのとか」
おすすめと言われると、迷うが……新しいのか。
そういえば見てきたばかりの話があった。
それなら話しやすい気がする。
「そうだな……『スケルトン』の話なんかどうだ」
「スケルトン? スケルトンって、骨の怪物だろ? 面白いのか?」
「ああ。結構面白く話せると思うぞ」
「……へえ。どんな感じだ? ちょっと聞かせてくれよ」
「そうだな」
俺はスケルトンと出会った時のことを思い出し、つい昨日あった出来事を簡単に省略しながら語ることにした。
「……『スケルトン』という魔物は本当に聞くと見るとは大違いだった」
「へえ」
「俺はてっきりただの骸骨の化け物かと思っていたら、とんでもない。まず、身の丈が俺の何十倍もあった」
「────いきなりデカイな。まあ、お前さんの話じゃ定番か。それで?」
「それで、スケルトンという魔物は人を丸呑みするように喰うんだ。そして喰らった肉を己のものに変え、どんどん骨に肉がついていく」
「……スケルトンに、肉? ……まあいいや。で、それからどうなるんだ」
「そして、巨大な骨つき肉となったスケルトンには無数の腕が生え、何百……いや、何千という数え切れないほどの眼玉が生き物のようにギョロつき、身体中に不気味な口が開いた」
「……。その話、怖い系か?」
「ああ。正直、あれはかなり怖かったな。しかも、恐ろしいことにスケルトンはその巨体のまま宙に浮き、雷と炎を出すんだ。あれには本当に驚いた」
「……空飛んで、雷と炎……?」
「そして最後には変形して────雷のような疾さで空を飛ぶ」
「……なあ、ソレ、本当にスケルトンか???」
俺も正直、改めて、あれが本当にスケルトンかどうかと聞かれると、自信がない。
自称ベテラン冒険者のアスティラから聞いた話だから、きっとそうなのだろうと思っていたが……でも、彼女はあんな感じだし、もしかしたら違うかもしれない。
でも、骨は骨だし……多分、スケルトン的な何かだろう。
「そうだと聞いたが」
俺の返事を聞くと同僚の男は呆れたような表情で肩をすくめた。
「お前さんの話は、毎回ぶっ飛んでるよなあ……まあ、そこがいいんだけどな」
「どうだ? これなら、けっこう面白く話せそうだとは思うんだが」
「ああ、確かに面白そうだとは思うが……とはいえ、けっこう怖い話だろ、それ? ウチの子供、まだ小さいのもいるからなぁ」
「まあ、そうだな」
人が食われたりするし、肉のついたスケルトンがイネスに八つ裂きにされたりするし、小さな子供には刺激が強いかもしれない。
「じゃあ、俺が王都で竜と一人で戦った時の話をするか? それなら今すぐにでも話せそうだが」
俺がそう提案すると、男は少し微妙な顔をした。
「……ああ。それは、いいかもな」
「どうかしたのか?」
「お前さんは知らんと思うが、昨日、【厄災の魔竜】が王都の近くにいきなり飛んできてよ。すごい迫力だったんだぜ。でも子供たちがそれを見て怯えちまってよ……けっこう、大変だったんだ」
「そうか」
竜が飛んできたというと、ロロとララか。
彼らはもう昨日のうちに王都に帰ってきていたらしい。
あの竜が皇国の襲撃の際に王都に出した被害はとても大きく、加えてあの見た目だし仕方がないが、やはりまだ随分怖がられているようだ。
「なら、あの竜は実はそんなに怖くないという話をしてみようか?」
俺がそう言うと、男の表情は幾らか明るくなった。
「……はは、そりゃあいい! お前さんの話なら笑って聞けるからな」
「そうだな。俺があの竜と戦った後、あの竜はとても大人しくなったという話をしよう」
「ああ。ここはひとつ、いつもみたいに現実離れしたバカバカしくてド派手な話を聞かせてやってくれ。その方が子供達も喜ぶ」
「いや……言っておくが、本当にあった話だからな?」
「ああ、わかってる、わかってる。お前さん、毎回『これは俺が実際に見聞きし、体験した話だ』って始めるもんな。そこはもうとっくに覚えちまったよ。子供らには、ちゃんとそう言ってあるから大丈夫だ」
「……そうか?」
いまいち、この男には俺の話を信じてもらっている気がしないが……まあ、話の中身自体は気に入ってもらっているみたいだし、ひとまずはそれでいいか。
「それで、どれぐらいいるんだ? 話を聞かせる子供というのは」
「うちの子供でいうと三人だな。でも近所に声をかければ、まだまだ集まるかもしれん。少なくとも十五人は固いな」
「……そんなにか?」
「ああ、例の『デカいゴブリン』の話を子供たちが面白がっていろんな所で話してるうちに、ちょっと流行ってるらしいんだ。お前さんが来るとわかったら、けっこう来るかもな」
「そうか、それは楽しみだな」
そういえば、俺も子供の頃は父親から知らない世界の物語を聞くのが楽しみだった。いつの間にか、俺がそんな風に話をする立場になっているというのがとても不思議なことに思える。
でも、嫌な気は全くしない。
むしろ、話をすること自体が自分の大きな楽しみになっているのを感じる。
「では、行くか。待たせてるんだろう」
「ああ、悪いな」
「せっかくだから、この熊も配ろうか」
「……それは……ちょっと、どうかな」
そうして、俺はこれからどうやって魔竜の話を盛り上げようかと思考を巡らせつつ、男と一緒に子供たちの待っている場所へと向かった。






