ep.34 木の手
朝、火の輪に木の音が響いた。
こん、こん。
乾いた音が、鍛冶場の裏から聞こえてくる。
「……誰?」
咲姫が顔を出すと、そこにいたのは、昨日の舟に乗っていた男だった。
年配。無口。
名前は、まだ聞いていない。
男は、何も言わずに木を削っていた。
手元には、古びた木槌と彫刻刀。
ぽぷらんが、しっぽで砂をなぞる。
「……火の輪の音じゃないけど、悪くないね」
孝平が湯を運びながら、ちらりと見る。
「……道具、持ってたんだな」
男は、火のそばにいた。
でも、火を見ようとはしなかった。
ただ、木を削っていた。
こん、こん。
音だけが、火の輪に混ざっていた。
*
「これ、ぽぷらんのしっぽ?」
リリアーナが、木片を手に取った。
削られた模様は、火を囲むような曲線。
どこかで見たことのある形。
ぽぷらんが、しっぽをくるりと回す。
「……似てる。たぶん、これ」
男は、何も言わずに手を止めた。
少しだけ、目を細めた。
「看板、もうひとつ作れたらいいなって思ってたんです」
リリアーナの声に、男はゆっくりうなずいた。
それだけで、十分だった。
*
夕方、火の輪の入り口に、新しい板が立った。
“ようこそ”の文字。
そのまわりを、火の模様が囲んでいる。
孝平が、ぽぷらんのしっぽを見て、笑った。
「これ、ぽぷらんの……いや、火の輪の形か」
男は、少しだけ口元をゆるめた。
咲姫がつぶやく。
「……火の輪に、手が増えたんですね」
火が、ぱちりと音を立てた。
その光が、看板の文字をやさしく照らしていた。
火の輪に、新しい手が加わりました。
言葉は少なくても、木を削る音が、
その人の“参加”を伝えてくれました。
火の輪は、まだ小さな暮らしです。
でも、誰かが手を動かし、火のそばにいるだけで、
その輪は、少しずつ広がっていきます。
次回は、舟に乗ってきた子どもたちの話を描く予定です。
火の輪の中で、彼らが何を見つけるのか。
それでは、また火のそばで。




