後編 花井香乃子視点
(望月くんに渡しちゃった)
偶然と勢いに乗って、出来たばかりのネックウォーマーを渡してしまった。しかもラッピングもしてないむき出しの状態で。カバンの中には、何時間も悩んで選んだギフトバッグとリボンも入っているのに。
でも、あのタイミングじゃなきゃ渡せなかったとも思う。それに私の作ったネックウォーマーが彼に似合っているのが嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
(たくさん練習してよかったぁ)
自分が編み物にはまり、しかも作ったものを誰かにプレゼントする日が来るなんて思ってもみなかった。
始めたきっかけは家庭科の授業だった。
うちの高校では家庭科でマフラーを編むという課題が毎年あるんだけど、編んだマフラーを交換するなんて裏イベントもある。そのせいか皆、集中の仕方が他の授業とは全然違ったんだ。
「花井のマフラーは、女子同士の交換って感じ?」
私が編んでるマフラーを見て、前の席の長谷川文也君がそう言った。私が編んでいるマフラーは白に近いベビーピンクのふわふわした糸で、デザインはシンプルだけど、誰が見たって男子にあげるものには絶対見えないからだろう。
「ううん、これは自分用」
友達同士で交換する子も多いけど、初めて作ったものを誰かにあげるなんて絶対無理!
声に出してしまうと他の子に失礼だから心の中でそう付け足したけど、長谷川君は心の声が聞こえたかのように訳知り顔で「だろうな」と頷いた。
「花井、十回くらい編みなおしてたもんなぁ」
「ねー」
そう。周りの子が事前に多少の練習をしてたなんて全然知らなかった私は、がっちがちの編み物初心者で。しかも不器用なものだから、最初は本当に苦労したのだ。
かぎ針か棒針のどちらかを選ぶって言われた時、なんだかかっこよさそうだという理由で棒針を選んだんだけど、作り目の時点で何度も失敗した。だって、必要な作り目になる前に糸が足りなくなっちゃったり、すごく余ったりしちゃうんだもの。
余る分にはいいかなと思って編み進めたりもしたんだけど、やっぱり気になっちゃってしまう。で、出来たところを改めて見てみると編み目が気に入らなかったりして、結局九回編みなおし、ようやく進めることができているのだ。それでも途中で裏編みと表編みを間違えてワタワタとお直しの方法を教えてもらったりと人一倍苦労したんだけど、ようやく課題の長さまであと30センチというところまで編めている。
編みなおしすぎたおかげで最初のころが少し毛羽立っちゃったけど、結構可愛いマフラーになりそうで完成が楽しみになってきた。
編み物ってすごいよね。編んだものをほどいてやりなおしても材料が無駄にならないし、頑張れば目に見えて形になるし。
友達が凝った模様編みをしてるのもいいなって思うし、かぎ針も面白そう。編むのが早い子はすでに二本目に突入してるから、いろんな編み方やデザインが見られてすごく面白いの。
最初の一本は毛糸の太さがある程度決められてたけど、二本目以降は自由だから、極太の毛糸で編んだものとか早いし温かそうだしで、あああいう感じのも編んでみたいなんて、つい考えてしまうのだ。まだ一つも編み終わっていないのにね。
今話している長谷川君もかぎ針でザクザク編んでるんだけど、男女どちらでも大丈夫そうなツートンカラーのデザインはすごく上手で見ごたえがある。あまりに見すぎて笑われたくらいだ。
「長谷川君は彼女と交換するんだよね」
たしか隣のクラスの子と付き合ってたなと思って、ちょっと揶揄い口調でそう言うと、彼に苦笑されてしまった。
「いやあ。俺今フリーだし」
「ふーん、そうなんだ」
じゃあ私と同じで自分用か、未来の彼女用って感じか。
そう納得してサラッと流すと、長谷川君になぜかクツクツ笑われてしまった。その様子に、(何かいたずらを思いついたみたい?)なんて思っていると、どうやら大正解だったらしい。
「花井さん、俺と交換しませんか?」
声も話し方も絶対本気じゃないのが丸わかりなんだけど、君の後ろで、さっきからこっちをチラチラ見ていた湯沢さんが目を丸くしてますよ?
