第23話 獣人 対 獣人
前回のお話……頑張る男達
(真 ゜Д゜)こいやコラァ
―――side:ローリエ―――
森の中、木立の合間を縫うようにして、凄い速さで影がこちらに迫ってきます。
影の正体は獣人の青年―――猫系獣人種のルト。
ニナちゃんの実のお兄さん。
ルトは低い姿勢のまま速度を一切落とさず、わたしに向かって片腕を突き出してきました。
「シャアッ!」
「はぁッ!」
こちらの胴体を貫こうと繰り出された貫手に対し、わたしはそれ以上の速度を持って、同じように貫手を放ちます。
槍のように揃えられた互いの指先が触れた瞬間、ギャリッと金属同士が擦れ合うような音が響くと共に狙いは逸れ、どちらの穂先も相手を捉えることが出来ませんでした。
すれ違い様、わたし達は同じタイミングで地面を蹴って飛び退き、距離を置いて向かい合います。
「……」
「……」
お互いに相手を見据えながら暫し無言でいたのですが、ちょうど十を数えたくらいでしょう。
ルトが面白くなさそうに「フンッ」と鼻を鳴らしました。
「手加減するなんざ、随分余裕があるじゃねぇか」
「別に手心を加えているつもりはありませんけど」
実際そこまでの余裕なんてありませんし。
ところが、わたしの答えがお気に召さなかったらしいルトは、もう一度鼻を鳴らしました。
「ハッ、自分からは手を出さずに防御や回避ばかり。ようやく反撃してきたと思っても絶対に急所は狙わねぇ。これを手加減と言わずにいられるかよ」
確かに彼の言う通り、わたしは積極的に攻撃を加えていません。
ですがそれは手加減をしているからとか、そんな理由ではありません。
「わたしの役目は貴方を無力化することであって、殺すことではありません」
「……その気になればいつでも殺せるって言ってるように聞こえるな。ご自慢の爪もほとんど使わねぇ」
ムカつく女だぜと言って、ルトは苛立たし気に腕を横に振りました。
すると近くに生えていた木の幹の表面が音を立てて削れ、幾つかの傷が生まれました。
伐採用の斧でも叩き付けたかのような深く鋭い切断の跡。
横に線を引くように幹に刻まれた傷は全部で五つ。
「森で暮らす者が無闇に自然を傷付けるというのは、あまり感心しませんね」
「知ったことかよ」
もう一度ルトが腕を振れば、またも同じような切断の跡が五つ、今度は縦に刻まれました。
軽々と木の幹を傷付けてみせたルトの手に武器の類は何も握られていません。
何故ならそんな物は必要ないから。
彼の両腕は既に人のものではなく、二の腕の半ばから先が頭髪と同じ茶色の体毛で覆われ、その指先からは小振りなナイフを思わせる鋭利な爪が伸びていました。
先の切断は、この爪によって成されたものです。
そしてわたしの両腕も彼と同様、獣の前肢を思わせるものへと変化しています。
髪と同じく毛先のみが白くなった黒の体毛に覆われ、彼のものより僅かに太い爪を備えた獣の腕。
一部の例外はあるものの、わたし達獣人は己の肉体をこのような獣のそれへと変化させる〈獣化〉の能力を有しています。
この能力のおかげで、多くの獣人は武器を必要としません。
実際、下手な武器より自前の爪の方がよっぽど優れていたりしますからね。
「手加減したまま俺に勝つつもりかよ」
「どうでしょうねぇ。少なくとも負ける気はしませんけど」
「本当にムカつく女だぜ。上等だ!」
ルトが叫んだ直後、彼の履物やズボンの膝から下の部分がビリビリと音を立てて破けました。
その下から現れたのは、茶色の体毛と五本の鋭い爪。
彼は両腕に続いて両脚をも〈獣化〉させたのです。
「その余裕がいつまで保つのか、試してやるよ!」
ほとんど予備動作もなく地面を蹴ったルトは、射放たれた矢のように突っ込んできました。
