第1話 「廃病院にて」
グロテスクな表現や残酷な表現があります。苦手な方はご注意ください。
モモの正体が暴かれるより前のこと。
夜の廃病院の廊下を歩く、背の高い黒スーツの男がいた。
割れたガラスを踏み締める男――紫月 御之の革靴がギシギシと軋む。
――2029年4月13日 十六時。
遠都地方を襲った未曾有の大厄災『逢魔時』から、この病院の時は止まったままだ。
倒れたベンチ、散乱する紙、壁にこびりついた血飛沫の跡……。あの日、この場所にも異形どもの魔の手がかかり、目も当てられない惨劇が起こった事実が冷たく物語られている。
不意に御之の足が止まった。
薄い結晶を纏ったペーパーナイフが、御之の首筋に突きつけられている。
「花ちゃん。来ると思てたわ」
「貴方が怪しい動きをしていれば当然です」
女――鮎川 花緒が認識阻害の結界を解き、何もない空間から音もなく姿を現した。
同じ異形の対抗組織――『暁月』のメンバーの結界術師。鋭い翠色の瞳は、今は結晶の光を映して冷たく光っている。
「仲間相手にえらい物騒やん」
「言いましたよね。貴方を仲間と認めた覚えはありません」
「えっ、まだ認めてくれてへんの? 流石に凹むわ〜」
他人事のように笑うその顔には一片の緊張もなかった。その余裕が、花緒にはたまらなく癇に障る。
認められるものか。
この男が、執事・花緒の最愛の主――華上 亜蓮の片腕だなんて。
「……この際ですから聞いておきます。貴方、一体どんな汚い手を使って亜蓮様の同情を引いたんです?」
「なんやそれ。俺があいつを騙して丸め込んだとか思てんの?」
「でなければ、亜蓮様が貴方みたいな害悪とつるむ理由がありませんから」
「まぁ確かに、あいつは優しすぎるわな……」
ふと遠くを見た御之の目が、少しだけ陰る。
その横顔に、花緒の胸の中がざわついた。
――知った顔。
そうだ。自分の知らない亜蓮を、この男は知っているのだ。
亜蓮が自分の元を去った1ヶ月の間――その間亜蓮が何を思い、何をしていたのか。彼らがどう出会い、この小さな退魔組織『暁月』を結成したか。その全てを……この男は知っている。
刃を下ろさぬまま、花緒は御之の全身を睨んだ。
チャラついた服装。掴みどころのない軽い笑み。大胆不敵で好戦的な性格……。
何もかも亜蓮とは正反対。だからこそ理解できない。なぜ亜蓮はこの男を「相棒」と認めているのか。
――知りたい。知っておかなければならない。
二人が、この呪われた『千年京』でどう出会ったのか。何が、二人を「相棒」たらしめたのか。
その時、周囲の気配が脈打つように揺れた。
割れた床と壁が、生き物のような気配を帯びる。
「ほれ、おでましやで」
御之が顎で前方を示した。
壁の亀裂から溢れ出すように、膿と泡立った肉が混じり合った巨大な肉塊が姿を現す。
チューブや包帯などの医療廃棄物と一体化し、浮かび上がる無数の人の苦悶の顔。目も口も縫われ、涙の代わりに腐った膿が噴き出る。
「疫病神」――病に蝕まれた人々の苦しみと無念が祟りとなった神。
そして、千年京の魔力に触れて異形と成り果てた――『堕神』だ。
「うーわ見た目えっぐ」
「式神にどうです? 疫病神な貴方にピッタリだと思いますけど」
「えっ、辛辣やん。ま、そういう冷たいとこも花ちゃんらしくて好きやけど」
「貴方そういうの誰にでも言うんですか?」
花緒が呆れて吐き捨てる横で、御之が黒いガラケー――式神契約専用携帯《shikimo》を開く。
軽快な電子音。空気が軋むように震え、足元に黒い渦が広がった。
渦の中心から鎌首をもたげたのは、漆黒の鱗が艶めく大蛇。黄色い点の目が愛嬌がある、基本式神のクロチだ。
「ほな、サポート宜しゅう」
「くだらない攻撃してたら承知しませんから」
言葉と同時に、肉塊の触手が廊下を突貫した。両壁や床をめちゃくちゃに粉砕しながら肉の触手が迫る。
二人は――動かない。しかしほぼ同時に、二人の手が敵に翳された。
御之の命でクロチが飛び出し宙を踊る。花緒の指が鳴り、結晶攻撃が炸裂する。無数の小爆発が肉の触手を穴だらけにした。膿と血が飛び散りびたびたと汚泥の雨が降る中を、クロチは素早く縫うように躱す。
クロチの顎の奥が光り、紫炎が吐き出された。蛇の様に絡みつく業火が肉塊を丸焼きにする。焼ける腐肉と薬品の匂い。焼け爛れる顔面達が悲鳴の様な絶叫を上げる。
「ええなぁ息ぴったりやん」
「不快なので図に乗らないでください」