(あ、なるほど。湯沢さんが編んでるのは長谷川君用だったのか)
彼女の手にあるネイビーブルーのマフラーは、たしかに長谷川君に似合いそうだと納得だ。
(でもねぇ、万が一にでも湯沢さんに誤解されるのは嫌だわ)
長谷川君は後ろの様子に全く気付かず、こっちを見ながらいたずらをした子犬みたいに目をキラキラさせている。こういうところがモテるんだろうなと、思わず苦笑しそうになった私は、自分の編んでるマフラーを彼に向かって少し持ち上げてみせた。
「えー、そうだなぁ。文子ちゃんにピンクは、ちょーっと似合わないんじゃないかなぁ?」
わざと困った風に答えてみると、長谷川君が泣きまねをしながら「ひどいわっ。香乃子ちゃんが文子のこといじめるっ」と、湯沢さんに訴えるので笑ってしまった。
長谷川君、本当は湯沢さんにかまってもらいたかったのかしらねぇ。
こっそりニヨニヨしていたら、隣の席の夢生ちゃんから、「で? ああ言ってたけど、香乃はあげたい人いないの?」と聞かれてしまった。
途端、頭に浮かんだのは部屋に置いてある別の毛糸のことだ。
今回の課題用に毛糸を選んでいた時、偶然元同級生の望月君に会った。望月君とは小学校からの付き合いだから、割と仲のいい男子の一人。そんな彼と手芸店の前で少し話したのは、本当に他愛のないことだ。
初めての編み物だから毛糸は余分に買ったほうがいいかなとか、どうせなら綺麗な色がいいとか。望月君の通う南条高校では調理実習が多くて楽しそうとか、そんな感じ。
なのに彼が去り際、「俺はあの色が好み」と言ったときの表情が今も忘れられない。笑顔なんて何度も見たことがあるのに、その一瞬の表情を見た瞬間、心臓が痛いくらいに大きく胸を叩いた。びっくりして束の間呼吸を忘れたくらいだ。
彼をカッコいいと思ったことはある。運動会の時とか、部活でバドミントンをしているところを偶然見てしまったときとか。
でもあくまで友達という感覚だったのに、一瞬見せてくれた笑顔がすべてを変えてしまった。
好みの色を教えてくれたのだって、深い意味なんかない。
わかっているのに、ついその毛糸も買ってしまった。何を編む予定もないのに。
あれからずっと望月君のことばかり考えてる。雨が降ったら会えるかなとか、そんなことばかり考えるのに、連絡をする勇気なんてなくて。
「香~乃?」
「うーん。これは駄目だけど、お父さんに編んだら喜ぶかな?」
そんなことを言ってごまかしたら、「香乃子らしい~。お父さん、泣いて喜びそう」と思いきり笑われてしまった。
その後、本当にお父さんにも編もうと思って夕飯時に話したら、「それなら」と、編み物の先生を紹介してくれた。せっかく編み物が面白くなってきたと思っているなら、先生に教えてもらったほうがもっと楽しいんじゃないかって。
編み物カフェのオーナーである熊谷夫婦はお父さんお母さんと同級生で、小さいころから何度か会ったことがあるんだけど、さすがに厳つい勇おじちゃんのほうが編み物の先生だとは思ってもいなかったんだよね。
教室はすごく楽しかった。
最初はかぎ針でお父さんにマフラーを編んだ。簡単な編み方なのに凝って見える上に、太い毛糸とかぎ針だったからザクザク編めて、あっという間に完成。色違いでお母さんにも編んで、クリスマスプレゼントにしたら喜ばれて嬉しかった。
例の毛糸を見て、ネックウォーマーにしたらとアドバイスをしてくれたのは勇先生だ。買った毛糸は、男の子のマフラーを作るには少し足りないだろうと言われ、でも買い足すにも同じ毛糸がもう売ってないと青ざめてた時だった。
バレンタインにプレゼントをしたいなんて、私には無理だってことかもしれない。
そんなことを考えて落ち込んでいた私に、輪針で編むネックウォーマーを勧めてくれた。
ちょうど同じ編み物教室に通う主婦の美佐江さんが輪針を使っているのを見て、興味を持っていたのに気づいてたんだね。
輪針っていうのは棒針の短いものにコードがついていて、かぎ針や普通の棒針みたいに前とか後ろとか返すことなく、ずっとぐるぐる編める編み針。
「この糸なら太さもあるし、今の香乃子ちゃんなら結構早く編めると思うよ」
バレンタインに間に合う?
