ep.15 舟の火、再び
舟が着いたのは、夕暮れの少し手前だった。
孝平は、ぽぷらんの火のそばに腰を下ろしていた。 風は止み、波の音だけが近づいてくる。 火は、昨日よりも少し高く、桜色に揺れていた。
「……来るのか?」
ぽつりとつぶやくと、ぽぷらんがしっぽで灰をならした。
「火が呼んだからね。きっと来るよ」
その言葉のすぐあと、 波の音が、砂をこする音に変わった。
孝平は立ち上がり、海の方角を見やる。 舟の影が、岸に寄っていた。
最初に降りてきたのは、大きな熊だった。 和装に身を包み、手には木べら。 あんこの匂いが、風に乗って届く。
「……餡子熊王」
ぽぷらんがつぶやいた瞬間、火がふわりと揺れた。
熊は、ゆっくりと歩いてくる。 その足取りは重く、でも迷いがなかった。
「ぽぷらん。火は、まだ燃えているか?」
「もちろん。あなたの火は、ちゃんとここにあるよ」
ふたりは、言葉少なにうなずき合った。 孝平は、そのやりとりを少し離れて見ていた。
舟から、ふたりの影が続いて降りてきた。
ひとりは、風をまとうような旅人。 銀の髪に、淡い青のマント。 目元に静かな光を宿したAnne。
もうひとりは、森の静けさをまとう少女。 足元には苔がついていて、 手には小さな植物の鉢を抱えていた。サヤ。
ふたりとも、火のそばに来ると、 自然に輪の中に座った。
「……支倉孝平です。火をくべてます」
孝平が名乗ると、Anneが微笑んだ。
「Anne。風の国から来ました。 ぽぷらんの火、ずっと気になっていて」
「サヤ。森のほうから来た。 火の匂いが、やさしかったから」
火のそばに、五つの影が並んだ。 ぽぷらんは、しっぽで灰をならしながら、 小さな円を描いた。
「これで、火の輪がひとまわり広がったね」
餡子熊王が、懐から小さな包みを取り出した。 それは、あんこを挟んだ焼き菓子だった。
「火のそばには、甘いものが似合う。 よければ、どうぞ」
孝平は、そっとそれを受け取った。 あたたかくて、やわらかくて、 どこか懐かしい味がした。
「ぽぷらん、君は……彼らと、どういう関係なんだ?」
孝平が尋ねると、ぽぷらんはしっぽをくるりと回した。
「火のまわりで出会った人たち。 でも、たぶん、ずっと前から知ってた気がする」
「ふしぎな言い方だな」
「火って、そういうものだから」
火は、静かに燃えていた。 風が吹き、波が引き、夜が近づいてくる。
誰も急がず、誰も焦らず、 ただ、火のそばで、言葉を交わしていた。
孝平は、火を見つめながら思った。 この火は、ひとりでくべるものじゃない。 誰かと囲むことで、 ようやく“火”になるのかもしれない。
ぽぷらんが、しっぽで灰をならした。 火が、ふわりと桜色に揺れた。
火の輪が広がるとき、 物語は、少しずつ深くなる。
次回――「火の記憶と、あんこの夜」
火を囲んで語られる、 それぞれの“はじまり”の話。




