29. 騎士科 VS 王国騎士団⑤
「サルエル様は何を持ってらっしゃるのかしら?」
およそ試合には必要のない、板のようなものを首から下げている。
レナードの時には持っていなかったはず……不思議に思い眺めていると、試合中にも関わらずギルが貴賓席へと顔を向けた。
何を見ているのかと視線の先を辿ると、そこには国王が座しており、ギル達のほうに向けてスッと手のひらを見せる。
「……?」
一体何の合図だろうか。
怪しすぎるその動きをイザベラが訝しんでいると、ギルとファビアンの打ち合いが始まった。
二人で何か会話をしている様子が伺え、嫌な予感に、居ても経っても居られなくなってしまう。
良からぬことを企んでいるのではないか。
そもそも国王は、この婚約にあまり乗り気ではない様子だった。
もし、ファビアンがギルを説得していたら?
この婚約が無かったことになってしまったら……?
さぁっと血の気が引いていくのが自分でも分かる。
何を話しているのか、確認をしなければ。
「お父様、少し席を外します!」
護衛騎士を連れ、慌てて一般用の観客席に降りると、赤い垂れ幕と見慣れた生徒達の顔が目に入った。
あの場所なら聞こえるはず――!!
「あれっ、イザベラ様どうされたんですか?」
イザベラに気付き、串焼きを売る手を止めたパメラが歩み寄るが、話をする余裕はない。
闘技場に面した塀に両手をかけ、身を乗り出すようにしてギルを見つめた。
『イザベラ様の御心がひとたび離れれば、お前は要らなくなるぞ』
よく通る声が、風に乗って耳へと届く。
あの騎士は一体何を言っているのだろう……そんなこと、あるはずがないのに。
『高貴なお方の気まぐれに付き合って、人生を棒に振る必要はない』
……気まぐれ?
そんな訳が無い。
ずっとずっと、見てきたのだ。
半年かけて両親を説得し、ついに婚約まであと一歩のところまできた。
誤解が解けて、抱きしめてくれて。
二人きりでデートもして、手だってつないだ。
そのままの名前で呼んでもらえるようになって、どさくさに紛れてお姫様抱っこもしてもらって……。
「わたくしのせいで、人生を棒に振る……?」
国王の姪……フランシス公爵家の令嬢イザベラ。
生まれた時から当たり前に物があふれ、欲しなくとも必要なものが必要なだけ用意されていた。
それに疑問を覚えたのは、いつの頃だっただろうか。
他人との信頼関係をうまく築けない自分に、気付いてしまったのは。
顔が怖いからと陰口を叩いていた者が、ひとたびイザベラの前に出れば笑顔を貼り付かせてすり寄って来る。
年を重ねれば重ねるほど、それは顕著になってきた。
心から信頼し、本音で話せる友人もおらず、ハリボテの城でひとりぼっちの女王様。
……初めてだったのだ。
初めて自ら欲し、必死で努力し、やっと心を通じ合わせることができたのだ。
ふと隣を見ると、パメラが心配そうにこちらを見ている。
同様に、気遣うように視線を送る騎士科と特進科の生徒達が視界に入った。
ギルがいなければきっと、パメラやレナードと友人になることは無かっただろう。
敬遠されていた騎士科の生徒達に笑顔で話しかけられることもなく、視線が合っただけで怯えられていた特進科の生徒達から、稽古の見学に誘われることもなかった。
全部全部、ギルを好きになってから変わっていった。
ギルがいてくれたから……自分を見て欲しくて、イザベラなりに一生懸命頑張ったのだ。
こんなところで軽々しく泣いていい身分ではないけれど、それでも『気まぐれ』などと言われるのはとても悲しかった。
ふとすれば潤みそうになる目に力を入れて、一生懸命こらえていると、一瞬ギルがこちらを見た気がした。
打ち合いは激しさを増し、怒気を含んだ声が聞こえる。
『真剣な想いを『気まぐれ』などと言われて、傷付かないとでも思っているのか?』
『人生を無駄にしたなんて思わない……見くびるなよ』
その言葉に安堵し、なんだか救われた気がした。
……分かってくれた。
『気まぐれ』なんかじゃないって、ちゃんと分かってくれた。
あんなに穏やかで優しいギルが、本気で怒っているのが伝わってくる。
イザベラが傍にいなければ、意味が無いって言ってくれた。
幸せにしてあげたいって、言ってくれた。
激しい打ち合いにファビアンが押され、打撃音が激しさを増してくる。
『優しくて素直で、本当にいい子なんだ』
「そんな風に思ってくださって……?」
嬉しさに声が弾み、胸が熱くなる。
そんなこと、家族以外に言われたことなど無かった。
『あんなに可愛いのに……』
「んまぁぁぁ……!! かっ……可愛いですって!?」
そろそろ褒められ過ぎて、動揺のあまり制御が利かなくなってくる。
一体わたくしはどうしたら……!!