目だけで訴えた質問に、勇先生は「大丈夫」と頷いてくれた。
デザインは悩んだけど、結局シンプルな二目ゴム編みにした。表編みと裏編みを二目ずつ編んでいくだけなんだけど、最後の伏せ止めが難しそうだなと思って、最初は自分の分を作ってみた。冬休みだったせいか三日で編めてしまったそれを勇先生に見せて、伏せ止めを教えてもらい、何度か練習。
だって、何度も編みなおして毛羽立ったネックウォーマーなんてプレゼントできないじゃない。
ようやく覚悟を決めて、すっごく真剣に編み始めたけど、今度はカフェでだけ編むようにした。家で編むと宿題とかおろそかにしそうだっていうのもあるんだけど、カフェなら間違えてもすぐ先生や他の生徒さんに教えてもらえる安心感があったから。――なんて、本当は家族に見られると恥ずかしいからだったりもするんだけどね。
バレバレなのはわかってるけど。
そうやって編みながら、バレンタインの前の日はブラウニーも作った。上手にできたのはラッピングして、あとはお父さん用。
でも、どうやって渡すかは悩んだまま、バレンタイン当日になってしまった。
家は知ってるけど、ラインも電話番号も知らないから。
(だって必要なかったし……)
「おっ。あと一時間もあれば完成しそうだね」
勇先生にそう言われ、ちょっと緊張しながら頷く。カウンターにいる先生から見える席に座って砂時計を返し、とりあえず編むことに集中した。
喜んでくれるかな?
手作りなんて迷惑かな?
というか、気持ち悪がられるかも……。
ネガティブな気持ちが浮かんでは消え浮かんでは消え。
でも、この色が好きだと言った望月君の笑顔を思い出しながら丁寧に仕上げていく。
編み終わったらラッピングをして、家まで行ってみようと決めて。
なのに雨が彼に会わせてくれた。勢いで渡したネックウォーマーを「嬉しい」と言ってくれた。それが嘘じゃないって信じられるのは、一瞬見せてくれた照れた笑顔がすごく優しかったからだ。
とはいえ、さすがに先生たちの前でブラウニーを渡すのは無理。
ちょうどタイムアップだったこともあって、二人でお会計をして店を出たんだけど、改めて二人になるとすごく緊張してしまう。
帰る方向は一緒だから、並んで歩いていても不思議じゃないけど、傘を持っていない望月君と一緒にさすには、わたしの折り畳み傘は小さすぎた。なのに傘を持ってくれている望月君は、「濡れるよ」って私を引き寄せるから、息をするのも苦しいくらい。
おかげで会話らしい会話もないまま商店街を過ぎ、望月君の家の近くまで来てしまう。
どうしようって焦っていたら、彼の家の前を素通りしてしまうから驚いてしまった。
「花井の家まで送ってく」
「え、でも……」
「送らせてください」
ネックウォーマーの礼と冗談めかしてニッと歯を見せる望月君に、ついこくこくと頷いた私の頬は、絶対緩んでいたし真っ赤だったと思う。
期待はしない。
彼にとって私は仲のいい女友達の一人。
そう言い聞かせても、胸の奥がふわふわしてしまう。
「あのっ。あのね?」
家の近くにある屋根付きのバス停の前で、私は彼の袖をくいっと引いた。
雨のせいで周りには誰もいない。
(今日雨が降ったのは、きっと運命だって信じよう)
そう心の中で呟いた私は、勇気がしぼまないうちにカバンの中からラッピングした小さな箱を取り出した。
「ほんとはね。それと一緒に、これを望月君に渡すつもりだったの」
俯いたまま差し出した箱をなかなか受け取ってもらえず、半泣きになって顔を上げる。でも目の前には口元を抑えて真っ赤になり、「夢か、これ」なんて言っている望月君。
(ねえ。期待、してもいい?)
甘い期待にありったけの勇気をかき集め、私はもう一度箱を彼に差し出した。
「好きです」「好きだ」
重なった声を雨音が優しく包んだ。
終