満足そうに身を揺らす御之の横で、花緒が前方を睨む。
花緒が得意とするのは結界術と後方支援だ。近接戦の心得はあるが、それも堕神相手では分が悪いことがほとんど。さっさと片付けるなら御之の攻撃に乗っかる方が早い。協力する理由なんてそれだけだ。
(……嫌な敵だ)
肉塊を睨みながら花緒は精神が削れていくのを感じていた。胸の奥で罪悪感と嫌悪感が吐き気になって迫り上がってくる。
敵は堕ちた神。ただの異形であり、あれの中には人格も感情もない。
それなのに、肉塊が激痛にのたうち、浮かぶ人の顔が膿の涙を流し叫び声を上げる度、胸の奥の良心がもうやめてあげてくれ!と絶叫する。この異形の始まりは、確かに人々の苦しみや無念がだったのだと思わされる。
「……さっさと終わらせてください」
「言われんでも」
同じことを感じていたのか、御之が低い声で言った。
クロチから再び紫炎の火球が吐き出され、疫病神に激突し激しく炎上する。その全身が灰になって燃え尽きるまで、疫病神は身の裂ける様な絶叫を絶やさなかった。
――灰が宙に消え、夜の病院に重たい静寂が戻る。
堕神の気配が消えると、花緒の体からどっと嫌な汗が出た。憎たらしい男が隣にいることも忘れ、思わず空間に両手を合わせて祈る。
こういう戦いは苦手だ。妖や神よりも、人の怨念や苦しみが形になった存在のほうがずっと辛い。彼らの無念に、心が引きずられてしまうのだ。
分かっている。これも堕神の持つ特性にすぎないのだと。堕神との戦闘は精神を削る。知っていても、慣れないものは慣れない。
だが……御之はそういった敵相手でも感情を殺して戦える。当然彼だって人間、全くの無傷ではいられないだろうが、その「冷酷さ」がこの『千年京』では強みだった。
――どうか彼等の魂が、思いが、二度と穢されることがありませんように……。
その時、足元のひび割れが軋んで床が抜けた。
「……っ!」
花緒が体勢を崩した瞬間、御之に腕を掴まれる。そのまま抱き止められ、不意に至近距離になる二人。
「……危ないがな」
「クソッ」
「クソってなんやねん。素直やないなぁ」
……しくじった。花緒が憮然と御之を睨む。すぐに押し除けようとするが、御之は面白そうに笑ってぐっと花緒に顔を近づけた。
「ふーん。ほな、いっそ俺の式神になってみん? ありがとうございますご主人様〜くらい言えるように素直にしたってもええんやで」
「…………」
花緒は刺し殺しそうな目でしばし御之を睨んでいたが、次の瞬間何の予告もなく御之の足を思いっきり踵で踏み抜いた。
「いっっったああああ!!!??」
「下衆の下僕になる気はありません。それと私婚約中なので。二度と気安く触らないでください」
足を抱えながら飛び跳ねる御之を無視して、花緒は淡々と御之に触られた部分をはたいた。
汚いものにでも触られたみたいな素振りを見て、御之は「助けてやったのに……」と言わんばかりに目尻に涙を浮かべる。
「側から見たらアホにしか見えへんわ! なんでお前ら両思いの癖にくっつかへんねん!」
「……"逢魔を倒し、千年京を祓う"……その目的が遂げられるまで、私は亜蓮様についていくと決めました。しかし、この戦いに恋愛感情は不要です」
「そりゃどうやろなぁ」
痛みで額に汗を浮かべながら、御之は片足を抱えたままのダサい格好でニヤリと笑った。
「戦いに恋愛感情は不要なんて誰が決めたんや? 少なくとも、亜蓮はそうは思てへんように見えるけどな」
「……貴方に亜蓮様の何がわかるというんですか?」
「存外、花ちゃんより知っとるかも知れへんで。元カレやし?」
「――は?」
言葉が、空気を凍らせた。
御之はその表情を見て、勝ち誇ったようにふっと笑って、踵を返す。
「ほんま冗談通じんなぁ〜」
「ちょ……!?」
早足で先を行く御之の背中を、花緒が慌てて追う。
崩れた病院の廊下を抜ける二人。早く疑念を解きたいのに歩幅が合わない。
元カレってなんだ!そのままの意味……いや、亜蓮に限ってそれはない。だったら仲のいい友達同士が使う定番フレーズ的なあれか?ただ親密度マウントを取られただけ?とにかく聞き捨てならない。
ようやく御之が足を止めたのは、診察室の前だった。
「ちょっと、さっきのどういう意味ですか!?」
「ん? 何が?」
「揶揄わないでください!」
両手をポケットに突っ込んだまま、御之が口の端を上げる。
「別に? ただ花ちゃんに見えてるあいつと、違うあいつがおるってだけやで。それには花ちゃんも気付いてるんやないの?」