その速さは先程までの比ではありません。
目で追うのもやっとな速度で振るわれる爪。
狙いは……わたしの首。
辛うじて直撃は避けたものの、完全に躱し切ることは出来ず、頬を浅く斬り裂かれる結果となりました。
鋭い痛みに顔が引き攣り、鮮血が勢いよく飛び散りましたが、気にしている場合ではありません。
奥歯を噛んで痛みに耐えながら、反撃の拳を放ちますが、あっさり回避されてしまいました。
ルトは後ろに大きく飛び退くと、自分の胴よりも太い木の枝の上に音もなく着地しました。
「ハッ、なんだなんだぁ。さっきまでのスカした面は何処にいったよ?」
「……ちょっと掠った程度で大喜びしないで下さいよ」
危なげなく樹上に立つルトは口の端を吊り上げ、人を小馬鹿にしたような笑みでわたしを見下ろしています。
どうやらもう勝ったつもりでいるみたいです。
完全に舐められてますよね、わたし。
正直面白くありません。
「でも驚きましたよ。まさか両脚まで〈獣化〉させられるとは思いませんでした」
獣人だからといって、誰しも最初から〈獣化〉出来る訳ではありません。
何しろ一部とはいえ肉体を変化させる訳ですから、一定の訓練と慣れが必要になります。
わたし達獣人は〈獣化〉によって身体能力を飛躍的に向上させることが可能であり、肉体をどれだけ〈獣化〉させたかによって、向上する度合いも大きく変わってきます。
彼の力や速さが増したのはこのためです。
「四肢の同時変化は簡単ではありません。そこに至るまで相当な訓練を積まれたんですね。集落一の戦士というのも納得です」
「いちいちムカつく物言いしやがって……まあいい。これで分かっただろ。両腕だけのテメェじゃ、俺には絶対に勝てねぇんだよ!」
足場の枝を蹴り、先程を上回る速度で中空を疾るルト。
蹴られた反動で折れてしまった枝が、彼の脚力の凄まじさを物語っています。
「ゼェアッ!」
「ぐぅぅッ」
人間大の砲弾が迫って来るような圧力を伴ったルトは、大気を突っ切る勢いのままに拳を放ってきました。
両腕を掲げて防御しますが、強化された彼の力を受け止めるにはそれでも足りません。
防御越しでも伝わる強烈な衝撃。あまりの威力と重さに両腕の骨は軋み、足元の地面が音を立てて陥没しました。
知らずに強く食い縛っていた歯の隙間からは、苦痛の呻きが漏れました。
「シュッ」
ルトは軽業師のように宙で身を捻ると、足の裏でわたしの腕を軽く蹴り、再び空中に舞い上がりました。
そのまま近くの木の幹に地面と平行になるように着地すると、今度はその幹を蹴って別の木へと跳び移りました。
そうして跳び移った木を足場に、またすぐ別の木へ跳び移るという行為を繰り返すルト。
何度も何度も木々を跳び移る度に速度は増していき、蹴られた幹の揺れも比例するように大きくなっていきます。
縦横無尽に宙を駆けるルト。遊ばれているのか、それとも……。
「次で終わらせるつもりなのか、ですよね」
まず間違いなく後者ですね。
「長引かせても仕方ありませんか」
このままではマスミさん達に追い付くことも難しい。
向こうが勝負を仕掛けてくるというのなら望むところです。
受けて立ちましょう。
わたしは身体から余分な力を抜き、静かに息を吐き出しました。
「なんだ、とうとう諦めたのかよ」
跳び移りながら喋っている所為でしょうか、反響するようにいろんな方向からルトの声が響いてきます。うるさいですね。
きっと彼の目には、わたしが無防備に立ち尽くしているように見えるのでしょう。
別にわたしは諦めた訳ではなく、ただ待っているだけです。
意識を集中し、その時が訪れるのを……。