オロオロと周囲を見回すと、騎士科と特進科の生徒達がホッとしたような、優しさに満ち溢れた表情でイザベラを見守っていた。
嬉しいけれど。
嬉しいけれど、でもみんなに聞かれるのは恥ずかしくてたまらない。
できれば二人きりの時に言って欲しい……そんなことを考えてしまう。
「少しの照れも無く……? す、凄いですね」
隣でパメラがゴクリと唾を呑んだ。
激しい攻防の末、ついにファビアンが受け損ね、ギルの強打に剣を取り落とす。
『後ろ盾なんて必要ない……自分の力で幸せにしてあげたいんだ』
フランシス公爵家の令嬢としてではなく、家門の後ろ盾など関係なく、イザベラ自身を見てくれているのが、どうしようもなく嬉しかった。
気付けば塀から落ちそうなほど、身を乗り出している。
嬉しさのあまり勝利したギルの姿を脳裏に焼き付けようと、真っ赤に染まった顔で一心に見つめた。
感動に打ち震えていると、ギルと目が合い、ハッと我に返る。
いくらなんでもこれは恥ずかしい……!
イザベラはあわあわと口を開き、――そして、顔を隠すように俯いたのである。
***
次の試合は、両チーム次鋒同士。
副騎士長サルエルとギルが対戦し、熾烈な争いを繰り広げる……はずだった。
だがファビアンとの会話をイザベラに聞かれて平静さを失ったギルは、サルエルの鋭い一撃に剣を取り落とし、ここで敗退となってしまった。
イザベラへの告白も相まって、感動した観客達から惜しみない拍手と声援が送られる。
大盛り上がりのうちに迎えた次戦は、久しぶりの公式戦となる大将ジョルジュ。
余裕の笑みを浮かべ、国王に礼をする。
そしてフランシス公爵、一般席に移動したイザベラにも騎士の礼をすると、その凛々しい姿に観客席の女性達から感嘆の息が漏れた。
ここまでの試合は学生相手のため、刃を潰した模造剣。
ここからは各々が普段使いする、実戦用の本物の剣――。
「ん――、二人かぁ」
ジョルジュが残念そうに、手の中で愛剣をクルリと回した。
「物足りんなぁ……」
「お前一体何を言って!?」
「ああ、ファビアンまだいたのか? もう出番はないから帰って大丈夫だ」
「なッ、なんだとおぉぉ!?」
控え席から声を荒げるファビアンを、煽りまくるジョルジュ。
犬猿の仲である二人の喧嘩は、大抵ジョルジュの挑発から始まる。
「王城で会うたびに絡まれて、そろそろ鬱陶しくなってきたところだ」
「ふざけるな! お前がいつも煽ってくるからだろうが」
「いい加減、黙らせようと思っていた矢先に、良い機会を得た」
ジョルジュは嬉しそうに破顔し、サルエルに控え席まで下がるよう告げた。
対戦相手を下げて、この男は勝手に何をしているのか……怪訝な顔でファビアンが視線を送る。
だがジョルジュはそれを気にも留めず、声を張り上げた。
「この試合で誰と誰が戦うか、国王陛下は俺に一任してくださった!」
「え、今からルールを変える気ですか?」
サルエルのツッコミを無視し、ジョルジュはなおも続ける。
「王国騎士団が誇る高名な騎士達であれば、相手に異存はない。折角なので、愛弟子に負けてしまったファビアンも含めてやろう」
「キッ、キサマァァ」
「さぁ『俺』対『王国騎士団』の勝ち抜き戦だ。楽しいなぁファビアン。俺に目に物見せる絶好の機会だぞ?」
早く剣を持って出てこいとファビアンを煽る。
この大舞台で、公式戦を固辞していたジョルジュと王国騎士団の戦いが見られることに興奮し、割れんばかりの歓声が闘技場内を埋め尽くした。
鳴り止まない歓声に剣を持ち、たたっ切ってやるとばかりに試合に臨んだ『王国騎士団』。
善戦するも実力差は如何ともし難く、次々に敗北を喫した。
こうしてお誕生日会の前座は、フランシス公爵家史上最高の盛り上がりを見せて幕を閉じたのである――。