「……そ」
図星を突かれ、息が詰まる。
御之の目が、サングラスの奥で少しだけ悲しそうに細められた。
「どんな頑丈な奴でも、人間そうそう戦い続けられるもんやない。張り詰めた緊張を解いて、自分はまだ生きててもええんかもって思える場所と時間が必要や。そうやろ?」
花緒の脳裏に慈雨月の顔が浮かんだ。花緒が一人壊れかけていた時、その心をごと守り生かしてくれた婚約者の顔を。どれだけ突き放そうとしても変わらぬ安全地帯でいてくれた彼の、温かい手を、大人の優しさを。
「……亜蓮様にとって、それが貴方とだったとでも言うんですか?」
「どうやろなぁ。でもこれだけは確かやで」
御之が薄く笑う。その目の色には、珍しく軽薄さがない。
「俺はあいつに救われた。……もう、あいつ無しじゃ生きてけへんねん」
花緒が息を呑む。
今、距離を詰められた。親しげに振る舞いながらも常に人と一線を引く御之が、初めて「馴れ合い」を見せてきた。
探られている。花緒はどこまで本音を明け渡せる相手なのか。どこまで踏み入れ合える人間なのか。恐らくは――仲間として。
「……どうして、その話を、私に」
「……別に。ここではメンタルのブレが命取りになるて、花ちゃん見て学んだだけやで。それに……」
花緒は緊張しながら次の言葉を待った。が、不意にニヤリと笑った御之が、花緒に詰め寄る。
「花ちゃん好きそうやからなぁ? ちょっと脆い男」
しん――と二人の間に冷たい沈黙が落ちる。御之の目が得意そうに笑っていて、自分が揶揄われたのだと気づいた花緒は侮蔑と嫌悪に顔を歪ませた。そしてドスの効いた声で威圧。
「は?」
「ほれ、効果覿面やん。俺の話素直に聞きたくなったやろ? やっぱ仲間同士たまには腹割って話さなアカンなぁ、はーなちゃん♪」
「うっっっっざ……二度と口きかないでください……殺したくなるんで……」
「ほいほいツンデレツンデレ」
「やめてくださいそれっ!! 一番嫌なんです!!」
花緒の悲鳴を無視して、御之は余裕の表情で診察室の白いのドアを開けた。
暗闇に沈んだ室内は意外なほど整然としていた。
机の上には黒ずんだモニター。診察ベッドの横には、子供をあやす為のおもちゃの籠。何もかも、逢魔時のままだ。
御之は真っ直ぐにパソコンに向かい、電源ボタンを押した。低い唸り音がし、画面が青白く光る。
小型化したクロチがよちよちと机の上に登り、身体を細いコードのように変化させてUSBポートへ接続した。黄色い点の目がチカチカと明滅しだし、解析が始まる。
花緒は横髪をかき上げながら苛立った呼吸を整えると、御之に尋ねた。
「……カルテ、ですか?」
「せや。けど、ちょい時間かかるな。花ちゃんは他んとこ見とき」
青白い光に照らされる御之の背中を花緒が見つめる。
――本当に、ただ揶揄われただけだったのだろうか?
御之の背中に、これまで見えなかった哀愁の気配を感じる気がする。気のせいだろうか。あの痛みを伴った瞳は演技には見えなかったのに。
――彼が亜蓮様に救われた。亜蓮様無しでは生きていけない。
どういう意味なのだろう。
あまりに突飛すぎる言葉に理解が追いつかない。
この自由気ままで他人を寄せつけない男が、誰かに依存するなんて想像できなかった。
それに、どうして彼がカルテなど見に来る必要がある?この廃病院で何を探してる?
――誰かのことを調べようとしている?
それ以上何か話す気はないのか、御之は画面に流れる文字列を見つめている。
花緒は気を取り直すように息を整えると、診察室の奥へと進んだ。
お読みいただきありがとうございます!
第3章始動、大変お待たせいたしました。
更新が1ヶ月近く空いてしまいすみませんでした。
本当は12月から書き溜めたストックを定期的に更新していく予定だったのですが、なかなか執筆時間が確保できずストックが確保できないため、公開時期を早め不定期という形で公開していくことにしました。どうぞよろしくお願いいたします。
前章は花緒が中心の章でしたが、第3章は御之と亜蓮のバディの過去に迫ります!
もちろんモモと雪乃の因果関係の謎も明かされ、国家退魔師隊異能メンバーとの試合の舞台も。
引き続きお楽しみいただけるようコツコツ頑張りますので、ブクマや⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎、感想などで応援いただけるととても嬉しいです!