「ルト、確かに貴方は強いです。ですが貴方には致命的な弱点があります」
わたしからの語り掛けにルトが言葉を返すことはありませんでした。
それでも構わず続けます。
「貴方には対人戦闘の経験が圧倒的に不足している。森の中で魔物や野の獣ばかりを相手にしていたのですから、致し方ないのかもしれませんが、貴方の戦い方は狩人のものであって、戦士のそれではありません」
やはり返事はありませんが、徐々に大きくなる蹴り足の音や足場にされた木々の揺れ、舞い落ちる木の葉の量が増えていく様は、彼の内心の苛立ちを表しているようでした。
「そして優れた肉体と相反するように精神面が未熟です。〈獣化〉を行うと身体能力が向上するのに比例して闘争本能も昂ぶります。貴方はその本能に引っ張られ過ぎなんです」
内なる本能を律することが出来なければ、それはただ獣が暴れているのと何も変わりません。
今の彼が正にそうです。
だから狙いも行動も単調になっていきます。
「こんな風に……」
ズダンッと一際大きく響いた音が耳に届くよりも早く、わたしは頭上を振り仰ぎました。
視線の先にあるのは、両手の爪をわたしに突き立てようと急降下してくるルトの姿。
目が合った瞬間、彼の顔が驚愕に染まる。
「何より貴方には、相手の力量を見極める目が備わっていません。それがもう少し養えていれば―――」
わたしはその場で独楽のように回転し、頭上に迫っていたルトの爪を回避すると同時に右脚を大きく振り上げました。
〈獣化〉を終え、毛先だけが白い黒の体毛と鋭い爪を有した獣の脚を。
「―――結果は違っていたかもしれません」
回転の速度を乗せた渾身の回し蹴りを、がら空きの胴体に叩き込みます。
肉を殴打し、骨を砕く感触と音。
わたしの蹴りの直撃を受けたルトは弾かれたように吹き飛ぶと、地面の上を何度も跳ねながら転がり、やがてその先にあった太い木の根元にぶつかることでようやく止まりました。
〈獣化〉は既に解除されており、人と変わらぬ手足はだらりと力無く投げ出されています。
倒れたまま動く気配もないことから、わたしも自分の〈獣化〉を解除して息を吐きました。
久し振りに〈獣化〉をしたことで、少なからず昂ぶっていた感情が徐々に静まっていきます。
「あ、あし……なん、で……」
「わたし、腕しか〈獣化〉出来ないなんて一言も言ってませんよ?」
辛うじて気絶していなかったルトの問いに答えを返します。
ルトが空中を何度も跳び回っている間に、わたしも両脚の変化を終え、彼が仕掛けてくるのを待ち構えていたのです。
「貴方は気付かなかったようですけど」
わたしは倒れたままのルトに近付くと、腰のポーチから水薬を取り出し、彼の傍に起きました。
「死なれては困るので置いていきます。良い機会ですから、しばらくそこで反省していなさい」
苦言とも呼べないような台詞を言い残したわたしは、そのまま集落の方へ足を進めました。
歩きながら自分の姿を見下ろします。
「どうしましょう」
〈獣化〉の影響で、わたしの着ていた衣服は見るも無惨な状態と化していました。
上着は袖がほとんど残っておらず、下に履いていたブーツやインナーもボロボロで、申し訳程度に引っ掛かっているような有り様です。
爪先から太腿の半ばまでがほぼ剥き出しとなっています。
はしたないです。
「だから〈獣化〉ってしたくないんですよねぇ」
毎回これでは衣服が何枚あっても足りません。
だからといって裸で戦う訳にもいきませんし。
あのブーツ気に入ってたのに……。
儘ならない現状に溜め息を吐きつつ、わたしはマスミさん達の元へ急ぐのでした。
……あぁ、素足で地面を踏む感触が心地好いですねぇ。
お読みいただきありがとうございます。




