ep.3 はじめての雨と屋根と、器のかたち
朝、風の匂いが変わっていた。 どこか湿っていて、葉の裏に水の気配がある。
「……雨、来るかもな」
孝平は、昨日の焚き火跡を見つめながら、 今日やるべきことを、ひとつずつ思い浮かべた。
「屋根。あと、器。水をためるやつ……」
風が、草を揺らす。 その音が、どこか急かすように聞こえた。
昨日は、木の枝と石で風よけの壁を作った。 葉を敷いて、なんとか身体を横たえられる場所も確保した。
けれど、屋根はなかった。 もし雨が降れば、寝床はあっという間にびしょ濡れになる。
「……まずは、屋根からだな」
林に入ると、木々のざわめきがいつもより大きく感じられた。 葉が、風に揺れて、かすかにきしむ。
『この木の皮、雨をよく弾くよ』 『重ねて使うと、しばらくは水を通さない』 『でも、乾いてるうちに使ってね。濡れると、すぐに腐るから』
「……なるほど。じゃあ、今のうちに集めておくか」
孝平は、風のノコギリを使って、慎重に枝を切り出していく。 昨日よりも、風の加減がうまくいくようになっていた。 素材の声も、少しずつはっきり聞こえる。
「……慣れてきたな」
切り出した枝を組み、葉を重ねていく。 風の精霊が、ふわりと現れて言った。
『重ね方が大事だぞ。下から上に、魚の鱗みたいに並べるんだ』
「魚の鱗……なるほど、雨が流れやすいように、か」
『そうそう。あと、角度も大事。急すぎると風で飛ぶし、緩すぎると水がたまる』
「……暮らしって、意外と理屈が多いな」
試行錯誤の末、簡易な屋根ができあがった。 風よけの壁と組み合わせて、ようやく“雨をしのげる場所”ができた。
「……よし。次は、器だな」
水をためる器がないと、雨水も無駄になってしまう。 まずは、石を削ってみた。
けれど――
「……割れた」
節目を見誤ったのか、石は真っ二つに砕けた。
次に、葉を折って器にしようとした。 だが、隙間から水が漏れてしまう。
「……うーん、難しいな」
『貝殻は? 昨日のスープのやつ、まだ残ってるでしょ?』
「……あ、そうか!」
昨日のスープに使った貝。 中身を食べたあとの殻が、いくつか残っていた。
それを丁寧に洗い、石のくぼみに並べて、雨を待つ。
「……暮らしの道具って、急いじゃダメなんだな」
午後、空がゆっくりと灰色に染まり、 やがて、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。
屋根の上に、葉を打つ音。 火のそばに座り、孝平は静かに耳をすませる。
「……いい音だな」
貝の器に、雨粒がぽつんと落ちる。 少しずつ、透明な水がたまっていく。
「これで、明日も大丈夫だな」
焚き火の炎が、雨に濡れないように、 そっと風で守りながら、スープを温める。
昨日の残りの実と、今日見つけたキノコを入れて、静かに煮込む。
湯気が立ちのぼり、 雨音と火の音が、心をほどいていく。
「……こういうの、悪くないな」
夜。 雨はまだ降り続いていた。
けれど、屋根の下はあたたかく、 火は静かに灯っていた。
孝平は、貝の器を手に取り、雨水をひとくち、口に含んだ。
「……冷たい。でも、うまいな」
空を見上げると、雲の向こうに、かすかに星の気配があった。
「明日は晴れるといいな」
孝平は、火に手をかざしながら、そっと目を閉じた。
お読みくださってありがとうございます。
0話、1話と静かに始まったこの物語ですが、 2話でようやく「屋根」と「器」ができました。
少しずつ、暮らしが形になっていく様子を、 これからも静かに描いていけたらと思っています。
……とはいえ、静かなだけでは終わらないかもしれません。 風が動けば、心も動く。
次回も、どうぞよろしくお願いいたします。




